第20話
春夏秋冬日月が過ぎて、結局村は場所を変えていない。龍の骨がまだ染色できるから、そうそうここらを離れることは出来ないそうだ。龍染めの衣は珍重されて高く売れる。一族以外に渡してはいけない。私はすっかり染色師として、小さくなった子供用の服を小間物に作り直したり、新しいベストを染色してあげたりの毎日だ。勿論学業もあるけれど、本人曰く不良坊主の李先生の授業は俗っぽさが面白く、みんな成績を伸ばして行っている。奴隷だった子たちもきゃっきゃ言って龍の民や龍と遊ぶようになって、ほのぼのとした日々だ。お兄ちゃんは毛先生とまだ文通をしている。そういう意味でつけた名前じゃなかったんだけどねえ、とお母さんがため息を吐く頃。
星流さんの龍が生まれた。
最初に見たのがお母さんだったらしく、嬉しそうにその背中をついて行っては洗濯物を干すのを邪魔したりしている図は可愛いことこの上ない。星流さんを喪って悲嘆に暮れていたお母さん達も元気になって、いつも半透明なその胃袋はいっぱいだった。太ったら西洋龍みたいになっちゃうよ、と言ってみたけれど、それでも愛せるから構わない、とのろけをかまされるだけだった。
そして我が家にも老龍が産み落とした卵がそろそろ孵りそうだと言うことで、食卓の真ん中に卵が置かれた。曰く、誰を見て誰に懐いても恨みっこなし、と言う事らしい。お母さんもお父さんもお兄ちゃんもそわそわしっぱなしだけど、私は小龍――桃龍の経験があるからそれほど気にしてはいなかった。たまに見ては、まだ孵らないな、なんて思うぐらいで。でも時々動くから、やっぱりそろそろ時期なんだろう。そんな秋口。
夕飯の席で、それはパリン、と割れた。
家族全員が硬直する中、ぱりん、ぱりんと殻は突き崩されていく。
そうして出て来た小龍が一番最初に見たのは――
ピィ、と鳴いたそれが見たのは、お兄ちゃんだった。
それとなくそわそわしているつもりだったお兄ちゃんはよっしゃあと叫び、お父さんたちはちょっとがっかりしたみたいだった。子供が一人増えるような物だろうに、そんなに落ち込まなくても。でもお兄ちゃんに纏わりつく小龍は本当に可愛らしくて、私も桃龍を思い出すほどだった。龍王寺、遊びに行こうかな。年に一回ぐらいなら許されると思うんだけど、その年一回がなくなったら桃龍を困らせるだけになるような気がして、出来ないでいる。
「お前の名前は
「毛先生に書く手紙のネタが出来て良かったね、にーちゃん」
「なっおっ俺は別にそこまで考えてはっ……ただ正直龍王寺でのお前の小龍からの懐かれ方が」
「羨ましかった?」
「羨ましかった」
だから離させたとか言ったら足踏むぞおにーちゃんめ。
嬉しそうに頬張るのは、やっぱり甘い果実の方が良いらしかった。たまたまあったリンゴを割って食べさせてみると、もぎゅもぎゅ食べる。一個でお腹いっぱいになってくれたみたいだけど、今度からは行商人さんにフルーツも頼まなくちゃなあとお父さんはちょっと困って見せた。するとお兄ちゃんは龍の牙を取り出し。
「食費は俺が稼ぐ」
彫り物を一層頑張ることに決めたらしい。まあ、お兄ちゃんらしいと言えばお兄ちゃんらしいけれど、勉強と彫り物と龍の世話とラブレター書きと、全部一緒に出来るのだろうか。妹は不安です。が、お兄ちゃんはやると決めたらやる人だからなあ。私の旅に付いて行くこともそうだったし。根性だけはあるのがお兄ちゃんだ。我が誇るべき。
天龍はまだ空を高く飛べないし、私達一家を乗せられるのなんてそれこそ何十年も先だろうけれど、その食いっぷりには将来性があった。お兄ちゃんの作品と引き換えにもりもり食べる。お兄ちゃんの彫り物の腕は上がる。そして高く売れる。その分すべてを果実に変えて食べさせるのだから、行商人のおっちゃん――長い付き合いなので口の堅さは折り紙付きだ――も、その色々に驚いていた。なめらかな曲線をものにしたお兄ちゃんの彫る龍は、結構高値で売れるらしい。だから東の大陸の果物もほいほい買える。果物の方が追い付かないぐらいですよ、とおっちゃんは言うけれど。それを見越して色んな食べ物――梨とか蜜柑とか――を持って来てくれるんだから、結構な商売人だ。そしてそれらを村の子供に分けてあげることも忘れないお兄ちゃんは、本当に誇るべき兄だと思う。みんなで分けると小っちゃくなっちゃうけれど。それでも瑞々しい果実は子供たちのごちそうだった。妹にはくれませんけどね。まあ子供じゃないし、手に職もあるから手前でどうにかしろってことなんでしょうけどね。
手に痕が付くほど染色をして、だけど貰うのは木の実なんかだ。砂漠でも生える木の実。実は我が家にこれは欠かせなくて、お兄ちゃんが彫り物に力を入れてからは木を切ることにもなったりしててオアシスとしては殺風景になってしまうのだ。だから水辺に木の実を植える。十年もすれば良い木が出来るだろう。十年後ここに居なかったら、木だけ切りに来れば良い。お兄ちゃんによる砂漠化はそうして防がれているのだ。少しは感謝して欲しい。と言ったところで、ハッと鼻で笑われるのがオチだろうけれど。ぶー。お兄ちゃん妹の労働を労働と数えないー。
少しずつ家族にも慣れてきた天龍は、私の腕にもぐるぐると懐いてくれようになっていた。ハンドリングするとピィピィ喜んでくれるのは単純に楽しいし嬉しかった。そして私も桃龍が恋しくなる。でも私は一言だってその名を呼んではいけないのだ。余計な思い出になってはいけない。だから、だから染め物で龍と繋がってるふりをする。老龍と繋がっている、ふりをする。
そんな風に過ごしていたある日、パオの扉の布地が傷んできているから染めてくれと言われていた村の薬師さんを訪ねると。
百歳近いシャーマンのおじーちゃんが、倒れていた。
すぐに駆け寄って脈をとるけれど、それはもう微弱だった。おじーちゃん、と昔の癖で呼びかけると、僅かに手指が反応する。
「……何か、言い残すことは?」
おじーちゃんは笑っていた。
「何も。満ち足りた、日々だった」
そうして村の薬師は老衰で亡くなった。
そして私はそれをチャンスだと思う邪悪な妹だった。
「お兄ちゃん、毛先生に龍の村に来てもらう事ってできない?」
びくっと葬儀の帰り道、訊ねてみると不自然なぐらいの唐突さでナッとお兄ちゃんが震えた。
「何言ってんだ、先生の村の薬師はどうなる」
「そこは代わりの人見付けて貰ってさ。お引越し。今ならこの巫術書がおまけについてきます」
「それこっちのじゃねーか」
「おじーちゃんが亡くなった時にくすねておいた。西洋のはこっちね。セットでお値引き、毛先生」
「先生をモノみたいに言うな」
「そうだね、未来のお姉さんだからね」
「まっまだそこまでは」
「まだってことは脈はあるんでしょー。呼んじゃいなよ、お兄ちゃん。天龍も新しい友達出来るよ、あのクロヒョウとか」
「しかし先生は砂浴びをする人だし、」
「専用のパオ作って見張ってれば良いじゃない。なんなら龍染めのパオにする? ただならぬ神気が出て誰も覗こうと思わないよ」
「誰がそれを用意すると言うんだ愚か者め」
「骨組みはにーちゃんが、布は私が。結構残ってるから小さいパオ一つぐらい任せられても問題ないよ」
ちなみに布の仕入れはお父さんが育てているオリーブ畑のオリーブからだ。龍の水で育てるから外の人にはしこたま美味いらしい。私にはただ苦いだけの木の実で、パスタも苦手だけど、勿論口に出したことはない。お父さんが一から育てているんだ、そんなこと言えるはずもない。それに我が家の財源だし。お兄ちゃんの彫り物の方が安定した財源ではあるんだけれど、気が乗らないときはナイフを持つのも嫌がる始末だから。げーじゅつか気質、って奴だろう。でも天龍にはメロメロだから、ちょっと遊んだらすぐに気力を取り戻す。我が兄ながら、単純な人だ。その単純さを、抱擁してくれそうなのが毛先生だけれど。
とりあえず村の薬師が亡くなった事だけでも書いてみなよ、と言う。私はおじーちゃんのパオの入り口の布を、自分で染めたものと取り換えた。依頼は果たした、前の布はおじーちゃんと一緒に焼いてもらおう。龍の民だから、龍の布でくるむのが良いだろう。単純に考えた私は火葬場に向かう。そして布地を託して帰って来る。しばらくは薬師さんが居なくても私の巫術書さえあればどうにかなるのは秘密だ。あと市で買って来る薬草。最近は徒歩の距離にも市が立つようになったから、便利しているのだ。お兄ちゃんたちもデート代わりに行けるだろうし、砂風邪の発作が起こっても妻が医者だったら怖いことは何もない。毛先生はメリットがないけど。そこはお兄ちゃんがこの一年培った人徳と愛でどうにかなってもらおう。本人と手紙は違うかもしれないけれど。妹に平気でキャメルクラッチ掛けるとか知らないだろうけれど。
家に帰っても誰もいない。大人は焼き場でお骨を拾う。それもまたオアシスの泉に沈められる。龍が多くて目立たないけれど人骨もあるのだ、あの湖には。龍の民の骨も染料になる。誰が最初に始めたんだかは解らないけれどお祖父ちゃんの時もお祖母ちゃんの時もそうしていたはずだ。本当は私達だって成人した大人なんだからお骨拾いに参加しても良いはずなのに、流石に数が多いと若い者から帰されるのだ。主にお世話になったお兄ちゃんですらも。砂風邪の発作の時はお世話になったし、旅に出る時の薬は百包以上、二百近く薬を包んでもらった。勿論その作業は私もお兄ちゃんも手伝ったけれど、薬研をゴリゴリしてた薬師のおじーちゃんが一番大変だったと思う。肩に来ただろう、あれは。それでも笑って見送ってくれたおじーちゃん。今更になってちょっと悲しくなってみたり。第一発見者の私もヘビーユーザーのお兄ちゃんも出られないなんておかしーよ。ぶー。
とりあえず両親が帰って来た時のために夕飯を用意しておく。喪中だから塩おにぎりで良いだろう。私達もそれを食べる。お兄ちゃんは天龍にも食べさせていたけれど、意外と好評で二つあった内の一つは食べられてしまった。甘いのもしょっぱいのも行けるのか、一つ賢くなった。なんかあったらお米を炊こう。お米も割と高級品で、一家族に十キロ蓄えがあれば良い方だと言われているけれど。どっちかって言うとパンだ。手軽だし。でも小麦粉から作るパンにはイースト菌が欠かせなくて、それが結構高級品だったりする。だから近くに市が立って色んなパンが手に入るようになったのは僥倖だったりもする。パン屋さんはちょっと割高だけれど、色んな種類のパンが手に入るから、子供たちにも嬉しいものなのだ。甘いジャムパン、クリームパン。メロンパンにイギリスパン。フランスパンに餡バター。美味しいのだ、色々と。
とまあそれはそれとして、天龍もパンは食べるので、三斤ぐらいの長いものを買って来ることが多い。焼き面の耳を落としておくと、柔らかい中から食い進んでいくのだ。最後に空っぽになった耳が残って、それは油で揚げて砂糖をまぶし私達のおやつになる。龍の食い残しかよ、とは思うけれど、美味しいから良いのだ。そしてそれも天龍は食べる。『えこ』な子だ、まったく。
食べ終わったらお兄ちゃんは自室に戻り、私はお母さんたちを待ってダイニングにいた。多分お兄ちゃんは毛先生に手紙を書いているな、と踏んでいると、すっかり顔なじみの早飛びの龍が顔を出す。おいでおいでしてからよしよしと頭をなでると、心地よさそうにした。人一人ぐらいなら運べるかな、と言う若い龍だけど、毛先生の薬箪笥持てるかな、と言った細さだ。薬箪笥さえあれば薬師は出張だってできる。龍の手に掛けられたストラップは、牙が一定の方向を指していた。お兄ちゃんはしっかり毛先生を誘うことが出来るだろうか。毛先生はそれに応えてくれるだろうか。お兄ちゃんの恋愛を応援したいような破局も望んでみたいような、鬼妹心は複雑だ。凹む兄ちゃんも見たいし喜ぶ兄ちゃんも見たい。
やがて指笛が慣らされると龍が飛んでいき、そのまま帰ってこなくなる。戻るのは明日の朝かな。先生のいた街からの距離と荷物の量を考えると。まあ荷物があると良いよね。なくても指さして笑ってやるつもりだけど。鬼妹ですから。でも一族としては外部の血は好ましいし、感嘆を持って迎えられるだろう。猫の民だって言うのも珍しいし、何より腕利きの薬師だし。私が砂風邪の発作を起こしたことはレポートに書いてあって、村中で回し読みされる子供たちのレポートから間接的に皆毛先生の事は知っている。お兄ちゃんの同級生まで。軽くからかわれてそのことでインディアンデスロックも掛けられたけれど、まあ良いだろう。良い思い出だ。一族中みんながお兄ちゃんのプロポーズ玉砕を知っていると言うのは、私にとっては面白い。お兄ちゃんにとっては地獄だろうけれど。
夜遅くに帰ってきた両親に、ちょっと硬くなったおにぎりを勧めて、私も部屋に戻った。
そうして隠し持っているお酒の瓶に口を付けて一口飲みこむ。
――おじーちゃん先生に向かって、乾杯。
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