第19話

「そうですか、流花さんたちは龍王寺に行ったんですねえ」

「はい、とってもお世話になりました」

 レポートを読んだ先生が、ふぅ、と息を吐くのに私は頷く。先生はお寺から派遣されると聞いているけれど、具体的にどのお寺かは知らなかった。でもこの様子から、先生のお寺は龍王寺だったのだろうな、と察しがついて、お寺恋しいのかな、なんて思う。龍の民以外に唯一龍と交信できるのは、修行を積んだお坊さんだけだ。お坊さんはほかの――白虎、朱雀、玄武、麒麟とも話が出来る偉大な職業である。ちょっと憧れるけれど私は私が厳しい修行に堪えられないことを知っているので、尼さんになろうとは思わない。先生は三十代半ばぐらいで、この村に来てもう六年だ。その前のお坊さん先生もそのぐらい。多分修行の一環なのだろう。龍たちと戯れるのも。龍王寺の龍たちも人懐っこかったけれど、龍の民の村の龍は村人以外に心を開かない子もいる。それと段々仲良くなるのも修行なんだろう。

「李さんもう帰ってるかなあ……」

 ぽつりと呟くと、先生にクスリと笑われる。

「では、行ってみましょうか」

「ほへ?」

「私もそろそろ、潮時と言うことです」


 先生の送別会は盛大に取り行われた。龍の肉から、それを出汁にした鍋から、畑で取れた野菜から。お酒を一口だけ飲んで良い気分に浸っていると。お兄ちゃんにおい、と小突かれる。

「お前ちゃんとペンデュラム持ってるのか?」

「あるよーあるある大丈夫ー」

「帰りはどうする気だ」

「若い龍に一緒に来てもらおうかなって」

「龍使いの荒い奴め。それで、次の先生の候補は……まだ決まってるわけないか。俺も一緒に行きたいが、勉強の遅れを取り戻さなきゃならんからな」

 そう、十五歳の旅ならその間の授業は免除されるけれど、お兄ちゃんは十七歳の旅だったから、そうはいかないのだ。半年の遅れは痛い。友達からノートを貸してもらったりしてるけれど、時々布一枚隔てたパオの部屋の中からあ゛ーっとか聞こえてきたりする程度には遅れているんだろう。理系には強いけれど文系には弱い兄ちゃんだ。古代龍語なんて知った事じゃないんだろう。

 大人たちは笑って先生を送り出すことに決めたらしいけど、まだ学校に通って間もない子たちはひっくひっくとしゃくりあげていた。奴隷だった子たちも心配そうに溜まっている。それだけ人徳のあるいい先生だったのだ。次の先生もそんな人だったらいいな、と思いながら、私もツーンとする鼻の奥、目頭を押さえる。だから何で鼻水が先に出るかな、こういう時。

 九歳の頃に何を教えてもらったかはよく覚えてないけど、先生とはそのぐらい付き合いがある。私だって不安だ。次の先生がどんな人か。龍王寺にいたお坊さんたちは悉皆おっとりした人たちばかりだったけれど、外に出たらどうなるか分らないし。案外破戒僧みたいな人が来るかもしれない。それはちょっとした恐怖だったけれど、同時に楽しみでもあった。子供たちのように、村に新しい風が入って来るのは良い事だから。こんな人足の遠い――わざわざ遠くしてるんだけど――村だから、ちょっとは楽しみもこさえなければならない。だけど別に嫌って追い出すわけじゃないから、送別会は明るくも湿っぽさをちょっと残して行われた。

 そして少ない荷物を龍の胃袋に入れたら、旅の始まりだ。


 今回はペンデュラムの差す方向に行くだけだから、楽なものだった。若い龍は出掛けるのに慣れていなくてだからこそ嬉しそうにご機嫌に飛ぶ。老龍ならなんとか操れたけれど、この若い龍は市や行商人を見付けるとすぐに付いて行きたがって大変だった。老龍は聞き分けの良い老成した龍で旅向きだったんだなと、今更思う。でも龍と龍を比べることは無意味なので、私は黙ってその口に水のドロップを放り込み、だましだましに飛んでいくのだ。後ろには先生を乗せて。先生を前にした方が良いんじゃないかと失礼なお兄ちゃんには言われたけれど、これは龍の民である私の意地とプライドだ。私はまだ一人で龍に乗った経験も少ないし、人を送った経験も同様だ。だからここらで一発旅の復習を、と思ったのだ。老龍じゃない若い龍で、私の力を見せつける。ふふん。どうだお兄ちゃんめ! 妹だってただ運ばれていたわけじゃないんだぞ、参ったか! 流石妹様ですごめんなさい、とまでは求めてないけれど、課題の合間に筆まめを発揮しているお兄ちゃんには、妹にも旅で得たものがあると見せつけてやりたい。後ろから見てて分かってることもあるんだから。老龍限定なのかもしれない技術だけど。

 と、ペンデュラムが不意に下を指した。今回は市で慈善事業とかしない旅だからずっと雲の上にいたんだけど、着いたんだろう。光る雲を突き抜けて見やれば、やっぱり龍王寺の真上だった。おお、と先生が声を上げる。懐かしいんだろう、六年だもんなークソガキ相手にして。私もそのクソガキの一派だったけど。あんまり良い生徒だった自信はない。龍の顎を下げさせて、門の前に向かう。ここで、と言ったところぶーぶー言われたので、仕方ない。龍の胃袋に入れずにいてあげよう。ごめん下さい、とどんどん門を叩くと、すぐにいつかのお坊さんが開けてくれた。そして驚愕する。龍と、ちびと、同僚と。確かにちょっとびっくりする取り合わせだろう。

 龍はさっさと門を入って行って、龍王寺の龍たち相手に水遊びを仕掛ける。すぐに返されて、こっちは中々躊躇いのないようだった。先生は手を合わせてぺこりと挨拶をし、門を開けたお坊さんも慌ててぺこりとし返す。六年前に龍の民の村に行った者ですが、と言うと、ああ、と頷かれて、やっと私達は門内に入ることが出来た。


 以前来た時のように静かなお寺の中、私は先生の後ろを歩く。そして着いたのは和尚さんの部屋だ。功徳を積み帰って参りました、と言う先生に、うむ、と和尚さんは笑う。

「人間オークションと言うものにも出されまして、それを助けてくれたのがこちらの流花達兄妹でした。寺としても何か出来ることがあればと思うのですが」

「あの低俗な連中め、まだ生き残っておったのか。しかし流花殿、我が弟子を救ってもらったこと、感謝いたします。飛文殿は今回来ておられませんのかな?」

「課題に追われてます。次の先生を連れ帰るまでに、っていう期限付きだから、大変そうでしたよ」

「次の先生、ですか――」

 ふむ、と和尚さんは考え込む姿を見せる。それからポンと手を叩いて、それなら丁度良い者がおりますな、と言う。立ち上がったのに釣られて廊下を歩いていくと、私が小龍と出会った蔵の前に来た。しかし中からはうー、うーと声がする。布で縛られているようなそれ。なんとなく思い付いたのは、まさかだろう。まさかだろうと思うけれど、鍵を開けられるとやっぱり――

 手足を縄で拘束され、布を噛まされて転がっていたのは、李さんだった。

「喜べこのうつけ弟子め。お前のような放蕩者を教育してくれる仕事が来たぞ」

「うー……?」

「龍の民の村の教師じゃ。龍が好きで寺周りをしているお主にはうってつけであろ」

 ぷはっと猿轡を外されて、李さんが私を見上げる。

「嬢ちゃん! そうか、旅が終わったんだな。俺がここに軟禁されてるのを察して助けに来てくれたのかい、くうっ泣けるねえ」

「いえ完全なる偶然ですけど。あと嬢ちゃんじゃなくて流花って呼んで下さい、生徒の見分けは大切ですよ」

「ってそうか、龍の民の村ってことは嬢ちゃんも生徒になるのか。よし、最初の課題だ、先生を助けてくれ」

「えーと」

 和尚さんを見やると、苦笑いでこくりと頷いて見せてくれたので、私は龍の牙――老龍のものだ――を使って縄をぶちぶち切っていく。ふいー、と手足の体操をしてから、李さんは、ニカッと笑った。半年も経ってないのに何だか久し振りで、じんわりしたものが胸に込み上げる。最初にこの人に会った時は行き倒れてたんだっけなあとか、老龍が生きてることを教えてくれた時には本当に嬉しかったっけなあとか。

 立ち上がった李さんに頭をぽんぽん撫でられて、先生じゃ逃げ場がねえな、なんて言われる。逃げる気だったのか、他の何かなら。まあ破戒僧っぽいところあるしなあ、李さん。あ、と私は首から下げていたペンデュラムを外す。

「これ、お返ししますね」

「ん? ああ、別に良いよ、寺には山ほどあるしな。六年ぐらい経ったらまた流花ちゃんに送られてくるかもしれないし」

「そ、そうですか? あ! そうだ、和尚さん、小龍はどうしました? 名付けも終わってますよね、もう」

「ああ、あの小龍か。元気に水遊びをしているんじゃないかねえ。最初に食べたのが桃だったせいか。桃を異様に気に入っているから、名は桃龍タオロンとしたよ」

「そのまんまですね」

「しかしそろそろ匂いを嗅ぎつけて――」

 ピィ、と笛のような音が鳴って、振り向くと小龍があの頃より十センチは身体を伸ばして私の胸に突っ込んできた。

 それから一生懸命ニオイ付けでもするように私の身体をするすると絡みつかせて来るのに困っていると、ピィ、ピィと鳴かれた。それはまるで非難するような顔つきだった。多分置いていった事を怒ってるんだろう。でもお前は龍王寺の龍なんだから、あんまり私に懐きすぎちゃダメなんだよ。するっとすり抜けると、衣がずれて腕を覆うようにできた龍染めの跡が出る。小龍はそれを見て何かを察したらしく、すり、すりっと頭を押し付けてきた。

「そういや龍は元気かい、流花ちゃん」

「あ、いえ、旅が終わったのを待ったみたいにぽっくりと……」

「そっか。兄ちゃんは? 生き返ったかい?」

「はい! 元気にラブレター書いてます!」

 ぶっふう。

 吹いたのは先生と和尚さんだ。

 あれ、レポートにお兄ちゃんのプロポーズの事も書かなかったっけ? 思っていると、まさか本気とは、と呻くように言われた。

「猫の民と龍の民のハイブリットがどうなるかは気になりますが、まずはお付き合いにこぎつける所からとは……飛文君も一途と言うか」

「粘着質、って言うんだと思いますよ。一度執着したら離さない。老龍のこともそうでしたもん。ブラシで砂ぬぐったり、身体の掃除したり。好きなものには一直線なんだと思います。それが人間に向くとこうなるとは思ってもみませんでしたけど」

「ブラシ? 龍洗いまでしてたのか、兄ちゃん。こっちはたまに専門の業者が来て、一週間ぐらいかけてみんなを洗ってくれるが」

「同じ人だと思いますよ。いつもはお寺でって言ってましたから、お兄ちゃんにブラシくれた人。小龍はまだ全身水浴びで足りますね」

「桃龍――小龍はね。他の龍は水に身体を沈めたら一気に溢れてしまうから弁えたもんさ。さて甘えっ子、お前の母親は流花じゃないぞ、寺全員だ。良かったら流花ちゃん尼さんになるかい? 桃龍は喜ぶと思うが」

「いえそんな恐ろしいこと出来ません……破戒僧になるのが目に見えてますし。龍のお肉食べたさに小龍をかば焼きにしかねんのが私です」

 ぴっと鳴いて私から離れた小龍に、ほっとする。あんまり私に懐かせちゃ、また可哀想なことするだけだもんね。

「とりあえず今日は泊って行きなさるがよろしい。兄上の課題のためにもの、ほっほ」

「良いんですか?」

「そっちの龍も遊び疲れてるし、良いんじゃねーのかい?」

 縁側の龍たちの池を見ると、確かに一匹すやすや寝ているのがいる。一日でここまで来たんだし、まあ疲れているだろう。明日は南の方の市をのぞいてみて、また龍洗い出来そうなら体験させてあげるのも良いかもしれない。

 一汁三菜のお夕飯を頂き、雨戸を必死で叩く小龍の悲しげな声に堪え、私は眠ることにした。

 一人の部屋はなんだか慣れなくて、ちょっと小龍入れたいなと思ったけど、我慢した。


「そんじゃ行ってきまーす」

 他の僧侶たちと一緒にゴマ塩がゆを食べた朝方、私達は旅立つことにした。小龍もまだ寝ぼけているだろう時間帯だ。これなら大丈夫だろう、と言うところで、ピィ、ピィ、と鳴く声がする。早寝早起きでしゃっきりしている龍に乗り、頭を上げさせると、お坊さんたちに引き留められている小龍が見えた。早く雲に上に出なくちゃ、とほぼ垂直になると、うおっと李さんが私の腰に掴まる力が増した。そうだ、一人じゃないんだっけ。慌てて平行になると、はー死ぬかと思った、なんて李さんは――李先生は言う。

「しかし俺もあちこち旅してきたが、龍の民の村は初体験だなあ。どこにあるんだい?」

「秘密です。それはこの子が連れて行ってくれますから」

「希少部族は大変だねえ」

「もし襲われたら先代先生みたいに攫われるので、それは覚悟しておいてください」

「げっ。俺龍の言葉しか喋れねーぞ」

「そういえば、お寺周りも龍の為だったみたいですけど、何でです?」

「あーおれ寺門に捨てられてたんだよ」

 えっ。

 それはしれっと言って良い所なの、李先生。

「砂漠の夜で凍えるってところに、野良龍が口の中に入れてくれてな。それで助かった。以来龍には恩義を感じてるから、色んな龍を巡ってその龍を探してる、って所かな」

「果てしないなー……」

「そう、だからこそ面白い。流花ちゃんの村にその時の龍が居れば万々歳なんだけどな」

 もちろんそんな都合の良い事はなく、お兄ちゃんは初めて会う命の恩人に恙なく課題を手渡した。

 同時に龍が飛んでいったことも、私は見逃さない。

 毛先生がこっちに来てくれるの、いつになるかなー。なんちゃってね。

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