第18話
それからも龍の旗を目印に旅は続いて、やっと村に辿り着こうとしているところで――私達は異変に気付いた。
村に龍が下りていないのだ。
ほとんど全員が雲の上にうろうろとしている状態で、みんな背中に村人を乗せている。
そしてその中に、私達の両親はいない。
「どーしたのみんな!」
思わず声を掛けると、老龍の次に若い龍――とはいってもやっぱり千歳越えだ――が、話しだす。
曰く賊が村に入ったらしい。普段龍の一族の村は龍の結界が張ってあるものだけれど、彼らはそれを無効にする行動をとって来たのだと言う。
その日の守護龍に、人灰を掛けたのだそうだ。
盲いた龍には結界の境目が分からない、その隙に村に入ってきて龍を狩り、一族を攫い出したのだと。
もっとも守護龍の異変はすぐに龍たちに伝わっていたので、龍たちはすぐに自分の守護する家の人間を背に乗せて逃げられたそうだけど、そうでない家庭――私みたいに子供の旅に龍を出している家庭は、捕まってしまったのだと言う。そしてそのままラクダに乗せられ、どこか違うパオに連れて行かれたのだと。そのパオの位置は一番若い龍が偵察してきて分かっていた。――私の人身売買が行われようとしていた、あのパオだった。凝りもせずまた、やらかそうと言うのだ。あの人間たちは。
とりあえずみんなを空に残したままにはしておけないから、守護龍のところに降りる。ぐったりうなだれているのにお兄ちゃんがブラシで灰を掻きだし、私は水のドロップを上げた。すると守護龍はたちまち目を開け、村の結界も復活した。それに安堵した龍たちが下りてくる間、私とお兄ちゃんは家だったパオに入る。幸い火は使っていなかったみたいだ。机の上に龍の民の字で書き掛けのメモを見つける。
『飛文、流花、村の場所がばれました。もし他の龍たちが迷っているようなら逃げて別の場所に村を』
最後の字が長く尾を引いていて、お母さんが最後まで私達の事を心配していたのが分かる。ぎゅっと噛み締めた唇が切れて血が出た。私は雑貨袋から薬研を出して、巫術書にあった守護龍を隠す方法を見る。薬草を擦って、そのまま龍に掛ければ良いらしい。ごりごりごりごりと擦りながら。私は薬研を抱えて外に出て、風の舞うままに薬をばらまく。これでしばらくは大丈夫だろう。問題はお父さんたちだ。カレンダーは二日前で止まってるから、まだ間に合うだろう。
「流花。どうするのが最適だと思う」
珍しくお兄ちゃんに相談される。お兄ちゃんも戸惑っているんだろう、そうない事態だ。少なくとも私達が生まれてからはそう。こんな風に侵略を受けるなんて。
「今旅に出てる皆が戻ってくるまでは、村はここに無いと駄目だと思う。掟だし。今撒いた薬で連中に守護龍は見えなくなったから、同じ手は食わないはず。その上でお父さんたちを、取り返す」
「取り返すってどうやって」
「それはお兄ちゃんが先にやって見せてくれたことだよ」
「まさか――」
「そう――殴り込みだよ。老龍、はい水のドロップ。それと、一番近い市まで行って」
「市なんかに行ってる場合じゃ、」
「あるんだよ、お兄ちゃん。札束で引っ叩いてやりたいときはそうするのが一番だ」
『それでは次の商品ですが、これは希少! 希少です。龍の一族! 龍はいませんが呼ぶことは可能でしょう。夫婦者なのでつがいにして子供を育てることも可能です! もっともトウが立っているので、一人銀貨五十枚からの――』
「トウが立ってて、悪かったねッ!」
私はステージ上に連れてこられたお母さんとお父さんへの言葉に腹が立って、司会者に袋を投げつける。金貨一枚分の銅貨、一万枚だ。げふっと司会に当てられて市がざわついた隙に、先にステージ下に潜んでいたお兄ちゃんが龍の牙でその手首を縛っていた縄を切る。つながる縄は同級生の親たちの方まで行っていた。まだ帰って来ているのは二・三人だから、結構な列になっている。それを鋭い龍の牙で一気にぶちぶち切っていく。お兄ちゃんは手先が器用だ。彫り物より手早く、あの鋭い牙を扱う。一度は自分も刺された牙だって言うのに、畏れ知らずと言うかなんというか。お兄ちゃん、つよい。
「なっなんだ貴様らは! そのベスト、龍の一族か!?」
「ご名答! うちの村を襲って攫って行った人間、返してもらうんだからねっ! 老龍!」
私の声にパオが吹き飛んで骨組みだけになる。ゴロゴロとなる雷雲を連れて、総勢二十匹はいるだろう龍たちがパオだったものを取り囲んでいる。客たちは逃げ惑うばかりだけど、ステージに出されていた龍の民たちは慣れ切ったその姿に泣き出してしまっていた。ちなみに司会はまだ死んでる。私でも重かった、市で両替してきた十キロ相当の銅貨だ。ぶん投げられたら加速度がついてさらに痛いだろう。すり鉢状の椅子並びだったから、狙いをつけるのは簡単だった。札束で頬を引っ叩くのが一番簡単な人の黙らし方だ、お兄ちゃんからそれは習っている。何かをしたいときには対価が必要だ。宿題見せてとか、墨貸してとか。一番楽なのは金で片を付けることだと、自然に学ばされたのは市を回って来たからだろう。客は逃げ、司会は死に体、主催者の乗ったラクダは逃げて行った――けれど、その方向には何もないのを私は知っている。伊達に世界を周っちゃいない。あるのはサボテンばかりで、それも何かが近づくと針を飛ばす種類のばかりだ。ちゃんと方位磁針持ってるのかな、とちょっと心配になるのは、まあ私も人の子だからだろう。龍の民であり、人の子。始祖に龍を持ち人の形を与えられた、龍の民。西方の民のように簡単に滅んでなんかやらないんだ、私達は。戦争なんか起こったら真っ先に雲隠れしてやる。幸い巫術書もあるしね。世界から一旦姿を消すことは可能だろう。
みんなそれぞれが縄を解かれて自由になり。龍に乗っていく。子供の奴隷も何人か見かけた。うーん。どうしたもんかとお兄ちゃんを見上げると、お兄ちゃんはその膝に手をついてその子たちを見下ろした。
「俺達と来るかい?」
「……良いの?」
「ただし学校で勉強してもらうし、畑仕事も手伝ってもらうし、村の誰かのお嫁さんやお婿さんになってもらうことになるけれど。勿論将来の話だが」
「それだけで良いの!?」
子供たちの目に光が灯る。どれだけの苦難を味わってきたんだろうかとちょっと胸が痛くなるけれど、それはそれ、これはこれだ。外部の血が入って来るなら村にも互恵的だし。一人ずつ頭を撫でて行くと、泣き出す子もいた。とりあえずその子たちを龍に乗せて、他の珍獣たちも檻を開けて、最後に私とお兄ちゃんは老龍に乗り込む。老龍は少し疲れたように息を吐いた。それが気になって顔を覗き込むと、どこか老成したようだった顔が余計にそうなっているのに気付く。
お兄ちゃんも老龍のその様子に気付いたのか、頭を上げさせるのをやめた。どうした、と訊ねると、村に帰ったらな、と返される。どうかしたのかな。水のドロップはちゃんと上げたよね。黒雲はほかの龍たちがばくばく食ってたけど、そんなにお腹がすくような量でもなかったはずだ。どうしたって言うんだろう。心配になるけれど、老龍はどこか空っぽにかんらかんらと笑って、私達を宙に招く。
『さあ、もう一度天まで!』
そうして龍の一族の村に着くと、力尽きるように老龍は息をしなくなった。
村長の見立てによると、老衰らしい。
そんなおじーちゃんだったのか。
なのに旅で頑張ってくれたのか。
涙と鼻水が両方出て、龍の胃袋からハンカチを出す。
後ろ足の間には、白い卵がひっそりと産まれていた。
まずは卵を蔵に運び、水のドロップを添え物にする。それから一族総出で、龍のうろこを剥いだ。万能薬なんだからあって困るものじゃないけれど、剥がれると痛いと言っていたのを覚えていた私はちょっと躊躇する。だけどお兄ちゃんにナイフを渡されたら、何も言えない。下手をすると刺される。冗談でなく。
腑分けをする頃には日は落ちていて、村の中心にかがり火がたかれた。龍王寺であったことを思い出す。あの時は生き返らせるためだったけれど、今度はより死を確実にするためのものだ。胃袋を取って乾かすために吊り下げるのを見て、あ、と私はお兄ちゃんを見上げる。星流さんの卵。お兄ちゃんは思い出したように、龍のいない家庭としてオークションに掛けられていた星流さんのご両親に駆け寄る。そして水袋から出したのは、龍が遺した卵だった。我が子のようにそれを抱いて泣きじゃくるおばさんと、おじさんと。ちょっと居心地が悪くなる。
内臓は良い堆肥になるらしいので、大きな桶の中に詰め込まれた。残ったのはお肉だ。するとみんな、当たり前のように食べて行く。老龍を、食べて行く。お兄ちゃん、とそのベストを引っ張った私は、また鼻水を垂らしていたのかもしれない。ごしごしと珍しく袖でそれを拭われて、一口分差し出される。やだやだ頭を振ると、お坊さんの先生が出て来て、私の頭を撫でた。
「最後の供養ですよ。食べて差し上げなさい。それでやっと老龍は永遠になれる」
訳が分からなかったけれど、みんなが私が食べないことを気にしだしたので、仕方なく私はお兄ちゃんの手ずからそれを食べた。
美味しかった。
「美味しいよおにーぢゃん……」
「当り前だ。俺達の、老龍なんだからな」
「でもこのまんまじゃうちの龍いなくなっちゃうよ?」
「それは卵から孵った龍に頼むしかないな。しばらくは油断出来ないが、それも俺達の宿世だ。諦めろ」
「おにーちゃん冷たい」
「炙って食ってみるか?」
「あぐ。美味しい」
「食いきれなかった分は干し肉だ。これだけあれば来年の連中にはたっぷり持たせてやれるな」
「って私たちがいつも食べてた干し肉って龍だったの!?」
「何をいまさら言っているんだお前は、この愚か者め。龍の一族の村だぞ、ここは。龍以外食い物もあるまい、特にたんぱく質。畑だけで賄えるほど、この村も小さくねーよ」
「そうだったのか……ずっと知らずに龍を食べて来てたのか、私……同族食いだね?」
「だからこそ龍の一族は龍の一族たれるんだ」
龍を繰り、龍を食べ、龍を送る。連れてきた子供たちも、おいしいね、おいしいね、と食べている。ちらっと私を見たから、にっこり笑ってあげた。
「たーんとお食べ。お腹が爆発しちゃうぐらいにね」
やがてみんなのお腹が膨れて干し肉用の乾燥小屋に残った肉が入ると骨になる。今度はみんなでそれを運んでオアシスの中央にある湖に沈めた。そこで染めた物が龍染めになる。骨や脳から出る汁でうろこ模様が出るのだ。あの子たちの龍染めは私がしようと、勝手に決心した。あの子たちを龍の一族の民にしようと、勝手に決めた。もっとも誰も彼らがここに居るのを咎めないんだから、もう受け入れられているのかもしれないけれど。
そうして何にもなくなってしまった老龍のことを手紙にしたためて、お兄ちゃんは早飛びの龍に手紙を託す。私がずっと握っていたコンパスのストラップには、毛先生がいる村の方向を指す牙が付いている。夜の中を元気に泳いで行く龍には、水のドロップを上げた。まだ結構余ってるから、今度龍王寺に行ったときに小龍にも上げようか。名前付いたかな、あの子。星流さんの卵は星流さんの家で面倒を見ることにしたらしい。老龍の卵はまだまだ生まれないだろうからってことで蔵に。時期が来たらうちに持って来ても良いそうだ。新しい我が家の龍。名付け合戦はもう始まっているけれど、私はそれを無視して久し振りの自分の寝台で眠った。
ひとしずく涙がこぼれていたのに気付いたのは、翌朝のカビカビしたその痕の所為だった。
あと毛先生の返事はちょっ早だった。
大丈夫か、兄よ。遅筆の兄よ。でも他所の村にペンフレンドが出来るなんて初めてだから、初々しく筆まめでも良いのかもしれない。
それから一週間は旅から帰った皆のラッシュが続いて、その間何があったかのレポートを書くことになった。嬉しかったこと。悔しかったこと。悲しかったこと。辛かったこと。苦しかったこと。幸せだったこと。――そして、その最後まで。文章にすると途端に嘘くさくなるのが私の大活躍だけど、本当の事なんだから仕方ないだろう。私とお兄ちゃんは村を救ったのだ、えっへん。勿論他の龍たちの活躍もあるけれど。でも十キロで札束――正確には小銭――ビンタをかました私の活躍は書かずにおれない。お坊さん先生まで連れて行ってたんだからとんだ悪党だった。もっとも今は巫術の守り石で固めて行商人しか通れないように改造済みの村だけど。でも来年ぐらいには引っ越した方が良いだろうな。老龍のお骨を思うとちょっと寂しいけれど、安全には変えられない。
しばらくの間は老龍の喪中が続いていたけれど、子供たちが龍染めのベストを着る頃になると、みんな元気になっていた。私は自分の手に染み付いた老龍のうろこ模様に時々口付けて、西の民を思う。ベルさんはバンバン卵を産んでいるだろうか。案外人間態も生んでるかもしれない。でないと一族がつながらないもんね。ベルさんも人から龍に変われたんだし、龍から人に変わることもあるだろう。問題はあの辺の権力者達だけど、それは私が心配しても仕方ないことだ。龍三体居ればよっぽどの軍勢じゃないと負けることはないだろうけれど。
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