第15話

 すんっと鼻を鳴らすと、いい匂いがした。

「お兄ちゃん、なんかいい匂いしない?」

「さっきメシを食っただろうにこの豚は……」

「そーじゃなくて! なんかふわーっと……老龍ちょっと雲の下に出てみてくれる?」

 老龍に頼むと意外と勢いよく降下してくれた。こういう時、老龍は私に優しいのになあと思う。龍の民だから? いたいけな女の子だから? どっちでも良いや、思いながら眇めていた目を開けると、そこに広がっていたのは。

「うわあっ」

 一面の緑!

 湿地帯って奴に潜り込んでしまったのだろうか。でもそれなら嬉しい誤算だ。老龍に下ろして貰って月明りの中巫術の本を開くと、乗っている草花が山ほど見付かる。

「おにーちゃん、しばらく薬草取りしてて良い!?」

「勝手にしろ。老龍と俺は休んでる」

「わーい!」

 えーと毒消しの草はこれ、食あたりの草はこれ、傷薬はこれ。風邪にはこれが利いて、それからそれから。あ、砂風邪に効くのもある。昔は西の地もこんなのが取れるぐらい気候が良かったのかな。考えながら順番に龍の胃袋に詰めていく。ガチャガチャ言い出したのはそろそろ満杯が近いからだろう。この旅では色んなものを買ったから。主にテントとか。あれはでかい。龍王寺の毛布。普通の毛布、お兄ちゃんのもこっちに入ってる。それから水のドロップは欠かせない。あとは毛先生に貰った小さな薬研。やっと出番が現れそうだ。

 ふんふん笑いながら老龍たちの方に帰ると、すやすや眠っているようだった。龍の胃袋の中は時間が遅い。眠ってもそう長時間にはならないんだろう、思った私はそのままにしてあげることにする。とりあえず一日ぐらいは良いだろう。お兄ちゃんもすかすか寝てるし。私ももうちょっと眠ろうと、毛布を二枚出す。一枚はお兄ちゃんに、一枚は私に。湿地独特の生ぬるい空気は、花の香りも手伝ってよく眠れた。

「オキロ!」

「ほへ?」

 浅黒い肌をした集団に囲まれて槍を向けられるまで。


「龍ノ民カ?」

「あ、はいそーです……」

 ピリピリした空気にもかかわらず眠っている――多分振りをしている――お兄ちゃんと老龍には目もくれず、男たちは私だけをターゲットにしている。なんだろ。聖地かなんかだったのかな。だったら悪い事したけど、いきなりこれはなくない? 私は眠い目を擦りながら、男たちが頷き合うのを見る。それから。

 槍を突然下げられて、ぺこりと頭を下げられる。

「龍ノ民は薬ニ長ケテイルト聞ク。チカラヲ貸シテ欲シイ」

「病人がいるの?」

 こくん、と頷かれる。

 薬って言うのは多分龍のうろこのことだろう。巫術書に乗っている限りの病気なら、昨夜摘んだ薬草でどうにかなる。お兄ちゃんと老龍をぺしべしっと連続で叩いてから、空寝を起こさせる。チッと呟いたお兄ちゃんは、仕方なさそうに身体を起こした。

 生まれて初めての馬に乗り――こういう動物だったのか、一つ賢くなった――村に着くと、方々から心配そうな目に見詰められる。中でも一番大きなテントに通されると、多分村長だろう人と、シャーマンだろう人がかがり火を焚いて何事か唱えていた。私達が入っていくと、深々と礼をされて、茣蓙に座るよう促される。胡坐をかくとお兄ちゃんにべしんと殴られた。仕方なく正座するけど、足が痛くて嫌なんだよね、これ。

 部屋の隅では男の子が体を起こしてゼイゼイと咳をしていた。うむ。これはもしかして。

「手荒なことをして悪かった、龍の民よ。だが是非にもあの子を助けてほしい。どこに連れて行っても原因不明なのだ。シャーマンに頼るしないが、それでも病状は悪化の一途をたどっている。どうか、孫を、助けてはくれまいか」

「じゃあちょっと診させてもらいますね」

 さっさと茣蓙を立ちあがって。男の子の方に行く。ひゅーひゅー言う喉。ゴロゴロ言ってる背中。これは慣れてるぞ、この十五年、お兄ちゃんで。

 龍の胃袋から出したのは、龍のうろこが入った私用の砂風邪薬だ。水を頼んでから飲ませてみると、三十分ぐらいで男の子は横になれるようになる。おおっと座が沸いた。病気が見られないようなところでは爆発的な効果を発揮する。って言うのは毛先生の言葉だけど、本当に劇的だな。しかし何でこの子砂風邪なんかに。

「私の妻は龍の民の娘だった」

 村長が話し始めるのを仕方なく茣蓙に戻って聞く。

「おそらくあれが大陸にはない病を持って来てしまったのだろう。しかし息子にも何の症状もなかったので油断していた。ありがとう、龍の民よ。あなた達の旅に幸運があることを祈る」

 ぺこりと頭を下げられると、テントに集まっていた一同に礼をされる。三包ほど置いて飲ませ方を教える――とはいえ時間帯ぐらいだ――と、ぺこりぺこり頭を下げられて、逆に居心地が悪いほどだった。それじゃあ、と言うと、名残惜しげな顔をされるけれど、私達も旅の途中なのだ。いつまでも一つところにはいられない。

「良ければ馬を貸しましょうか」

「龍がいるので平気です。お心遣いありがとうございます」

 ぺこっと頭を下げてテントを出ると、村人総出で頭を下げられていた。い、居心地が悪い。老龍を置いて来た湿地に戻ると、ふあ、とあくびをされた。きっちり寝取り戻したんだろうね。今日はこれから発つんだからね。

 その前に。

 べりっと私はそのうろこを一枚剥ぐ。さすがに痛みに目を覚ました老龍に喉をゴロゴロされるけれど気にせず、私は村に戻る。

「もしどうしても治らなかったら、これを使ってみてください」

 万能薬だからね、龍のうろこは。これも毛先生曰くだけど。

 ほろほろ泣きながらアリガト、アリガトと言われるのも気持ちの良いものではないので――基本的に笑っている方が好きなのだ、私は――そしてお兄ちゃんに楽天者めと怒られる――さっさと老龍のところへ戻る。お兄ちゃんはもうその頭に乗っていた。私もその背中に抱き着いて、ぱたぱた手を振る。村中総出でやっぱり手を振られて、うひゃあッとした気分になった。未来の村長を救っちゃったことになるのかな、下手をすると。いや下手でもないけれど、でもやっぱり、ちょっとひゃーっとなるなひゃーっと。助けたのは毛先生の薬だから毛先生に感謝が行くと良いんだけど、そうなるとお兄ちゃんとの鞘当てになってしまうから、妹は自分を犠牲にしてひゃーっとなっておこう。

「お前の功でもないのに照れるな。こっちが恥ずかしい」

「だってーだってー」

「大体一緒に寝る奴があるか、馬鹿者め。愚か者め。うつけ者め。ちゃんと起こせ、外では。下手な連中に見付かって老龍に何かあったらどうする」

「それはそーだけど、老龍この所ずっと殆ど寝てなかったし、ちょっとぐらいは私達の時間でーって……」

「そういう場所は上から見て探せ。三百六十度地平線の場所なら許す」

「ぶー……分かりましたよーだ」

『我はそれより剥がれたうろこが痛いのだがなっ』

「はい水のドロップ」

『いつかこれでは済まない時が来るのを思い知らせてやりたいが美味い』

「そんな恐ろしい時が来るのは嫌だよ……」

 間違って老龍を殺しかけてしまった時だって、水のドロップさえあれば問題なかったぐらいなんだから。だから、今ぐらいはのんびりしていたい。三人一緒にのんびりとした旅を続けていきたい。すぅ、と吹く風にさらされながら、私はそう思った。

 もっともまた馬に乗った人たちに銃を向けられるのは御免だけど。思ったところでパァンと破裂音がしたから、さっさと雲の上まで私達は隠れた。まったく本当、人間の二面性って奴を味わう日だな、今日は。何を根拠に龍を狩ろうって言うんだか。美味しいそうだから味目当てなのかな? 珍味? それはそれで嫌だな……老龍見ても齧ってみたいとか思わないもん。そう言うのはバルバトスたちの方が良さそうなのに。むっちりしてて。いや生贄にするわけじゃないし食べたいとも思わないけどね。私は。

 でもうろこが万能薬、鼻くそ耳くそが漢方、糞が堆肥なら、肉は何になるんだろう。それこそ不老長寿でもおかしくないな、なんて思う。でもそう言えば私はまだ龍の死に立ち会ったことがないのだな、と知った。村ではどう処理するんだろう。自殺した龍を一匹知ってるだけの私達には、まだまだ分からないことだらけだ。あの龍の卵はまだ孵っておらず、お兄ちゃんの持つ水袋の中だ。村に帰ったら祭られて、蔵の中にでも入れられるのかな? 龍王寺では少なくともそうだった。半ば無理やりに入った蔵の中で。そうだ、小龍どうしてるかな。もう私のことなんて忘れちゃってるだろうな。李さんはどうしているだろう。その内龍の一族の村に案内したいぐらいの人だった、あの人は。べ、別に惚れた腫れたじゃなく、単に恩人だから。お兄ちゃんと老龍の――恩人だから。

 それを言ったら毛先生だって来てもらいたいけれど、それはお兄ちゃんのお嫁さんと言う形で来て欲しいな。村の薬師――シャーマンさんもいい加減おじーちゃんだから後継者が欲しいと言っていたし。でもそうなると、この巫術書は毛先生に託した方が良いのかもしれない。でも砂漠では見かけない植物ばかりだから、それは私が持って帰ろう。帰る。久し振りに思い出そうとすると貧弱な脳髄は級友たちの顔すらおぼろげだった。す、すまん。父母はしっかり覚えてるけれど、声は微妙だった。お父さんの声って高かったっけ、低かったっけ?

 毛先生や李さんの事は比較的鮮明なのは、彼らがまだ二か月一か月しか前じゃない所為なのだろうか。そんな。なんて不毛な私の脳髄。もっと仕事してよ、お願いだから。だから数学がーってお兄ちゃんの声の幻聴まで聞こえて来た。やばい。全私が全力でヤバイバル。

 でもこの旅も半分を通り越して、いろいろ学んだことはあったと思いたいね。巫術書とかじゃなしに。西の一族の事とか。猫の一族は意外にもトランジスタグラマーとか。いやそれは言ったらグーで頬を殴られるから言わない方が良いな。お兄ちゃんに覗き魔気質があるなんて、どこに出しても恥ずかしくない立派な長男としてお兄ちゃんを育ててきた父母の前ではとてもとても。そして陰でドメスティック・バイオレンスを受け続けてきた私に何が降りかかるか分かり切ってて、とてもとてもとても。

 想像に顔を青くしていると、キラッとしたものが目に映る。

 海だった。

 でもその前に市がある。

 そしてそこには。

 懐かしい、龍の旗が立てられていた。

 これは――

 誘いか本物か、迷うところだな。


 とりあえず市に掛からないところに雨を降らせてみると、ブーイングが起こった。中には瓶や薬缶、鍋を出している人たちもいるから、本当に水が必要なのだろう。しかも真水。海の近くでは海水しかないから、淡水がなくて困ってる漁師さん達か何かかな。思って今度は市に降らせると、おおおおおっと歓声が鳴る。久し振りにそんな声を受けて嬉しくなった私は、お兄ちゃんの背中を机代わりにして、いつものように赤丸を付ける。この大陸ではあまり雨を必要とする人たちは少なかったイメージだけど、こんな所でなんだって。

 相変わらず市から少し離れた場所で老龍を下り、水袋に入ってもらう。市に向かうとみんな陽気な顔をしていた。そこで私は自分の幼さを利用してみることにする。

「あのー」

「なんだいお嬢ちゃん」

「あの異国語の旗、なんて書いてるんですか?」

「『龍』――ドラゴンの事さ。ああしとくと通りすがりの龍が水を降らせてくれるって昔から言われてるが、まさか本当に降るとはなあ」

「何で真水を? 海、すぐそこなのに」

「この市では淡水魚を扱ってるんだ。しかし井戸が枯れちまってねえ、このままじゃただの生ゴミになっちまうってんで、急遽蔵から出した旗を掲げてみたら、この通りって訳さ。お嬢ちゃん、良かったら食ってくかい? ちょいと腐りかけだから、今ならサービスしちゃうよ」

 お兄ちゃんを振り向く。よっぽどひもじい顔に見えたのか、はーっとため息を吐かれた。そ、そんなに食べたい顔になってたかな。じゅるりと口元を隠す。勿論、ベストは見えないように外套を押さえて。

「――そこの魚、二尾、ムニエルかなんかにしてくれ」

「はいよ、銀貨一枚ね!」

「はい」

「気前の良い兄ちゃんで良いなあ、嬢ちゃん」

「うんっ!」

 久し振りに兄妹扱いされた。それが嬉しくて私はなんかのムニエルを食べる。傷んでるって程じゃないし、火を通しているから安全に食べられた。お兄ちゃんはフォークをちょっと持て余しているようだったけれど、すぐにコツを掴んだらしくあむあむと食べ進める。お兄ちゃんは昔から要領が良いのだ。張り合って来る妹がいる所為もあるだろうけれど。お兄ちゃんより早く箸を持てるようになりたいと思って覚えたけれど、いまだにばってん箸だし。お兄ちゃんはきちんと使えるから、時々なんであんなに張り合ってたんだろうと謎に思う。多分身体の弱いお兄ちゃんにばかり構っていた両親の愛情を、取り合ってたんだろう。お兄ちゃんとしては元気で爛漫な妹の方が親に好かれている気がしてドメスティックなバイオレンスを行使してきた、ってとこかな。しょうもない兄妹だ、私達は。

 そうしてお腹いっぱいになったところで、私達は最後の海を渡る――

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