第12話
龍は渡り西洋に至る。そうなって来ると建物もパオみたいな簡易の物じゃなく、石造りの頑丈なものになってくるから不思議だった。道も石畳になっていて、上から見ている分には興味深いし面白い。砂もそんなに入っては来ないようだったけれど、それは各都市が独立していて壁で囲まれているせいかもしれなかった。これは昔かなりやり合った結果だな、と思う。いるんだねえ。軍人って。今までのパオでは保安官ぐらいしか見たことなかったから逆に珍しいや。
さて本日の宿としますか、と龍を下りて龍の胃袋にしまい、一つの街の門を叩くと、気だるげなおじさんが出て来る。
「なんか用かい」
「宿を探しているので街に入れて欲しいのですが」
「……その衣、龍の民だね?」
「はい」
「龍と引き換えになら門を開けても良い」
?
ちょっと訳が分からないなっ?
「街を出る時に返してくれるんですか?」
「それは――」
ごにょ、っと口ごもったある意味親切で正直なおじさんのおかげで、私たちは老龍を手放さなくて済みそうだ。
「他の街に行きます、お邪魔しました」
「どこに行ったって同じだよ!」
後ろから駆けられる声にぺこりと頭を下げて、私たちは違う門に向かった。
しかしながら最初の門のおじさんの言うことに嘘はなく、私たちが龍の民だと分かるとみんな一様に『龍と引き換えに』と言うのだ。これは老龍をパオ代わりにするのも危険だな。と途方に暮れてしまう。大方権力者がその力を誇示するために欲しいんだろうけれど、龍の民以外に龍は心を開かないのが普通だ。誰だって意思疎通出来ないものは気持ちが悪いだろう。崇拝してお世話をしてくれる龍王寺みたいなところとは違って。オマケに権力者は龍の力を無駄遣いする。雨を降らせたり降らせなかったり、雷を落とさせたり、嵐を起こさせたり。大体龍が一番好むものも与えない癖にそういうことをするから嫌われるのだ。とにかく何はなくてもきれいな水。それだけでも大分応対が違う。でも砂の街ではめったにそんなのはないだろう。だからせめて水のドロップなのだ。西洋には浸透していないと聞いたから、買いだめしておいてよかった。それにしても今夜の宿。どうしよう。
「あなた達!」
呼ばれて振り向くと、マンホールの蓋を開けてこっちにおいでおいでしているお姉さんがいた。お兄ちゃんと顔を見合わせ、訝りながらも近付いていくと、こっち、と入ることを促してくる。いくら暗がりでもマンホールと話してたらさっきの衛兵さん達に見付かるかもしれないから、お兄ちゃんと私はその中に入った。
ヒカリゴケが繁殖しているそこは案の定下水路だった。もっとも今は使われていないと見えて、水もきれいだし独特のニオイもしない。
「あなた達、東洋の龍の民ね?」
こくんっと頷くと、お姉さんは良かった、とホッとして見せる。
「私は西洋の龍の民。隠れ暮らしてる理由は、多分お察しの通り」
龍の民は龍を呼べる。だからだろう。とてとて革の靴で歩いていくお姉さんの後を追うと、やがて広い空間に出た。
「おばーちゃん! 東の民が来たよ!」
おばーちゃん、と言われて出て来た小さな老婆は、その痩躯をすべて龍染めの衣に隠していた。これほどのものだと――私は慌てて膝を折り、頭を下げる。お兄ちゃんも同じようにしたからだ。これほどの龍染めを着ていると言うことは、ただ者じゃないだろう。うちの村だって全部龍染めの一式を持ってるのなんて、村長ぐらいだ。
「東の民が立ち寄ってくれるなんて何年振りか……西の民の根城がこんなところで悪いねえ、お二人さん。夫婦者かい?」
「兄妹です。妹一人では旅に出すのが不安でして」
「ほっほ、そりゃあ良いお兄さんだ。そうそう、うちの龍たちも紹介しないとねえ。バルバトス! アイン! こっちにおいで」
『何ですかばーさま』
『お、東の匂いだ。懐かしいな』
西洋の龍はやっぱりずんぐりむっくりしていたけれど、本で見たほど怖くもない。むしろ愛嬌があって可愛らしいと言えた。バルバトス、と呼ばれた方が年上なのか身体が大きい。でもバルバトスもアインも悪魔の名前じゃなかったっけ? うーん、と考え込むと、お姉さんがくすっと笑ってその疑問を見透かしたように答えてくれる。
「悪魔の名前を付けるのは、その名前に厄を押し付けるためなの。そうすれば彼らは守られる、って言うおまじないね」
「ほぁー」
「ではこちらも」
お兄ちゃんは老龍の入った水袋を開けてその姿を現させる。さすがにちょっと狭いな、この空間に龍三匹は。一匹は十五メートル級だし。
「老龍、と俺達は呼んでいます」
「これまた長生きだねえ。千は超えているだろう」
『千五百ほどになる』
『じーさんだなあ、随分と』
『お前がチビなだけだ、アイン』
『チビじゃねーよ、これでも二百年生きてるよ』
『ああしかし、東の匂いだ。懐かしいな』
「あの、水のドロップ食べます?」
『おお! あるんならぜひ貰いたいねえ』
『俺も俺もー! 何か分かんないけど!』
仲の良い二人の掛け合いにくすくす笑ってしまうと、お姉さんは呆れ交じりに苦笑する。
「うちの龍はみんなこうなんだから、老龍みたいな威厳が欲しいものだわ、まったく」
『貫禄などいらんさ。元気が一番だ』
「それもそうですけどね」
二人の口に水のドロップを放ってやる。女子みたいにキャーッとしてくれた。可愛い……西の龍可愛い。それにしても。
「この二人しかいないんですか?」
ごん、とお兄ちゃんに殴られる。察せよ、って意味だろうけど、気になったんだから仕方がない。西の一族が他に一切出て来ないことも含めて。
「先の大戦で徴収されっちまってねえ。今残ってる龍と龍の民は、あたしとそこのベルだけさ」
「先の大戦……」
「百年ぐらい前ですか? 西方の大戦と言うと」
「そう。逃げ出せたのはまだ子供だった二匹と、あたしの娘夫婦と息子夫婦だけだったよ」
「じゃあ、いとこ婚でベルさんが?」
「そうなるねえ」
……しれっとおばーちゃん百歳越えを聞かされ、硬直する私。龍の民は長生きだって言うけれど、私が知ってるのはそれでも九十ぐらいのシャーマンのおじーちゃんまでだ。百三十歳近い人なんて見たことない。しわくちゃの顔をしたおばーちゃんは、それでも年より大分若く見えた。百まで生きれる可能性があるなら、いつか龍王寺の小龍に会いに行っても良いかな、なんて。砂漠の旅は老龍任せにしておけばなんとかなるだろうし。
それにしても東の一族が血の濃さを制御するのに外部からお嫁さんお婿さん貰ってるのに、いとこ婚かあ。無茶するなあ。そんなに血が濃くなったら、大変だよ。龍になっちゃうかもしれない。龍の一族はもともと龍と婚姻した生贄の娘が発祥で、だから血が濃くなりすぎると龍になってしまう、と学校で習った。それが本当ならベルさんは大分龍に近い龍の一族だ。でも外では暮らせない。西の一族はこうして滅んでしまうのだろうか、思うとそれはちょっと憂鬱だった。砂漠の向こうに同族がいる、と言うのはおとぎ話で聞かされていて、それは素敵なことだと思っていたからだ。これでもしも私達が旅に出てる最中に村がなくなってたらと思うと、ぞっとする。まあ子供が旅に出てる間は引っ越ししないと言うのが掟ではあるけれど。最近は掟の類も緩いからなあ。ちょっと心配だよ。他部族に見付かったらそれこそ龍を巡った争いになるだろうし。やだやだ、戦争なんて私は大っ嫌いだ。怖いのは嫌い。
お兄ちゃんよりいくつか年上らしいベルさんは、黙ってそれを聞いていた。お兄ちゃんに肘で小突かれ、ごめんなさいっと謝ると、きょとんとされる。それからくすくす笑って。
「良いのよ、おばーちゃんに何度も聞かされてることなんだから」
そう言ってくれた。
『くうー水のドロップが腹にしみるぜ! なあ兄弟!』
『ほんとだ、何か染み渡るー。ベル、もう一個!』
「それは妹さんに言いなさい。えっと、」
「あ、流花です。お兄ちゃんは飛文」
「ルーファちゃんにフェイウェンくんね。改めて、私はベル。ベル・ゼブよ」
大人の女の人の綺麗な笑顔で、お兄ちゃんがちょっと赤くなる。惚れっぽいんだからなあ、お兄ちゃんてば。
夕飯は私たちが持ち込んだ干し肉を炙って食べた。おばーちゃんは健康な歯をしているらしくぶちぶち食いちぎっていたけれど、ベルさんは食べ慣れないのか噛み切りどころが分からないらしく、もぐもぐちゅーちゅー吸っていた。可愛いなあ、なんて和んでると。兄ちゃんにエルボーを食らう。最近多くないかな、お兄ちゃん。それとも私がうつけしてる? ぶー。
やっと食い千切ったベルさんに、心の中で拍手を送る。水のドロップをおねだりされたのでバルバトスたちにも上げるけれど、こっちの龍はそんなに胃袋が発達していないらしくて、すぐ満腹、すぐお腹が減るらしかった。下水の水は綺麗だったから、老龍はそこで沐浴している。龍の胃袋の中も同じようなものだと思うけれど、一度お兄ちゃんの血が入ってるから、やっぱりちょっと居心地が悪いそうだ。同属の血。今は卵がころころ言うのがちょっと煩わしいらしい。我が侭だなあ。千五百歳、老獪にはまだ遠い。となると龍って何すれば大人なんだろ。バルバトスに聞いてみると、そうだなあ、と腕を組まれる。老龍にはできないポーズで、珍しい。
『やっぱ卵産むか、昔なら戦争で武勲を立てることだったんじゃねーかなあ』
「卵産むってそれ、死期だよ」
『そうなのか? そっちでは。こっちはばんばん産むけどなあ。まあ俺達はオス同士だから生まれないが』
「? こっちの龍には雌雄あるの?」
『そっちの龍には雌雄ないのか?』
「ないよー、だから親友にも恋人にもなれるんだ」
ちょっと星流さんを思い出しながら、私は最後の一口の干し肉を食べた。
それにしても東西の龍って随分違うんだな、と思わされた。龍にも色々あるってことなんだろう。赤く染まって天に昇って行った、あの龍のように。
丁度良い暗さの中、すかすか眠っていると水の音で目が覚めた。
ばしゃばしゃと下水道を歩いてくる音。
毛布をしまい込んでお兄ちゃんとおばーちゃんとベルさんを起こす。念のためバルバトスとアインにも水袋に入って貰った。それからぼそぼそ聞こえる声に、耳を澄ます。
「本当にこんなところに龍がいるのか?」
「実際東洋の龍の一族が入っていくのを見た者もおりまして……」
「確かに龍の好みそうな清水だがそれだけではなあ」
私たちは隅に固まるようにする。するとおばーちゃんが何かを書きつけたお札を貼ってくれた。なんだろう、思っているとランプに照らされる。けれど私たちの影は壁に映らなかった。あのお札は身体を透明にするものだったのかと今更気付く。巫術。おばーちゃんの長生きの秘訣もそこにあるのだろうか。だったら習っておきたい。旅も便利になるだろうし。
「何者だ!」
「御覧の通りの龍の一族さ。もっとももうあたししか残っちゃいないがね」
「龍はどこだ?」
「いないよ。百年前の戦争でみんなおっ死んじまった。ここに隠れ始めたのもそのころからさ」
「百年前? 馬鹿を言え、ここに東洋の龍の一族が入ったと連絡を受けているぞ! 隠し立てをするようなら、」
「いない者はいないじゃないか。隠すものなんて何もない。あんたらが、焼き尽くしたんだよ」
「だ、黙れっ!」
ぱんっと銃声がして、おばーちゃんの身体が傾ぐ。声を上げそうになったベルさんの口を、お兄ちゃんは必死で押さえた。だけどそれは、その力は弱い。お兄ちゃんは寝起きだし、元々虚弱体質な方だから、力が入らないんだろう。その中でくっくっく、とおばーちゃんは血を流しながら笑う。
「そうら、そうして龍も殺してきたんだろうに、今更恩恵に与ろうなんて厚かましいんだよ」
「黙れ黙れ死にぞこないめ! 龍はどこだ!? どこにいる!?」
ぱん、ぱんっとさらに二発ライフルで撃たれ、とうとうおばーちゃんの身体が崩れた。
「こんな死にぞこないに用はない! はやく東洋の龍だけでも、」
「愚か者、め」
「まだ生きてッ」
「己の産んだ化け物に殺されるがいい」
言っておばあちゃんは、かくん、と首を放り出した。
「あああああああああああああああああああああああ!」
ベルさんが叫びをあげて、札が落ちる。突然現れたその姿に、男たちは驚き畏怖した。
そこにいたのは龍だった。
西洋龍にしてはほっそりしていたけれど、間違いなく龍だった。
龍になってしまった。
ただでさえこんな苔むした場所で隠れて息をしていたのに。何も悪いことをしたわけじゃないのに。それなのに戦火で一族を、今は唯一の肉親であるおばーちゃんを殺された悲しみと怒りで。
ベルさんだった龍は火を吹く。
男たちは一瞬で炭になった。
『バルバトス、アイン』
呼ばれた二匹を水袋から出すと、二人はさすがに驚いたようだった。おばーちゃんの死体にも、変わり果てたベルさんの姿にも。
『お二人は逃げてください。すぐにでも龍探しがここにもやって来るでしょう』
「ベルさんは、」
『私達もまたどこか、居場所を見つけたいと思います。それからバンバン卵を産んで、龍の一族の再建をしたいと考えています』
『ベル相手に種付けかよ、恐ろしいことこの上ねーな』
『でもばんばん産んでくれちゃうのかあ……いーなあそれ。家族って憧れてたんだー俺』
『さあ、お早く! 老龍の力ならこの程度の石造り、突っ切って行けます!』
「老龍、」
『道がそれしかないならやるまでだ。飛文、流花、行くぞ』
袋から出て私達を頭に乗せた老龍は、尻尾で石の天井を打ち壊す。そうして空に出ると、真っ暗だった。多分ベルさんが呼んだ雷雲だろう。それを突っ切って雲の上に出ると、満月だった。月の出の良い夜だった。ベルさんたちも飛んでくるのが分かる。銃弾は龍の固いうろこで防がれているらしく、無事そうだった。さようならと叫んで、さようならと叫び返される。多分二度と会うことのないだろう、西の同胞。どこか良い場所を見つけて。そこでまた良い風に乗って、そうしてくれたら良いな。コンパスを出しながら、私はそれを願う。月明りで眩しいぐらいの夜に。天上に。星に。私達にも、ない可能性ではないのだから。
「おにーちゃん」
「何だ、流花」
「お兄ちゃんは龍にならないでね」
「流花、」
「こうして一緒にいられなくなるのは嫌だよ……」
珍しくお兄ちゃんはそのお腹に抱き着く私の手をぽんぽん、と撫でてくれた。
「俺達ぐらいの濃度じゃ龍にはなれねーよ。ベルは運が良かったのか悪かったのか。そんなところだ。でもばーちゃんのご遺体は、どうにかして来たかったな」
「それならベルさんが抱えてたから大丈夫だと思うよ。きっと良い場所で弔ってくれると思う。ほら、ちょっと西に廃鉱山があったじゃない。あの辺なら良いんじゃないかな。隠れるのも簡単だし、いざとなったらガスの溜まってるところでボン! とか」
「お前時々馬鹿みたいに恐ろしいこと言うな。そんな事したらベルまで巻き添えだろ」
「あう」
「大丈夫だ。西の龍も強い。きっとその内に、大家族こさえて東まで遊びに来るかもしれないぞ」
「それはそれでちょっと怖いな」
「龍の一族が龍を恐れてどうする。馬鹿め」
「ぶー」
「豚め」
「ひどい……」
お兄ちゃんの背中にこつんと頭をくっつけて、私は眼を閉じる。
龍を利用しようとする人間は早死にするんだろーか。
星流さんの時も。今も。
あんまり考えたことなかったけれど、だったら龍の力に縋って生きてる龍の一族って早死にしそうだよなあ。いや、お兄ちゃん一回死んでるけど。おばーちゃんにはもっと色んなこと聞けばよかった。巫術のことも、戦争のことも、西洋の龍のことも。そういう意味では実りを逸した一泊だった。と、自分の懐に何か詰められているのにお兄ちゃんの背中越しに気付く。
巫術の本だった。
おばーちゃん。抜け目なかったんだねと、ちょっと笑って、ちょっと泣いた。
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