第11話

 久々の市に向かうとどうやら相当大きいらしく、私はお兄ちゃんのベストの端っこを放さないように人出の中を掻い潜って荷物持ちをした。お兄ちゃんはなるべく自分で荷物を持たない人だ。めんどくさいから。一旦市から出て買い忘れがないかチェックしてから雑貨袋に詰める。と、そこで私たちは市の中に入っていく見覚えのある柄のベストを見つけた。龍の民だ。村からこんなに離れたところで同族に会うなんて珍しい。しかも歳はお兄ちゃんより上、二十歳ぐらいの男の人に見えた。お兄ちゃん、と声を掛けて、ああ、と返される。荷物を入れた龍の胃袋を持って市の中に戻ると、さすがに探せない。お兄ちゃんのベストすら離しそうになってしまって、私は慌てて足を速めた。人の波の流れに乗ってるはずなのに砂船みたいに上手くはいかない。いや砂船もぼろくそだったけど。青龍さん元気かな。

 と、またベストの裾を放してしまいそうになると、手を掴まれた。その方が楽だと分かったんだろう。お兄ちゃんと手を繋ぐなんて久し振りで、私はちょっと笑ってしまう。気色悪いぞ、と言われてぶーっとなると、鼻先にぽちんっと水が当たった。見上げると空はいつの間にか黒雲、雨の匂いだ。慌ててその辺のテントの軒下に隠れると、ざああっと降り始めてしまった。せっかくの市なのに、と思うと、龍の旗が掲げられるのが見える。上からしか見たことなかったけれど、結構大きな旗だったんだな。でもこれで実力行使に出る言い訳はたった。お兄ちゃんに水袋を出してもらおうとすると、まあ待てと言われる。なんだろうと思っていると、空に昇っていく龍の姿があった。

 さっきの人だ。ピンときた私はむしゃむしゃ黒雲を食べてるまだ小ぶりな龍を見上げる。そして向かうのは人の流れの方向だ。龍を出したならその人の方に人が流れているはずだから。案の定称賛を受けている男の人が見えて、お兄ちゃんの顔を見上げる。龍が戻って来ると、おおおーっと声が鳴った。その人も龍の胃袋に龍を潜ませているらしい。それにしても、旅人にしては歳が行ってる。お兄ちゃんだってそうだけど、それ以上って言うのはちょっと不思議だった。柔和な顔立ちのおにーさん。コンパスでもなくしたのかな?

 やがて人の流れがまた買い物に戻っていくと、その人とも離れてしまう。その前に、お兄ちゃんはその人の手首を掴んだ。きょとん、とこっちを向いたその人に、お兄ちゃんは神妙そうな顔で呼びかける。

星流シンルー兄さん」

 それは村で、旅の途中客死したと言われている男の人の名前だった。

 その人は少し考えこんでから。

「飛文と流花の兄妹――か?」

 そう、私たちの正体を当てて見せた。


 どれだけ無下にされてもドメスティックにバイオレンスされてもお兄ちゃんから離れない私は、村ではちょっと変わり者で有名だった。いわゆるブラコンって奴なんだと思う。でもお兄ちゃんはシスコンじゃなかったから、いつも私の事を邪険にして自分の友達と遊びまわったり、趣味の龍の彫り物作りに没頭したりしていた。お兄ちゃんは手先が器用だから、それは行商人には結構高く売れていたのだ。龍の民が作った龍の置物なんて、風水的にも良さそうだ、なんて。閑話休題。

 そんな私たちはいつもニコイチ扱いされていた。お兄ちゃんが私を一人で旅に出さないと決めた時もそうだ。独り立ちできないぞとか、だらしないぞとか、色々言われていたけれど、お兄ちゃんが私を一人旅に出さなかった理由の一つにこの星流さんの存在は大きい。一年たっても帰ってこない旅人は客死扱いされるのだ。そして星流さんは三年村に帰っていない。自分の旅の頃だったから、お兄ちゃんは心配になったんだと思う。私の事も、自分の事も。もしも何かあったら。丁度その頃我が家ではお祖父ちゃんが亡くなった所だったから、余計に死が身近で敏感だったんだと思う。だからお兄ちゃんは私を出汁にして、自分の旅を繰り下げた――とは言わない、ドメスティックにバイオレンスだけど、お兄ちゃんは本当に私の事を心配してくれていると知っているから。実際お兄ちゃんには何度も助けられている。私も助けたことがちょっとだけある。そう、死の淵からとか。

 星流さんとは小さい頃に遊んでもらったぐらいの記憶しかないから、成長期の三年間を見逃しているとあんまり実感がなかった。強いて言うなら泣きぼくろの位置ぐらい。そこを中心に思い出を重ねて行って、やっと思い出せる、みたいな。私が十二歳の頃の事なんてもうほとんど覚えてないよ、私自身は。

「どうして村に帰ってこなかったんですか。コンパスでも落としたんですか?」

「いや、そうでもなくてね」

「じゃあどうして」

 お兄ちゃんにきつく問い詰められて、星流さんは困ったように頭を掻く。天然パーマの髪は手入れがあまりされておらず、伸ばしっぱなしのようだった。食堂に入ってコーヒーの冷たいのを飲みながら、私は二人の様子を伺う。お兄ちゃんはどこか虫の居所が悪そうに。星流さんは困ったように。

「村ではもう客死扱いされてるんですよ。なのに龍も兄さんも生きてる。どうして帰ってこないんですか」

『そう責めてくれるな、若者』

 声が響いたのは星流さんの龍の胃袋からだった。星流さんの龍はそこからでも喋れるのか。緒さえ締めなければ老龍も出来るのかな? でも隣に座るお兄ちゃんの水袋には手が届ない。ぐぬー。ぶー。

『半年近い旅で様々な村や人に出会ってきた。その中で龍の力を欲する民は意外にも多いのだと知った。自分の出来ることをしようと二度目の旅に出たのが二年半前だった、そういう事なのだよ』

「一度村に帰ってもよかったことじゃないですか。ご両親の悲嘆振りったらなかったですよ」

「それを言われると痛い……」

「もっと痛くしましょうか。村中皆で泣いて身に着けていたものを燃やしましたよ。でも今村に帰っても、兄さんには居場所がある。兄さんの部屋だったパオも残してある。今からでも一旦帰って、それからもう一度旅に出ることは出来るじゃないですか」

「出来ないんだよ」

 星流さんは言う。

「一度でも父母の顔を見たら、快適な龍の村での暮らしを思い出してしまったら、こんな旅にはもう出られなくなるだろう。僕は自分のそういう心の弱さを知っている。だから龍の噂のする村はあえて避けて来たぐらいだ。どこでもない、まだ龍の力の行き届いていない場所を探して旅をする。それが僕の、今のところの旅の理由だ」

「まるでフィールドワークですね」

「そうかもしれない」

 話に入れない私はぢるるっとコーヒーをストローで飲む。もう一杯飲むかい? と聞かれてふるふると頭を振った。多分星流さんは会計を持つ気でいると思ったから、遠慮は必要だ。この人だって自分の生活があるだろうし。たまたま会った同郷者に必要以上に恵んであげる理由はないだろう。私はちょっと意地悪く考えている。だってあの時の葬儀は目に焼き付いているんだ。泣きわめくおばさんや、本を燃やしていく同級生達。みんなが泣いて、この人の死を悼んでいた。私にはよく解らなかったけれど、お祖父ちゃんのいなくなった時と同じだと思えばちょっとは涙も出た。それがこんなところでのんのんと旅をしていたんじゃ、あの頃のみんながあんまりにも報われない。お兄ちゃんの死を一度経験している私には、余計にそうだ。

 頭をポリポリ掻き続けている星流さんは、困ったな、と小声で言った。困るような事情があるのだろうか。親を泣かせるほどの事情が。

「とりあえず、僕に会ったことは秘密にしておいてくれないかい? 余計な希望を持たせるのも残酷なことだと思うし」

「残酷なのはどっちですか。おばさんもおじさんも泣いてましたよ。兄さんが帰って来るギリギリの日まで龍たちに祈り続けて、それでも叶わなかったこと、ひどく泣いていました。龍はどういう意見なんですか?」

『我はこれと生きて行くと決めたからな。とくに意見も何もない。これの好きなようにさせているだけだ。幸い我に害はない旅だからな』

「害があったら大変でしょう。龍なんて埒外の生き物の害、人間には耐えられない。まさか兄さんを本当に客死させて自分は自由の身になろうって言うんじゃ」

 ぺしん、と星流さんがお兄ちゃんの頭を軽く叩く。

 今のは殴られても仕方ない発言だったから、妹は氷を啜り続けます。

「……僕の龍にそれ以上の暴言は許さないよ。飛文君でもね」

「……すみません。突っ走りすぎました。ですけど本当、龍の村に帰って来ることも考えておいてください。みんな本当に心配していたんです」

「過去形だろう? もう立ち直っているところにのこのこ現れてまた混乱させるつもりはないよ」

「それは金輪際村に帰らないという意味ですか?」

「そう取って貰って構わない。だから僕は、死んだままにしておいてくれ」

「……分かりました。星流兄さん」


 宿をとるとそこは保安所も兼ねているらしく、いろんな写真が所狭しと並べられていた。写真が珍しくてほあーっと眺めていると、お兄ちゃんに頭を叩かれて、メシに行くぞ、と促される。宿は宿でも木賃宿だったから、食事は外なのだ。そこにも色んな指名手配犯の写真があって、やっぱり私はほあーっとする。パンとシチューをおそろいで頼んでいると、待ち時間が訪れる。その間も写真を見ていると、見覚えのあるシルエットを見つけた。

 龍を袋にしまう後ろ姿。髪は天パー。まさかと見てみれば、名称知れず、龍で村を脅しまわる凶悪犯、懸賞金は金貨一枚と書いていた。特徴は右目の下の泣きぼくろ――これは、完全に。

「おっおにーちゃん!」

「なんだ流花。メシが来るまでの間も静かにしていられないのかお前は。だから通信簿に――」

「じゃなくて! あの手配写真!」

 私は椅子に座ってメニューを見ていたお兄ちゃんを引きずって、手配写真の前に向かう。お兄ちゃんは僅かに身体を固くした。だって指名手配だ。金貨一枚だ。何をしたって言うんだろう、気の良さそうだけど弱気そうなあの人が。龍も心を許していた、あの人が。市からそう遠くない村だから、この辺にまだいるのかもしれない。もし捕まったら縛り首だ。デッド・オア・アライブってそういう意味だろう。お兄ちゃんは眼をすがめて、やっぱりか、と呟く。やっぱり? やっぱりって、何?

「何か理由があるのかもしれないと思ったが、こんな容疑掛けられてたのか。それじゃ逃げる放浪生活になっても仕方ない。せめて泣きぼくろを隠すために髪も伸ばしっぱなしでいるしかない」

「じゃあお兄ちゃん、この人が星流さんだって信じるの? 信じちゃうの?」

「少なくともここで手配されてるのは兄さんだな。理由はおそらく、龍だ」

「龍?」

「金持ちは龍を欲しがる。権威の象徴に。そんなところに気の良い龍使いを放り込んでみろ。一気に重罪人の出来上がりだ」

「そんな……」

「それでも兄さんは龍の旗を無視できない、龍の一族だ。だからこそでっち上げだって解るもんだろ」

 そんなもんだろうか。困ったなと言っていた。本当のことを言えなかったからだ。まさかこんな事になってるなんて言えなかったんだろう。ヤギミルクのシチューの独特の風味を味わいながら、私は星流さんの事を考える。この近くをまだふらふらしてるんなら、危ないことこの上ない。食べ終わったらちょっと探しに出てみよう、思った端の出来事だった。


 銃声。

 獣声。


 お兄ちゃんが席を立つ、私はそれを追い掛ける。前金制だ、食い逃げにはなっていない。お兄ちゃんは水袋の緒を緩めて、老龍に方向を訊ねる。南の方。方位磁針で方向を確かめる。村の出入り口。見えたのは真っ赤に染まった龍の姿。その足元には、倒れているのは、天然パーマの男の人。龍の口からは血が溢れ出ている。多分星流さんを撃った人間だろう。賞金に目が眩んでの不意打ち、なんて言葉が浮かんでくる。そして龍は星流さんの身体に柔らかく噛み付いて、天に上る。もう一度、天まで。そして燃え尽きるのが、龍の自殺なのだと聞いたことがある。死ぬほど信頼されていたんだろう。身を焼くほどに愛されていたんだろう。龍は雌雄同体だから、親友であり恋人だったのかもしれない。星に。あの人たちは星になるのだろうか。呆然としているとお兄ちゃんが上を向くのが分かる。落ちて来るのは――龍の卵だ。死に瀕した龍の産み出す、卵。

 お兄ちゃんがそれを抱きかかえ水袋に入れるのと同時、待ってくれ、と声がする。振り向けばいるのは豪奢な着物を着た、西洋人だった。髪も金色をしている。もっとも日焼けで白くなっているだけかもしれないけれど。

「何か?」

「いま、今落ちて来たのは龍の卵でしたか!? 私はそれか龍を持ち帰らねば祖国に入れないのです!」

「頭でしたよ」

「え?」

「お尋ね者の、頭でした」

「ヒッ」

「それでも一族の者なので弔ってやろうと思いましたが、ご入用ですか?」

「け、結構です!」

 男は這う這うの体で逃げていく。おそらくは罪人に龍探しをさせていたんだろう。有効な手段ではある。家族を国に引き留めて、罪人には税金の掛からない自給自足の旅をさせる。大きな町では刑務所と言うものがあって税金で彼らを養うと言うのだから、それよりはずっと有効な使い方だ。それにしてもお兄ちゃんの嘘はよく回る。頭なんて悪趣味な。確かに大きさは同じぐらいだけど。

 村に帰るまで卵が孵らないよう、しばらくは龍の胃袋に入っていてもらおう。老龍も守ってくれるだろう。村に帰ってこの卵はどこから、と問われたら、やっぱり星流さんのことは話さなければならないだろうけれど。それを彼はとても嫌がるだろうけれど、でも、残されたものの責務だ。これは。遺されたものの。

 それにしてもさっきの西洋人、罪人の割には良い服着てたな。案外ただの嘘で、彼自身が貴族だったのかもしれない。龍を求めるものだったのかもしれない。だとしたら私達は早々にこの町を発った方が良いだろう。私達も龍の一族だと知れているんだから、次は老龍を狙われかねない。お兄ちゃんと手を繋いで食堂に戻ると、幸いまだシチューはそのままだった。味のしないそれを食べて、木賃宿に向かう。その前にお兄ちゃんは食堂の主に何か話していたようだった。多分星流さんの手配写真がもう必要なくなったことを説明したんだろう。さっき殺されましたよ。そう言って銀貨を二枚。木賃宿でも同じことを話す。さっき昇って逝った龍はこれですよ。やっぱり銀貨を二枚。それぞれに訝しげにしていたけれど、私たちが龍の一族だと言うことで信用はしてくれたらしい。そして札束で頬を叩かれて否と言える人は少ないらしい。一つ賢くなった。

「しかしあんたらも大変だねえ、同じ一族から手配者が出るなんて。色眼鏡で見られないかい?」

「いえ、別に」

「なら良いけれどねえ。そういや市にかかってた黒雲、食ってくれたのはあんたたちの龍かい? 人出が人出だからずいぶん助かったらしいよ」

「違います。でもその言葉は届けておきます」

 そう、天まで上った彼から産み落とされた地の卵に。

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