第8話
龍王寺はオアシスを囲むようにあった。あちこちで龍がだらけては遊びを繰り返しているのを、お坊さん達は呑気に眺めている。そこはちょっと龍の一族の村にも近いものがあったけれど、私のベストの色合いだけでそれを見極めてくれるのも助かった。ぺこりと挨拶されて、ぺこりと挨拶をし返す。李さんの勧めで、と言うと、一番年を取った和尚さんらしき人がはあっとため息をついて、言うことには『放蕩者が』。
何でも李さんはこの寺に籍は置いているものの、年中あちこちの寺を覗きに行くのだそうだ。寺の蔵にあるペンデュラムを盗んでは行き盗んでは行きの繰り返しらしい。意外と破戒僧なとこがあったのかな、死人の入ってる袋に手ぇ突っ込むぐらいだったし。
肝心の老龍とお兄ちゃんの遺体の話をしてみると、うーむ、と座に集まったお坊さんたちが一様に難しい顔をする。
「龍は何とかなりましょうが、お兄様までは果たして……」
あ、そーだよな。そー都合良くは行かないか。それでも私は老龍をその人たちの焚く護摩に託した。巨大な護摩を、まあるく囲んでなお余りある老龍。お坊さんたちもこのサイズを見るのは初めてらしくて驚いていた。
ぐっしょりと龍の水にぬれている姿を見て、和尚さんが頷く。
「大丈夫ですよ、流花さん。これだけ水が浸透していれば、龍は決して死にません」
お兄ちゃんと同じ水袋に入れたのが良かったってことだろうか。私は一生懸命手を合わせてお祈りをする。老龍、帰って来て。また私と顔を合わせて笑って。お願いだから。お願いだから。
お坊さんたちが呪文を唱えて二時間が過ぎた頃だろうか。
ぱちっと目を覚ました老龍は。
私に向かって飛び掛かって来た。
正確には、私の腰の水袋に。
そして。
「うわあっ」
「お兄ちゃん!」
その角にお兄ちゃんをひっかけて、出て来た。
「死にまで至るほどの経験がなせる業でしょうな――己の死と兄君の生を取り換えて来たのでしょう」
落ち着いた後で和尚さんが語ることには、そういう事らしい。よく解んないけどお兄ちゃんは帰って来た。破けた服だけを名残に、死から生に。
「おにーぢゃ……おにーぢゃん、ごべんなざい、ごべんなざいっ」
「何でお前が謝るんだよ流花」
「だって私がもっと早く老龍のくしゃみに気付いてたら、」
「息を大きく吸う気配に気づかなかった俺の自業自得だろ、それは。泣くな見苦しい。不細工が余計不細工になる」
「ぶー……」
「それよりも、和尚様をはじめとしたお坊様達には感謝の言葉もございません。黄泉路から帰還できたこと、誠に幸いと存じ上げます。李王道様がお帰りになられましたら、是非そうお伝えください」
「こちらこそ龍の民との出会いがあって光栄ですじゃ。しばらくは療養を兼ねて逗留なさるがよろしい。老龍殿にもうちの若い僧や龍に学ぶことが多いですしな」
「ではお言葉に甘えまして、とりあえず龍の歯磨きからやり直すぞ、流花」
「人のトラウマいきなり抉って来ないでくれるかな兄ちゃん!?」
『そして我のトラウマでもあるのだがな飛文!?』
「安心しろ、俺もトラウマだ。歯ブラシの柄をもっと長くすればいいだけの問題だろ、ようは。今どこだ? 場所」
「地図はこちらに」
「ありがとうございます。……大分南にずれてるが、進んじゃあいるか。でもまだ半分も行ってない。これからはお前にもごしごしやらせっからな、覚悟しとけよ流花」
「はーい」
ぶー、と息を吐くともみんなが笑った。
私も笑った。
お寺の中には大小さまざまな龍が飛び交っていて、本当に龍の村みたいだった。違うのは一応塀で囲ってあることぐらい。ここで育った龍はやがて放されて、別の土地に根付くのだと言う。そして卵を産みに帰って来る。龍の卵を見たことがない、と言うと、丁度孵りそうなのがありますよ、とお坊さんが教えていくれた。後ろをついていくと、夜風がひんやり抜けていく。
導かれた部屋に入ってみると、天鵞絨のクッションの上に大事に置かれているのが分かる。そしてそれがゆらゆらと揺れているのも。近くに行って覗き込んでみると中からぴぃぴぃ音がしているのさえ分かった。
そっと触れてみるとそんなに暖かくはない。龍は変温だから余計な熱もいらないんだろう。野生の龍ってどんななのかな。親の死に際に産み落とされると李さんは言っていた。砂の上に産み落とされて、ころころ転がって、埋もれたりしないんだろうか。暑さで中が引っ付いたりしないんだろうか。そんなことを考えながら私はさすさすと卵を撫でる。と。ぴしっと音が鳴った。
「あっ」
お坊さんが声を上げる。
ピィ、と鳴いたそれと目が合ったのは、私だった。
「――で?」
「懐かれたみたい」
一緒の部屋で眠ることになった私はお兄ちゃんに体長十センチほどのその
「寺に世話になってる間は良いとして、どーすんだよ。出る時。絶対一生のお別れだぞ」
「そーだけどさー……こんなに懐かれてると私も悪い気はしないわけで」
「だから悪いんだろうがこの馬鹿め。豚め」
「とっ年頃の妹を捕まえて豚はないんじゃないかなお兄ちゃんっ」
「何でも食う悪食な所は変わらんだろう。オマケに今はいたいけな龍の刷り込み対象と言う地位まで食ってきた。龍が何年で成人するか知ってるか?」
「じ、十年ぐらい?」
「百年だ。だからお前は馬鹿だとゆーのだ、にーちゃんの話も聞かずホイホイと寺の中を散策などしてからに……」
「お、おにーちゃん今日はそろそろ疲れたでしょ? 寝よ? ね?」
「それは問題を先送りにしたいがための理屈だ。馬鹿め」
「ほら小龍もお腹いっぱい食べたから眠そうだし」
「……龍の満腹感ってどうなんだろうな。小さい頃は良いだろうがでかくなるとこれだしなあ」
と、お兄ちゃんは水の入った龍の胃袋を示す。確かに。食べても食べても満腹にならなそうだ。でも水のドロップで二か月もつって本人は言うしなあ。今のうちにいっぱい食べさせ――て、西洋の龍みたいになったら怖いし嫌だな。でっぷりしてて。空も飛べないだろう、あれは。羽が付いてる絵を本で見たことあるけれど東洋の羽付き龍――応龍とは全然違った。なんか無用の長物って感じのだったのを、覚えている。種類からして違うのかな。あの龍は皮下脂肪をため込む性質なのかもしれない。
と考えてる間に小龍が眠ってしまったので、やむを得ずと言う感じでお兄ちゃんは部屋の明かりを落とした。二つの行灯が消えると真っ暗で、すぐに眠れたのは、お兄ちゃんも老龍も生き返って、さらに新しい友達を得たからなのかもしれない。名前は付けない方が良いだろう、情が沸くとお兄ちゃんの言う通り無理やり連れ出してしまいそうだ。それはこのお寺との関係に悪い。せっかく老龍もお兄ちゃんも助けてくれたお寺なのに。
翌日の私は小龍に鼻を噛み付かれて起きた。ふぎゃっとなると、障子に寄りかかって呆れ顔をしているお兄ちゃんが見える。そうだ、お兄ちゃんは甦ったのだ。今更実感していると、メシだと言われる。はいさほいさと布団を片付けて服も着替えると、小龍はいちいちそんな私の背中をつついて来た。遊んでるつもりなんだろう。可愛いなあとなごみながら、ゴマ塩がゆを一杯。お腹に優しい朝ごはんだ。
典座さん――お台所に器を返しに行って縁側を歩くと、オアシスの中には数多の龍がはしゃいでいた。水浴び、日よけ、老龍の語ることを熱心に聞いている若い龍もいる。つんつんと腕を突かれて見ると、小龍が水に入りたそうにしているのが分かった。行っておいで、と言うとやんやん首を振られる。どうやら一緒に行きたいらしい。私は沓脱石にあった草鞋を借りて砂に降りる。水辺に行くと、気持ちの良い風が吹いて、砂漠の真ん中であることを忘れてしまいそうだった。まるで村に帰って来たような気分、だけどここは出て行かなきゃならない場所で。ぺしゃんっと鼻先に水を掛けられると、小龍がこっちを見ていた。やったな、と泉に手を沈めて水鉄砲を掛けてやると、嬉しそうに身体を水に沈める。そうなると透明な龍は見えなくなって、胃袋だけが透けているのがちょっとおかしい。ぴゅーっと水を掛けられても、怒らずにいられる程度には可愛い。
「やはり龍の民は龍と相性がよろしいようですね。私達ではああは行きません。戯れる龍など初めて見ました」
「……この数年の龍の出生率は?」
「あまり変わりませんね。長く生きたものが死に、卵を残す。最後が十年前ですから、私が寺に入ってすぐ後になります。その時は神々しさに見惚れたものですが、あれはまるで稚い子供のようだ。最初に見るものでこんなに変わるとは、私も知りませんでした。人だからなのか、龍の民だからなのか。まだまだ研究は欠かせません」
「そう、ですか……では我々は早めに寺を出た方が良いのかもしれませんね」
「何故です? 旅の途中だからですか?」
「あの小龍は妹以外に懐こうとしません。それは悪い。いずれ発つ身なれば早い方が良い。群れに返すのならば」
「それは……確かに、そうですが。しかしそれほど急がずとも」
「いえ、情が移る前が良い。明日にはここを発たせて頂きたく思います」
「そうですか……龍の民にお会いできたことを、心から幸運に思います」
「こちらこそ、これほどの龍たちとめぐり会わせていただいたこと、感謝いたします」
小龍が跳ねる。水の掛かった別の龍も、ざばりと泉に入ってきて私に水鉄砲を食らわせて来た。びしょびしょになるけれど、それも込みでの楽しみだ。ばしゃばしゃ音が鳴って、老龍の講義も聞こえないほどだった。
「ってわけで明日には発つぞ。流花」
「へ」
寝間には二つの行灯。一汁三菜の夕飯を終えてほへーっと小龍と指遊びしているところに不意に投げ付けられたお兄ちゃんの言葉に、私はぽかんとする。だって来たのが昨日で発つのが明日? そりゃご迷惑になりっぱなしになるわけには行かないけれど、いくらなんでも早すぎない?
「な、なんかあったのお兄ちゃん」
「あったのはお前だ。今も寝間に小龍を入れている。これ以上無駄に懐かれたら、離れられなくなるのはお前だぞ」
「無駄にって」
「小龍も群れに入れなくなる。お前はそれを望むのか? お前が育てたところで成人まで待ってはやれないその龍に、これ以上深入りするな。傷つくのはお前の方だ、流花」
……おにーちゃんの。
言うことはいつも正しいので。
私は何も、言えなくなる。
私は障子を開けて雨戸も開けて、指で遊んでいた小龍をそっと夜に返す。きょとんとした丸い目が腕を上って来るのを、少し無下に振ってみた。離れた隙に雨戸を閉じて、部屋に戻る。こんこん、とあの小さな鼻が雨戸を叩く音が聞こえないように、障子を閉めて、私はお兄ちゃんを見る。
「これで、良い、んだよね?」
「ん。よく出来た」
お兄ちゃんはてしてしと手の甲で私の頭を叩く。ぐずっと出そうになった涙は目頭を抑えて堪えた。
この方が良いんだ、あの小龍には。
そう言われたら、私には何も言えない――。
朝ごはんのゴマ塩がゆを頂いて、持って来た荷物もないので老龍の上にお兄ちゃんが乗る。私もその上に乗ると、ぴぃぃぃぃぃ、と笛を鳴らすような音がした。小龍だ。見付からないうちに早く出なきゃ。お坊さん達にお礼を言って、私たちは伸びあがるように天に逃げる。小龍はまだここまで飛べない。だから早く。早く。
「流花。鼻水付けるなよ」
「ぁい」
天から見るとお寺も随分小さく見えた。その感覚が久し振りであることにやっと気付く。これが私達の旅の本来の形だ。お兄ちゃんや老龍が死にかけたり、私も死にかけたりしたけれど、小龍の見えない今の視点が本来の私たちのもの。だって私達は龍の一族だから。と、服の中でくいくい指すものがあって、私はそれを出す。
「あ」
李さんに貰ったペンデュラムが、お寺の方向を指していた。
「お、お兄ちゃん、お寺に引き返してっ」
「ああ? 今更何言ってんだ」
「ペンデュラム返してなかったの! 多分貴重品だよ、窃盗罪だよ!」
「盗って来たわけでもないなら良いだろ。いつかあの小龍に会いに行く時も便利になる」
「え」
「さあ、さっさと旅の遅れを取り戻すぞ流花! お前は下を見てろ。俺は前を向く。方位磁針はしっかり持て」
「う、うんっ」
いつかを残してくれることがお兄ちゃん最大の優しさだとしたら。
妹はやっぱり、何も言えない。
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