第7話

 砂漠を歩くのは朝方と夕暮れがい。昼は暑すぎるし夜は寒すぎる。もっとも私は何も持っていなかったから、夜は凍えないために歩き続け、昼は暇つぶしに歩き続けた。水のドロップを舐めながらそうしていると、何も考えずに済んだ。方位磁針をひたすら西へ。行っても果たして村に帰りつけるのか。老龍も入った水袋。龍の導きがなければ村には帰れない。ただ方位磁針に頼っているだけではダメなのだ。それにしても。それにしてもこれはつらく孤独な旅ではないかい? これが試練だと言うならば私は受けたくなどなかったよ。これが掟だと言うのなら私はそれを破棄したかったよ。でもそれじゃあ一人前の龍使いになれない。龍の民になれない。半端者でも良い。お兄ちゃんも老龍も失うぐらいならそれでいい。本気でそう思った。だってそうしたら誰も死なないで済んだ。愚図でのろまな私には最初から無理なことだったんだ。龍に乗って世界を一周。素敵な夢だとあこがれ続けているだけでよかった。それで十分だった。私みたいなのは。私みたいなのに。

 私みたいなのに関わったせいで、お兄ちゃんも老龍も死んじゃったんだ。私も死んじゃえばいい。砂漠の中で。ドロップもいつかは尽きる。市の場所は解らない。今までどこを歩いて来たのかも分からない。足跡は消えている。このまま村に帰りつかなかったら、私はただの間抜けだろうなあ。せめてお兄ちゃんと老龍だけでも、預ける人に出会うまでは。それまでは何とか生き延びなきゃ。でなきゃあんまりにも可哀想すぎる。お兄ちゃんも、老龍も、私も。龍の胃袋の中でミイラで発見されたらシャレにならない、お兄ちゃん。だけど。だけどさ。

 かくんっと膝が折れて、そのまま砂に突っ伏す。

 立ち上がる気力もない。

 口の中ではまだドロップがあるのに、私の方が先にミイラになるのだろうか。

 お兄ちゃん。老龍。

「おにー……ぢゃ……らおろ……」

 呼ぼうにも呼べないその名前に、私はぱたりと、気を失った。

 単なる寝不足ともいう。


 ぱちぱち言う火の音に目を覚ますと、目の前には焚火があり、その向こうにはお坊さんが座り込んでいた。

「目が覚めたかい、嬢ちゃん」

 低いのにしんとした冷たさを感じない声に、私は身体を起こしてこくんと頷く。

 何者だろう。物取りだったら私を縛るなりしているだろうし、お坊さんの格好だからそんな不埒な人でもないだろう。結構な美丈夫のその人は、そりゃ結構、と笑って見せてくれた。人と話すのが久し振りだけど水のドロップで喉は嗄れていなかったので、声はするりと飛び出す。

「お兄さんは、誰ですか?」

「くはっお兄さんか、三十路も過ぎてそう呼ばれるとは嬉しいねえ」

 三十路過ぎだったのか。てっきり二十代後半ぐらいかと。たいして変わらないか。

「俺は坊主で、名を李王道リー・ワンタオと言う。お嬢さんは?」

「流花……十五歳です」

「十五歳でその羽織ってことは、旅の途中かい? 成人の」

「はい……」

「その割に龍が見当たらないが。落とされたのかい?」

「その」

「うん」

「死んじゃっ……て……」

 ぶわっと涙腺が膨らむのが分かる。もう居ないのだ。老龍も、お兄ちゃんも。いないのだ。この世に、私の世界に、二人はもういないのだ。急にボロボロ泣き出した私を、李さんは黙って待っててくれた。その沈黙は痛いものじゃなく、どこか温かいものだった。年上の人の包容力と言うのか、そんな感じのぬくもりだった。決して目の前の焚火の所為じゃなく。

「そっか。兄ちゃんと旅ねえ……珍しいな、それは」

「お兄ちゃん、いっつも私の事心配してたから……人買いに売られそうになった時も、老龍と一緒に助けに来てくれて……」

「良い兄ちゃんと龍だったんだな」

「でも私の所為で、二人とも」

 言えるはずがなかったのだ、老龍だって。頭の上でいつまでもぐずぐず泣いてる私に『お腹がすいた』なんて。だから我慢して我慢して――そのまま、ひもじいままに、逝っちゃった。私の所為だ。老龍のくしゃみだって私の方が気付かなきゃならなかったのに、お兄ちゃんを噛み千切らせてしまった。きっと老龍はいっぱい後悔しながら逝っちゃったんだろう。お兄ちゃんも、即死だった。龍の鋭い歯に腹を貫かれて。腹膜炎を起こす間もなく、龍の国へ行ってしまった。龍の民は死んだら龍の国に行くのだ。そこで永遠に笑いながら暮らす。先祖や子孫と笑って暮らす。そう信じられている。お兄ちゃんは笑っているだろうか。私の心配をしてはいないだろうか。老龍はどうしているだろう。天に上っただろうか。

「嬢ちゃん、一応聞いておくんだが」

「はい」

「龍は卵を産んだかい?」

「へ?」

 私はきょとんとしてしまう。龍の卵? 聞いたことがない。

 李さんは脚を組みなおして、

「死期を悟った龍は卵を産むのが普通なんだ。種族を繋げるためにな。嬢ちゃん、龍はどうした? そのまま砂漠に捨てて来たか?」

「し、してません、してないですそんなこと! この中です!」

 龍の水がたっぷり入った龍の胃袋を差し出すと、李さんは手を突っ込んだ。そして老龍を探っているようだったけれど、しばらくしてニカッと笑って見せる。私は意味が分からなくて、きょとんとする。

「良い知らせだ嬢ちゃん。龍は生きてる。卵の気配も今のところはない」

「ほんとに!?」

「ついでに兄ちゃんも生き返らせられるかもしれん。これをやろう」

 李さんは懐に入りていた青いペンデュラムを私に渡した。受け取るとそれは、くい、とある方向を示す。

「俺がいた寺の方向だ。龍を祭る寺なら何とかなるだろう」

「でも、そしたらあなたが迷子になっちゃいます」

「何、これがある」

 李さんは赤いペンデュラムを懐から出す。それはまた違う方向を示していた。

「寺行脚の最中でな。次の寺では次の導がもらえる。だから迷う心配はいらんよ」

 けたけた笑ったその顔にホッとして、私はまた涙がボロボロ出て来る。お兄ちゃん。お兄ちゃんが蘇ってくれるなら、私何にも要らないよ。わがままも言わないし蹴られても殴られてもじっとしてるよ。だから、だから。

 帰って来て。一人は寂しい。一人は怖い。ずっと、生まれた時からずっといた兄妹だから。いないのは悲しいし寂しいんだ。傍にいて欲しい。今はまだずっと一緒にいたい。いつか結婚しちゃうことはあるだろうけれど、それまでは馬鹿やっていたい。お兄ちゃん。

「さ、今日はもう寝ちまいな。殆ど熱中症寸前で倒れてたんだぞ、嬢ちゃん」

「水のドロップ舐めてたから大丈夫だと思ってた……」

「そんな万能薬はないよ。さ、横になってこれ被ってな」

 毛布を渡されて、私はぎゅっと龍の胃袋を掴む。ちゃぷん、と音がして、生きていることを思い知る気分だった。龍の卵。お兄ちゃん。なんだか知らないことを一気に頭に詰められた所為か、すやすやと私は簡単に眠ってしまった。


 次の朝早くに李さんと私は別れ、お互いペンデュラムの差す方向に向かった。龍を祭るお寺ってどんなだろう。先生もお坊さんだから出身のお寺があるんだろうけれど、外の事なんて聞いたことがなかった。単純に興味がなくって。この旅も、だからそんなに積極的じゃなかった。でも今は違う。私とお兄ちゃんと老龍の旅だと自覚した今は、違う。三人一緒に帰り付かないと意味がないんだ。どんな形でも。お兄ちゃん。老龍。待っててね。ちゃんとこっちに、呼び戻してもらうからね。

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