第5話

 雲の下を眺めていると、珍しいものを見つけた。帆を大きく振り振り進んでいく船。

 砂乗りさんだ。

「お兄ちゃん」

「はいはい」

 兄妹だとツーカーで物が分かるから楽ちんだと思う。お兄ちゃんは私の持ってるコンパスを気にしながらも、船に近付くよう老龍の頭を下向かせた。

「お兄さんどちらまでー!?」

 声を掛けると爽やかに日焼けしたお兄さんがニッと笑って、

「ちょっとそこまで」

 と返してくれる。

「いやー砂乗り長くやってるけど龍の民に話しかけられたのは初めてだな」

「そなの? なんで?」

「龍は上ばっかり通り過ぎてく。目線を合わせてくれたのは嬢ちゃん達が初めてだ」

 いやー、えへへー、と照れていると、お兄ちゃんが話に割り込んでくる。

「そこまでって、砂船は短距離用でしょう。何かあるんですか? 市があるようなら俺達も買い物したいんだ」

「市はないな、多分。何があるかも知らない」

「それって」

「迷子中ってことだ!」

 カラカラ笑うけれど、それって笑ってる場合じゃないような。お兄ちゃんが老龍の頭を上げさせて、また空に昇る。見ると、ちょっと南に行ったところにパオが溜まっているのが見えた。ついでに龍の旗も。

 するんっと下りて、私はお兄さんに告げる。

「ちょっと南に行ったところに村があるよー。私達も行かなきゃだから、ご一緒しませんか?」

「そりゃ助かるぜ。この三日何も食ってない。金はあっても飯屋がないんじゃなー」

「三日!? 私だったら死んじゃうよー!」

「お前は豚だからな。しかし俺もへばる」

『我は二か月はもつな』

「だろー? 食いだめして職探ししないとな」

「? お兄さんの村は?」

「帰ったら砂嵐で埋まってた」

 ぐい、とお兄ちゃんにエルボーを食らう。でも謎だったんだもん。迷子なら帰る場所があると思ったんだもん。ぶーっとして見せると、パオの群れが見えて来る。お兄ちゃんは老龍の顎を上げさせてまた空に戻る。私は老龍のの口に水のドロップを放り込んで、村に雨を降らせた。砂船は水の上では走れないから、勿論お兄さんが村に着いたのを確認してから。

 食堂はお兄さんと同じ場所になって、聞いてみると宿も一緒のようだった。仕事探しは明日からだ、言ってお酒を飲み干す姿は荒々しくも大人びていて格好いい。龍の一族は十五歳で成年と認められるけれど、そうじゃない村ではお酒は飲んじゃいけないのだ。恥を掻くから。お水があんなに不味かったんだし、お酒も不味いのかもしれない。お兄ちゃんは成年したときに飲んだけど、結構強いらしかった。うわばみ、って言うんだっけ。私の方は全然駄目の下戸だっただけに、大人たちは驚いていた。そんな私がもらったお酒は全部お兄ちゃんの腹に収まったけれど、体重に変動はないらしい。悔しい。ぶー。

 それはさておき、お兄さんの砂船はかなり目立つものらしく。宿の前に立てかけたそれには子供がきゃっきゃとはしゃいで乗り掛かったり、物珍しそうに見ていく人が多かった。かなり年季の入ったもので、なんでも三代は使っているらしい。うちの老龍もだけど、三代も続けば永遠と同じことだ、という言葉があった。確かにそうかもしれない。

 それにしても砂船を知らない人がこんなにいるなら、外の市への買い付けなんかに重宝されるんじゃないだろうか。そうなったら砂船もお兄さんも助かって互恵的な生活になるだろう。そうなったら良いなと、私たちは宿の布団で眠り込んだ。勿論、貴重品は身に着けて。


青龍チンロン! おまえ、向こう村の青龍じゃねえか!?」

 次の日の朝も一緒になった食堂で、痩せこけたおじさんがそう言ってお兄さんを指さした。

 ざわつく店内の様子に、お兄さんは半分も食べてないパンを置いて立ち上がる。だけどそれを通せんぼするみたいにおじさんが立ちはだかった。

「やっぱり青龍か! てめえ、よくものこのこ娑婆に出て来れたな!」

「あの、おじさん待って!」

 お兄ちゃんに睨まれながらも私は話に割って入る。余計なことに首を突っ込みたいのだ、私は。それがこの旅で得るものだから。

「お兄さんが何かしたの?」

「したどころじゃねえ、行商人襲ったり村一つ空っぽになるほど食料品盗んだり、とにかく手癖が悪いってんで有名だったんだ。三年前にやっと縄にかかったと思ったら、こんなところに素知らぬ顔で居やがる。やい青龍、てめえの村を見たか!」

「見たよ!」

 押し殺した声でそれでも怒鳴り返すお兄さんに、おじさんは少したじろいだようだった。

「砂でつぶれて乾いた骨が散らばってるばっかだった! そこで唯一無事に砂に刺さってのがあの砂船だ! 村の墓標みたいにな! 帰る場所がないのが一番のお咎めかと三日三晩泣き潰した! だから俺は新しく帰る場所を探してここに来たんだ! それでも居場所がないってんなら、……俺はどこに行けってんだよ」

 前髪をくしゃりと上げたお兄さん――青龍さんは、泣いていなかった。もう泣きつくしたってことなんだろう。しばらくシンとした食堂の中で、後ろでスープを啜るお兄ちゃんの空気読めてない音だけがする。

「――ようは、こういう事だろう」

 お兄ちゃんが言う。

「あんたは青龍さんを信じきれないかもしれないが、村全体にそれを言いふらして追い出したい訳でもない。なら青龍さんに面倒を見てもらえばいい。そうすればお互いの理解も深まるだろうし、あんたのリウマチだって無理をしなくて済むようになる」

 かくかく震えるその脚に、私は初めて気付く。関節が腫れていた。お兄ちゃんてば目ざとい。そして何気に青龍さんの住処を斡旋してる。お兄ちゃんあざとい。

「こ、そんなやつと暮らせるかよっ」

「じゃああんたは青龍さんを信じなきゃいい。常に見張っておけばいい。それで良いんじゃないのかい?」

「そ、そりゃ」

「おいおい飛文の兄ちゃんよ――そいつは俺を買いかぶりすぎちゃいないか?」

「昨日からあんたを観察した結果だよ。あんたは気のいい砂船乗りの兄ちゃんだった。龍が何も言わない程度には」

 龍使い――龍の一族の言葉には重みがあったのか、食堂の人たちの空気がそれに肯定的になっていく。私も付け上がってそうだよ、そうすれば良いよと言うけれど、お兄ちゃんにお尻を蹴られた。言葉尻に乗っかるなって言うんだろう。良いじゃんいつも同じ龍の背に乗ってるんだから、言葉尻ぐらい。ぶー。

「それにここで過去をばらされたあんたは偏見と闘って行かなきゃならない。これしきの事であたふたしちゃいらんねーよ。誰かこの人に職を任せたい人はいるかい? 市場の買い付けだとか、風の良い日にゃ行ってくれるかもしんないぜ?」

「リンゴ!」

 はいっと手を上げたのは小さな女の子だった。

「前にお父さんが買ってきてくれたの、リンゴ食べたい! 甘いの!」

「うちはそろそろ小麦粉が……」

「うちもヤギ乳の残がまだ心配で……」

「ほらほらお兄さん、メモ取らなくちゃ! 大事なお客さん達だよ!」

「お、おう」

「ちなみに私は水のドロップを二個! はい、前金ねお兄ちゃん」

「当り前のように俺を財布にするな」

「じゃあうちも。小麦粉一キロお願いできる?」

「りんごはいっぱい食べたいけど一個でいーよ!」

「ヤギ乳はこの袋に、いっぱいで。名前書いとかないとね。お兄さん字は読める?」

「一応……」

「じゃあ、お願いできるかしら」

 大量の小銭と注文に、お兄ちゃんがにやりと笑う。

「さ、もう朝市は始まってるぜ。場所は解るかい、青龍さん」

「あたし地図書いたげる! 前に連れてってもらったことあるんだー、ラクダだったから一日がかりだったけど、砂船ってそんなに早いの?」

「おお、体験ツアーの申し込みまで」

「飛文――」

「それまでは、俺たちも村に入り浸りだ。『帰りを待ってる』ぜ、青龍さんよ」

 ぐずっと鼻を鳴らした後で、渡された地図を持ち、青龍さんは出て行った。結局何も言えなかったおじさんは、いつの間にか店を出ていた。お兄ちゃん狡賢いなあ相変わらず。これに通信簿オール普通を付けた先生の目が心配だよ。先生って言ってもお坊さんだから性善説で生きてるのかな。だとしたら余計に心配だ、お兄ちゃんの必殺良いかっこしいを見抜けないなんて。

「ったく、お前もわざわざドロッブ頼まなくたってまだ余剰分はあったろうに」

 ぼそっとお兄ちゃんに言われて、その妹である私はにたぁと笑う。

「龍の一族の買い付けに行って帰って来た、って箔が付くじゃない」

「腹ばかり黒い妹になって。小さい頃のお前はまだ可愛げがあった」

「私の最古の記憶ってお兄ちゃんに哺乳瓶取られて泣いてるとこなんだけど」

「子供返りだ、よくある」

「嫌だよそんなあるある……」


 三時間後、青龍さんは無事に帰ってきてみんなに荷物を渡した。一応の信頼を得たのを見たところで、私たちは私たちの旅に出るため立ち去ろうとする。と、青龍さんに呼び止められた。なんだろう、水のドロップはもう貰ったのに。青龍さんはそのむきむきな腕を膝に着いてから、一度しゃんと立ち上がり、

「ありがとうございました」

 そう、お兄ちゃんに言った。

 私じゃないだろう。

 お兄ちゃんにだ、あくまで。

 でも私はそれが嬉しい。

「ありがとう、青龍さん。またどっかで会えたら良いね!」

 水袋から出した老龍の頭に乗って、私たちは飛び上がった。

 さて次の街はどんなだろうな。雲すれすれのところで地面を見下ろしながら、私たちは飛んでいく。

 どこまでもどこまでも飛んでいくのだ。龍の一族は。

 だから一期一会を大切にしたい。

 良い人でも、悪い人でも、普通の人でも。

 良かった人も、悪かった人も。

 二度と会えないと思いながら行くのがこの旅だから、ちょっとは寂しいけれど、私にはお兄ちゃんがいるし老龍もいる。だから大丈夫だ、何も怖くない。何も怖いことなんて、ないのだ。この二人がいる限りにおいて。


 そして。

 私は孤独を知ることになる。

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