第4話
黄塵万丈、砂が舞い上がるほどの風は正直しんどい。お兄ちゃんはバンダナをマスク代わりに、龍の水を眼薬代わりに空を飛んでいく。下の様子を観察するためには雲の上に出ることは基本好ましくないのだ。いや、この状況で何が見えるかって話だけど。私は西を指すコンパスを見ながら、お兄ちゃんに話しかける。
「砂嵐が止むまで休んだ方が良くない!?」
必然大声になると、お兄ちゃんはしっしっと払うようにする。
「その考えには賛成だが、耳元で叫ぶな。煩い」
ぶーっとしているうちに老龍が高度を下げて、私達をとぐろで巻く。隙間風ならぬ隙間砂が入って来るのを見ると、今まで自分たちが暮らしていた場所がどれだけ温厚な場所だったかが分かる。オアシスもあるし。それを囲んでパオが並んで、学校もあったし、大人も子供もちゃんといた。飢饉になることもなく、水は行商人がたまに持って来る水のドロップを使えば一年はもった。風が強いこともなく。たまに日照りが続いても食物が駄目になる前に龍たちが世話をしてくれた。あれ、私龍より働いて無くない? そんなことないよね? 朝はちゃんと水汲みするし。零さないように老龍が付いてきてくれるけど。べ、勉強はできるし! お兄ちゃんのおさがりの教科書だから要点書いてるのもあるけど!
あれ、あれ、私って思ったより馬鹿なのかな? だからお兄ちゃんに殴られたりするのかな? ぐるぐる頭を回していると、お兄ちゃんが龍の胃袋を渡してくる。きょとん、としていると、飲め、とのこと。
たしかに風で喉が渇いてたから、こくんッと一口貰う。やっぱり龍の水が一番おいしい。ひとつ前の村で買った水は濁ってたし、その前は薬くさかった。っていうか薬だったんじゃないだろうか。喉の悪い人用の。だったら悪いことしちゃったよなあと、私は砂に寝っ転がる。お兄ちゃんもそうした。食べ物は外の方が美味しいけれど、この嵐じゃあれだ、えっと、びばーく? するしかない。外の音が囂々と響く中、眠っていると――
「流花! 起きろ!」
腹を蹴られてげほげほ言いながら身体を起こす。と、その手が滑る。流砂だった。
やばいやばい初体験流砂、どうしたら良いんだっけ? 無駄に動かないで、滑りが止まってから身体を引っこ抜く? でも逆上がりも出来ない私に自分の身体を引っこ抜くなんてことが出来るだろうか。お兄ちゃんはすでに脱出して老龍の壁に掴まっている。せめてそっちに手を伸ばすと、お兄ちゃんが私の手をがっしりと掴んでくれた。それだけでホッとするのは、私たちが二人だけの兄妹だからだろうか。ごう、っと老龍が身体を起こすとまだ砂嵐は続いていたけれど、埋もれ死ぬよりずっと良い。目を瞑って必死にお兄ちゃんの手にしがみついて、すると老龍が私を引っこ抜いてくれる。それから器用に私達をいつもの位置に乗せてくれた。それから一気に空を上って、雲の上へ。忘れ物はないか、あってもどうにもならないか。げほげほ言うのは砂じゃなくお兄ちゃんの蹴りの所為だけど、水の入った袋を渡されるとそれも言えない。あと少しでも遅かったら。ぞっとする。
「ありがと、お兄ちゃん。老龍も」
水の袋を返すと、お兄ちゃんがせき込む。次は私が薬を取り出してお兄ちゃんに与る番だった。
それにしても下半身パンツまでびしょ濡れで気持ち悪いな、なんて。
お兄ちゃんの咳は砂には結構強い。生まれた時から砂浴びしてれば免疫もつくんだろう、でも他の蒸気とかにはめっきりだ。だから雲の中もそう良くはない。と、やっと嵐を抜けたのかそれとも止んだのか、下が見えるようになってきた。老龍を少し下ろして村を探す。さっきの嵐でつぶれた村は――無いようだ。ちょっとほっとして、私はコンパス係だから、目指す西向きに老龍の頭が向くようにする。サブパイロットとしてなら使い物になるのだ、私だって。メインには向かないけれど。
それにしても流砂は危なかったなあ、でも腹蹴って起こすのはどうかと思うなあ。すかすか寝るのだけが私の特技だけど、それにしても痛かった。今もまだずきずきするぐらいだ。私が何をしたとゆーのだ、ぐいーっとお兄ちゃんの背中に引っ付いてお腹を引っ張ってみると、エルボーされた。しかも蹴られた腹に。げほげほまたむせるけれど、今度は水の袋はくれなかった。おにーちゃんめぇ。いつか見てろよ、あっと言わせてやるんだから。
と、パオの群れが見えて村があるのが分かる。結構大きいから、久し振りに布の上で眠れるかもしれない。ちょっと距離を取ったところで老龍を下り、お兄ちゃんは水の袋にその身体を入れさせた。それから緒をぎゅっと締めて、村に向かう。やっぱり結構栄えている村だった。ほっと息を吐いて、宿を探すと意外と早く見つかった。色の薄い唇をしたお姉さんに案内されて、布団一組が入った部屋に通される。兄妹です、と言うと慌てて二組の間に通された。そーか私達は新婚旅行中にも見えるのか。嬉しくない、こんなドメスティックにバイオレンスなにーちゃんと添い遂げる人なんていないだろう。しかしそうすると私がいつまでもドメスティックな的になるわけで、それも嫌だ。村長のお嬢さんとかと結婚すればいいのに。まだ四歳だけど。
「ここの宿賃が銀貨二枚だから……水のドロップ補充しとくか」
「あ、そーだね。ちまちま補充していかないと」
水のドロップは銀貨一枚だ。とりあえず四つ買って、龍の胃袋に入れる。残りの四枚は何かあった時のために残しておこう、と言うことで話がついて、宿ではパンとスープを頂いた。人前で食べるためのお祈りをしていると、あんた達龍の民かい、と尋ねられる。はい、と答えると座がわっと沸き立つ。
「俺ぁ前にいた村で十メートルはあるの見たことあるぜ。いやー、そうか、龍使いが街に来てるとは縁が良いなあ」
「縁が良い?」
「龍の水、ちょっと分けてくんねーかな。あれがあると一発で元気になるんだ。砂漠を行くにゃあれが一番効く」
「水のドロップも同じようなものだけど……」
「水のドロップ? 何だいそりゃ」
「えっと、水を凝縮したドロップで、舐めてると三日は持つし美味しいのです」
「流花。お前は少し黙ってろ」
静かに食事を楽しみたいタイプのお兄ちゃんに言われて、ぶー、と私は口唇をとがらせる。私はどっちかって言うとみんなで一緒に食べるのが好きな方だからだ。自分の話もしたいし、他人の話も聞きたい。
それがどんな結果になろうとも。
寝付きは良いけれど人の気配には敏感な方だ、と自分では思っている私は、深夜のその足音にも割とすぐに気付いた。布団で寝ているせいもあるけれど、いくら忍ばせたって砂の音はする。ぱちっと目を覚まして隣に寝てるお兄ちゃんの方を見ると、シィ、と指を立てられた。まだ動いちゃ駄目ってことだろう。深夜の時間帯、布をめくって入って来るのは男の人だ。多分食事で一緒になった人。な、なんだ、私何にもしてないわよ。ちょっと龍の話しただけだし。ごそごそ探っているのは少ない荷物。幸い私もお兄ちゃんも龍の胃袋は腰につけたまま眠る性質だったから、被害はない。今のところ。老龍もお兄ちゃんの持ってる水の袋の中に入って貰ってるし、こういう時は。
「チッ、見当たらねえぞ」
「布団剥いでみるか」
布団をめくられて、私は一気に駆け出した。
「なっ起きてっ」
「助けて! 泥棒です、助けて!」
叫びながらパオの外に出ようとすると、宿主のお姉さんが出て来る。思わず駆け寄ると、
トスッ
と首の後ろを手刀で殴られ――私の意識はなくなった。
「あんた達! 騒ぐんじゃないよ、まったく」
「す、すんません姐さん。まさか起きてるとは思わなくて」
「もう一人のガキはどうしたんだい」
「そっちのガキに気を取られてる隙に、パオの外に布めくって行っちまいやした」
「チッ……早いとここのガキ連れて逃げるわよ。龍の民なんていくらで売れるか楽しみだねえ」
「龍の胃袋も貴重品ですしねえ」
「例の水のドロップ、あれも良い値段ですぜ、市場見た所。入ってると良いんですがねえ」
「龍がいればそれが一番の収穫なんだけどねえ」
どうやら私は、老龍狙いの連中に誘拐されたらしい。
気付くのは、次の朝になってからだった。
※
ラクダに乗るのは初めてで、目を覚ました時は思わずうおっと叫んでしまった。フタコブラクダのこぶの真ん中に挟まれて、手には縄。他の二頭のラクダには宿のお姉さんと私が話してた男の人だった。町は遠くもう見えない。喉が渇く、と言う珍しい経験をしながら、私は前を綱で繋ぎながら歩く二人に、あの、と声を掛ける。
「なんだいもう起きたのかい。もう少し眠ってても良いものを」
「喉が渇いたのでお水下さい」
「物怖じしないねえ」
ちょっと呆れた風なお姉さんは、それでも水袋を私に放ってくれた。中の水は透明だったけれど――
「おぇっ」
不味かった。
しこたまに。
「龍の民は舌が肥えてるねえ、水一口でそんなもんかい」
「龍の胃袋返してください。水のドロップ一つあれば文句言わないです」
「駄目だねえ、あれも結構な高級品だ。どっちもね。どうせあんたはその不味い水に慣れていなきゃならなくなるんだ、今のうちに飲んどきな」
「……うち、お金無いですよ」
「あっははははは、わざわざあんたの古郷まで行って金とあんたと物々交換するとでも思ってるのかい? おめでたいねえ、あんた、龍の一族がどれだけ希少か分かってないんだから」
「きしょう?」
「そうさ。気まぐれに現れては天候を変える、そんな化け物と唯一心を通わせることが出来るのが龍の一族。確かにあんたの古郷に乗り込んで一族全員を人身売買にかけるのも良いけれど、龍もあんたの兄ちゃんもいないんじゃ、それは無理ってもんでしょう。だからせめてあんただけでも、ってね。脂ぎったおっさんに引っかからないことを願いなよね」
あはははははっと笑うお姉さんは、粉塵でゲホゲホ噎せる。悪い人も案外馬鹿な所ってあるんだなあと、私は人生で初遭遇したお兄ちゃん以外の悪い人をまじまじと観察した。しかし人身売買かあ。自分にそんなに価値があるとは思わないけどなあ。老龍もいないとなれば、龍のいない龍使いなんて何の役にも立たないと思うけれど。龍を単品で飼ってる剛毅な人もいるのかな。あれは相当しつけないといけないらしいと聞いてるけれど。旅の行商人の人たちから。
やがて大きなパオに着く。お兄ちゃんは多分迎えに来てくれないだろう、こんな足手まといの妹。幸い老龍もお兄ちゃんの所だし、水や食料の管理もお兄ちゃんだ。お金も。だから一人で飛んでいくのはたやすいだろう。むしろ私みたいなのがいなくなって清々してるんじゃないかな。と思うと、ちょっとだけぶーっとしてしまう。進行方向の役ぐらいにしか立ってなかったけどさ。私はもうちょっとお兄ちゃんと旅したかったよ。老龍と旅したかったよ。
でもこーなっちゃったからには仕方ない。せめて良い人に拾われるように愛想良くしてよう。にへらっと笑うと、お姉さんが怪訝そうな顔になる。
「あんた、自分がこれからどうなるのか分かってるのかい?」
「解ってますよー、だから精々笑顔ですよ笑顔。良い人が買ってくれるかもしれないじゃないですか」
「度胸が据わってるって言うか、投げやりと紙一重って言うか……変な子だねえ。龍の民ってみんなそうなのかい?」
「基準は自分じゃ判断できませんよー」
「それもそうか」
そして私が売られる番がやって来る。
外はしとしと、雨が降っているようだった。
懐かしいリズムのそれに、聞き入っている間もなく私はステージに蹴り出された。
おお、っと色んな人たちが声を上げる。
そう言えば龍の民のベストの柄は、龍の骨を染料にしてるから、独特の色合いになるんだと聞いたことがある。死んだお祖母ちゃんから。だから龍の民には龍の民が分かりやすい、とか。龍の民でなくても解りやすいと思うけどな。
「最後は飛び入り、龍使い。龍の民の娘です! 残念ながら龍は付きませんが、そのぶんお値引き、金貨一枚からです!」
負けられて金貨一枚!?
今更自分がそんな希少部族だと知ると、驚かされるやらなんやらだ。パオ中が揺らめいている。いや待てこれは。
物理的に、揺らめいてないか?
びりびりと破けていく皮の布、見知ったリズムはその雨音。逃げていく人々が目にしたのは、唸りながら雷を降らす龍の姿。悲鳴を上げる女性、へたり込む男、そして龍の上には。その角を握っているのは。
「流花!」
絶対来てくれないと思っていた、お兄ちゃんで。
「乗れ、流花!」
私はその隙に龍の胃袋だけは取り返し、後ろに乗る。
「お待ち! お待ちお前ら!」
「元々あの宿では貴重品がなくなる事が多かったらしい」
お姉さんを無視してお兄ちゃんは龍を押し上げていく。
「人間泥棒までするとは、って村の連中が言ってた。あいつらもう帰る場所ないな」
雲の上に出てむしゃむしゃ黒雲を食べる老龍を眺める。
「おにーちゃ……」
「心配したぞ、馬鹿妹め。へらへらしやがって」
ぶつんっと。
それは切れた。
「わああああああああああああああああああああん!」
「うるさい、耳に来るから止めろ」
「わああ、わああん、わああああん! おにーぢゃああああ! こあがったよう、おにーぢゃあああ!」
「解ったから。老龍も俺も困る泣き方すんな」
『流花。飛文もこれで随分我を急かしたのだぞ。間に合わんかもしれんから最速で、とな。龍をやって千五百年にもなるが、こんな幼子にのろま扱いされるとは思ってもみなかったな。それだけ飛文も、お前を心配していたと言うことだよ。流花』
「ひっ……ひっ……」
「老龍、余計なこと言わなくてもいい。どうせ今のこいつには聞こえてない」
「きご……聞ごえてるよぉ……ぐずっ」
「俺の服に鼻水付けたら張り倒すからな、お前」
「ごべんなざい」
「お前……」
そんなこんなで私誘拐事件は、お兄ちゃんによって無事解決した。
やっぱ二歳の歳の差は大きいな、と、改めて感じた。
それにしてもお兄ちゃんが老龍をのろま呼ばわりするのは想像できなくて、その日は老龍のとぐろの中で笑ってしまうほどだった。
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