第3話

 ずんずん進んでいくのは西の方角だ。今回私達に与えられた地図は東から西に向けて世界を一周、と言うものだった。南極や北極を通る子たちに比べたらずいぶん楽だと思う。とは言え地球は横長だからもしかしたら一番長いのかもしれない。否否、私達の住んでるところそんなに赤道近くないから、むしろ一番短いルートなのかもしれない。思っているうちに龍の旗を見付けて雨を降らせたり、雨雲を食べたり、そう言う指示はお兄ちゃんが出すことの方が多かった。よっぽど楽しみだったんだろうな、と今なら思う。でも妹の仕事も取らないで欲しいのが本音だった。妹だってねー、色々したいんだよ、一人前になるために。その為の旅なのにこれじゃ成長するのはお兄ちゃんばっかりじゃんか。認めない。それは私が認めない。

 と、龍のパオでブーイングをぶちかましてみると、ハッと鼻で笑われた。鼻で。このお兄ちゃんは本当に性格悪いな。

「お前、龍乗りの成績は?」

「ぐっ」

「確かあんまり良くはなかったよなあ。ちなみに俺は結構良いんだぜ。そんなお兄様にただしがみついていられれば良いだけってのは、ずいぶん楽な旅をさせてもらってると思うんだがなあ」

 ニヤニヤ笑われてぺしっと思わず砂を蹴り掛ける。老龍ぐらい大きな龍なら乗りやすいけれど、授業で使うような若い龍はちょっと頼りなくてバランスが取れないのだ。でも乗れないわけじゃない。訳じゃないだけでへたくそは認める。なんて素直な妹様だろう。砂は掛けるけど、龍の民に砂浴びせたって意味はない。オアシスで育つものだから砂浴びなんて好きな奴はしょっちゅうやってるのだ。夜の砂は特に気持ちいい。冷たくて。私も靴を脱いで靴下も脱いで寛いでしまうことにする。冷めた砂が気持ちよかった。さらさらでパウダー状の砂は、オアシスとはまた違って良い。

 お兄ちゃんは自習用の勉強セットを龍の胃袋から出して、ランプの明かりでお勉強を始めた。それも毎日できることじゃないから同級生に遅れは取るだろう。私の所為か、お兄ちゃんの自業自得かは分からないけれど、とりあえず大人しくしていることにする。何せ妹は実技以外には賢いもので。体育とか滅ばないかな。いまだに砂の上ででんぐり返し出来ないの私だけなんだよね、クラスで。どうせ出掛ける時は龍だけなんだからそのぐらいで良いと思うわけよ。落ちたって砂だし。

 そんなこんなを考えていると、すうすう音がして、お兄ちゃんが居眠りに入ってしまったのが分かる。前に龍を、後ろに妹を。疲れるんだろうな、やっぱり。最初は私が前って話だったのに絶対にその方が危ないとのべつ幕なしに欠点を言い立てたのはお兄ちゃんだ。龍に乗るだけなら容易い。でもそこに妹がくっ付いて来るとなると負担は倍増する。そんなに張り切ってくれなくたって、私だってちょっとは役に立つのになあ。と、私はお兄ちゃんの勉強道具を龍の胃袋に入れてランプを消す。

 砂漠の夜は静かすぎて眠れない。抱き枕でも持ってくればよかっただろうかと思いながら、お兄ちゃんの脚に抱き着いてみた。

 速攻蹴られた。


「おい……本物だぜ」

「龍だ。初めて見た」

「適当に市につれていけばいくらになるんだろうな」

「でも龍は龍の一族にしか懐かないって言うぜ」

「なんか抱いてる格好だしな」

 朝も近くなったころ、そんな声が聞こえて音が出ないようにあくびをする。お兄ちゃんはもう起きていて、護身用に持って来ていたナイフ――もとは龍の牙だ――を構えていた。武器の無い私は取り敢えず靴下と靴を履く。そう言えば龍は珍しい生き物なのだと、龍の一族は忘れがちだと言われていた。学校の先生に。先生はお寺から派遣されてくるお坊さんで、龍と戯れることでその生態や言語を知るのだそうだ。閑話休題。

 どうしよう。下手に老龍を動かせば私達がいるのがばれる。龍の一族だと知られればこっちも売り飛ばされるかもしれない。十五と十七の、子供だ、こっちは。数名の大人を相手には出来ない。おまけに一人は役立たずだ。やばい。やばいぞこれは。

 しかし私の心配は杞憂に終わる。

『かあああああああああああああああッ!』

 聞いたことのない威嚇の声で老龍が鳴いたのだ。

 びくっとすると向こうも驚いたようで、乗っていたラクダが暴れたらしい。うおっとかやめっとか聞こえるのは数秒だけで、あとはラクダに引きずられるように逃げてしまったらしかった。ほあー、となっていると、ナイフを龍の胃袋に戻したお兄ちゃんがふうっと息を吐いた。一応動揺していたらしい。とてもそうは見えなかったけれど。もしも老龍がそのとぐろを解いていたら一気に走って二・三人の喉を描き切ってそうな殺気出してたけど、お兄ちゃんもお兄ちゃんで本当大変なんだと妹は思う。龍も妹も守らなきゃいけないなんて。

「お兄ちゃんやっぱり後悔してるんじゃないの?」

「あ?」

 朝ごはんのおにぎりを食べながら訊ねると、きょとんとした顔をされた。そこにちょっとした幼さを見て、私はやっぱり、と思ってしまう。

「私と一緒に旅することにしたの。お兄ちゃん一人の方が楽だったんじゃないの? どんくさい妹連れて龍も守らなきゃいけなくて、そんなの面倒だったんじゃないの?」

「面倒と言えば面倒だ」

「やっぱり、」

「でもお前が野垂れ死にしてる方がもっと面倒だと思った。元々二人旅を申し入れたのは俺だし、村長もそれに同意してくれた。そして二年だ。今更後悔なんかするわけないだろうが、このうつけものめ」

「あうっ」

 デコピンされてちょっとぶーっとなるけれど、でも、お兄ちゃんが自分の意志で着いて来てくれてるのだから、難しいことは考えなくても良いか。魚の入ったちょっと豪華なおにぎりを食べ終わって、私達は老龍に外に出してもらう。幸い盗賊っぽい人たちの姿はなく、お兄ちゃんは老龍の角を掴んでまたがった。私も同じようにお兄ちゃんの服を掴んで老龍に乗る。一日中股を開いているのは腰骨が痛くてまだ慣れないけれど、慣れて行かなきゃならない事だろう。一人前の龍使いになるためにも。はて、お兄ちゃんは一人前なのだろうか。滅多に愚痴を言わない人だから分からないや。

「ねえお兄ちゃん」

「あー?」

 ちょっと眠気の残る声で応じられて、ばれないように笑う。

「お兄ちゃんは一人前の龍使い?」

「ばか言え二人前だ。お前乗っけてるんだからな」

『はっは、確かになあ』

「真剣に聞いてるのに何さお兄ちゃんも老龍も! 私だっていつかは一人前になるんですー、お兄ちゃん乗せて市まで買い物に出たりするんですー!」

『さてはて出来るかな? そんな細腕の流花に操られてやるほど、龍使いも簡単なことではないぞ』

「解ってるよそんな事! 大体腕の細さなら虚弱体質してるお兄ちゃんの方が細いもん!」

「俺のは筋肉。お前のは贅肉だ」

「贅沢してないのに贅肉が付くなんておかしいよ!」

「朝から煩い奴だなお前も。魚のおにぎりは贅沢品だろうが」

「うっ」

 確かに砂漠では魚が取れないから、行商人の人がたまに仕入れてくれるのを村中で分け合うのが習わしだ。その貴重品をおにぎりに入れてくれたのは、確かに贅沢だったかもしれない。塩が効いてて美味しい赤いおさかな。家族で分けるよりも解しておにぎりに入れる方が有益だ。それを子供のごはんにしてくれるなんて贅沢以外の何でもない。でっでもっ。

「おにぎり一つで贅肉にはならないもんっ」

「毎食二つじゃねーか」

「お兄ちゃんくどいよ! そんなに妹をデブ扱いしたいわけ!?」

「まあそれもないことはない動機だな……お前生まれた時から俺の体重下回ったことないだろ」

「うううっ」

「少しは運動しろと言いたくもなるもんだ。そうすれば砂の上ででんぐり返しぐらい出来るようになるだろう」

「お兄ちゃんだって出来るようになるまで何年もかかったくせにっ」

「お前の歳には出来てたがな」

「うー! うー!」

「あんまり騒ぐと落とすぞ」

 ぐいっとお兄ちゃんは老龍の角を横向きに引っ張って、身体を斜めにする。あやうく落ちかけた私は、お兄ちゃんにギュッと抱き着いた。ぎゅうっと目を閉じてからそーっと開けると、そこには市が立っていた。

「母さんのおにぎりもうないしな。食事の買い出しに出るぞ、流花」

「そう言う事は先に行ってから回転してよ。落ちるかと思ったよ。さすがに下が砂でもこの高さからじゃ死ねるよ」

 そんなこんなで私達の旅は続くのである。

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