第2話

 夜はさすがにコンパスが見えないから飛んで行けない。と言うわけで老龍のとぐろになったテントでランプを出し、何はなくともごはんだ。お母さんが持たせてくれたおにぎりが一番早く傷みそうだから、それをお兄ちゃんと一緒に食べる。しばらくは食べられない味だと思えば、じーんとしたものが胸にこみあげてきた。少なくとも半年は、村に帰り付かない。龍はのろまじゃないけどゆっくり飛ぶのを好む生き物だから、八十日で世界一周をするほど急がないのだ。この旅では特に。世界を見せて回るのが目的な、この旅では。

「老龍は世界一周何回目?」

 顔を上げると老龍が少し身体を伸ばして目を細めて覗き込んでくる。

『そうさな、十は軽いな』

「十っ!? それって飽きたりくたびれたりしないの!?」

『毎度道も違うし、長い時は十年は村にいる。そう大したことではないよ』

「ほあー」

 感心して口を開けると、ご飯粒が口元から落ちる。のを、お兄ちゃんにキャッチされる。

「だから龍は賢いってんだ。お前みたいなのとは足して二で割ってもまだ足りない」

「ぶー! お兄ちゃんだって虚弱体質の癖に!」

「うるせ。っけほ」

「あ、お兄ちゃん薬薬」

「ああ、悪い。……お前に薬任せるのも本当は嫌なんだけどな」

「だってお兄ちゃん、人に与って貰わなきゃ薬出せないぐらいの発作も起こすじゃない。これは仕方ないことなのだと思います、妹は。えっへん」

「何がえっへんだ」

「あいたっ」

 軽く頭を小突かれて、それでも薬を出してあげる私は良い妹だと思う。なのにこの兄にはそれが分からないのだ、嘆かわしい、嘆かわしいわお兄ちゃん。ぶー。老龍はそれを見て笑ってから、頭の位置を戻した。環境破壊で砂漠の多くなってしまったこの星では、夜もしっかり風よけしないと寒い。ぺたんっと老龍が頭をてっぺんに乗せたら、私達も寝転がってランプの明かりを消した。さてはて、明日は何があるやらだ。どんな村に、辿り着くのかな。


 次の日立ち寄ったある村では、やはり龍の旗が掲げられていた。

 ただしその旗はびしょぬれで、旗竿にべったりとくっついていた。

 日照りの逆だ、その村の上には分厚い黒雲が荒れ狂い、雷を落としては雨をざんざか降らせていた。

「老龍、あれと話ってできる?」

 私は訊ねてみるけれど、答えは否やだった。

『あれだけ暴走しているのではどうしようもないな。やるとすれば食うことぐらいだが』

「それしかないだろうな。喰いきれるか、老龍」

『雲だしな。入らんことはないだろう』

「じゃ、食べてあげて!」

 頼むとうねる身体に大口を開け、老龍は顎まで外して黒雲に食いかかった。

 しゅるしゅると吸い込まれていく雲に、村の人たちが出て来てうわああと歓声を上げる。ちょっといい気分になってへへんっと笑って見ると、お前はえらくないぞ、とお兄ちゃんに釘を刺されてしまった。うー、お兄ちゃんてばいつも私の事馬鹿にするー。実際体育以外は私の方が頭いいのに。オール普通なんて取ったことないよ。逆にすごいけど。

 老龍がすっかり雲を吸い込んだ頃にはもう夜になってしまっていた。今日はこの近くで休もうと村の西に少し行ったところでランプを点けるとぱたぱた走って来る男の子がいた。方向からしてさっきの村の子だろう。どうかしたのかな? 首を傾げると、ぜーぜー言った彼は、すまなそうに私達を見た。

「悪い。野宿ならもう少し村から離れてくれないか」

「なんで?」

「村の人間が警戒してる。あんな黒雲喰った龍がいると、また雨降らしそうで怖いって」

「何それー!」

 ぷんすかして私は声を上げた。雨を降らせるのも龍の仕事だけど、それを収めるのも龍の仕事だ。だから龍の旗を掲げていたんだろうに、それってのはあんまりだ。私が何か言おうとするとお兄ちゃんに頭を押さえつけられる。二十センチの身長差はこういう時に悔しい。むぐむぐ何も言えなくなる。

「解った。近くに村はあるか?」

「いや、殆どない……悪いけど」

「まあ龍がいれば寝場所に事欠かないから俺達はそれで構わない。ただし路銀は頂くぞ。老龍の食事代だ」

「分かりました、龍の民」

 急にきちっと頭を下げられて、彼は村に戻っていく。今まで路銀なんか使ったことないのに、とお兄ちゃんを見上げる。

「慈善事業やってんじゃねーんだ。ちょっとぐらいのしっぺ返しは必要だろ」

「お兄ちゃん悪い顔してる……」

「生まれた時からこの顔だ。何が悪い」

 くけけけけっと笑うお兄ちゃん。怖いよ。内心結構怒ってるな。

 しばらくすると銀貨が十枚入った袋――普通の袋だ、見慣れない――を持って、男の子が戻って来る。中を数えたお兄ちゃんは、老龍に乗り掛かった。慌てて私もその背中にしがみつく。

「邪魔したな」

「お邪魔しました!」

 ちょっと棘のある言い方で言ってみると。男の子は申し訳なさそうにする。別にこの子が村の代表で一番偉い人って訳でもないのに、ちょっと言い過ぎたかな。思って私は、

「帰り道気を付けてね」

 と要らないお世話をする。でもそれって寝首を掛かれないようにしろ、みたいにも聞こえるな、と、空の上に出てから私は思った。雲はないから月や星がキラキラしてて、それはとっても綺麗で、うふふーっと笑ってしまう。そうするとお兄ちゃんに、気持ち悪いぞ、と言われてしまった。

「守銭奴なお兄ちゃんには言われたくないもん」

「守銭奴じゃない」

「昨日の村では何にも取らなかったくせに」

「取れるものもなかったろ、あんな日照りじゃ」

「それもそっか」

 ふむ、一つ賢くなって、私はお兄ちゃんの肩にぐりぐり顎を付ける。するとべちんと顔を叩かれた。女の子の顔にべちんはないだろうと思うけれど、このお兄ちゃんは昔から私に対してだけバイオレンスなのだ。多分家庭内の分かりやすい弱者と言うのがお兄ちゃんには分かりやすく攻撃対象に出来たんだろう。去年は蹴りで脳震盪起こしたし。それも多分覚えてないんだろうなあ。ドメスティックだから、お兄ちゃん。バイオレンスだから、お兄ちゃん。親の見てないところで踏み台代わりにしたりさ。そんでお菓子食べて怒られるのは大概私だ。お兄ちゃんは友達のパオに遊びに行って、責められるのは私だけ。うー。不公平だー。思いながら老龍を揺らす。月と砂漠は綺麗に、本当にきれいに見えた。下を見ると銀のキャメルに寄りかかった旅人が見える。やっぱり綺麗だ。おーい、と声を掛けてみると、気付いてくれたのか手を振られた。私もぶんぶん振り返す。

 よし、今日のヤなことはこれで終わりっ。もう少し行ったところで老龍が身体を下したので、私達も砂の上に降りる。ランプをもう一度点け直していると、老龍がとぐろを巻いて私達を包んだ。今日のごはんは何にしようかな。まだおにぎりあるからそれで良いか。龍の胃袋の中の時間は極端に遅い。でも物が腐らないほどじゃない。まあ、年単位だけど。チーズだかバターだかは長い事ラクダの胃袋にミルクを入れてたら出来た、って聞いたことあるな。次の街で買ってみようか、ラクダの胃袋。いろんな動物の胃袋が売っているけれど、一番高いのは龍の胃袋だ。収納力の割に軽いから。浸水もしないしね。と、お兄ちゃんが龍の胃袋を二つ持っているのに気付く。

「お兄ちゃん、そっちなあに?」

「薬用の水。ちびちび龍の水溜めてれば旅が終わるまでもつだろ」

「始まったばっかりなのに終わる話止めようよぉ……私ね、ずっと楽しみにしてたんだよ」

「俺の方がずっと楽しみにしてた。ったく、馬鹿な妹を持つと苦労する」

「だから馬鹿じゃないってば!」

「素数数えてみろ」

「それ暗記の問題!」

「円周率は?」

「それも暗記!」

「無駄な脳だな」

「お兄ちゃんこそね!」

『これ、喧嘩するでないよ、お前たち。ふふ、しかし子供二人と旅をするのは初めてだから面白いものだな』

「私は全然面白くないよー!」

『いいから早くお眠り。わしもたらふく食ったので眠くなってきた』

「あ、ごめん。はいお兄ちゃん、薬ね」

「ん」

 こくんっと飲み込んて。

「おやすみなさーい」

 私たちはランプを消した。

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