最終話
フェリックスが死んだのを確認してから、僕は
もちろん解除はしない。力の一部をそっちに割くことになるが、ウンディーネは猶予さえあればまた『補給』を必要とするだろう。
この戦闘にミアを巻き込むことだけは何としても避けなければ。
「……あれ?」
戦いの前にフェリックスの死体を一瞥して、ふと違和感に気付いた。
ミイラになった身体の周りには鎧や身に着けていた衣服が散乱しているが、あの剣がない。
彼が僕から奪い、そして肌身離さず持ってたあの神器の剣が。
そして視線を移すと、ウンディーネの触手にまだ剣が絡みついているのが見えた。
何故剣だけを離さないんだ? そう疑問に思ったのもつかの間。
なんとウンディーネは、その剣を自らの体内に沈みこませた。
「!?」
ゼリー状の身体の中に埋め込まれた剣が、柄の中心にある魔眼のごとき宝石を怪しく輝かせる。
それは間違いなく、フェリックスが魔物を操る時に起こっていた作用だ。
「まさか……使えるのか? 魔物があの神器を!」
だが、フェリックスが捕まえてきたミミックたちはもうウンディーネの養分となった後だ。ここに残っているのは干からびた死体だけ。
唯一生きている魔物がいるとしたら――それはウンディーネ自身のことだ。
そして、奇妙な『変容』が始まった。
ウンディーネの、今まで器用に伸び縮みさせていた触手が、短く、そして垂直に固定化した。鋭利な先端と、それを支えるようなしっかりとした軸。
動物の持つトゲ――もっと言えば、人間の武器である槍を思わせる形状だ。
さらに、本体の表面にも変化があった。
円状の鱗のようなものが無数に浮かび上がってきたのだ。
勿論これも自分の中の水分から形成したものだろうが、本体とは違う光沢があり、硬そうな質感が見られる。
さっきまでとは大きく違うそのありように、僕は一瞬戸惑った。
神器を手に入れたことで起きた変化だということは分かる。ではあの魔眼の剣で何をしたのか。
考えられることは――
「自己暗示……です」
その声は僕の声でも、当然ウンディーネの声でもない。
炎の壁の前にミアの陽炎が出来ていた。つまりすぐ目の前まで彼女が来ているということだ。
「ミア! こっちへ来ちゃ駄目だ!」
「ごめんなさいエルマー様、どうしても心配で!」
しかし、そう言うミアの足は震えている。
変身を遂げたウンディーネの姿に恐怖を覚えているのだ。
「エルマー様も逃げてください! あれはもう三階の番人としての力を超えています!」
「逃げるったって……!」
言い争っていると、突如ウンディーネが動き始める。
標的は、
水の槍を前面に集中させ、身体ごと突進する。
「……っ! まずい!」
僕はすぐさま
狙いは十分、疾走するウンディーネの横腹に命中したはずだ。
しかし、
「なんだアレは……」
表面を覆う円形のものが、無数に重なって炎の槍を受け止めていた。
衝撃で本体を大きく移動させることができたが、
さながらそれは、水の盾。ウンディーネ本体の表面を滑るように動き、攻撃をピンポイントで防御する。
おそらくあの小さなかたまりに、かなりの水分が圧縮されているのだろう。ダメージを最小限にとどめるとともに、本体へ熱を通さない遮断層としての機能を有している。
――もし槍の方も同じぐらいの密度なら、
幸いにもというべきか、攻撃を受けて相手はこちらへ向き直った。ひとまずミアから視線を外してくれたようだ。
僕も再び身構える。
本来、ウンディーネは僕に対して有効な攻撃手段を欠いていた。だが今のあの形態は、むしろ攻防において隙が無い。
ミアは、自己暗示だと言ってた。
人は時に、思い込みの力を利用して本来以上の力を発揮することがある。
またある種の催眠術は、精神だけでなく肉体にも目に見える変化をもたらすことがあるらしい。
ウンディーネは魔物の体液の過剰供給によって、半ば不定形の姿になっていた。
つまり暴走に近い状態にあったわけだが――その行き場のない力が『僕を撃退する』という目的意識によって適切な姿へと変質した。
神器である魔眼の剣を自己暗示に使ったのなら、この状況もそれで説明できるだろう。
――もしかしたらこのウンディーネも、二階の魔物たちのように自我が芽生えつつあるのかもしれない。
僕はそう思った。実際のところは分からない。ただこの敵の行動は、魔物の闘争本能というより人間的な戦術の印象があるというだけの話だ。
もしお互いの事情や会うタイミングが少し違えば、話し合えた可能性はある。
だが、もうその機会は失われた。
張り詰めた緊張感。部屋中に充満する殺気。僕には守る相手もいる。
この戦いは、どちらかが死ぬまで終われない。
「僕は敬意を表する」
聴覚なんてあるかどうかも分からないウンディーネに、僕は声を放った。
「君の武器である触手は、同時に唯一のアイデンティティだったはずだ。元の姿を象った最後のパーツなんだから」
言葉を紡ぎながら、手で懐をまさぐる。
「だけど強さのためにそれを捨て、君は新しい魔物になった。もう君はウンディーネではない。より上位のエレメンタル種、名付けるなら、ウンディーネ・
目的のものを探し当てると、僕はそれを握りしめて大きく一歩、前に出た。
「君が辿り着いたその境地に、僕も命を賭けて挑もう」
僕の動きに反応して、ウンディーネ・Pも突進してきた。
後方で蒸気のようなものが広がる。
身体の一部を気化して推進力にしているのだ。そのスピードは今までの比ではない。
僕は、それを避けなかった。
反応できなかったわけじゃない。身構えもせず、攻撃を身体で受け止めた。
「エルマー様っ!」
ずん、と重い衝撃が響く。
水の槍で串刺しにされながら、僕は声がした方へわずかに目をやる。
ミアの陽炎が悲痛な表情でこちらを見ていた。
まったくしょうがない娘だ。
ついさっき危ない目にあったばかりのはずなのに、まだこんなところにいるなんて。
僕が止めなければ、自分がこの槍の餌食になっていたんだよ?
内心のつぶやきは、勿論ミアには届かない。
だからこの戦いに勝って、ちゃんと彼女に注意しなければ。
そう。僕は攻撃を受けはしたが、ただ無防備に喰らったわけではない。
肉体の正中線、そして脳や心臓と言った一部の重要器官だけを守る形で
当たれば即死、という部位だけは攻撃を防いだのだ。
とはいえ、急所以外をまんべんなく貫かれて無事なわけがない。
『即死』が『数秒後に死』へと変わっただけだ。
だがその一瞬が、僕にとって重要だった。
業火。
ハチの巣みたいになった僕の身体が、突如として燃え上がる。
いや、正確には身体が燃えているんじゃない。全身が炎へと変わったのだ。
「ここに来る二つ前の関門で、僕は【獣の王の指輪】という神器を手に入れた。窮地に陥った時、自分の潜在能力を高めるという代物だ」
部屋中を呑み込まんとするほどの炎に、一瞬ウンディーネ・Pも後退した。
相手が下がると炎は逆に収束する。僕という肉体があった位置に、僕という炎が舞い戻る。
「本来ならそれは、自分の筋力やセンス以上の運動神経を発揮するという程度の意味しかなかったんだと思う。でも今の僕は【不滅の種火】と同化した身体だ。――この場合僕の潜在能力とは、この神器の潜在能力と同義のものなんじゃないかと、ふとそう思ったことがあった」
炎が人の形に圧縮される。僕の手が、足が、それどころか目も鼻も口も形作られていく。
僕は炎であり、また僕自身だった。
そのまま言葉を続ける。
「それは、実際にその通りだった。限りなく死に近いあの瞬間、僕は【獣の王の指輪】をはめていた。今の姿は【不滅の種火】という神器の力を100%引き出した状態だ」
『不滅の種火・
いわばそのようなもの。
瀕死の際にしか使えない技だが、自分自身が炎と化しているので死ぬことはないし、身体も自在に動く。
そして扱える炎の勢いも、【獣の王の指輪】によって最大限のものになっている。
「さて、この力の限界を、君で確かめよう」
僕は一旦距離を置いたウンディーネ・Pに、またゆっくりと近づいていく。
数歩ほど歩いたところで、相手の槍が僕の身体を貫いた。
さっきより槍の長さが伸びている。触手の時ほど長くはないが、伸縮のスピードは目にも止まらぬ速さだ。
だが、僕の身体にまったくダメージはなかった。
ひょいっと横にずれると、そのまま水の槍は僕の身体をすり抜けてしまう。
「炎に実体はない。熱を帯びた空気だと言い換えることもできるけど、【不滅の種火】はより概念的な炎だ」
むしろこちらを刺してきた槍の方が熱を受け、形が不安定になってしまっていた。
と、次の瞬間には蒸発する。
しかしそれは
他の槍を含めて爆発的に気化し、蒸気があふれる。
本体からも同じように蒸気が噴出し、部屋はあっという間に濃霧の中のような状況になった。
ウンディーネ・Pはあえて自分の一部をミストとして放出していたのだ。
密閉空間で充満したミストは、放水より遥かに効率的な消炎、冷却効果を持つ。
部屋の中で火災が起きても簡単に鎮火してしまうだろう。
だが、僕という炎が消えることはなかった。
「あらゆる環境を超越して存在しうるから【不滅の種火】と呼ばれているんだ。燃料や酸素を必要としないように、水の影響も受けない。なんなら水中でも僕という炎は燃え続けるだろう」
僕はただ炎になったのではない。不滅の炎になったのだ。
事実上の不死身。
もはや生半可な攻撃ではこの身体に干渉することもできない。
やがてウンディーネ・Pが作った霧も晴れていく。結果として蒸気は飽和し、結露になって壁や床をぐっしょりと濡らしたけだっだ。
「じゃ、今度は僕の番だ」
炎で象られた右腕に、今度は炎で象られた剣が握られる。
もはや鍔も柄もない。純然たるエネルギーの奔流を掴んでいるだけだ。だがその熱量は、今まで使っていた炎の剣を遥かに勝る。
そして、その様子を見てウンディーネ・Pの身体にも変化が生じる。
失われた槍の代わりに、自分の身を守る水の盾がどんどん形成されていくのだ。
一点集中型の防御、などとはもう考えてもいないのだろう。本体を包み込むように、水盾が何重にも重ねられる。
隙間なく盾に覆われたウンディーネ・Pの姿は、複雑な文様が刻まれた美しい球体のようだった。
「だけど……それは危険な行為だ。槍にしろ盾にしろ、何かを形成する度に水でできた君の堆積は消耗していく。たとえ僕の一撃を防いだとしても、そのあと君の本体には生き残れるほどの力があるだろうか?」
僕の言葉に、ウンディーネ・Pからの動きはない。
だけど何となく答えが聞こえたようで、少し笑みを浮かべてしまう。
「ま、戦いの中で『今の最善』以外を選ぶ理由なんてないか。それは一度瀕死になってまでこの状態になった僕が一番分かってる」
一人勝手に納得を得た僕は、今度こそ気持ちを切り替える。
炎の剣に自分の中のエネルギーを全て送り込むように念じる。
剣はその気持ちを読み取ったかのように激しく燃え盛り、長く、巨大に変化した。
逆手に持ち、大きく振りかぶって剣を振るう。
「『
夜の帳を開く太陽のような、輝く一撃。
それはウンディーネ・Pを横一文字に切り裂き、更にその体内に埋め込まれていた魔眼の剣をも砕いた。
まったく未知の金属、未知の製造方法で作られた神器を壊す。たとえ同じ神器の力を借りていようと、そんなことが成功した例はない。だがそれを成し遂げた。
ウンディーネ・Pは、その肉体を保つ基盤となっていた魔眼の剣を破壊されたことで、破裂するかのように辺り一面に飛び散った。
飛沫となった水にはもう、生命の名残はない。
部屋の数か所に出来た水たまりだけがその存在を示す証となるが、それもすぐ乾いてしまうだろう。
今日生れた新たな種は、死体すら残さずその日のうちに消えていなくなったのだ。
今回はあまりにも多くのことがあった。もちろん、全てが解決とはいかない。
しかし、一つ己の本分をこなしたことは確かだった。
「三階層――踏破完了だ」
ようやくではあるが、僕は
こちらに向かってくる彼女が、途中でヨタヨタと足をもつれさせる。ミアはずっと、炎の壁ごしに僕の戦いを見守ってくれていたようだ。
フェリックスがウンディーネに捕食されたところや、僕が自分の身をあえて串刺しにされたところ、目を背ければいいのにそうしなかった。
一度に色々なことを経験した彼女も、精神的にかなり疲れているはずだ。
「大丈夫?」
「ええ、だいじょうぶで……あっ」
やはり、途中でぺたんと座り込んでしまう。
僕は手を差し伸べた。
「立てるかな?」
「す、すみません。ありがとうございます」
ミアは僕の手を取り、ふらつきながらも立ち上がった。
「えへへ……」
「君は僕が差し伸べた手を、取ってくれるんだね」
「? はい、それはもちろん。あっ、エルマー様のお手を煩わせて申し訳ないです」
「いや、いいんだ。……ありがとう」
慌てた様子にミアを見て、僕は苦笑してしまう。
僕はまだ
【不滅の種火】の力を100%引き出した今の僕は、触れたものを燃やすかどうか選別できる。だがそれをミアに伝えた覚えはない。
ただ、彼女は無垢に信じただけだ。僕が手を伸ばしているなら、それは掴んでもいいのだと。
「……とりあえずミアには一度、詐欺にあわない方法について教えておいた方がいいかもね」
「サギってなんですか? それも感情の名前ですか?」
「ううん。いつか必要になるかもしれないし、ならないかもしれない、単なる処世術のこと」
「はあ……」
「それはともかく、二階にどんな傷でもすぐ治せるような凄い神器はあるかな? 【魔女の軟膏】よりもっとグレードの高い回復薬。それを期待してフルパワーを出したんだけど」
「え? でも傷はもう大丈夫なのでは?」
「ううん。
「えっ、えええぇぇ!?」
遠くない未来、一つの物語が生まれる。
魔と神の神秘が渦巻くダンジョンより、あらゆる財宝を地上へもたらした騎士の話だ。
騎士は敵国に脅かされていた祖国の王となり、大陸をもう一度統治する。
そしていつも彼のそばには、ダンジョンからやってきたという美しい女性が寄り添っていた。
これは、そういう物語だ。
失墜した騎士は魔物の巣窟で乙女と出会った ゾウノスケ @zorag
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