第24話

「さて、そろそろ本格的な攻略を始めよう」


堂々と言い放った僕に対して、フェリックスはカッと顔を赤くした。


それは羞恥と苦渋の表情だ。


自分のことを『いつでも片付けられる相手』と一蹴されたこと、それを実際に示されたことも、彼には我慢ならない屈辱だった。


「何をしているウンディーネ! あの男を全力で殺してしまえ!」


怒りを乗せた叫びに、魔剣の眼が反応する。


ウンディーネはゼリーのようなその身体をぶるりと震わせ、矢のように触手の雨を降らせてくる。


しかしその攻撃は、言ってみれば単調だ。


火礫連弾ひれきれんだん!」


大きく弧を描くように走りながら、避けられない触手に火球を投じて相殺する。


生命力で相手が勝っていようが、火力ではこちらが上だ。細かい触手を蒸発させる程度は訳ない。


「クソっ! もっと触手の数を増やせ、ウンディーネ!」


魔物に命令を発しながら、フェリックスは苛立って親指を噛む。


一時的に激しくなった攻撃の中で、僕は一旦下がって回避に徹した。


「……」


おそらく僕の身に一本でもあの触手が突き刺さると、『捕食』が始まる。


ミミックの体液を一瞬で啜り取ったあの行動。あれが一番危険な技だ。


――そこまで考えて、ふと気付くことがあった。


さっきまでの戦闘でこちらもかなりの数の触手を焼き切ったはずだ。


あれほど肥大化したウンディーネだが、戦いで弱ればまた水分を必要とするのだろうか?


「一つ状況を進めてみるか……」


「ウンディーネ! もう一度だ!」


再び、膨大な数の触手がこちらに向かってくる。


僕は自分の身に紅衣くれないごろもを纏わせると、胸元に隠れている相棒に声をかけた。


「ピー助、頼んだ!」


「ピヨ!」


ミアによってピー助と名付けられた神器、【瑠璃のひな鳥】。彼が疾風のように飛び立つ。


小さくそれでいて素早い動きで、触手の群れを掻い潜ってウンディーネ本体へと距離を縮める。


だがそれを見てフェリックスは哄笑した。


「ハっ! そんな小鳥に私の魔物が止められるとでも!?」


「いいや、ピー助の役割は戦いじゃない。見つける力こそがその真骨頂だ」


その言葉通り、ピー助はウンディーネの本体を素通りする。


そして巨体がふさいでいたフロア内の後方をぐるりと飛び回ると、ある壁の前で静止する。


「ピヨ! ピヨ!」


「そこだな」


「!? まさかあの鳥、気付いて――」


僕とフェリックスに使役されているウンディーネは、ほぼ同時に行動した。


ウンディーネは全ての触手を使ってピー助へと襲い掛かる。


僕は自分への警戒が緩んだこの瞬間に、全力の攻撃を撃ち放った。


火礫・龍絶槍ひれき・りゅうぜつそう!」


槍の形に加工された超高熱の炎。


それがウンディーネの本体へ深々と突き刺さる。


「ウンディーネ!?」


フェリックスの狼狽をかき消すほどに、体内の水分が弾け飛ぶ大きな音が響く。


そして槍そのものの威力によって、移動困難に思われたウンディーネの巨体も大きく後退した。


これでピー助も触手から逃すことができた。


そして当のピー助だ。僕は彼が静止した壁の前まで駆け出して、そのまま突っ込んだ。


ピー助も後に続く。壁は僕らを阻むことなく、そこには何もなかったかのようにすり抜けた。


ここは転送装置の中継地点だ。今までエレメンタルが守っていた関所にもそれは存在していた。だからここにもあるはずだと思ったのだ。


そして壁の向こうの通路の先、そこには両手足と口を縛られたミアの姿があった。


「ミア!」


僕は慌てて彼女の拘束を解く。あざになるほどきつく締められた縄が緩められ、ミアが安堵の声を漏らす。


「エルマー様、私……」


「いい気になるなよ小僧! 私のウンディーネはまだまだ健在だ!」


言葉を遮るように聞こえてきた怒声。


その声を聴いた瞬間、ミアが蒼白になって激しく震えだす。


その様子を見るだけで、フェリックスからどれだけひどい仕打ちを受けたのかは想像に難くない。


僕は震える彼女の身体をしっかりと抱きしめた。


「エ、エルマー様、私のことはいいから早く逃げ……」


「大丈夫、もう手を打ったよ」


後ろを振り返ることすらせずそう答えた。


そして次の瞬間、激しい爆発音が響く。


埋火・灼光壁うずめび・しゃっこうへき


地中から炎が噴き出し、追撃者を迎撃するとともに阻む。いわば炎の結界とも言うべき技を仕掛けていた。


これで相手から手出しはできないだろう。もしウンディーネがあの巨体のまま突進してくれば話は別だが、使役しているフェリックスはそんな手が打てるほど豪胆な男ではない。


「ほらね?」


ミアを安心させるように、軽く笑みを浮かべておどけてみせる。


彼女はそれでもまだ表情が強張ったままだった。しかしやがてフェリックスも攻撃を諦め、激しい音も聞こえなくなる。


「ここにいれば、少なくともあいつは何もしてこないよ」


「エルマー様……」


ミアは震えが収まるのと同時に、感極まったのか顔をくしゃくしゃにして僕の胸に飛び込んでくる。


とめどない嗚咽を、僕は頭を撫でつつ黙って聞いていた。


「私……あの方が怖いです。みんなと同じように言葉が通じるのに、まるで心のない魔物たちのように残酷で、非道なことばかりするんです」


みんな、とはアリーおばさんたちのことだろう。


小さな共同体の中で暮らしていたミアたちは、平穏の中のさざ波のような諍いしか経験していないはずだ。フェリックスのような計算高い悪人は未知の存在なのかもしれない。


「二階層の仲間たちは無事だから。傷ついてはいるけれど、今は動ける人たちで手当てし合っているはずだよ」


「はい……」


そう答えはするが、涙をためた憂いの瞳は変わらない。


「ごめん、あいつみたいなのをここに入れてしまって。これは僕の責任だ」


「……」


「でも……これから理不尽なことを言うけど、聞いてほしい」


ミアはその言葉に顔をあげ、少し不思議そうにした。


僕は彼女の目を見て、ゆっくりと口を開く。


「人間に失望しないでほしい。フェリックスのような人は、確かに外の世界に存在する。でもほとんどの人間は、野心や悪事に関心のない素朴な人柄だ。日々の小さな幸せを喜び、それを誰かと分かち合うことに価値を見出す。他人が困っていれば助け、友達が苦しんでいれば手を貸し、家族に危機が迫れば立ち向かう。そういう人たちを僕は見てきた」


一番嫌なのは、ミアがこのまま人間全てを怖がってしまうことだ。


彼女が最終的にこのダンジョンを出るべきか、それともずっとここにいるのが幸福なのか、それはもはや断言できない。


けれどもここを訪れる人間のことで、もう彼女の気持ちに影を差すような真似はしたくない。


僕の言葉を受け、ミアは少し沈黙した後、口を開く。


「あの方――フェリックスは、私の心に大きな揺らぎをもたらしました。騎士という主に抱いていた憧れ、人間という同属に抱いていた親近感、外の世界という未知に抱いていた希望。全てが崩れていくような気持ちになったのは確かです」


その言葉に僕は、やはり無駄だったのだろうか、と気落ちしかけた。しかしミアは「だけど……」と言葉を続ける。


「だけど私は、エルマー様から頂いた想いを忘れた訳ではありません。私の最初の騎士様。辛い境遇にあってこのダンジョンに来た貴方は、それでも快活で心優しい方でした。貴方とのふれあいで私がどれだけ満たされたか、それは言葉では言い表せないほどです」


「僕のことで……そんなに?」


自覚はなかった。自分は人に誇れるような騎士であるのか、いつも不安だった。


それはきっと、いつまでも外の世界で醜聞に振り回されていたからだ。でもミアは、ダンジョンの中のみんなは、そんなレッテルのない僕の姿を見てくれていた。


「エルマー様は私に外のことをたくさん教えてくれましたが、増えたのは知識だけではありません。私の心にもまた、新しい気持ちが芽生えるほどに」


そう言ってミアは、頬にわずかに赤く染める。


「この気持ちを言い表す言葉を私は知りません。でも、いつか貴方が教えてくれたあの言葉がそうなのかもしれないと、今では思っています」


「ミア……」


「『レンアイ』という言葉、今度はもっと詳しく教えてください」


にっこりと、可憐にほほ笑むミア。


ああ、この笑顔だ。僕はそう思った。


この笑顔こそ、僕が騎士として守り通すべき価値あるものなのだ。パズルのピースが綺麗に当てはまるように、僕の心がそう言っている。


「いいよ、喜んで」


「はい」


「今から僕はここを出て、フェリックスとウンディーネを討伐する。激しい戦いになって、大きな音もするかもしれない。だけど僕が帰ってくるまでじっとしていて欲しい」


「……ちゃんと、帰ってくるんですよね」


「もちろん」


不安げな問いかけに、僕は笑顔で答えた。


負ける気はしない。守るべきものを知った今なら、なおさらだ。


ミアはやはり心配そうにしていたが、やがてこっくりとうなずいた。


僕はそんな彼女の頭を軽く撫でて、


「それじゃ、行ってくるよ」


そう一声かけてから通路の入り口へと戻っていった。



通路口を阻む炎の壁は、勢いを変えず激しく燃え盛っている。


僕はその炎の屈折率を調節し、陽炎を作り出した。


フェリックスたちの映像を映し出すとともに、相手側には僕の姿が見えるように。


彼らはしばらくすればこの炎が弱まると見込んでいるのか、苛立ちながらも様子をうかがっていたようだ。


僕の姿にも、すぐに反応してきた。


「……! ようやく出てきたか。籠城を決め込んだ時は流石に参ったが、いい加減観念したか?」


「貴方と違って、僕は最初から正々堂々と戦うつもりだ。これで人質に手は出せない」


「やれやれ、最初から言っていただろう? あの小娘を危険にさらすつもりはないとね」


「僕はミアの命を守ったわけじゃない。尊厳を守っただけだ」


そう答えると、フェリックスは不快そうに顔を歪めた。


そして内心、僕も違うことを考えている。


――フェリックス本人に傷つける気がなくとも、ミアに命の危険が及ぶ可能性が一つだけあるのだ。


「多分、このあたりが分水嶺だ」


「何?」


「フェリックス、今からでも投降してほしい。罪は軽くないだろうが、ここで死ぬよりも祖国で贖罪を果たすほうが騎士の誉れは守られる」


「はッ、言うに事欠いてそんな生ぬるい話をするとはな! お前を殺し、俺が亡命を果たす。それが唯一の答えだ!」


「クレイクランが貴方を受け入れることはない。それどころか罪がおおやけになった今、口封じのために命を狙われる可能性だってある。楽観的な考えは捨てるべきだ」


「黙れ! 私はクレイクランの重鎮たちから信用されているんだ! ここまで多くを投資した私のことを、彼らだって簡単には切り捨てられないはずだ!」


そんなことはない。


優秀な取引相手ほど損失が膨らむ前に切り捨てるものだ。クレイクランはそこをわきまえている。


だがフェリックスにとっては、片方の天秤に自分の人生が乗った決断だ。もう冷静な判断は下せない。


彼は話を打ち切るように、大きくかぶりを振った。


「大体なんだ! その炎の壁を盾にしないと話すらできないのか! ウンディーネ、もう一度その腕で炎を蹴散らせ!」


フェリックスが神器の剣を掲げて命令を下す。


しかしウンディーネは触手を伸ばしかけるのだが、一瞬ビクンと震えて静止してしまう。


「な、なんだ!? ウンディーネ、早く攻撃しろ!」


「……フェリックス、ウンディーネの触手にこの灼光壁しゃっこうへきを貫けるほどの力がないのは、貴方にも分かっていたはず。なのになぜ命令してしまったんだ」


「は? なにが言いたいんだ」


「貴方はウンディーネに何度も指示を出していたが、そのほとんどは合理的ではない攻撃命令だ。だからウンディーネは疑問を感じるようになった。『この命令は従う意味のあるものなのか』と」


僕が静かに言うと、一瞬呆けたあと失笑を返した。


「馬鹿馬鹿しい。魔物が考えるだと? 神器であるこの剣の命令に逆らえるはずがないだろう!」


「本当に思い当たることはないか? たとえばここについた時、二階層でのこととか」


そう言うと、フェリックスはハッとしたように目を見開く。


やはり、と僕は思った。


「僕がここについた時、二階層はひどい有様でした。みんなが傷ついて苦しんでいた。……でもそれはおかしい。魔物を支配する剣を持っているなら、二階のみんなは操られていなければならない。貴方が三階のミミックたちを僕にけしかけたように」


「そ、それは……命令しようとしたが、なぜかあいつらには抵抗されて」


「そう、通用しなかった。だから命令に抗おうと動きを止めている間に剣で嬲るぐらいしかできることがなかった」


あの剣で同士討ちや傀儡になることを命じられたみんなが、それを受け入れまいと必死になったことは想像に難くない。


知性を持つもの同士で集まり、ミアのもとで仲間意識を強めていったみんなが、たとえ神器の力であろうと簡単に思いのままになるはずがないのだ。


「つまり、その神器の力には限界がある。『魔物を従わせる剣』というのはその神器の一側面を見て判断した結果に過ぎない」


「そんな馬鹿な話があるか! ついさっきまでは完全に私の意のままに従っていたのだぞ!」


「そう、ついさっきまでは、だ。他の魔物を喰らって力をつけることや、僕のように関門に挑戦しようとする騎士を倒すことは魔物の本能だ。そして――」


次の瞬間、静止していた触手が動き出した。


しかしその動きは僕の前にある炎の結界を貫こうとするものではなく、自分の側にいたフェリックスを絡めとるものだった。


「なっ、何をするウンディーネ! 私はお前の主人だぞ!」


神器の剣から、支配の力が放たれる。


だがウンディーネは意にも介さない。もはやその力は通用しなくなっていた。

僕は言葉を続ける。


「致命傷とまではいかなくとも、僕の攻撃は水分、すなわちウンディーネにとっての生命力を少しずつ消耗させていったはずだ。その状態で無駄な攻撃を続けるよりは、膠着状態である今の内に『補給』を済ませておく方が合理的だと、そう考えるだろう」


僕があえて戦闘中にミアの居場所を探っていた理由がそこにあった。


触手を伸ばせる範囲にミアがいるなら、彼女も捕食対象になりかねない。


だが今やミアは炎の結界で守られている。一番身近で無防備なエサは、フェリックスのほうだった。


「そっ、そんな……! 私は、こんなところでッ……フーゴは……ゴフュッ」


彼は最後までもがき続けたが、すぐに手足や口を触手で封じられる。そしてついに針のような先端が首筋に突き刺さった。


ビクンと痙攣したあと、フェリックスの身体から急速に体液が奪われる。やげて干からびてミイラのようになったその遺体は、用が済んだとばかりに部屋の隅へ放り捨てられた。


野心にあふれ、ガルウリムの次期総団長とまで呼ばれた騎士の、あまりにあっけない末路だった。

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