第23話

「ようこそエルマー、偽りの騎士よ」


開かれた扉の先、最終関門の大広間にフェリックスが立っている。


そして彼の背後には、半透明の不気味なナニカが蠢いていた。部屋の天井に達するほどの巨体で、ブヨブヨとした不定形な身体に無数の触手を生やしている。


僕とともにこの場所にやってきたミミックたちは、皆吸い寄せられるようにその異形のもとへ進んでいく。


「こいつが気になるかい?」


唖然とする僕に、フェリックスが嘲笑混じりで話しかけてくる。


「もともとは大きなクラゲぐらいのまともな姿をしていたんだが、栄養を与え続けていたらどんどん肥大化してね。いつの間にか元の形すら忘れてしまったらしい」


「栄養……魔物に餌を与えているのか?」


「ああ、今もそうさ」


彼がそう言うと、背後の魔物が這い寄ってきたミミックたちに触手を突き刺す。


果実の蜜を吸うような下品な音がしたかと思うと、瞬時にミミックの身体が干からびていく。


体液を吸い尽くされたミミックの死体は、すぐに脇へ追いやられる。そして次なるミミックが身体を捧げるように近寄っていく。


異常だ。


まるで何かの工場みたいに、魔物たちが命を吸い上げられていく。


「君から貰ったこの神器の力だよ。この剣が実に有用だ」


そう言って腰の鞘から剣を抜く。眼球の如き不気味な宝石を中心に頂く、漆黒の刃。


一瞬、作り物の眼球と目が合ったような気がして、ぞくりと悪寒を感じる。


「これは『魔物を従わせる剣』だ。目の前に掲げるだけでその凶暴性を失い、念じれば思い通りに行動する。魔物だらけのこの場所で、これほど便利な道具はない」


「僕は貴方にそれを差し上げた覚えはない。けど認めるということだな、このダンジョンの成果物だった神器を、貴方が奪い取った」


「ああそうだったな。クレイクランの転移型神器を使って、お前の目の前で掠め取ってやったのだった。……ということは、どうだ?」


「どうだ、とは?」


「分からないか? クレイクランは保有する貴重な神器を俺に使わせた。あの国でいかに私が評価されているかも分かるというもの。ガルウリムで罪を負おうと、逃げる先には困らないというわけだ」


ほれ見ろとばかりに嘲笑するフェリックスの姿に、僕はむしろ哀れなものを感じていた。


フェリックスに神器を盗ませたのは、エリュズニルがガルウリム王国の保有するダンジョンだからだ。もともと目をつけてはいたが、下手に介入すると国際問題になる。だから自国の者ではなく責任を押し付けやすいフェリックスにやらせたのだろう。


そもそも、正体の暴かれた間者を救おうとする国がどこにあるというのだ。


だがフェリックスはそれに気づかない。クレイクランの傀儡という立場で、あまりにも甘い蜜を吸い過ぎた。


「さて、そろそろこいつの食事も終わったところだ。お前という偽物の騎士もここで死んでもらおう」


「偽物はそっちだろうが!」


僕の応答にフェリックスは一笑し、同時に不定形の魔物が動き始める。


数本の触手が襲い掛かってくるのを大きく跳躍して回避した。


こいつの正体は分かっている。この場所にいた最後のエレメンタル。水のウンディーネだ。


身体のほとんどが水でできていて、水分を補給すれば触手の一本からでも復活できる。


フェリックスはその能力を利用し、ウンディーネ本来のキャパシティ以上に肉体を肥大化させたのだろう。


追撃の触手を今度は炎の剣で切り払う。高熱の刃はウンディーネの水分を容易く蒸発させた。


しかし次の瞬間には、切断面から新たな腕が生えてくる。


なるほど、これは厄介だ。


「炎を纏った剣か。フフフ、良い武器だ。お前を殺した後にそいつも頂いておこう」


「生憎だけど、僕の神器は剣じゃない。お前には手に入らないものだ」


言いながら手をかざす。


流炎るえんの高威力放出、荒神嵐こうじんあらしを発動させたのだ。


逆巻く炎はウンディーネの攻撃に対する盾となり、そのまま全ての触手を蒸発させる。


しかし――


「ハハハッ! いや見事だ! まさかここまで自在に炎を操るとはね!」


嘲笑ともとれるフェリックスの笑い声。


それもそのはず。炎の嵐は確かに無数の触手を焼き切ったが、同じところから再び触手が生えてくる。


あの巨体に蓄えた養分が無限の再生力を発揮しているのだ。これではキリがない。


「……一つ、疑問がある」


「なんだい? どんな情報を売ったら命だけは見逃してくれるか、などとは言わないだろうね?」


「ミアはどうした。さっきは自分と一緒だなんて言ってたが、見当たらないじゃないか」


「ああ。安心したまえ。別に殺してしまったわけじゃない。ただ少し遠ざけておいただけだ。君を釣るエサとしての役割は果たしてもらったからね」


皮肉っぽく、高圧的にそう答える。しかし僕は、逆にその様子から違和感を感じ取った。


「それだけのために連れ去ったのか? そんなわけないだろ」


「は?」


「殺してないだとか遠ざけただけだとか……今更そんなぬるい言葉が出てくるものか。人質にもせず生かしておくというなら、何か理由があるはずだ」


「君を倒すのに人質が必要か? 今まさに追い詰められているくせに」


「それでも、連れ去ったミアを自分の側に残しておく意味はない。まさか彼女に不埒な真似をするつもりじゃないだろうな」


僕としては、内心それを危惧していた。ダンジョンという閉鎖空間の中で一人の少女を捕まえたとき、この男が何もしない保証はないと。


しかし予想に反して、フェリックスは実に不快そうに顔を歪めた。


「愚弄するな。俺があの気色の悪い女に劣情をもよおすものか」


「え……?」


気色悪いなんて言葉とミアが結びつかなくて、ひどく戸惑った。


彼女の容姿はとても美しく、内面の純真さにも僕は助けられてばかりだ。


「お前がダンジョンにこもっている間、あの二階層を拠点にしていたと聞いた時は理解に苦しんだよ。私にはさながらこの世の地獄だ」


「地獄? あそこは敵だらけのエリュズニルの中で、唯一おだやかな、日常を感じられる場所だったのに」


「日常だと……人類共通の敵である魔物たちが、その姿のまま人語を話し、人を真似るような生活をしているあの場所が? 私はあの魔物たちの主のようにふるまう少女に、不気味なものしか感じられない」


「彼らは突然変異のようなものだ。同属の魔物たちからも排斥された者たちがあの場所に集まっている。ミアはただそれを受け入れ、居場所を与えているに過ぎない」


「……どうやら君は孤独なダンジョン探索を経て毒されてしまったようだな。"彼ら"などと魔物たちをさも人間のように呼ぶなんて」


フェリックスは不快感を露骨に表してそう答える。あるいは、それが人間として当然の反応なのかもしれない。


しかし僕は知ってしまった。


心を、知性を持ってしまったがために孤立した悲しみ。


同じ境遇の者同士でも慰め切れない、無為な日々への諦観。


ダンジョンという鳥かごの中で、ただ待つことしかできない寂しさ。


アリーおばさんやクレインおじさん、そしてミア。彼らはただ安穏と暮らしている人間よりも、はるかに人間らしい。


僕はその気持ちに寄り添っていたいのだ。


「……正気の沙汰とは思えないね」


侮蔑の言葉にも揺るがない僕の目を見て、フェリックスやや怯んだ様子を見せる。


しかしすぐに皮肉っぽい笑みを浮かべて、挑発めいた言葉を続ける。


「何故あの女を捕えたままのなのか、だったな。それは決まっている、このダンジョンから帰るのにも転送装置を使うのだろう? ならそれを起動してもらう者が必要だ」


「……確かにミアはエリュズニルの転送部屋を使える。だけど前にも言った通り、もうお前の罪は暴かれているんだ。ここから帰ったとしても、無事ではいられない」


「まあそれが本当なら、いまごろ神殿は兵士たちで囲まれているだろうな。……しかし私の前に、別のナニカが転送されるとしたら?」


――ひどく、嫌な予感がした。


フェリックスの口から、もはや邪悪としか言いようのない愉悦の笑みがこぼれた。


「三層の雑魚は全てウンディーネに食わせてしまったからな。一層に降りてもう一度魔物の群れを用意したら、まずそれを転送させる。王都をかつてない規模の魔物たちが襲撃するのだ。私一人の逃走になど構ってられなくなるだろう」


「この街に……魔物を放つというのか!? 王都に一体どれだけの人間がいると思っている!? お前の友人は、家族はどうするつもりだ!?」


「クク、いまさらそんなものを気にすると思うのか? 私を裏切ったフーゴ、無能な両親、踏み台になってもらった貴族主義者ども。誰が死のうとも心は痛まない」


平然と語っているが、フェリックスの考えはまさに狂気としか思えないものだ。


仮にも民を守るべき騎士として戦ってきた者が、人々に魔物たちをけしかけようとしている。しかも生まれ育ったこの場所で。


ガルウリムの王が座するこの街をもってしても、襲撃を収めるのは困難だろう。


騎士団に所属し、ダンジョンにも入った僕だからこそ言えるが、この国の騎士の練度は大したものじゃない。


突如として街の中に現れた魔物の群れに、民間人を守りながら戦えるほど優秀とは思えなかった。


「ああそうだ。お前の家族もこっちに来ていたのだったな」


フェリックスが、ぽつりと呟く。


背筋にぞくりと悪寒が走った。


「僕の家族に、何をするつもりだ」


「いやいや別に? 私がうまく逃げおおせればいいのだから、何もないとも」


「……」


「ただそうだな、魔物の何匹かに追加の命令を埋め込んでおくこともできる。例えば王子の侍女に双子の少女がいれば、片方を念入りに殺してもう片方を人質に連れて来い、とかな」


彼の声を聞きながら、僕はただ喉の渇きを感じていた。


それは身体の芯のほうから来る感覚だ。


「貴族街の屋敷にも潜り込ませるのもいい。眠っている者や隠れている者も騒乱の中に引きずりだせ、と命じればより一層の混乱が見込める。ああ、そういえば君の母君は病床で寝込んでいるのだったかな?」


心臓、脳、それよりも深い。神経、血流、その先。


自分の一番深いところには、種火があった。


小さな炎がくすぶっている。僕の動揺、恐怖、そしてなにより、耐え難い怒りに煽られて小さく揺らめいている。


「だが、問題あるまい。その頃にはお前はもう死んでいる。この私によって無残に殺されているのだ。だからその後のことなんて心配する必要はない」


「いや、そうはならない」


「何?」


「ここで死ぬのは僕じゃない。だからお前の言っていることも起こらない」


フェリックスはそれを負け惜しみだと思ったのだろう。


一瞬の沈黙のあと、たまらないとばかりに吹き出した。


「ハハハっ! 自分は死なないと? お前の攻撃は私のウンディーネにまったく通用しないのに? お前は所詮神器の力で成り上がった田舎貴族なのだ。真の実力では私の力の――」


焔薙ほむらなぎ


彼の口上が終わる前に炎の剣が閃く。


灼熱の刃は伸縮自在。蠢く触手の中を潜り抜け、大きく間合いの開いたウンディーネの胴体を両断した。


「ヒィッ――!?」


不意打ちを喰らう形になったフェリックスは思わず奇声を上げる。


ウンディーネは切断面の一部が蒸発し悪臭を放つが、それでもゆっくりと結合し直した。


核となるものを持たないこの魔物は、たとえ剣で何分割されようと生命力さえ残っていれば再生できる。


だがフェリックスは理解してしまっただろう。


今の攻撃、もし自分が狙われていれば避けることも防ぐこともできなかったと。


「そのウンディーネは次の階層を守る門番。どうとでもなる貴方と違って、必ず倒さなきゃダメだ」


僕の胸には、いま強い光がある。


小さな種火が、感情の波を受け大きな炎へと変わっているのを感じた。


この胸にあるのは不滅の種火。けして消えることのない炎だ。


「さて、そろそろ本格的な攻略を始めよう」















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