第17話

オードランゼンでの任務。


これはただ魔物を倒せばいいということではない。


騎士団員と――つまりフェリックスと協力したうえで、討伐が行われなければいけない。


しかもフェリックスは、僕が任務中に十分な働きをしなければそれを他の騎士たちにも伝えると明言している。


「ああ、でも心配しないでくれ。今回は偶然、魔物どもが私一人のところを襲ってきただけだ。君に責任がないということは最低限配慮して話しておくよ」


冗談じゃない。


魔物といえどゴブリンは下級種。もしこの任務で僕が何の成果もなかったと語られたら、生涯役立たずの烙印を押されてしまう。


だが――このゴブリンたちはフェリックスが用意していた駒だ。おそらく森で人を喰らっていた魔物は別にいる。


「フェリックスさん。ゴブリンの生態について知ってますか?」


「生態? 繁殖力が高く、集団で人を襲う矮小な魔物だ。それ以外に何かあったかな?」


「ゴブリンは四つ足の動物以外は食べません」


「は?」


きょとんとした表情を見せる。


僕はそのまま話し続けた。


「誤解されがちですが、彼らは人肉を好みません。確かに人間を襲うこともありますが、それは馬や家畜を奪うために襲うのです。そのために人が殺されることはあっても、喰われることはありません」


「い、いや、しかし全くということはないだろう。所詮は魔物、飢えにかられたら人間の肉をすすることもあるだろう」


「一時的にならまだしも、犠牲者は何人もいます。それにこの森は十分動植物に囲まれています。わざわざ人間を狙う理由がありません」


フェリックスの表情に、にわかに焦りの色が浮かんだ。


「……まあ待て。エルマー君、きみは功をあせっているだけだ。魔物がいて、これを私が倒した。その事実は変わらない」


「ゴブリンとはいえこの数を一人で退治したのは見事だと思います。でも人食いの魔物は別にいます」


「だから……」


「このまま帰還した場合、再び犠牲者が出る可能性があります。その際は僕とフェリックスさんとフーゴ、三人とも取り調べを受ける場合もあるでしょう」


「えっ! 俺も!?」


話についていけなかったらしいフーゴが、いきなり話題に上げられてびっくりした様子を見せる。


「任務の際に相応しい行動をとっていたかどうか、責任を問われることになるだろうね」


「痛くもない腹を探られるのはなあ……。なあ兄貴、エルマーの言う通り任務を続けてもいいんじゃないか? どうせしばらく滞在する予定だったわけだし」


「フーゴ……お前まで……」


フェリックスは渋い顔をする。弟にまで自分の意見を反対されるのは業腹だっただろうか。


とはいえここで険悪なムードになってもらっても困る。


魔物退治自体はこっちも早めに済ませたいのだ。


「では折衷案ということで、今日一晩はここで調査をしましょう。明朝まで何もなければ一度帰還するということで」


「ああ、一晩か。なるほど。……うん、まあいいだろう。町の人たちのためにも多少は見回りをしておきたいからね」


明らかに『その程度の猶予では何もできまい』という安堵がこもっていたが、ひとまずフェリックスの合意を取り付けた。




その後、フェリックスは魔物退治の証拠となるゴブリンの耳をはぎ取る作業に入った。


フーゴが自分たちに任せて休むように言ったのだが、彼はそれを固辞して僕らに見回りを頼んだ。


おそらく僕に怪しまれていることを察しているのだろう。ゴブリンの死体を調べられたくないのだ。


ゴブリンを倒したのがフェリックスなのかそうでないのか、それ自体は重要ではない。ただ、おそらくこの森にはいなかった魔物のはずだ。


そうなるとどうやって連れてきたのか、その疑問だけは残ってしまう。


「魔物の売買……? いやそんな話聞いたこともないし……」


「なにブツブツ言ってるんだ?」


「えっ、あ、いや何でもないよ。ハハハ」


つい声に出ていたらしい。一緒に見回っているフーゴが訝しげに声をかけてきた。


結構長いこと見回っていたので、辺りはもう暗い。一応ランタンを携帯しているが、うっかり足を滑らせそうになる。


「まあいいけどよ。けどさっきは驚いたぜ。お前、魔物に詳しいんだな。兄貴も知らないような話知ってるし」


「ん……そうなのかな? でも昔から騎士になりたかったから、魔物の本はよく読んでいたよ」


「へえ。俺は兵法書とかを読んでたけど、お前はそっちに興味があったんだな」


「そうだね。騎士団に入ってからは兵舎の書庫にもよく通ってるんだ。詳しい文献も大量に出てくるし面白いよ」


「中々あっちで会わないなと思ったらそんなところにいたのか……。それで、そんな魔物博士としてはどうなんだ?」


「ん?」


「人食いの魔物は別にいるってのがお前の意見なんだろ? 兄貴に啖呵切ったんだ、ある程度予測は出来てるんじゃないかと思ってさ」


別にそんなことはない。


ただあの場はフェリックスの思い通りにさせないため反論しただけだ。


けれど兄に対して尊敬を抱いているらしいフーゴに、わざわざそんなことを言う理由はないだろう。


「んー……たとえばこの森でしばらく見回っているけど、特に変わった足跡は見つからない。大型の魔物は特有の痕跡を残すから、まずその可能性は除外されるかな」


「ほう」


「けど以前十人程度の自警団が犠牲になったという話だから、食欲は旺盛なはず。多分群れで行動するタイプの魔物じゃないかな」


「うげっ、たくさんいるってことか……。いや、でも兄貴だってゴブリンの集団をやっつけてるし大したことないな!」


「そうだね。あの程度の強さで、あの程度の数の魔物だったら大したことないね」


「……お前、あんまり怖いこと言うなよ」


「ははは、ごめんごめん。……あ、そろそろ油が切れてきたね」


ランタンの火が頼りなく揺らめいている。


「一度戻るか。この調子じゃ見つからないかもな」


「いないと分かれば、それでもいいんだけどね……あ、僕ちょっと用をたしてから戻るから。悪いけど先行ってて」


「おいおい……とっとと済ませて追い付いてこいよ?」


ちょっと呆れたような表情をして、フーゴは来た道を戻っていった。


もちろん、早く終わるに越したことはない。


僕は木陰に隠れると、荷物の中からクローク――【夜半の狩人】を取り出した。


ナーガラジャと戦った際に得た神器だ。


身に着けると、すぐさま効果を発揮した。


「……驚いた。ここまで違うなんて」


夜の間だけ五感を強化する外套。


その効果で、さっきまで無音に感じていた森が急に騒がしくなる。


虫の鳴き声、小動物の足音、木々が風でそよぐ音。どこで何が起こっているのか、聞き分けることすら可能だ。


これならば、と僕は手ごろな木に登り、辺りを見渡した。


予想通り、視覚は夜目が利くどころではないほど鋭敏になっていた。


はるか遠くまでくっきりと見える。散らばった落ち葉の形や、ふもとの岩の数まで正確に。


そして、狙い通りの相手も見つかった。


「間違いない、アレだ」


木々をかき分けるように飛ぶ大型のコウモリの群れ。


異様なのは普通のコウモリに比べて胴体が小さく、そのぶん顔面がやたらと大きいこと。


大きく開いた口からは、よだれがダラダラと流れている。


ナイトストーカーと呼ばれる、悪食の魔物だ。


「意外と近いな。ここで始末しておかなきゃ」


僕は木の上を飛び移りながら、群れへと近づく。


そして気付かれるギリギリの距離で、まず一撃を加えた。


焔薙ほむらなぎ!」


炎の剣を伸ばしての一閃。


四、五体ほどのナイトストーカーを一度に切り捨てる。


「キキッ!?」


突然の襲撃に、群れが動揺を起こして乱れる。


しかし敵が人間の僕と分かると、逆に食い殺してやろうと牙をむいて向かってきた。


着地した瞬間を狙うように、四方八方からナイトストーカーが襲いかかる。


「そこも織り込み済みだよ――流炎・荒神嵐るえん・こうじんあらし!」


炎の出力を上げ、自分を中心につむじ風のように巻き上げる。


吹きすさぶ炎にあおられた魔物たちが、渦の中に呑まれて次々と燃え尽きていく。群れを形成していたナイトストーカーたちも、もはや数えるほどだ。


もともと荒ぶる気性だけが取り柄のような魔物、このまま掃討するのは容易いだろう。


この【不滅の種火】の力は、熱への対抗手段を持たない動物系の魔物にはことさら有効なのだ。


ナイトストーカーの残党は、形勢不利をさとって翼をひるがえす。


「逃がすか!」


僕は彼らを追いかける。


木々をかき分け、空中を疾走する彼らの動きは速かったが、それでも捕まえられないほどではない。


だが、そのさなかに問題が起きた。


【夜半の狩人】による強化視力が、ナイトストーカーの進行方向から来る人影を捉えたのだ。


その姿はフーゴのものだった。


何故? それは明白だ。暗い森の中で僕が放った炎の攻撃を見て、フーゴは僕と魔物が戦っているのを知った。だから来たのだ。


だがフーゴを見つけたナイトストーカーたちは、彼のほうが弱そうだと思ったのだろう。そのまま噛り付くように大口を開けて向かっていく。


「フーゴ! 危ない!」


とっさに叫んだ。


警告が寸前で聞こえたのか、フーゴは剣を取ってナイトストーカーの牙を防ぐ。


だがその一撃で剣にひびが入り、また他の数体もフーゴのもとへ向かっていた。


「ピヨすけ、頼む!」


僕がそう呼びかけると、ふところから瞬くような速さでガラスの神器が飛び出していく。


ピヨすけこと【瑠璃のひな鳥】は、フーゴを攻撃しようとしていたナイトストーカーたちに体当たりをかました。


意外にもその勢いは苛烈で、魔物たちは一瞬怯んでくれる。


その間に、ピヨすけに持たせたモノがフーゴのもとへと届いた。


「剣じゃダメだ、それを使って!」


走りながら僕は叫ぶ。


「つ、使うってどうすればいいんだよ!?」


「思いっきり振り上げて、思いっきり振り下ろすんだ!」


細かく説明している暇はない。


フーゴは言われた通り、ピヨすけから受け取ったモノを――【妖精の指揮棒】を振り上げる。


めきめきめきと大きな音を立てて、森に根を張った周囲の樹木が引き抜かれる。


フーゴがそれを振り下ろすと、腕の振りと同じ速度で巨木が叩きつけられる。


まさに重量と物量の暴力。あくまでコウモリとして大型でしかないナイトストーカーにその力に耐えられるはずもなく、あえなく木々の山に潰される。


そして何とかその攻撃をかわし切った幸運なナイトストーカーがいたが――次の瞬間、僕が背後から刺し貫く。


炎熱の刃で焼かれ、最後の一匹が絶命した。


これでもう、町の人が襲われる心配はない。


僕は安堵のため息とともに剣を鞘に納める。その一方で、フーゴが呆然としていた。

そういえば、彼にとっては初めての実戦だったはずだ。


剣に噛り付いてきた魔物への恐怖。自分が振るった神器という力の恐ろしさも、簡単に咀嚼できることではないだろう。


「フーゴ!」


でも僕は、そのことを踏まえても彼に前を向いて欲しかった。


顔をあげるフーゴに、僕は拳を突き出す。


「やったね、僕ら」


フーゴはしばらくまじまじと僕の様子を見つめていてたが、やがて同じように手を突き出して拳をぶつけ合った。


その表情は、いつも通りの笑顔だ。


「おう、やってやったぜ!」

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