第16話

アルゴニア大陸ガルウリム王国の北部――オードランゼン


この地域は比較的気候が安定していて、牧歌的な風景が広がっている。


馬車に寄りかかってぼんやりと街並みを眺めていた僕は、不意に声をかけられる。


「騎士様、これどうです?」


いそいそと歩いてきたお婆さんが、かごに入った黄色いものの山を見せる。


この国ではポピュラーな柑橘系の果実だ。


「みずみずしくて良いマンダレですね。おいしそうだ」


「でしょう? 今日もぎ取ってきたばっかりですから。さ、どうぞ貰ってください」


「え? いや、そんなわけには」


一応、騎士は任務中に施しを受けてはいけないことになっている。


しかしそんなことは知らないお婆さんは、いかにも無邪気そうにマンダレの実を押し付けてくる。


「どうぞどうぞ、遠慮なんかしないで。毎年うちの木はたくさん実らせるものだから、よく近所に配ってたんですよ」


「は、はあ。……わかりました。では少しだけ頂いてしまいますね」


流石に純粋な好意をむげにはできず、人数分だけ貰っておくことにした。


「それにしても、騎士様方が来てくれて本当にホッとしました。このあたりに人食いの魔物が住み着いたと聞いてもう怖くて怖くて」


「その話なんですけど、この町でも被害はあるんですか?」


「いえ、なんでも森の中に住み着いているとかで、町の中までやってくることは流石にないですねぇ」


「こういってはなんですが、そんなに不安がる必要はないのでは? 森は街道からも遠いですし」


「……街道沿いを行くと馬を使っても王都まで三日はかかるでしょう? 森の中を突っ切れば一晩で着くので、昔はよく使われてたんです」


お婆さんは憂いのこもったため息を吐く。


「数日前も、熱を出した娘のために若い衆の一人が森を通って行きました。無事についていればいいんですがねえ」


「……」


「あらやだ、騎士様を困らせてしまいますね。ではこれで失礼します」


そう言って一礼し、お婆さんは去っていった。


僕はその人を見送ったあと、つい森の方角へ目を向けてしまう。


魔物退治とはいうものの、どんな魔物かは不明らしい。


ただときおりその森で人がいなくなり、数日して食い残しのような死体が見つかるのだ。


最初は野犬かなにかと思われていた。しかし調査に出た十人前後の自警団が一晩で全滅し、これはただ事ではないという話になったらしい。


――そこまで危険と分かっていても、森の中を通って行く人は少なくないようだ。


「おーいエルマー!」


考えふけっていると、またまた呼びかけられる。


しかしこの声は知っていた。


「フーゴ、野営用の物資は調達できたの?」


「おう。どうぞ貰ってくださいって感じだったわ。ま、町民からすりゃ待望の騎士様だもんな。当然よ」


随分ちやほやされたらしい。彼は荷物を抱えながら満面の笑みで戻ってきた。


「フェリックスさんは?」


「ちょっと別行動。こっちに知り合いがいるとかで、その人の話を聞きに行った」


「へえ、顔が広いんだね。任務地に偶然顔見知りがいるなんて……」


「そうなんだよ! 持ってるっつーか、人望に恵まれてるっつーか、やっぱ自慢の兄貴だぜ!」


「ははは……」


この任務は、裏の事情があるとはいえ正式な狼王騎士団の魔物退治。


流石に僕とフェリックスの二人旅ということはないだろうと思っていたが、彼はなんとフーゴを――自分の弟を同行者に指名した。


明らかなる身内びいきなのだが、まあ今回は見て見ぬふりをすべきだろう。


こっちとしても団員内で話せる相手はフーゴぐらいなので、下手な騎士よりはありがたかった。


「はいこれ」


「マンダレの実? どうしたんだこれ」


「町民のお婆さんからの差し入れ。遠慮せずどうぞって」


「そりゃありがたい。ちょうどのどが渇いてたんだ」


フーゴは分厚い皮のあるマンダレをそのまま二つに割り、その断面にしゃぶりついた。


口元が汁で汚れるが、まったく気にした様子はない。


「あーっ。染みわたる」


「豪快だなあ」


僕はナイフを使って皮をそぎながら食べる。


酸味と甘味の交じり合った爽やかな果汁が、口いっぱいに広がった。


「……美味しいね」


「だな!」


「思ったんだけど、ここって土地が豊かだよね。この実もそうだけど、みんな稼業のほかに野菜とか果樹を育ててるみたいだし」


「そんなの普通だろ? うちのところでもこういうことしてる領民は多かったぞ」


「ノクスハイム領ではあまり見かけなかったんだけど……。せいぜいが修道院で薬草を育ててるぐらいで」


「ふーん。そっちは貧しかったんだな」


あまりにバッサリと言うので思わず倒れこみそうになった。


そりゃないだろう。僕がそう言い返そうとすると


「フーゴ、失礼なことを言うな」


いつの間にか戻ってきたフェリックスが、フーゴの頭にゲンコツする。


「ア痛っ!」


「不作はノクスハイム領に問題があるわけじゃない。隣国クレイクランから来る砂塵の影響をもろに受けてしまうのが原因だ」


フェリックスはそのまま解説を始める。


そう、ノクスハイム領はクレイクラン国との国境沿いに広がっている。


砂漠の国とも呼ばれるクレイクランから来る風には、時に害のある砂が混じっていた。


それが土の力を衰えさせ、植物が十分に育たなくなるのだ。


「へー、大変だな。あっちの国に文句言ったりしないのか?」


「うん……。文句言って解決する問題じゃないからね。食糧問題で言えば、クレイクランのほうこそ苦しい状況だろうし」


「そうだな、その点はガルウリムが恵まれている。我らが豊穣の女神に感謝だ」


フェリックスがマンダレの実を手に取り、二つに割ってかぶりついた。


「うん、美味い」


いかにも美男子のくせに、食べ方は兄弟共通のようだ。




その後、僕らはくだんの森に入って拠点を作る。


もちろん、拠点と言っても火を起こす場所と簡単なテントを作っただけだ。


「まず確認しておこう。今回の任務において与えられた日数は十日だ。ここに現地に来るまでの日数、そして帰還までの日数を含めると、あまり長くはいられない」


「でもこの森は広い。住処も分からない魔物を探すのは長期戦になりますよ」


「そうだね。だからこそ迅速に事を進めなければならない」


「で、これか……。それにしてもすごい臭いだな」


フーゴが視線を落とした先には、家畜数頭分の獣脂の山があった。


ある種の忌避剤が塗布されていて、獣臭さと刺激臭が入り混じっている。


通常の肉食動物はこれを避けて通るが、特定の天敵を持たない魔物には効果がない。

おびき寄せるための格好の餌となるわけだ。


「フーゴ、騎士にはこういう泥くさい仕事もあるんだ。いちいち文句を言っているようでは大成できないぞ」


「う……でもそう言われても。エルマー、お前だって嫌だったよな?」


「え? いや、僕は荷運びの間に慣れたよ」


「マジか……」


「こら、仕事はここからだぞ? こいつを罠と一緒に森の各所へ仕掛ける。三人いるから手分けして行おう」


フェリックスは一抱えほどある獣脂ブロックを持ち上げ、何個か肩に背負う。


騎士としての力があるぶん人より力持ちだが、数は多いので何度か往復することになるだろう。


「罠にかかってくれるのが一番だが、重要なのは正確な縄張りを把握することだ。本格的な探索はそこから始める」


「もし仕掛けている途中で魔物に襲われたら?」


「万が一襲撃を受けた場合は、できるだけ一人で戦おうとせず、応援を呼ぶこと。呼子笛を配るからもしもの時はこれで連絡を取ろう」


そう言って、フェリックスから紐でくくられた笛を手渡される。


確かにそれぐらいしか方法はないだろう。


だが音の聞こえる範囲はたかが知れている。自分はまだしも、魔物が他の二人に向かわないといいのだけど。


「じき日が暮れてしまうな……。各自、罠の配置場所は頭に入っているな?」


「はい」


「もちろん!」


「よろしい、では始めよう。警戒を怠らずことを進めるように」


そう言ってフェリックスは、獣脂を肩に背負ったまま森の奥へ消えていく。


フーゴも、兄を見習ってか張り切って獣脂のかたまりを担ぎ上げる。


「じゃ、俺も行ってくるぜ!」


僕が手を振って返すと、彼も自分の持ち場へ向かって走り出した。


僕もすぐに自分の分をこなさなくてはいけないのだが――


「ここはちょっとズルさせてもらおうかな」


僕はこっそり忍ばせていたものを道具袋から取り出す。


それは【妖精の指揮棒】だ。


指揮棒を軽く振ると、十数個ほどある大きな獣脂の塊が、空中にふわりと浮く。


何かの役に立つかもと思い、利便性の高い神器を持ち込んでいたのだ。


「重さはともかく、かさばって困るからね」


獣脂の塊を空中に浮かせたまま、僕も罠の配置場所に向かって走った。


指揮棒を持つ腕さえ固定しておけば、浮かせた物品も走るのと同じ速度でついてくる。


おかげで僕は、かなり早いペースで罠の仕掛けを設置することができた。


拠点に戻ると、ちょうどフーゴも帰ってきたところのようだった。もっとも彼は一つ目の仕掛けを設置しただけで、もう何周か往復する必要があるようだったが。


「ええェ、何でもう終わってるんだよ」


「いやあ、なんでかな」


「さてはアレだな? 前の剣を曲げたやつみたいに何か特別なことしたんだな?」


大正解である。


それはそれとして、今回はしらばっくれることにした。


あまり何度も神器の力を見せると、余計な迷惑をかけてしまいかねない。


「ったく……。まあいいけどな! 兄貴は実力でほぼ同じペースみたいだし」


「えっ……?」


残っている獣脂と罠の数を確認すると、確かにフェリックスの分が綺麗になくなっていた。


ここにいないことも踏まえて考えると、すでに最後の分を仕掛けに行っているということになる。


普通のペースでは無理なはずだが――


その時である。


「ん? この音……」


フーゴと僕の耳に、何かが響く。


笛の音だ。


魔物に襲われた際に鳴らせと言われた、あの呼子笛の。


「兄貴!」


走り出したフーゴを追うように、僕も地面を蹴る。


フェリックスの紋章はすでに確認している。もしかしたら一分目、二分目程度の色はついているかとも思った。


だがあの次期総団長と名高い騎士ですら、水瓶の紋章は真っ白だった。


未知の魔物に襲われたなら、敗れることも十分ありえる。


僕らは走り、やがて森の中の開けたところに着いた。


フェリックスはうつむき、座り込んでいた。


周囲にはたくさんの死体がある。小柄だが筋肉質な人型の魔物、ゴブリンのものだ。


唖然とする僕たちの前で、フェリックスがゆっくりと顔をあげる。


「やあ……来てくれてよかったよ」


その表情はいつもの優雅な笑みのようで、どこか嘲笑めいたところがあった。


「このあとどうしようか困ってたんだ。任務達成の報告は身体の一部を切り取るだけで済むだろうが、魔物の死体を放置するわけにもいかないからね」


「フェリックスさん……これは、貴方一人で?」


「ああ、もちろんだよ。やはりこの笛は実際の任務では役に立たないな。戦闘中は吹く暇がなかった」


そう言って呼子笛を引きちぎり、死体の山のほうへと捨てた。


しばらく無言のままだったフーゴが、歓喜の声をあげてフェリックスに近付く。


「すごい……やっぱりすごいよ兄貴! たった一人で魔物を見つけて、それを俺たちがいない間に倒しちまうなんて!」


「ははッ、見つけたのは偶然さ。しかしそうだな、ここらで人を襲っていた魔物というのはこのゴブリンたちで間違いないだろう」


フーゴの頭を撫でてやりながら、視線はこちらを向いている。


「となるとこれは困ったな。せっかくエルマー君がいたのに、彼は魔物退治になんら貢献していないことになる」


フェリックスは今度こそ、してやったりといやらしい笑みを浮かべる。


――なるほど。


僕はようやく、自分がまんまと策に乗せられたことを理解した。



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