第13話

冥城エリュズニルの探索は、ついに三階層に達することになる。


初めてこのダンジョンに来た時はやけっぱちの気持ちで、場当たり的な運に助けられたようなものだったけど、今はちゃんとこころざしもある。


少しは心構えをもって進める気がした。


ただ――


「この階層、すっごい静かだな……」


この階に来てからしばらく探索を続けているが、まったく魔物に出会わない。


一階では突入して早々タランチュラと戦闘になったから、こっちでも同じような洗礼を受けるものと思っていたが、大きく予想をくつがえされた。


「……神器の反応だけ確認しとこうっと」


そっと【神器大鑑】を取り出し、ページを開く。


独り言は無意識のうちに小声になっていた。


静けさに影響されてか、なんとなく僕自身も大きな音を出さないようにと気をつかってしまうみたいだ。


結局その部屋では神器の反応はなく、僕は次の扉を開く。


三階層の探索はまだまだ序の口だが、どうもここは比較的狭い空間が続くようだ。

部屋のイメージとしては、客室や書斎のような場所だろうか。家具や部屋の装飾になる置物も多い。


――と、その中の一つに【神器大鑑】が反応を示した。


棚の上に置いてあった細長い小箱。開くとそこに、杖のようなものが入っている。



【妖精の指揮棒】

いたずらを好む妖精たちの力が宿った指揮棒。

振ると目の前にあるモノを宙に浮かせることができる。

この力は大きさ、重さに問わず、生き物以外ならば自由に操ることができる。

ただし地面に埋め込まれたもの、何かに縛られているものを解放することはできない。

自由にできると言っても、所詮は小さな妖精の力である。



「ふうん……物を浮かせる道具か」


大きな資材を運ぶときなんかには労働力の代わりになるだろうか。


神器を献上するときは「どんな利用価値があるか」を問われるので先に答えを考えておかなければならない。


実際、神器にはどんな価値があるのかよく分からないものも多いのだ。


「ちょっと試しておこうかな」


置いてあった棚に向かって、【妖精の指揮棒】を振る。


棚はふわりと浮き上がり、指揮棒の動きにしたがって動き回る。ぷかぷか、ぷかぷかと。


使えるかどうかはともかく、ちょっと楽しい。


「よっ……ほいっと……あっ!」


調子に乗って部屋の中で振り回していたら、少し力加減を間違えて壁にぶつけてしまった。


思わず指揮棒を執る腕も止まり、そのまま大きな音を立てて棚が床に落ちる。


――そして、その瞬間のことだった。


棚の引き出しが開き、何かが飛び出してくる。


「!?」


顔面へ一直線に向かってきたその『なにか』を、僕は寸前で回避した。


ほほに一瞬鋭い痛みが走り、刃物のようなものがかすったことを理解する。


なんだ? 仕込みナイフでも仕掛けられていたのか?


そんな考えが頭をかすめるが、すぐ背後から気配を感じ、はっとした。


これは魔物だ。


もう一度飛び込んでくる。そう感じた僕は、今度は避けようとせず、振り向きざまに手をかざす。


火礫ひれき!」


さっきと同じように突撃してきたその魔物は、自分から火球に飛び込む形になる。


勢い負けしてはじけ飛び、壁や他の家具にぶつかりながら最後には床に叩きつけられる。


僕はその時ようやく魔物の姿をちゃんと見ることができた。


コールタールのようなどろどろとした粘性の液体。それが生物のように脈動している。


今もこちらを威嚇するように激しく身体を波立たせていた。


明らかにスライム種。それでいて、棚の引き出しなんて狭い場所に潜んでいたこの魔物は――


「ミミックか!」


だが僕がそれに気が付いた時には、すでに次の局面が迫っていた。


視界の端で何かが――否、部屋中から魔物が飛び出してきた。


花瓶の中から、くずかごから、ベッドの下から、ガラス張りの展示品から。


隠れていたミミックが、一斉に現れた。


彼らは身体の一部を鋭いかぎ爪のような形に変化させ、僕に襲い掛かってくる。


「――っ!?」


これはいくらなんでも多勢に無勢だ。


僕はこの部屋から背を向けて、一目散に退散する。


前にアリーおばさんが言っていた、縄張りの話を思い出す。


『ドアが一つの区切りになっていて、逃げる時は二、三度ほど前のドアに戻れば追ってこなくなる』


つまりもとの道を逆走すれば、彼らも本来の部屋に戻っていくはず。


だがその予想は、意外な形で裏切られた。


一つ前の部屋に戻った時点で、その場からもミミックが無数に湧き出したのだ。


「まさか、これまでの部屋も全部!?」


そう、おそらくずっと隠れていたのだ。


物の多い小部屋ばかりだったのは、そこにこの魔物たちが潜んでいるから。


そしてこの騒ぎで、通過する部屋のミミックたちが一斉に覚醒した。


「じょ、冗談だろぉぉお!?」


僕はとにかく逃げ続ける。


一つの部屋を通り過ぎれば、また別の部屋へ。


しかしそこでもまたミミックたちが湧き出て、襲い掛かってくる。


まさに地獄絵図だ。


「こ、これじゃあどこまで逃げてもキリがない!」


純粋な物量に加え、彼らの恐るべき反応速度。


僕は走りながらも、じわじわと追い詰められていた。


しかしそこに最後の希望が現れる。


もう何個か先の部屋の向こうに、自分が昇ってきた階段が見えた。


アリーおばさんの話が正しければ、普通の魔物は階層をまたげない。だから階段付近は唯一の安全地帯のはず。


あそこまで逃げ切れば――


「こっ、小走り紅蓮脚ぐれんきゃくぅ!!」


足の裏で小さな爆発を起こし、よろめきそうになりながらもスピードアップを図る。


ミミックの集団が背後に迫る。


その爪で背中に届く寸前、ついに階段のある廊下まで戻ってきた。


僕はどうだ、とばかりに振り返る。


恐らく、本当にギリギリだったのだろう。


床に壁、天井。扉のふちギリギリのところで、触腕を伸ばしたミミックがのたうっていた。


それからしばらくはお互いに警戒していたが、やがてミミックたちは自分の住処に戻っていく。


僕はそれを確認して思わず安堵の吐息をもらした。


ミミックは地上でも多くの人の命を奪っている危険な魔物だ。


森や洞窟などではなく、好んで人里に降りて来る。そして貯蔵庫の樽などに潜み、様子を見に来た人間を殺しては住処を変える。


スライムの一種だと分かったのは最近で、かつては箱と一体化した大口の化け物のように語られていた。


特徴はその恐るべき瞬発力と、身体の一部を硬化して鋭利な爪や棘にする能力。


その鋭さは鉄の鎧を容易に引き裂くほどだという。


不意打ち上等。なおかつ一撃必殺。


一見矮小な魔物だが、僕も最初の攻撃を避けられなければあっさりやられていたかもしれない。


「……ふぅ」


呼吸が整ってきた。


逃げ帰ったとはいえ「今日はもう戻ろう」と考えるほど臆病者じゃない。


このダンジョンを進む以上、命の危機は承知の上。


何度でも再挑戦してやる。


僕は再び部屋の前に立った。


ミミックたちの姿は見えない。すでに隠れてしまっているようだ。


だがこの魔物たちの厄介なところは死角から先手を打たれることであり――すでに隠れているのが明白ならこっちが先手を打てばいいのだ。


流炎るえん!」


扉の前から部屋全体に向けて、勢いよく炎を放出する。


彼らが隠れているであろう家具や調度品ごと、まんべんなく熱で焼き尽くす。


ミミックたちもこれには動揺したのだろう。飛び跳ねるように姿を現し、炎の届かない場所を探す。


そこを一閃。


「はあっ!」


炎の剣がミミックを両断する。いかに動きが早かろうと、無造作に飛び回るだけなら斬るのは容易い。


一部の軟体生物がそうであるように、ミミックを含むスライム系の魔物は身体の九割以上が水分でできている。


そのため急激な体温変化に弱く、実のところ僕の炎操作能力とは相性最悪なのだ。

部屋中を焼き尽くした後、続く通路に目を向ける。


ミミックたちはもう隠れていなかった。焼き殺されることが必至となれば、そのまま隠れているほど暢気ではないということだ。


鋭利な触腕をこちらに向け、迎撃態勢を整えている。


僕は周囲に残る炎を集め、自分の身に纏わせる。


熱の鎧と、炎の剣。こちらも準備は万端だ。


ぼくはゆっくりと部屋の向こうへ歩を進める。


「さあ、ここから挽回だ!」

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