第10話
王都でも城の外周に近いこの通りは、いわゆる貴族街だ。
邸宅はもちろん、立ち並ぶ店も厳しい審査を受けている。平民なら歩いているだけで衛兵に注意を受けるだろう。
もちろん僕は貴族出身なのでここを通っても問題はないのだが、なんとなく居心地の悪さは感じていた。
街行く人も街並みも、気位が高すぎてちょっと息苦しい。
「えっと……ここかな」
それらしい屋敷を見つけ、僕は立ち止まった。
荷馬車が止まっていたので、もう家族のみんなはここに集まっているだろう。
緊張しながら、僕はドアをノックする。
開いたドアの隙間から、チラリと可愛らしい栗毛が見えたと思ったら――僕はそのまま押し倒されていた。
栗毛の主は僕の双子の妹だ。二人は僕を下敷きにして、涙目でまくしたてる。
「お兄様! お兄様よね!? ちゃんと目も鼻も口も耳もある? あっ、足はあるわ! じゃあ幽霊じゃないのね!?」
「お兄様、私たちとても心配したのよ! 騎士になるために家を出て行った時も悲しかったけど、そのあとに捕らえられて、恐ろしいダンジョンに放り込まれたって聞いた時は心臓が口から飛び出しそうだったわ!」
「お願いだからもうどこにも行かないで! 無事でよかったけど、これ以上怖い思いはしたくないわ! お兄様は大事なお兄様なんだから!」
「そうよ、もう騎士なんか止めて帰りましょう! 私、ここもなんだか怖くてしょうがないの。王都より住み慣れた故郷のほうがきっと安心して暮らせるわ!」
僕は矢継ぎ早に飛び込んでくる言葉の雨に、ついなつかしさを感じて顔を緩ませてしまう。
だが再開の喜びに浸るのは後にしよう。
「レーナ、レーネ……ちょっとだけ落ち着いて。大丈夫だから、まずは起き上がらせてくれないかい?」
そういうと二人ははっとして僕の上から飛び退く。
僕の手を引っ張って身体を起こすのを手伝ってくれた後、しゅんと頭を落とす。
「ごめんなさいお兄様、ずっと玄関で来るのを待ってたから気持ちが抑えられなくて」
「そうなの。お兄様が来ると聞いてずっと待ってたのよ」
「そっか、心配をかけたね。でも今度からは気をつけなきゃダメだよ。もし僕以外の人だったらビックリしてただろうからね」
二人は「はーい」と声をそろわせる。
レーナとレーネ。目に入れても痛くない最愛の妹たちだ。
一度はもう会えないと覚悟しただが、またこうして可愛い姿を見せてくれる。
それだけでも地上に帰ってきた意味があった。
「おい、あまり騒がしくするなよ。ただでさえ悪目立ちしているんだから」
コンコン、とドアを内側からノックする音。
気が付けば屋敷の中からもう一人、玄関まで来ていたようだ。
黒く染めた髪に眼鏡をかけた長身の男――僕の兄、アレクシスだ。
「まあ! なんで部屋の中で待っていてくれなかったの?」
「そうよ! お出迎えは私たちがするって約束したじゃない!」
「大分待ったはずだが。ところでお前たちは、出迎えの相手をいつまで屋敷の入口にとどめておくつもりだ?」
皮肉っぽく叱咤され、二人は頬を膨らませた。
アレクシス兄さんは無言の主張も意に介さず、そのままレーナとレーネに部屋へ戻るよう言いつける。
そこで僕も、ようやく屋敷の中に招き入れられた。
「まったく、あれにも困ったものだな。子どもっぽさが中々抜けきらん」
「あはは……アレクシス兄さんがしっかり者だから、のびのびと育ったんだよ」
「……ではエルマー、お前の破天荒さも俺が原因か?」
ジロリ、とこちらを見る。
その目を向けられると、僕としてはとても弱い。
「その、迷惑したよね。僕のことで色々」
「ああ。弑逆者の紋章? だったか。随分な汚名を着せてくれたものだ」
アレクシス兄さんは、自分に厳しく他人に厳しくという性格の人だ。
ノクスハイム家に泥を塗った僕に対して、ひどく失望していることだろう。
「……ごめんなさい。僕が騎士になりたいだなんて言うから」
「そうだ。俺は前々からそのことについて反対していた。戦いに赴く仕事など危険なことこの上ない。お前が死んだら皆がどれだけ悲しむと思っているのだ」
「……え?」
予期せぬ言葉が返ってきて、つい聞き返してしまった。
兄さんはそれには答えず言葉を続ける。
「官職についている知り合いに聞いたぞ。お前は自分の命を代償に、ノクスハイム家への便宜を要求したらしいな」
「いや、それは命がどうというより、ダンジョンに向かわせてほしいと言っただけで……」
「同じだ馬鹿者。自ら生きる道を捨ててどうする。お前を犠牲に生き永らえたとして、家族がそれを喜ぶと思ったか」
真剣な、あまりにも真剣な目だった。
今まで僕に向けられてきた偏見のまなざしなど、まったく些細なものと思えるほどの。
それは長く培われた日々によって裏打ちされた、揺るぎない肉親の情だ。
「あのさ。もし僕が死んだら、兄さんも悲しんでくれた?」
「答えの明白な質問をするな。悲しいに決まってる」
「ごめん、そうだよね」
僕は不安だったんだ。
ここまで悪名が広がった僕を、家族が受け入れてくれるか。
でもその不安の、なんと小さかったことだろう。
僕が家族のみんなにかけた心配に比べれば、そんなもの気にするのだって馬鹿馬鹿しい。
「まったく、お前は物事を考えすぎるきらいがあるな。……まあいい。はやく母上に顔を見せてやれ。ずっとお前を待っていたんだ」
「うん!」
アレクシス兄さんに連れられて、寝室へと向かう。
そこには先に来ていたレーナとレーネ、そしてベットから身体を起こした優しい母の姿があった。
「久しぶりね、私のエルマー。元気そうで安心したわ」
「母さん……」
僕はベットのそばに歩み寄り、そっと手をとった。
母さんはもう何年も前から心臓の病を患っていた。きっと故郷からここまで来るのにも、相当な負担があったはずだ。
「具合は大丈夫なの? 無理に体を起こさないでいいよ」
「あら、最近は随分楽なのよ? 週に何度かは散歩に出かけるぐらい」
「適当なことを言わないでくれ母上。散歩に出かけようとしては発作で倒れかけてるだろう」
アレクシス兄さんがやや強い口調で訂正する。
母さんはおどけたように舌を出してごまかすが、あまりいい状態でないのは伝わってきた。
「……ここ、ちょっと殺風景だよね」
僕は部屋を見回してそう言う。
「え? まあそうね。引っ越してきたばっかりだから」
「ちょっと面白い花の種を手に入れたんだ。植木鉢はある?」
「鉢だけなら荷物の中にあったわ。レーナが取ってくるから!」
「あっ、待って! レーネも取ってくる!」
とたとたと双子の妹が走っていく。
数分後、土を入れた鉢が部屋に持ち込まれた。
僕はその植木鉢に持ってきた種を入れて、日の当たる窓際に置く。
するとすぐさま土の中から芽が出て、数秒後には一輪の花が咲いた。
「あら……これはどういう手品なの?」
「こっちに来て見つけた、とても生命力の強い花だよ。太陽の光さえあればずっと花をつけてくれるんだ」
「すごい! とても不思議な花ねレーネ」
「ほんとねレーナ! 王都には私たちの知らないことがたくさんあるんだわ」
「……」
母と双子の妹たちはそろって感心する。
唯一アレクシス兄さんだけはこちらを睨んでいたが、それはあえて黙殺した。
そう、これは当然普通の花ではない。
名を【病断ちの日向草】という神器だ。
【病断ちの日向草】
昼の内に陽光から力を集め、夜の間に眠っている人に分け与える植物。
太陽の光は人の生命力を活性化させる。
健康な者はより健康に、病を患う者にはそれを治す助けとなる。
重い病ほど治るのに時間がかかるが、辛抱強く続ければやがては普通の人より丈夫な身体になるだろう。
確か【神器大鑑】ではこのように書かれていた。
エリュズニルの二階に備蓄してあった、人を癒すための神器の一つだ。
母の病気は小さい頃からの心配事の一つだった。不治の病と聞いていたが、神器の力ならば完治も夢ではないはずだ。
「では、そろそろ本題に入っていいか?」
こほん、と咳払いをしてアレクシス兄さんが真面目な表情で言う。
全員が兄のほうを向いた。
「俺たち家族は国王の命で王都へと呼び寄せられた。邸宅やその他の計らいもして頂いたが、察するに裏の目的は――」
「――人質、だよね」
僕の言葉に、兄さんは頷く。
「ノクスハイム領は王の息がかかった貴族が引き継いでいる。使用人たちも新しく用意すると言われて解雇を強いられた」
「そんな……」
「おそらくこのあと来る執事は監視役を兼任しているだろう。……父上がいればもう少し上手く立ち回れたんだろうが、俺の力では手が出せなかった。すまん」
アレクシス兄さんは苦い表情で頭を下げる。
母さんが気を遣うように声をかけた。
「あまり思いつめないで。お父さんもじきに戻ってくるわ」
父さんは主に出入国を管理する官僚だ。その性質上、各地方を回って家を空けることが多い。
――母さんはああいったが、おそらく父さんにも監視がついているはずだ。合流は当分難しいかもしれない。
「それと、気になるのはレーナとレーネのこともよね」
母さんは次いでそんなことを呟いた。
「二人がどうかしたの?」
「実は、王都にいる間王宮でお手伝いをするよう仰せつかっているの」
「そうなの。私たち末の王子様のお世話をしなさいって言われてるのよ。冗談じゃないわ」
「本当よ。だってあの方って乱暴でイジワルだとみんなが言ってたもの」
「もう、またそんなこと言って……」
末の王子というと、フロレンツ殿下のことだろうか。
二人よりも少し年下で、確かに癇癪持ちだとかであまりいい話を聞かない。
僕らのような中流貴族にとっては王家の使用人という仕事も厚遇ではあるが――
その場合おそらく王宮の住み込みで、屋敷に帰ってくることは少なくなるだろう。
「俺も、そのうちどこかの貴族に代官として雇われることになると思う」
「みんなバラバラになってしまうのよね……。私も心配だわ」
「バラバラ……」
きっとそれも、国王ジーモンの計画の内なのだろう。
僕がこの世で一番大切に思っているのは家族だ。
そしてそれを王も知っている。最初にダンジョンに行く際に、条件として家族の保証を求めたのは僕自身なのだから。
招きならがらも分断し、優遇しながらも監視する。
未だ不安要素のある僕という駒に対しての、安全策の一つといったところだろうか。
王に従うと言った以上、これに反抗するわけにはいかない。
――とはいえ黙って何もしない、という選択肢もなしだろう。
「……そうだ、レーナとレーネにもプレゼントがあるんだった」
「え? お兄様何かくれるの?」
「あらお兄様、嬉しいけど私たち何もお返しできないわ」
「お土産みたいなものだからさ。ほら」
そう言って二人の前に小さな小瓶を出す。
キョトンとする姉妹だが、母さんは中身に気付いて興味を示す。
「それは……もしかして香水かしら」
僕は頷いた。
これは香水だ。付け加えるなら神器の、だが。
【博愛のアロマ】
人の魅力を引き出し、より強く相手に印象付けるための香水。
この匂いを嗅いだ者は持ち主と自然に親しくなる。
芳しい香りは人の心のとげを抜き去り、悪印象を洗い流すからだ。
ただしこの香水で繋ぎとめられるのは親しみまでであり、恋に落とすほどの力はない。
「王宮に入るってことはいっぱしのレディになるってことだからね。これでちょっとしたおめかしぐらいはできるよ」
「お兄様、私たち王子様のお世話係は嫌だって言ったじゃない」
「きっといじめられるのよ。『なんてダメな侍女たちだ!』って。目に浮かぶようだわ」
震える二人を、僕はできるだけ優しく抱きとめる。
「そんなふうに会う前から決めつけちゃダメだよ。僕はいま街中の人から嫌われてるけど、二人は僕のことを悪い人間だと思うかい?」
「「そんなわけないじゃない!」」
「そうだね、じゃあ王子様も同じかもしれない。悪い噂のせいで苦しんで、それでちょっと機嫌が悪くなっただけかもしれない。そう思うことはできない?」
二人は僕の言葉に顔を見合わせて、少し考える仕草を取った。
「うーん。もしそうなら可哀そうだわ」
「そうね。仮に、もし本当にそうなら慰めてあげなきゃ」
「いい子だ。二人は要領がいいから、きっと王宮でもうまくやれるよ。大切なのは、笑顔で受け答えすること。二人の得意技だね」
そういうと、さっそく可愛らしい笑顔を見せてくれる。
人質なのだから、逆に言えばすぐに手を出されるわけではない。
王宮の中に味方を作っておけば、もしものことがあったとしても、二人を守る助けになるだろう。
「エルマーったら、なんだか立派になったわね」
母さんが不意にそんなことを言う。
「そうかな?」
「そうよ。話すことがしっかりしてるし、私たちを不安がらせないように、っていう気持ちが伝わってくる」
「はは……」
それは伝わらないほうが良かったのだけども。
だけど母さんは冗談や皮肉ではなく、純粋に僕の成長を喜んでくれているようだ。
「ここであなたに起こったこと……それは多分大変な出来事だったんでしょうけど、今のあなたはちゃんとそれを消化しているのね」
「うん。自分に起こったことの全てが悪いことだとは思ってない。これから先も色々あるだろうけど、後悔せずにやっていけたらいいなって思ってる」
「そっか。これからもダンジョンに行くんだものね……。いつも全員では会えないかもしれないけど、休みの日はちゃんと戻って来なさい。母さんに元気な姿を見せるのも、息子の仕事よ」
「――はい」
懐かしい、母さんの柔らかい笑顔。
僕は今ここにる自分の幸運を噛み締めるように、小さくうなずいた。
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