第9話

僕がエリュズニルから帰還して、一週間が経った。


国王ジーモンはまず王都で盛大な祝宴を催し、僕が持ち帰った神器を各地の有力者や民衆にも公表した。


露店の賑わう広場に突然巨大な王の彫像が建ったときは、みんな揃って腰を抜かしたものだ。


非人間扱いだった僕も、神器という成果と王の積極的な姿勢もあって、ひとまず他人から罵声を浴びることはなくなった。


とはいえそれは表面上のこと。僕のことを快く思わない人間はたくさんいると思う。


特にここ――狼王騎士団ではなおさらだった。


「……」


早朝、僕は騎士団宿舎の屋内訓練場にいた。


別に身体を動かしているわけじゃない。心を静め、瞑想していた。


【不滅の種火】によってもたらされた炎を操る力、これをより高めるには精神のコントロールが大切らしい。


だから人の来ない朝早くに、ここで修行をするのが日課になっていた。


僕の今の肩書は、『階級を持たない騎士』だ。


任務はほぼダンジョン探索のみとなるので、他の騎士との接点はあまりない。かといって騎士でないわけではない。


その曖昧模糊とした立場が、とりあえず保留、という形のまま放置されている。


だからか、同じ騎士でも僕と接する相手の様子は様々だ。


腫れ物のようにして、極力関わらるまいとする者。


今も疑いを抱き、監視するように目を光らせる者。


徹底して無視を貫く者。


他にも――


「おい偽騎士! 訓練場で居眠りか!?」


「……」


ゆっくりと目を開く。


目の前には三人の男がいた。うち二人は新人いびりで悪名高い年配の騎士だ。名前は確か、ダミアンとデニス。


「眠ってるわけじゃない。訓練中です。」


「部屋の真ん中であぐらかいてるだけで強くなれるのか? そりゃ面白い。なあダミアン、俺たちもご教授願おうか?」


「はん! そんなんで何が鍛えられるってんだ! 偽騎士のエセ兵法なんざゴメンだね!」


「違いねえ!」


静かな大広間に、二人のやかましい笑い声が響く。


僕は彼らに目をつけられていた。


新人のくせに神器のことで注目されている僕が気に入らないらしく、いつも偽騎士と呼んでは難癖をつけてくる。


どこから情報を得たのか、僕が毎朝ここにいることも知られてしまったらしい。

今度からまた別の場所を探さなくては。


「おいコラ! だんまりしてんじゃねえよ。新米のくせに訓練場を占領しやがって、覚悟はできてんのか?」


「……今まで人が来なかっただけで、別に占領なんかしてないです。邪魔なら出ていきます」


そう言って横を通り過ぎる。


僕としてはさっさと会話を打ち切りたかった。だが、その様子が相手の癇に障ったらしい。


「ちょ、待てよ! おい、ガキ! 捕まえてろ!」


ダミアンの声が飛ぶ。


それを聞いて、少し後ろにいた三人目の騎士に手を掴まれる。


僕はその騎士の顔を一瞥する。その時初めて、彼の顔に見覚えがることに気付いた。


「……フーゴ?」


「あ、えっと……」


彼は気まずそうに視線を逸らす。


フーゴ・ツー・オルティゲン。


紋章が刻まれた日、僕に話しかけてきたあの気さくな男だ。


だが今の彼からは依然のような快活さを感じない。


一度は弑逆者と呼ばれた自分の前だからというのもあるだろうが――


「なんだてめえ、知り合いか?」


「ああ、そういえば同期だったんなコイツ」


デニスがフーゴの頭が鷲掴みにし、背後から乱暴に押さえつける。


「おいフーゴ、お前も偽騎士の仲間か? ああ!?」


「ち、違います。ただ、少し話したことがあるだけで……」


「違わねえだろ! こんな鼻つまみ者と会話したがる馬鹿がいるか!」


「コイツ、最初の頃随分と粋がってたからな。――オラ! もう一度教育してやろうか!」


「うっ……ぐあっ!」


今度はダミアンがフーゴの腹を蹴り飛ばし、さらに倒れこんだ彼の身体を踏みつけようとする。


流石に見てられなかった。


「止めろ!」


横合いからダミアンの身体に体当たりし、片足を上げていた彼をすっころばせる。


もんどりうって倒れるダミアンを見て、デニスは血相を変えて僕を睨みつける。


「てめえ! 盾突こうってのか!?」


「今のは騎士の行いじゃなかった。それは見過ごせません!」


「だから、偽騎士がソレを語ってんじゃねえよ!」


デニスは剣を抜いた。木剣ではなく、人を殺せる剣だ。


真っ向から僕に突き付けている。


「騎士のいろはなら、こっちが教えてやるよ。さあ抜きな!」


「……本気ですか?」


「うるせえ! ビビってんのか!?」


ダミアンも起き上がり、こちらも剣を抜く。


「クソっ……だがいい加減はっきりさせたかったところだ。エリュズニルに昇ったなんて嘘っぱちだろ! それを証明してやる!」


「……誉れある狼王騎士としての決闘なら、受けても構いません。ただ――」


「上等だ! あたりどころが悪くても恨むなよ!」


形式や立会人のことを指摘しようとしたが、その前に彼らは襲い掛かって来た。


勿論決闘の礼儀作法などなく、二人同時にだ。


ならこちらも遠慮せずチンピラに絡まれたと思って対応することにした。


「死ねオラアァぁぁぁ!――あ?」


「うりゃああぁあぁぁ!――へ?」


振り下ろされた二本の剣を、僕は一歩下がって避けた。


だが二人が呆然としたのはそのせいじゃない。


まっすぐにスラリと伸びているはずの自分の剣が、根本からグニャグニャに曲がっていたからだ。


まるで熱を加えてねじ折られたかのように。


「な、なんだこりゃ……。さっきまで鞘の中にあったんだぞ」


「お。お前! 何かしたんだな!」


「だったら――どうだって言うんですか?」


僕は改めて、ゆっくりと一歩前に出る。


更に二歩、三歩と距離を詰める。


「その剣じゃもう戦えないですよね。でも僕は違います。エリュズニルで魔物の血を啜ってきた相棒、抜いてもいいんですよ?」


僕の剣の柄や鞘には、拭いきれなかった血錆や煤が染みついている。


二人の装飾ばかりの小奇麗な剣とは大違いだ。


「ひっ……」


「じょ、冗談じゃねえ!」


二人は自分の武器を投げ出し、一目散に逃げ出す。


最初の威勢の良さに反して、実に見事な逃げ足だった。


部屋を出て行くのを見送った後、なんとなく自分の剣を抜く。


「……相棒とか言っちゃったけど、本当はこんなんなんだよね」


僕はエリュズニル一階で折れた剣をそのまま使っていた。刃はないので、ほとんど鞘に引っかけてある棒切れのようなものだ。


「こんな脅しが通用するなんて……なんだかなあ」


ああいう輩を見ていると、自分が抱いていた騎士への憧れが崩れていくようだ。


ただでさえ周りからの目で心が荒むばかりなのに。


ついため息を吐き、剣を鞘に戻す。


ふと顔を上げると、フーゴが目の前まで来ていた。


「……大丈夫だった?」


「ああ、お前のおかげだ。……ごめん、俺、あんなやつの言いなりになってお前のことを」


「いいよ別に。ほら、黒い紋章のことで慣れっこだから」


「……本当に、ごめん」


ちょっとした自虐ネタのつもりだったけど、フーゴは真に受けて自責の念を強くしたようだった。


これは流石に申し訳ない。


「ね、ちょっと座ろう。色々話もしたいし」


そう言って僕たちは訓練場で座り込み、お互いにあの後どうなったかを少し話した。


フーゴは僕が捕らえられたことで少々動揺したものの、入団してからは目標である兄に近づくため奮闘していたらしい。


しかし新米の仕事は雑用ばかりで、鍛錬の暇すら与えられない。


そんな中、あのダミアンとデニスが同じ新人たちに暴行を働いていることを知り、責任を追及するために決闘を申し込んだ。そして――


「そして、ボコボコにされた?」


「ああ。肉体的にも、精神的にも。みっともないよな、あんなに息巻いてた俺が、小悪党の手下してるなんて。これじゃ兄貴に顔向けできねえ」


「……あんまり自分を卑下しないほうがいいよ」


でも、最初の頃と印象が違う理由は納得だ。


騎士団に入って早々、自分の自信をぽっきりと折られてしまったのだから当然だろう。


不運だけど、必要な経験だったのかもしれない。


僕がそうだったように。


「お前はすごいよな。魔物たちとも戦って、あのダンジョンから生きて出られたなんて」


「いや、まぐれみたいなもんだよ。戦うための力をあそこで見つけられたから、なんとかなってるだけだし」


一応、二階のことやこの国の神器のことなど、言わないほうが良さそうな部分は伏せて語った。


ただ、【不滅の種火】の話は隠さなかった。


僕がダンジョンを進むために神器を多少隠し持っていることは、ほぼ公然の秘密となっていたからだ。


「あの剣を捻じ曲げた力がそうなのか?」


「そう。二人の剣はかなり薄刃だったから、少し熱でいじったら簡単だったよ」


「ははっ、まるでおとぎ話の魔法みたいだったよ。英雄が持つ神秘の力ってやつ」


フーゴは僕のほうを向いてはにかむ。


けれどその目は、どこか遠くを見ているようだった。


「俺がくすぶってる間に、お前は冒険をしてきたんだな。苦労してきたお前にこんなこと言っちゃいけないんだろうけど、少し羨ましいよ」


「……ねえフーゴ、あの二人とはもう縁を切ったほうがいいよ。あいつらは君を軽んじているようだけど、君がお兄さんの名前を出せば流石にあんな横暴はしなくなると思う」


「! それは――」


「こんなことを言う僕は傲慢なのかもしれないし、君にとってもそれは恥かもしれない。でもあいつらと関わらずに済むならそうすべきだ」


「……分かってる。もうイジメの片棒を担がされるのはゴメンだ。そう言ってくるよ」


「そっか、よかった」


あのまま卑屈になっていくフーゴは見てられなかった。


彼には前みたいな自信を取り戻してほしい。そしてできれば、仲間と友情を育んで充実した日々を送ってほしい。


強さの代償に忌み嫌われる騎士となった僕には、彼が"もしも"の自分に見えていた。

フーゴは僕を羨ましいと言ったが、僕も普通の生活が羨ましいのだ。


「じゃ、僕はもう行くよ。今日家族が王都に着くことになってるんだ」


「そうか。……俺じゃ役に立てないこともあるだろうけど、何かあれば相談しろよな」


家族が領地を離れてここに来るのは、王からの命があったからだ。フーゴもそれを知っていて何かを察したのかもしれない。


「お前がどう思ってるかは知らないけど、俺はお前が黒い紋章を刻まれたからって、言い伝え通りになることはありえないと思ってたよ」


「それ、今だから言ってるんじゃない?」


「いいや。だってお前、出会った時も今日もバカみたいに純朴そうな顔してるからな。悪いことができる面じゃない」


少し毒気の混じったその激励に、僕はほんの少し救われた気分になった。


「ありがとう。行ってくるよ」


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