第8話

転送場所は、二階の一室にまったく同じものがあった。


神官の代わりはミアや他の魔物たちがつとめてくれるらしい。


「よし、こんなもんかな」


フード付きの外套をかぶり、神器を風呂敷包みにして背負う。


やや怪しい風体になってしまうが、多分何とかなるだろう。


「エルマー様、少しいいですか?」


「ミア?」


こちらの準備が終わったところを見計らって、ミアがかけよってくる。


彼女は手に何か持っていた。


「もしもの時のため、こちらをどうぞ」


そう言って渡されたのは、簡素な首飾りだ。


結び紐はおそらく手製のものだろう。しかしぶら下がっている青い宝石には、なんだか不思議な力を感じる。


「これは?」


「【ほうき星のかけら】という神器です。今行おうとしている転移の儀式――それを簡略化した力がこもっています」


今更だが、人を別の場所に瞬間移動させるなんて、普通の技術ではできないことだ。


この場所自体も神器、あるいはそれに類する力が作用しているのだろう。


「えっ、じゃあこれを使えばすぐに地上へ戻れるってこと?」


「ええ。……あっ、でもまだ使っちゃダメですよ。これは保険ですから」


「保険?」


ミアはこくりとうなずいた。


「地上に帰って、ガルウリムの王があなたを受け入れなかったときに使ってください。一度きりの一方通行ですが、このエリュズニル二階まですぐに戻ってこれます」


「ごくつぶしはお断りなんじゃなかったの?」


「そっ、それはその、ああ言ったのはエルマー様に立ち直って欲しかったからで、でももし作戦が失敗したら私の責任ですし、だから……」


おろおろと慌てるミアに、つい僕は苦笑してしまう。


それを見て彼女はふくれっ面になる。


「エルマー様! 真剣な話ですよ!」


「分かってる。ねえ、それつけてくれない?」


僕が首飾りを指して頼むと、ミアはちょっと驚いたような顔をした。


「わ、私がですか?」


「うん、お願い」


「じゃ、じゃあ、失礼して……」


ミアはやや緊張ぎみに首の後ろに手を回す。


少し身長差があるのでつま先立ちになり、そうするとお互いの顔がよく見えた。


彼女は少し顔を赤くして、恥じらうように視線をそらす。


「多分、この神器を使うことはないと思う」


「私も、よほど王が愚かではない限り大丈夫だとは思います。……思いますけど、危なくなったらすぐ使ってくださいね」


「うん、分かってる。ミアを不安にさせたくないからね」


この神器を使うにしろ、正当な手順で再度ダンジョンに挑むにしろ、もう一度僕が戻ってくるまでミアは何も知ることができない。


いつまでも僕を、あるいは来るかもわからぬ新たな騎士を待つ他ないのだ。


「でも、私は信じています。他の誰かが認めないと言っても、エルマー様は私にとってただ一人の騎士様ですから」


「ありがとう。僕も、君に誇れる騎士であるために頑張るよ」


どちらともなく、僕たちは手を握り合う。


自分たちの間でだけ、時間がゆっくりと過ぎていくような気がした。


「あのう、もう転移の儀式は完了しているんですが……」


しかし、二人だけの世界に浸りつつあった僕らに誰かの遠慮がちな声が届く。


ゴーレムのクレインおじさんだ。


彼は儀式を手伝ってくれている他の魔物たちとともに、僕らの話が終わるのを待ってくれていたようだ。


これはいけない、と僕とミアは慌てて駆け戻る。アリーおばさんなんかは、明らかに機嫌が悪そうだ。


「配置についたね? じゃあいい加減始めるよ」


僕が部屋の中心に、ミアが空いていた部屋の一角に立つと、すぐに青い光が周囲を包み込む。


神殿の神官たちよりも手順が洗練されている。おそらく、彼女らのほうがこの力を使う術を知っているのだろう。


すぐに視界がぼやけ、一瞬の酩酊感のあとに地上へと転送される。


いや、正確には地上というよりも地下なのだろう。


最初の転送場所と同じ、神殿の内部にある秘密の部屋だ。辺りは暗く、殆ど何も見えない。


誰か人に会えるといいのだけど――と思っていたところに、ちょうど人の走ってくる音と灯りが見えた。


どうやら神殿の兵士のようだ。


「何者だ! ここは立ち入り禁止だぞ!」


封印されているとはいえここはガルウリム唯一のダンジョン。いわば国の物的財産だ。


本来はこのように厳重に警備されているのだろう。


「貴様、どうやってここに入った!?」


「僕ですよ僕。入ったんじゃなくて帰って来たんです」


「何を訳の分からないことを――いや、もしや!」


兵士がはっとしたような顔になったので、僕もフードを取る。


この顔を知らないはずはないだろう。


警備をしていた兵士ならばなおさらだ。


町中から罵声を浴びながらこの神殿に入り、二度と戻らないはずの騎士の顔だ。


「僕はエルマー・フォン・ノクスハイム。国王ジーモンに帰還の報告をしてください」




貴族の子息といえど、直接王にお目通りがかなうことは中々ない。


僕は幸運にもその機会を二度も得た訳だが、相変わらず雰囲気はよろしくなかった。


一つ前回と違うのは、王や文官たちの視線だ。みんなが僕を見ている。流石に今度は、誰も僕のことをないがしろにすることはできない。


「よもやお主の顔をもう一度見ることになるとはな。余も他の者らも思いもよらなかったぞ」


「数多の幸運、天の助けもあり地上へと帰る道を見つけることができました」


「幸運か……まあよかろう。そこまでたどり着いたことは素直に賞賛する。――それで、なにゆえお前は帰還などという愚を犯したのだ?」


王の目はすわっていた。


僕が自ら講じた計画を無視して生き永らえていることを、王さまは重く捉えている。


生還率ゼロのダンジョンから戻ってきた事実よりも、そちらのほうが重要なのだ。


この心証を、何とか覆さなければいけない。


「冥城エリュズニルで見つけた貴重品を、いくつか持ち帰っています。ご覧になって頂けませんか?」


「……神器か?」


僕はこくりとうなずく。


周りの文官たちがにわかにざわめいた。


ガルウリムは他二ヵ国に比べて特別劣っているということはない。大陸の力関係はある程度拮抗している。


だがそのバランスを崩しかねないのが神器だ。


国政を担うものにとって、やはりこの存在は大きい。


「いいだろう。ダンジョン探索の成果、ここで披露せよ」


「はい」


僕は包みを開き、持ってきた神器を一つ一つ皆の目の前に広げてみせた。


さかずき、燭台、杖、羊皮紙――


布が広げられ品物の姿が見えるようになるたび、周囲の者たちがひそひそと言葉を交わし始める。


「これが神器なのか?」


「古道具にしか見えないが……」


「やはり、命惜しさに我々を謀ろうとしているのでは」


懐疑は当然だ。いちいちそれに反論していてはしょうがない。


しかし最後の包みから小石が出てきたときは、流石に付き人の一人が声を荒げた。


「なんだそれは。そんなどこにでも転がっていそうなものまで神器だとのたまう気か!?」


「はい。これもまた、紛れもなく神器の一つです」


僕が言い返すと、その男は大いに気色ばんだ。


これはアリーおばさんと一緒の時に見つけた石ころだ。


「ではまず、この石がいかなる神器なのかご説明します。……ところでこの玉座の間、いかにも荘厳で美しい造りですが、いったいどれほどの職人の手によるものでしょうか」


「は……? いきなり何を言い出すか。職人の名前なんぞ知らんわ!」


付き人が罵声をあげるが、僕はそれを無視して言葉を続けた。


「特に見事なのは柱の装飾。金細工をこれでもかとあしらったのは見事といえるでしょう。やはり貴人に相応しいのは黄金ということですか」


「何を訳の分からないことを!」


「……貴様、やはり神器などたわごとであったか?」


王も疑いの言葉を投げかけ、周囲の目が一様に険しくなる。


猜疑の視線が集まる中、僕はおもむろに小石へと手をかざす。


瞬間、変化が起こる。


まるで風船が膨らむように、小石が大きくなっていくのだ。


しかもただ大きくなるのではない。まるで誰かがノミを入れているように、ひとりでに砕かれ、削られて何かが形作られていく。


やがて天井に達するほどの大きさになったところで、それが何の姿を象ったものか皆にも分かった。


これは女神の彫像だ。


この国に伝わる豊穣の神。そばに狼を侍らせた、ふくよかな身体の美女の姿だ。宮廷の彫刻家でもこれほど精巧には作れまいと思えるほどの見事な出来栄えだった。


ジーモン王もこれには口を開いて驚愕の表情を浮かべる。


いや、王一人ではない。小石が巨大な石像になるという摩訶不思議な光景に、みな絶句してしまっていた。


「で、仕上げにこうです」


パチンと指を鳴らすと、彫像から光沢がにじみ出て、次第にそれは眩い金色の輝きに変わる。


「こ、これは黄金の輝き!?」


「メッキ……ではない!? いや、しかしこれが黄金だとは到底……」


「ご察しの通り、本物の金ではありません。黄金で彫刻を作ろうと思えば、素材の柔らかさや比重の重さからすぐに形を保てなくなります。ですが、これはそのような心配をする必要はない」


僕は【神器大鑑】の説明書きを思い出しながら解説を始める。


「これの神器の名は【工神の玉虫石】。思い描いた通りの形に変化する可能性の切石です。私のような彫刻のいろはも知らない素人でも、職人顔負けの傑作を作り出せます。色や光沢、重さや大きさも自由自在。――いかがでしょう? 実際にそれが作り上げられる様子を見た皆さまにとっては、これが神器であることは疑いようもないと思いますが」


うっと言葉につまるのは、最初に罵声をあげて批判した付き人の男だ。


他の者たちも、流石にこれには口出しできずに沈黙してしまう。


手ごたえを掴んだ。僕はそう思って内心で万歳をしていたが、唯一これに声をあげる者がいた。


「……エルマーよ。これが神器であるのは事実だろう。だが、これをどのように役立てるつもりだ?」


口火を切ったのは国王だった。


彼もこれを目にして驚いたはずだが、至極冷静な言葉を投げかけられる。


その指摘に力を取り戻したのか、付き人が言葉を続ける。


「そうだ! 確かに見事な彫刻だが、それが一体何の役に立つという!? 美術品であれば人間にも作り出せる。大事なのはその神器にしかできないことがあるかどうかだ!」


その指摘は確かに真っ当なものだ。


人に驚嘆を与え、権威を示すことはできても、それだけでは不十分。


今この国に求められているのは発展に寄与するより画期的な神器だ。


無論、こちらとしてもそこは折りこみ済みである。


「一応本来の使い道ではありませんが、一つ裏技のようなものがあります。それをお見せしましょう」


「裏技だと?」


「ええ。『思い描いたものを形にする』という点を利用して、このように使うこともできます」


僕が彫像の前で手を振るうと、すぐさまそれは収縮をはじめ、もとの小石に戻る。


そしてもう一度、新たに念じることで再び形状を変化させた。


今度は人型ではない。まずテーブルのような台を作り、その上に木々や岩肌、様々な自然を象った造形が生まれる。


そこに見知った城が立ち、周囲の者の一人が呟いた。


「これは……模型か?」


「はい。王都を中心に南方は港町、北方は国境沿いの山脈のあたりまで作りました」


何万分の一程度の大きさだが、非常に緻密にできている。


実物をこのように俯瞰することは、空を飛ぶことができない人間には不可能だ。いわば、彼らは事実上初めてこの国の全容を見た者たちだと言える。


「一部分ではありますが、これは大陸の模型。縮尺も完全に一致しているはずです」


「馬鹿な。よほどの地図売りでもないと正確な数字は知らないはずだ」


「いえ、この模型は王国にあるどの地図よりも正確です。――皆さんは頭の中に思い浮かべたものを完璧に描き写すことはできますか? 多分職人でもそれは難しいでしょう。この神器がそれをなし得るのは、頭の中の空想を補強することができるからです。現実を参照し、曖昧な空想を緻密に、精巧に再編集するのです」


「な、なるほど……。それが本当なら作り手の思惑が介在しない、完全な地図を発行できる」


「街道の見直しや領地の測量……魔物の生息地も割り出せるかもしれん」


「内部を割れば、鉱山の地下資源を事前に確認することもできます。可能性は無限大と言えるでしょう」


そう言えば、大きなどよめきが響き渡る。


彼らもこの国の優秀な文官たち。完璧な縮尺模型というものが、どれほどの価値を持つか理解しているのだ。


あれやこれやとアイデアが生まれる中、その中の一人がぽつりと言った。


「大まかにでもその土地を知っていればいいのか? では兵士を捕まえてくれば、他国の城塞なども簡単に陥落させられるのでは……」


瞬間、全員の目がその者に集まる。


王ですらその男を見た。


男はさっと顔を青くして、深く頭を下げる。


「し、失礼しました。出過ぎたことを知ってしまい申し訳ありません!」


そう、それは禁句だ。


この国と他二ヵ国は現在戦時下にあるわけではない。


――たとえ本心が別にあるとしても、表面上は友好を結んでいる。


「さて。ではそろそろ、他の神器の紹介に移ってもよろしいでしょうか」


仕切りなおすため、僕は静寂を破って声をかける。


もう誰も文句は言わない。この会議の主導権は僕にあった。




「――で、このさかずきには一見何も注がれていないように見えますが……」


「ちょ、ちょっと待ってくれ。これ以上は頭が追い付かない」


いくつ目かの神器の紹介で、ついに文官たちが音をあげた。


魔法のような品々を見せられ続けて、脳のキャパシティが限界になったのだ。


どうも彼らは、全てが本物の神器だとは思ってなかったらしい。むしろ殆どはまがい物だと決めつけているようだった。


【王権の守護者】改め【開花の祝福】しか神器を持たないこの国では仕方のないことなのかもしれない。


「そうですか。もちろん日を改めて詳細をお伝えしてもいいのですが、その場合私の処遇はどうなるのでしょう?」


僕はまっすぐ王の目を見据える。


国王ジーモンも、やや驚き疲れているように見える。


しかしそれ以上に、表情には苦々しい険しさがあった。


ジーモンはゆっくりと口を開く。


「エルマーよ、私はお前が気に食わん」


「……」


「弑逆者の紋章……下らぬと思っていたが、お主はダンジョンから帰ってくることで"力"を示した。そして今、数々の戦利品をもとに余に取り入ろうとしている」


「騎士は王の、そして国民のために戦いことを至上の喜びとする者。裏切りなど決してありえません」


「どうだろうな。お主なら今この場で余の首を刎ね、近衛の騎士たちを返り討ちにすることも訳ないだろう」


「そんなことは……」


――できるかもしれない。


僕は黒い紋章が戦う才に溢れていることを、白い紋章がそうでないことを知ってしまっている。


「そもそも、今お主にその意思がないとしてもだ。しかしこの先ずっとそうだとは限らぬ」


「……」


これも未来のことなど分からない以上、否定の仕様がない言葉だった。


それに、実は思うところもある。


この王は暗愚ではないが、優れた国父でもない。


人の命を軽んじるところがあるし、『カビの生えた言い伝えは信じない』という割には保守的だ。


だが、それでも。


「陛下、私にできることはかしずいて訴えることだけです。ですからここから先は貴方の御心に委ねます」


「何だと?」


「陛下はノクスハイム家の生殺与奪の権利を握っておられます。もし家族の命と引き換えにと言われれば、私は自害を命じられても甘んじて受け入れましょう」


「……」


「ですが同時に、私はエリュズニルから神器という成果を持って戻ってきました。これは先人たちにはなし得なかったこと」


ぐっ、と王が言葉に詰まる。


これだけの神器を持ち帰ったのだ。あのダンジョンが神器の宝庫だということは想像がつくだろう。


そこに唯一昇れる自分という人間の価値が分からないはずはない。


「私をわざわいの種と見るか、国に利する者と見るか、今この場で判断して下さい」


「……っ! 余に値踏みしてみろと申すか!」


「はい。それができるのは貴方お一人ですから」


本来ならこんな、有無を言わせぬような物言いを国王にすることなんてできない。


しかし自分の命はすでに天秤に乗っているのだ。今更何を恐れるものか。


この先ダンジョンに通い続けるためにも、今ここで自分のことを認めて貰わなければ。


ジーモンはしばらく苦渋の表情を浮かべて「うぬぬ……」などとうなりをあげていた。そしてしまいには玉座のひじ掛けに強く拳を叩きつける。


付き人は慄きながらも国王に声をかける。


「へ、陛下……」


「忌々しい男め……! だが神器という大きな国益を見過ごせば、余も王としての采配を疑われかねん」


「では」


「だが! 貴様には吐いた言葉の責任を取ってもらうぞ! この先もダンジョンに挑み続け、必ず一つ以上の神器を余の前に献上せよ! 一度でもそれがかなわなければ、処罰の対象になると心得るのだ!」


高らかに声をあげ、エルマーという騎士に戒めをかける。


だが本来なら無理無謀の類いであるその制約を受け止め、僕は不適に笑った。


「もちろん。それこそ私の使命です」

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