第7話
「……よし。これで地図は大体埋まったかな」
僕は当初の目的である二つ目の階段の前に腰を下ろした。
途中からはアリーおばさんも覚えていた道を教えてくれたので、予想より早いペースで一階層の探索を終えられそうだ。
見つけた神器の数もそれなりのものになった。結構な大荷物なので、帰還する前にウケの良さそうな神器だけ見繕って、あとは二階に置いておくのもいいかもしれない。
「じゃああとは……あの部屋だけってことになるのかね」
アリーおばさんが一つの扉を脚でさし示す。
それは一見普通の扉だが、奇妙な威圧感があった。
そしてその理由を、僕は知っている。
「地図を見ると、階段の配置はもう一つの階段と対角線で繋がる。そこに続く通路の様子もほぼ同じ」
「そしてあんたがリビング・アーマーと戦った部屋は、もう一つの階段近くの扉の先。ちょうどこの扉と同じ場所だ。つまり……」
「うん、わかってる。ここにも神器と、あいつみたいな番人がいるはず」
騎士のための神器。
【不滅の種火】と同じようなものが、この部屋にはあるのだろう。
だがそれを獲得するには、番人を倒して有資格者として認められなければならない。
「行くのかい?」
「もちろん。神器はいくらあっても困らないからね」
「でも危険だよ。ここにある神器は王さまに献上しても意味のないモノだろうし、今のところ無理に挑戦する必要はない」
「……確かにそうかも。でも、やっぱり僕は行くよ」
エリュズニルがダンジョンとしてどれぐらい広いのかは、ミア達も知らないらしい。
それは、この先出てくる魔物の危険度も未知数ということだ。
でも僕はこのダンジョンを進み続けると決めた。だから力をつけるチャンスは逃したくない。
ただ地上に帰還して国王ジーモンに認められればいいというわけではないのだ。
「……いいさ。ちゃんと覚悟してるなら、私は引き止めないよ」
「ありがとう。アリーおばさんは危険だから扉の前で待ってて」
「言われなくてもそうするよ。けど、ちゃんとあんたも戻ってきな」
彼女のそっけない激励に、僕は力強くうなずいた。
扉を開き、ゆっくりと中に入る。
そこはやはり、以前リビング・アーマーと戦った部屋にそっくりだった。
台座には布だか服だかに見える何かがかけてある。
しかしあの彫像は見当たらない。
では敵はどこだ。そう思って周囲を見回すと、ふと天井に何から吊り下げられていると気づく。
巨大な、カゴだか檻みたいなものだ。
それはゆっくりと地面まで下りてきて、その中にいるモノの姿をあらわにする。
とぐろを巻いた、大きな蛇の魔物。
その身体は黒々と輝き、身じろぎするたびに鎖がこすれるような音がする。
ナーガラジャ。
金属の鱗を持ち、食事のために村一つを壊滅させることもある災害級の怪物だ。
檻の中からまじまじとこちらを睨むナーガラジャに、僕は叫んだ。
「もう先に神器を取ろうだなんて思ってないよ。――遠慮なんかしてないでかかってこい!」
それを合図にしたように、檻が開いて蛇の化け物が飛びかかってきた。
大きく跳躍し、これを回避する。
しかしナーガラジャのほうも、すぐ方向転換してもう一度僕に食らいつく。
空中では無防備だ。だが――
「『
靴の裏に炎を集め、その勢いを推進力に攻撃を避ける。
ろくにバランスなんか取れないのでキリモミ状態になるが、なんとか壁に手を置いて身体を支える。
「口を広げて体当たりするだけでこの迫力か……」
丸のみなんて冗談じゃない。
僕はチラリと下を一瞥する。
ナーガラジャの這いずったところには、見事な"わだち"ができていた。
硬いうろこがこすれて、床をずたずたにしてしまうのだ。人体ならほんの少しかすっただけでも、皮と肉をごっそり削ってしまうだろう。
「……けど、そんなことにはならないぞ」
第三撃が来る。
さっきと同じく紅蓮脚で回避するが、今度はそれだけで終わらない。
飛び上がった勢いを殺さず、そのまま炎の剣を振りかぶる。
「喰らえ、
大きく伸びた炎刃が、ナーガラジャの太い首に叩きつけられる。
大蛇は叫びをあげて身をひるがえした。
どうやら効いているようだ。
流石にこのレベルの魔物だと両断とはいかないが、あの巨体にもダメージを与えられるのは確かだ。
おまけによく見れば、斬りつけたところが溶解していた。
鉄のうろこが熱で溶けて、傷の内側に流れ込んでいるらしい。
さぞかし苦痛だろう。しかしその分、傷が塞がれて致命傷にはならない。
攻撃を受けて多少怯んだように見えたが、ナーガラジャは再びこちらに向き直る。
巨体ゆえのタフさか、番人としての存在理由か。そこは人間の僕には推し量れない。
「でも、こっちだって本気なんだ!」
炎の剣を下に向け、その刃を地面につきたてる。すると火が床に燃え移り、みるみる壁や天井にまで広がっていく。
広い部屋がすぐ炎に包まれるが、僕自身はまったく熱さを感じていない。
【不滅の種火】は持ち主そのものに炎の影響を与えない。これはミアとの一件で確認済みだ。
さらにもう一つの特徴。大気や燃料を必要としないこと。
これはつまり、密閉されたこの部屋をどれだけ燃やしても、酸素を失う心配をしなくていいということだ。
対してナーガラジャは違う。
あのうろこは実際の鉄と同じように熱を簡単に通してしまう。
物理的な攻撃には強くとも、高温の空間内では自分で自分の首を絞めているようなもの。やがてはうろこの中で蒸し焼き状態になるだろう。
おそらくナーガラジャ本人も、本能でその危機を理解している。
すぐさま高温の元凶である僕を見据え、猛烈な勢いで飛びかかってきた。
直撃。
おそらく彼もそう思ったはずだ。
しかし、僕は傷一つない姿で目の前に立っていた。
もう一度、ナーガラジャは僕に噛みつく。しかし口に入ったのは炎だけだ。僕は平然と立っている。
それから何度もナーガラジャは僕に攻撃を仕掛けてくるが、けして当たらない。
――それは当然なのだ。
実のところ僕は部屋の隅にいて、あの魔物が攻撃しているのは僕の幻影なのだから。
『
これは意図的に陽炎を作り出す技だ。
今のように熱で周囲を囲んだ状況でしか使えないが、位置判断ぐらいなら簡単に狂わせることができる。
見事に技が効果を発揮し、最初は、「よし」と思った。
これならあとは静観しているだけでも勝ててしまうだろう。
実際、ナーガラジャは体力を消耗しつつも、攻撃の手を緩めない。
ふらりふらりとぐらつきながらも、僕へ牙をむけて食らいついてくる。
幻である僕の姿に向かって、何度も何度も。
何度も何度も何度も何度も何度も。
やがてナーガラジャは体力の限界を迎え、ふらりと倒れる。
こうなればもう死を待つだけだ。
「……」
僕は思わず、周囲の炎と虚火を解除した。
この大蛇が意識を失う、その寸前で。
自分でも何をやっているのだと、そう思った。しかし一度消してしまってはもう再発動させる暇はない。
ナーガラジャは自分が幻影に攻撃していたのだと気づき、すぐその向こう側に本当の僕の姿を見つけた。
最後の力を振り絞り、首をもたげる。そしてそのまま、勢いよく僕のほうへ倒れかかった。
超重量の肉体を利用した単純かつ凶悪な破壊攻撃。
限界ギリギリの体力でも、人一人殺すには十分なやり方だ。
「……っ。仕方がないか」
僕は動かず、頭を位置を見据えて剣を握りなおす。
衝撃。
ナーガラジャが倒れ、大きな音が響く。
僕の位置は頭部のすぐ隣。下敷きにはなっていない。
そしてナーガラジャ自身も、もう動かなくなっていた。
あの巨体が倒れる寸前、比較的表皮の薄いあごの下から炎の剣を突き刺し、脳天を貫いていたのだ。
「ふう……」
緊張の糸が途切れて、思わずため息を吐く。
まったく自分は何をやってるのだろう。
相手が熱死するまで陽炎で翻弄し続ければよかったのに、それができなかった。
ただ、何となくはばかられたのだ。
資格を見定める神器の番人に対して、その戦い方は誠意に欠けているような――勝手な考えだがそんなことを思ってしまった。
僕はナーガラジャの亡骸に背を向け、神器のかけられた壇上へと向かう。
この神器は、袖なしの外套だった。
一度炎で部屋中を包んだはずだが、燃えるどころか煤一つついていない。
僕は【神器大鑑】のページを開く。
【夜半の狩人】
夜の加護を与えるクローク。
羽織るだけで暗闇の中でもモノが見えるようになる。
有資格者は視覚だけではなく五感全てが強化される。
夜が深まるほどその感覚は鋭く、精密になるだろう。
ただし日の出とともにその力は失われるため注意が必要。
「夜中限定か……まあいいや。いずれ機会があるかもしれない」
僕はそれを大事に畳んで、部屋を出る。
扉を開けるとすぐアリーおばさんの姿があった。
彼女は僕の姿越しに背後の部屋のあり様を見て、大層驚いたようだった。
「随分派手に戦ったみたいじゃないか。怪我はないのかい?」
「……アリーおばさん、こんなに近くにいたの? 熱とか衝撃とか響かなかった?」
「いや全然。戦っている音すら聞こえなかったからどうしたものかと思ってたぐらいだよ」
どうも、部屋の様子は外にはもれないらしい。
今回は少し無茶な戦い方をしたから、被害がなかったのは幸いだった。
「怪我はしてないよ。神器も手に入れた」
「じゃあもう用は済んだかい?」
「うん。二階に戻ったら……すぐ地上に戻る準備をするつもり」
そう言う時、自分でもつい自然に生唾を呑み込んだ。
アリーおばさんはそれを目ざとく指摘する。
「あんたにとっては、地上は怖いところなんだね」
言いよどんだことを見抜かれた僕は、苦笑いするしかない。
「正直、今では少しそう思ってる。一度死刑にされかけたし、約束を反故にして戻るわけだからね」
交渉材料はできる限り用意した。けれど、うまく説得できるかは最後まで分からない。
僕を気の毒に思ったのか、アリーおばさんは顔をふせて言った。
「あんたを送り返そうとするあたしたちは、ひどいやつなのかもしれないね」
「そんなことないよ。僕には家族もいるし、故郷の穏やかな陽気や、王都の賑やかな街並みも恋しい。もし帰れなくなったとしたら、それはそれで後悔すると思う」
どんな場所にだって、いいところと悪いところがある。どこを自分の居場所だと思えるかは、きっと本人の気持ち次第だ。
だから、地上をちゃんと自分の居場所だと思えるように、僕は王さまに会うんだ。
そして、この城にもまた戻ってくる。
ミアというあの娘は、ずっとエリュズニルに挑戦する騎士を待っていたのだ。
もしもまた僕が来なければ、ここは再び封印される。彼女が同じ人間に会える機会は永遠になくなるだろう。
それはあまりにも寂しいことだ。
「僕のことは大丈夫。さあ、戻ろうアリーおばさん」
彼女に呼びかけ、僕は階段を上る。
決意を胸に、少しだけ強く地面を踏みしめて。
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