第4話

目を開けると、僕は自分がベットの上にいると気づいた。


暖かい毛布にくるまれていて、上半身には包帯が巻かれている感触もある。


横になったまま視線を動かす。部屋の色調、調度品の雰囲気などからここがまだクライムパレスの中なのは確かだ。


――正直、天国かどこかにいるのかと思った。


あの時、自分は確かに死にかけていたはずだ。リビング・アーマーとの死闘の末、その下敷きになって動けなくなっていた。


すぐにとはいかなくても、他の魔物に襲われるか衰弱死するかのどちらかだっただろう。


だが今は痛みも殆ど感じない。


僕は傷を確認するためにゆっくりと起き上がり、その時になって部屋の片隅にいる人影に気づいた。


ベットの枕元に椅子を置き、そこに座っている少女が一人。


気配を感じなかったのは、座ったまま器用に眠っていたからだ。


だが、問題なのはそこじゃない。


まごうことなき人間の少女。


白銀の髪、陶器のような肌。


ウエディングドレスのように繊細なワンピースを着た麗しい乙女だ。


肉のつき方からしてダンジョンに縁のある人間には思えない。


しかも、クライムパレスは一人ずつしか入れないという特別なダンジョンだ。たとえ前の挑戦者がいたとしても、死んでいなければ僕は入ってこれない。


まさか寝てるんじゃなくて死んでるんじゃ。


そんな嫌な予感を覚えて少女を揺り起こそうと手を伸ばす。


だがちょうどその時、部屋の扉が開いた。


部屋に入ってきたのは、今度こそ人間ではなかった。


細くてツルツルの前足を器用に使い、ドアノブを回す八足の大型虫。


――タランチュラ!?


咄嗟にベッドから跳ね起きて、少女を守るように身構える。


まずい、今は剣がない。一体ならギリギリ何とかなるか?


頭の中でグルグルと考えを巡らせる。しかし、相手の取った行動は予想外のものだった。


「しーっ! 騒がないで。折角その子が寝たところなんだから」


前足の一本を人差し指に見立てて、静かにしろというジェスチャーを送る。


いや、それよりも――


「魔物が……喋った?」


「喋ったわよ? なにか問題でも? あんたも血気盛んなのはいいけど、身体を労わりなさい」


今度は両足を前で絡ませ、人間でいう『腕組み』のようなポーズを取る。


しゃがれた声色は老婆のようだが、流暢で自然な語り口だ。


訳が分からない。喋る魔物なんて聞いたことがないぞ。


僕はどう判断すればいいか分からず、身構えたまま硬直してしまった。


「な、なにものなんだ?」


「話はあとで。あたしはこの子を連れて行くから、あんたももう少し寝てなさい。傷は治っても休養は必要でしょ」


「ちょ、ちょっと待て。まだ話は……」


何も分からないが、少なくとも分からないまま女性を魔物に引き渡すわけにはいかない。


それだけは思い至って、タランチュラをさえぎるように少女の肩を抱く。


その、ちょうど顔が近付いた瞬間。ぱちりと少女が目を覚ます。


白い肌に映えるような、美しく大きな青の瞳。


思わず見惚れてしまい、数秒ほど視線が交差する。


先に動いたのか彼女のほうだった。


僕の顔に手を伸ばし、頬を掴む。顔の形を確かめるように、あごや鼻の輪郭を指がなぞる。


びっくりしてされるがままの僕に、彼女はぽつりと呟いた。


「やっぱり、そっくり……」


「え?」


問い返した途端、彼女ははっとしてみるみる顔を赤く染めた。


座っていた椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がると、慌てた様子で頭を下げる。


「やだ、ごめんなさい。私、騎士様になんてことを……!」


「え、いや、僕は気にしてないけど。ただその、まだ状況がよく分かってなくて」


「その子が倒れていたあんたを見つけてきてくれたんだよ。そして一晩中看病してたのさ。お礼ぐらい言ったらどうだい?」


お互いに混乱している中、さきほどの人語を喋るタランチュラが一言声をかけてくれた。


少女はすぐ言い返す。


「もうっ! やめてよアリーおばさん、失礼でしょ!」


「助けてやったんだから、失礼も何もないだろ」


アリーおばさん?


そのタランチュラの名前なのだろうか。彼女は喋る魔物という奇妙な存在と、実に自然に会話していた。それこそ仲のいい親戚同士のように。


いずれにしても、自分が彼女の世話になったのは確かなようだ。


小言を言いあっている少女に、声をかける。


「あの……君。この魔物が言うことが正しいのなら、確かに君は僕の命の恩人だ。僕の名前はエルマー・フォン・ノクスハイム。そちらの名前を聞いてもいいかい?」


「そんな、私なんて。でも、はい。私も自己紹介をしなくちゃいけませんね。私の名前はミア。"楔の一族"に連なる者として、ここを任されています」


「"楔の一族"……?」


「ちょっと、あたしのことを『この魔物』呼ばわりかい?」


アリーおばさんとやらが文句を言ってくる。


正直なところ、自分はまだこの喋る魔物をどう扱うべきか決めかねていた。

そこに、ミアが話しかけてくる。


「大丈夫です。アリーおばさんは口は悪いけど怖い魔物じゃないですよ。看病をしてくれたのは私だけじゃなくて、おばさんも一緒ですから」


そうなのか。


魔物に世話を焼かれるというのは少し釈然としない気持ちがあるが、礼儀を尽くさない理由にはならない。


「すみませんでした、その……アリーさん?」


「もしその気があるなら、あんたもアリーおばさんって呼んでおくれ。あたしたちは人間と違って、呼び方が色々あるとこんがらがっちゃうからね」


「じゃあ、アリーおばさんと呼ぶことにします」


この呼び方はどうも調子が狂うけど。


「よろしい。じゃあそうだね。休養という感じでもなくなってしまったし、包帯を解いて傷の様子を確認しておこうかね」


「あ、それじゃあ私がやりますね、エルマー様」


「え!? いや、もう痛みもないし自分でできるから大丈夫だよ」


まったくためらいもせず半裸の上半身に手を伸ばすので、僕は慌ててそれを制する。


はっきり言ってこの子はかなり美人だし、なんならさっきの接触のこともあってかなりドキドキしている。


役得だと思えるほど大人になれればよかったんだけど、あいにく今の僕にはあまりに気恥ずかしい。


――それにしても、本当に痛みを感じないな。


少し乱暴に包帯を外して、身体を確認する。


内心予想はしていたことだが、傷は一切見当たらなかった。


神器の力で自己治癒力も向上しているとはいえ、自分は結構な重体だったはずなのだが。


「その様子ならもう動いても大丈夫だよ」


「よかった。軟膏がよく効いたみたいですね」


二人は特に気がかりな様子もなく、傷の完治を自然に受け取っているようだった。


僕は思っていたことを口にしてみる。


「ここはダンジョン――冥城エリュズニルの中だよね? 助けてくれたことには感謝してるけど、こんな危険なところになぜ君みたいな女の子がいるの?」


「確かにここはエリュズニルの中ですが、危険ではありませんよ?」


そう言って、ミアは部屋の扉を開ける。


扉の先には広間があり、なんとそこに何匹もの魔物たちが集まっていた。


種族は多種多様で、知っている魔物もいれば見たことのないものもいる。彼らは僕たちが出てくるのを待っていたかのように、一様にこちらを向いている。


そこにはアリーおばさんと同じで、敵意が感じられない。


「ふーむ、傷は治ったようですね」


「人間ダ! 本当ニ人間ダゾ!」


「がっはっは! ここがダンジョンだと忘れられてはいなかったようだな!」


魔物たちは口々に話し始める。当然のようにみんな人語だ。


唖然とする僕に、ミアがニコリと笑いかける。


「みんないい人たちです。エルマー様に興味深々なんですよ」


「人を……その、襲ったりはしないの?」


「一階やこの上の三階はそういう魔物がたくさんいます。でも、ここにいる人たちは

そんなことしませんよ」


「一階……じゃあここはエリュズニルの二階層ってこと?」


魔物の一人がミアの代わりに答える。


「そのとおりです。貴方が倒れていた部屋のすぐそばに、階段があったのですよ」


岩石でできた、がっしりとした体つき。魔物たちの中でもひときわ大きい姿をしたゴーレムだ。


その巨体に似合わず、彼は紳士的な口調で言葉を続ける。


「それにしても驚きました。リビング・アーマーを倒してしまうとは。私でもあの重量級を持ち上げるのは大変でしたよ」


「え? じゃあもしかして……」


「はい、クレインおじさんには私がお願いしてエルマー様の救助を手伝ってもらいました。おじさんはいつも力仕事をやってくれて優しいんですよ」


「いやあ、ははは」


クレインおじさんと呼ばれたゴーレムはにこやかに応える。


どうやら思った以上に、ここの魔物たちには世話になっていたようだ。


「助けてもらってありがとうございます。おかげで命を救われました」


「どうかお気になさらず。しかしあなたは、私たちのような魔物を怖がらないのですか?」


「……正直まだ事情を聞いてないので、保留しているという感じです。でも魔物が危険かどうかと、施しへの礼を尽くすことは別に考えるべきことですから」


言葉を飾らず、率直に思ったことを言う。


どうやらそれなりに好感をもって受け入れられたようだ。


「あなたは素直な方ですね。私たちはいきなり剣を向けられることも覚悟していたので、安心しました」


「エルマー様はそんな人じゃないですよ! だからきっと、神器にも認められたんだと思います!」


「神器……」


その言葉を聞いて、倒れる前の記憶が呼び覚まされる。


リビング・アーマーがいた部屋のランタン。手に握ると摩訶不思議な鬼火のようなものを生み出していた。


「もしかしてあれは神器だったのか?」


「ああ、例の戦利品ならお前さんの服や持ち物といっしょに保管してあるよ。ミア、あんたが場所を教えてやりな」


アリーおばさんが器用に包帯をまとめながら、会話に口をはさむ。


ミアはぱあっと表情を輝かせ、僕のほうへ向き直る。


「では不肖、このミアが案内させていただきます。楔の一族としての晴れ舞台ですから、精いっぱいつとめてみせます!」


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