第3話
くだんの神殿は、ダンジョンが封鎖されてからは観光名所のような形で利用されていた。
建物全体に華美な装飾が加えられ、かつての英雄が使った武器のレプリカが展示されている。まるで博物館だ。
しかし一般公開されている区画を離れれば、薄暗く原始的な石造りの空間が広がる。
もしもの時のために、転移の力が及ぶ範囲は昔のままの姿で残されていたのだ。
「おいお前!」
僕をここまで引率してきた騎士の一人が、不快そうな顔でこっちを睨む。
何か嫌味でも言われるのか、と僕はやや警戒しつつ返事をした。
「な、なんですか」
「少し待たせておくから、服を着替えてこい。それじゃ見苦しい」
「あー……はい」
ぐうの音も出せずうなずいた。
なにせ僕は今、泥や家畜のクソなどでひどく汚れていたからだ。
事前の打ち合わせ通り、僕がダンジョンに向かうということは大々的に公表され
た。
これは逆に言えば、黒い紋章が王に害意を持つ者に刻まれたと認めたことになる。少なくとも話を聞いただけの民衆たちにとっては。
だから王城からこの神殿まで、たくさんの人に囲まれてヤジとともに汚物を大量に投げつけられた。
気持ちのいいことじゃないが、これである程度のガス抜きになっただろう。
僕は言われた通り、服を脱いで汚れを軽く拭った。折角これを着る機会に恵まれたのだから、身なりはしっかりしていたい。
騎士団の正装。内側には鎖帷子をつけ、最低限の武器として剣を一本用意してもらった。
「お待たせしました。ご配慮ありがとうございます」
さきほどの騎士に礼を述べる。だが彼は一瞥するだけで相槌すら行わなかった。
多少の親切心や同情は働くにしても、黒い紋章などという異物を持つ僕は警戒の対象なのだ。秩序を守る騎士としては、むしろ当然の反応と言える。
不意にぼうっと、部屋の中心で青い光が発せられる。
「転移の術式が起動した。エルマー・フォン・ノクスハイム、光の中へ進め」
仕掛けを準備していた神官がこちらに呼びかける。
この先はもう引き返すことのできない道だ。家族とも永遠に会えない。そもそも死にに行くのだから当然だ。
――しかし、心に動揺はない。全ては自分で選んだことだから。
僕はゆっくりを歩き始め、そのまま光の中をくぐる。
一瞬の酩酊感のあと、あたりの景色が変わっていることに気付いた。
シャンデリアに照らさせた大きな広間。美しい壁紙と床に敷かれた絨毯。他にも調度品がいくつか置かれている。
まさにどこかの城の内部のようだ。どうやらダンジョンへの転移は成功したようだ。
「でも……驚くほどきれいだな」
魔物の巣でもあるというのに、まったく荒れた様子がない。本当にここはダンジョンなのだろうか。
と、思った刹那、視界の端で影が動いた。
慌てて僕は振り返る。天井付近の壁面に貼りつき、死角からこちらをうかがうよう
に身を隠していたモノたちがいた。
八つの目、八本の足、かさかさと音を立てて動き回る不気味な姿。
タランチュラだ。
合計三体のその怪物は、床に降りて僕に近づいてくる。
人間と同等の大きさ、そして肉食虫特有の凶暴性。数の不利も含めて早々に危機的状況だ。
だがそれは初めから承知していたこと。僕は息を整え、静かに剣を抜く。
「神よ、僕を見捨てた貴方を恨みます。けれど一つだけ感謝を。最後の最後で、僕に騎士の力を発揮するチャンスをくれたことだけは嬉しかったです」
言葉を捧げ、僕は前方の一体に向かって走り出した。
訓練に明け暮れていた頃、僕は元騎士であった人に講師を頼んでいた。
彼は戦うために多くのことを教えてくれたが、一番大切なことは試験に合格してから教えてくれた。
『エルマー様、騎士になってまず初めにやるべきことは、今までの訓練を全て忘れることです』
最初はその意味がまったく分からなかった。戸惑う僕を見かねてか、その人は言葉を続ける。
『まず第一に、人間相手と魔物相手では戦い方が異なります。第二に、今の自分と騎士になってからの自分もまったく別の存在です。こじんまりと戦っていては、真の力を発揮できません』
『常識を捨てるのです。いつかなるべき英雄のように、自由に戦ってみなさい』
タランチュラの眼前に来て、その強靭なあごが大きく開いた瞬間、僕は頭上に飛び上がった。
自分の身長より遥かに高く跳躍し、落下する寸前で剣を垂直に固定する。自重と高さ、その二つが上乗せされた刃が、タランチュラの肉体に突き刺さる。
低く野太い、不気味な叫びをあげてタランチュラは倒れる。まだ脚がけいれんしているが、恐らく絶命しただろう。
僕は剣を引き抜くと、続いて襲いかかってくるもう二体のクモに向き直った。
タランチュラは糸を吐くタイプのクモではない。しかしその分、罠を張らずとも獲物を捕らえる俊敏性がある。だから僕は少し距離を取り、調度品の一部として置いてあった椅子を掴む。
そしてそのまま、先に突撃してきた一体に叩き込んだ。タランチュラは椅子に噛りつくと、そのままバリバリと噛み砕いていく。木材程度なら簡単に食い千切れるのだろう。
だがその横っ面に、もう一体のタランチュラが襲いかかる。仲間割れ――などではない。そもそもこの魔物たちはもともと群れではないのだ。
それは、一体目を倒したあとに両方のタランチュラが襲ってきたことから予想がついた。群れでの狩りならば一体は逃げ道を断とうとするだろう。だが彼らは、実のところ獲物を奪い合う敵同士なのだ。
二体のタランチュラはもがき合い、威嚇を繰り返しながらも上下に絡み合う形になった。
その隙に僕は後ろへ回り込む。
クモというのは節足動物だ。頭部を中心に上半身は外骨格が固いので、正面からやり合うのは難しかっただろう。
しかし下半身――腹部であれば話は別だ。
一閃。
折り重なった二体のタランチュラを、後ろから一気に袈裟斬りにする。
開いた腹からどろりとした体液と内容物があふれてくる。タランチュラたちはすぐに動かなくなった。
周囲にもう魔物がいないことを確認して、僕は剣を収める。
思わずぶるりと震えた。恐怖ではない。興奮だ。
数日前の僕ならば、明らかにこんな動きはできなかっただろう。まさしく人間離れした力だ。
こんな力を授かりながら、何の働きもできず死ぬためにここにいるのが少しばかり心残りだった。
「……いや、いまさらそんなことを気にしてもしょうがないか」
気を取り直して先に進むことにする。
もう帰れぬ道とはいえ、せっかく未知のダンジョンに来たのだ。好奇心のままに探
索を続けよう。
改めて見回すと、周囲には扉がいくつかあった。
その中から手ごろな扉を開いてみる。その先はさらに広いダイニングルームになっていた。
そして――
「……うわ」
さっきのタランチュラに加え、センチピード、クロウラー、ビックモス。
巨大虫系の魔物が大量にはびこっていた。
彼らは僕が部屋に足を踏み入れた途端、一斉にこっちを向く。どうやら逃がしてはくれそうにない。
だが、それも上等。
僕は再び剣を構え、魔物たちの懐に飛び込んだ。
魔物たちの強襲を退けたあとも、僕はひたすら探索を続けてた。
歩きながら思ったのが、ここは自分の知っている城と比べると随分おかしい。広間からすぐの扉がより大きなホールに続いていたり、通路をはさんで個室が用意されていたりと、かなり無軌道な間取りだ。
それから、全体の縮尺もかなり広い。せまい廊下でも、必ず剣を振り回す程度の空間がある。戦う分には不便がなくていいが、それを考慮していたならここの設計者はかなり悪趣味だ。
「外は今何時ぐらいかな」
時間感覚はもう大分マヒしていた。窓は普通に存在するのだが、塗りつぶされたように真っ黒で何も見えない。
ひょっとしたらもうまる一日ぐらい経っているかもしれなかった。
魔物とはなんとか戦えているが、疲労は累積するもの。
どこか安全に休める場所はないものか、そう思いながらも新しい扉を開く。
入った部屋は、他とはどこか違う雰囲気が漂っていた。
巨大な鎧姿の像が一体、部屋の中心部に飾られている。そしてその向こう側には台座があり、何かが祭るように置かれている。
この感じは似ていた。
物の配置や色調まで、ちょうどあの儀式の間にそっくりなのだ。
【王権の守護者】と呼ばれる神器が置かれていた、あの部屋に。
僕は慎重に奥へ進み、台座を調べる。
そこに鎮座していたのは小さなランタンだ。火が付いたままで、ぼんやりと輝いている。
「もしかして……これは神器?」
いかにもな感じで置かれているが、自分にはただのランタンにしか見えない。そもそもどういう用途で使われるのかも不明だ。
とりあえず、と手を伸ばしてみる。すると突然、後ろからガタンという重い音が響く。
はっとして振り向くと、さきほどの鎧像がゆっくりと歩いてきていた。
手に剣を握り、兜の向こうには瞳にも似た光がゆらめている。
その威容に僕は総毛立った。
「まさか……ただの彫刻じゃなくて、リビング・アーマー!?」
動く甲冑。地上では中々見かけないタイプの魔物だ。
しかもこいつは展示物としての鎧に宿っているからか、大きさが僕の二倍はある。
さしずめ宝物を守る衛兵というところだろうか。
だが大丈夫、動きが鈍い。これなら最悪逃げることもできる。
そう思った時、剣を持つ腕がなめらかに動き『型』をとった。
水平斬り。
相手の動きを予測した瞬間、僕は反射的に上半身を伏せた。
ほぼ同時に、頭の上を大剣が横切る。
このリビング・アーマー、鈍いのは歩く速度だけだ。
一度攻撃の予備動作に入ってしまえば、そこからは達人級の速さで斬撃が放たれる。
これは分が悪い。
僕は伏せの姿勢から前転し、鎧のまたぐらを通り抜けて走り出す。
まずこの部屋を出よう。そこから先までは追ってこないかもしれない。
そう思って扉で全力疾走してドアノブを掴む。
しかしノブは動かなかった。いつのまにかこの部屋にカギがかけられている。
「そんなっ……!」
全身から冷や汗が流れる。
そして背後からは風を切る音がした。
「――っ!」
とっさに剣を抜き、身体を庇う。
しかしその剣ごと、僕の身体は横に薙ぎ払われた。
壁に叩きつけられ、全身を痛みが襲う。
だが辛うじて僕は生きていた。あの攻撃を何の防御もなく受けていたら、いかに強化された肉体でも両断されていただろう。
状況は依然不利なままだ。
このままでは次の攻撃を無防備に受けてしまう。そう思って無理にでも立ち上がるが、その時気付いてしまった。
剣にひびが入っている。
芯の部分まで食い込んだ深い亀裂だ。これでは一度の打ち合いすら持つか分からない。
一瞬の逡巡のあと、僕は剣の刃に足で体重をかけ無理やり折った。
ピンチの時に頼って砕かれるよりはましだ。
すぐにリビング・アーマーの追撃が来る。
放たれた高速の斬撃を寸前で回避し、相手から距離を取る。
僕は落ち着け、と自分に言い聞かせた。
相手は鉄の塊だ。どうせあの鎧に剣を突き立てても通らない。
リビング・アーマーという魔物は、いわば未知のからくり人形。
構造は人間の理解を越えているが、必ず原理がある。すなわち、動力を生み出す機関があるはずだ。
見立てはすでについている。
最初は彫刻特有の装飾かと思ったが、鎧の中心部には青い貴石がはめ込まれていた。
この鎧が純然たる戦闘兵器だと分かった今、あの貴石だけが異物感を発している。
「あれを壊すしかない」
だがそれは難関だ。あの鋭い剣さばきをかいくぐって懐に潜り込むのだから。
それでも、無理と言って諦めていては何の解決にもならない。僕は意を決して走り出した。
リビング・アーマーはからくり人形。
攻撃の動作がなめらかなのは、それが組み込まれた動きだからだ。
だが、その動きにはクセがある。
おそらく徹底して対人間用に作られているからだろう。相手は巨躯でありながら、
小さな標的であるこちらを正確に捉えて攻撃してきた。
これはつまり、リビング・アーマーの攻撃がいつもやや下段から放たれることを意味している。
真正面から向かってくる僕に反応して、鎧の人形は再び『型』を取る。
この時、二人の配置は理想的だった。リビング・アーマーは部屋の隅に近く、右側が壁に阻まれている。そして僕は部屋の中心部から向かっていく形だ。
予想通り、相手の動きは左側からの斬り払い。
僕はタイミングを合わせて壁に足をかけ、思いっきり蹴り上がった。
「騎士は――自由に戦う!」
壁走り。
靴底の摩擦が体勢を強引に維持し、ほんの数歩だが真横の壁を足場にした。
目線はほぼリビング・アーマーの顔と同じ位置。攻撃の範囲外だ。
僕はそのまま壁を蹴り、身体を捻りながら腕を振る。
手には折れた剣。刃はなくとも、その柄頭は硬い鈍器だ。
その鈍器が、貴石に振り下ろされる。
貴石は、音を立ててひび割れる。
「やった!」
僕は思わず歓喜の声を上げた。
しかしほぼ同時に、足をリビング・アーマーに掴まれる。
おそらく咄嗟の判断として、このまま僕を放り投げようとしたのだろう。
そして、ちょうどその瞬間に貴石の機能が停止した。
動力を失った鎧は、僕を掴んだまま形で前のめりに倒れた。
「ぐあっ!?」
逃げることもできずに、僕はそのまま下敷きになった。
背中と胸、両方に激痛がはしる。
どこか、よくわからないところの骨が折れたのを実感した。多分いくつも。
それでも痛みに耐えながら身体を引き抜こうとするが、まったく動く気がしない。
これは誰かの助けがないと無理だ。
そう思ってつい周りを見回してしまう。誰もいるはずがない。だって僕は一人でダンジョンに来たのだから。
孤独に、死ぬために。
僕はようやく気付いてしまった。
「そうか。これが……僕の末路か」
魔物に食われるでもなく、切り捨てられるでもなく、ただ事故のような形で死ぬ。
息が詰まり、思わずせき込んだ。喉の奥から血が吐きだされる。
これは――もう無理だ。
そう思ったら、途端に視界がにじむ。
こんな時になって、僕は恥知らずにも涙を流していた。
本当に誰もいないのか。さみしい。あまりにもさみしい。
助けてくれないならそれでもいい。せめて看取ってくれる人が欲しい。
「誰か……!」
身をよじり、じたばたと手を伸ばす。
その手が何かに触れた。
部屋の奥に置かれていたランタンだ。戦いの中で台座から落ち、ここまで転がり込んできたのだ。
だが、今の僕にはそれが何かなんてどうでもよかった。
ただそれが自分と世界の繋がりのように感じ、必死に握りしめた。
「誰か……誰かいないのか! 僕はここにいるぞ!」
渾身の力を込めて叫ぶ。
それは騎士に憧れた誰かの、みじめな断末魔になるはずだった。
だがその瞬間、ランタンの火が強く輝く。
無数の鬼火のようなものがランタンから生まれ、部屋中を埋め尽くした。
一体何が起こったのか。すでに頭がもうろうとしていた僕は、それをただ見つめることしかできなかった。
鬼火たちは鬼火たちで、こちらのことは気にせず慌ただしく動き回る。まるで何かを探すように。
そしてその中の一つが閉じられていた扉を見つけると、叩き破って外に出る。他のいくつかの鬼火もそれについていった。
しばらくして、何か女性の声のようなものが聞こえたが、僕はその姿を見ることなく意識を失った。
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