第2話

僕はその後、まる一日地下牢の中に閉じ込められた。その間食事などは配られなかったが、空腹は特に感じなかった。


ただ訳の分からないという気持ちのほうが大きかったのだ。


ずっと手に刻まれた黒い紋章の見て、そのたびにこれは何かの間違いじゃないか? と考え続けた。


だから今朝になって衛兵から牢を出るように言われ、そのまま謁見の間に通された時は喚起した。今までのは手違いだったと言われるのではないか、もう一度儀式をやり直して、今度こそ騎士として受け入れられるのではないかと。


玉座に王はいた。ジーモン三世。禿頭にイボの多い顔をした老王だ。以前祝祭の日に見かけた際はもっと威厳のある印象だったが――いずれにしても騎士として仰ぐべき存在には変わりない。


だが王はは気だるげにこちらのことを一瞥すると、すぐに視線をそらした。そして傍らの文官にこう言ったのだ。


「で、の処分は決まったのか?」


頭が真っ白になった。


目の前の自分は全く気にされていない、モノ同然に扱われている。


僕が呆然とする間にも、会話は続いている。


「いえ、意見は割れています」


「なんだ、まだ決まらんのか。昨日まではおおよそ公開処刑で問題なかろうという話だったはずだが」


「勿論処刑するならばおおやけの場が相応しいでしょう。あの紋章が衆目に晒された以上、もみ消すような真似は返って危険です」


また別の文官が話す。役職は分からないが、位の高い官僚であることは身なりで分かった。


同じようにこの場には、王を含め要職の人物がずらりと並んでいるのだ。


「問題なのはこの男の家名です」


「ノクスハイム家か? しかしあれには反王権派をまとめるほどの力はない。脅威にはならん」


「確かに国内には協力する者はいないでしょう。しかしノクスハイム家は建国以前から続く唯一の家門。歴史だけなら王家に匹敵します」


「だからどうした。もう衰退し切って、途絶える寸前と聞いたが」


「衰退に向かっているのは、国外の諸侯との婚姻が多かったからです。隣国の各地にはノクスハイムの血を分けた者たちがおります。彼らは家門の一員とは呼べませんが、少なくとも縁者ではあります」


「そしてそういう繋がりが、今のノクスハイム家当主を外務官としてのし上がらせたという側面も……」


「つまり国外に不穏分子を作るかも知れんと。……まったく、頭の痛い話だ」


ジーモン王がため息を吐き、そこで一旦沈黙が下りた。


目まぐるしい会話に頭の回転が追い付かなかった僕だが、今この瞬間に何も言わなければ、もう決して口を開く機会はないだろうと悟った。


上ずった声で王に呼びかける。


「あ、あのっ! この場に呼ばれた理由をまだ聞いていないのですが!?」


その時になって、ようやくここにいる全ての人物がこちらを向いた。


彼らは黙ったまま、煩わしそうにこちらを見るだけだったが、唯一ジーモン三世は口を開く。


「エルマー・フォン・ノクスハイムだったか」


「は、はい。騎士をこころざし、ついに念願叶ったかというところでいわれなき罪に問われ幽閉されておりました。どうか私にも事の次第をお聞かせ下さい」


「確かに訳も分からぬまま裁かれるのは不本意だろう。端的に言うが、お前が騎士として認められることはない」


そっけない口調でそう言った。


半ば理解はしていたが、それだけに胸を突くような言葉だ。


ジーモン三世は僕の右腕を指さす。


「その手に刻まれた色違いの紋章について、何か噂は聞いておらぬか? それは"弑逆者の紋章"と言ってな、この国――いや、この大陸に伝わる古い伝承の中で語られるものだ」


僕らの国があるこの大陸の名はアルゴニアという。


かつてアルゴンという帝国が大陸全土を統一していたが、時代とともに分裂していき、三つの国に分かたれた。このガルウリム王国も、もとは古帝国アルゴンの一派閥に過ぎない。


こほん、と文官の一人が咳払いをする


「『紋章を得し者、魔性を討つ力をもって大いに国を栄えさせる。されど紋章が黒く染まる時、速やかにこの者を誅すべし。黒き紋章は心に悪を持つ者の証なり。仕損じればこの者、王を殺め玉座を簒奪せしめん』……これが伝承において、弑逆者の烙印に関する言及箇所です」


「そんな! 僕は国に尽くすため騎士をこころざしたんです! 心に悪だなんて、ましてや王位簒奪なんて考えたこともありません!」


「ああ、それはまあどうでもいいのだ」


僕の必死の訴えは、さらりと流された。


どうでもいい? 王の言葉から感じる温度差に、思わず声を失う。


「余とてカビの生えた言い伝えなど信じておらん。重要なのは、伝承にしか記されていないその紋章が出た今、王としてどのような態度を取るかだ」


「王としての……態度?」


「余の地位も常に盤石なわけではない。王を殺すとまで伝えられている者を無視すれば、市井には不安が広がり、失脚を狙う諸侯にも付け入る隙を与えかねん。かと言って慌てて処刑すれば、臆病者の国だと隣国に侮られる。まったくもって面倒な話だ」


ため息とともにそう告げられる。


王の言葉を聞いて、僕は何となくその実態を理解した。


そうか。これは面子の問題なのだ。


内政、外交、そのような政治の問題によって、僕は囚われているのだ。


何という喜劇だろう。官職より戦いを選んだのに、引っ張られるようにここに戻ってきた。


このまま僕は死ぬか、よくて永遠に牢の中だろう。


――だが、幾分か冷静になった頭で考える。


死ぬのは仕方がない。この流れ、もはや自分では変えられそうにない。


だが、おそらくそれだけでは済まないだろう。僕のあとに責を問われるのは、僕という厄介者を輩出したノクスハイム家そのものだ。


僕には家族がいる。病弱な母が、仕事にいそしむ父がいる。父の跡を継ぐために仕事を手伝う兄と、愛しい妹が二人もいる。使用人や領民たちも大切だ。


公然と裁かれるか、人知れず虐げられるか、それは分からない。分からないが、絶対にそれは阻止しなくてはいけないことだ。


できるだけ後を濁さずに、自分以外に被害が及ばないよう責任を取るためにはどうしたらいいか――。


僕はゆっくりと口を開く。


「申し上げます。陛下はやはり、私を騎士としてお認めになるべきです」


王は落胆とともに僕を見る。


「お主は余の話を聞いておったのか?」


「聞いていました。その上で申し上げているのです。……一つ確認ですが、私が騎士の力を授かったことには変わりありませんよね?」


「紋章はあくまで警告ゆえ、力は得ているだろうな。もしこの場で暴れようものなら、余の配下である近衛騎士たちが黙っておらんが」


もちろん、そんなバカな真似をするつもりはない。


「では、こういうことにすればいいのです。『エルマー・フォン・ノクスハイムは紋章に心の闇を見透かされたが、陛下は寛大にも王としての度量を見せ、騎士としてお認めになった。しかし本人はその威厳を見て自らの過ちに気付き、自ら邪心を抱いたことへの責任を取ることにした』その形であれば国内、国外ともに治まりが良いのではないでしょうか」


文官の何人かが、はっとした様子になる。


門外漢の思い付きだが、ある程度の妥当性はあると受け止められたのだろう。


だがジーモン三世は表情を変えずに言い返す。


「責任を取るとはどうするのだ。余が与えた剣でその喉を突いてみせるか?」


「それでは単に、自害という名目で殺されたのだと思われるだけでしょう。もっと理解を得られやすく、後腐れのない方法があります」


「勿体ぶるな。お主は何が言いたい」


「はい。陛下には私にダンジョン探索を任じて頂きたいのです」


ダンジョン。それはこの大陸に点在する未知の建造物である。



曰く、天の果てにすら届くほどの巨大な塔

曰く、地底深くに作られた街よりも広大な霊廟(れいびょう)

曰く、荒涼たる平原にそびえる無限の迷宮



数多の魔物たちがはびこる魔境で、その強さも地上のモノの比ではない。


そして何より、この内部には様々な神器が眠っているとされる。


それを狙って、危険と知りながら騎士たちを派遣する国も多い。


「仮に神器を持ち帰れば、それは大きな成果です。人の目には自死よりも意義深いことだと映る。その方が話を作りやすいでしょう」


「なるほど、確かに理解はできる。だが、この国のダンジョンといえば一つだ。それは分かっているな?」


「勿論です。冥城エリュズニル、あのダンジョンに行って参ります」


その場がにわかに騒然とした。


それはそうだ。エリュズニルはあまりの生還率の低さに、国が封鎖したダンジョンなのだから。


そもそも冥城――城と呼ばれているのも、伝説上でそう語られているからで、実際にその全貌を見た者はいない。


侵入方法も扉を叩いて入るのではなく、王都の古い神殿を経由しなければならない。


そこでは神器が如き奇妙な力が働き、必要な手順を踏んだ者を場所も分からぬそのダンジョンへと転移させることができる。


だがそこから先、ダンジョンから帰ってきた者は古い文献の中にしか存在しない。

理由はいくつかある。一つは、一度の転移で一人しかダンジョンに入れないという点。


通常の魔物討伐任務でも、隊を組んでの行動が基本だ。ダンジョンへ向かうとなれば数十人規模の部隊が編成される。


たった一人で魔物の住処に赴くというのは、単純に無謀なのだ。


もう一つは、ダンジョンへの転移が一方通行でしかないということ。


来た道を戻れば帰れるというわけではないので、当然あてどなく探索し続けるしかない。転移の中継地点となる場所がある……とは言われているが、具体的にどことは知られていない。


水も食料も一人で持ち運ぶには限度がある。もしも帰る方法を見つけられなければ餓死するか、あるいは衰弱によって魔物に喰われるかだ。


そして最後に、純粋な魔物の強さが他のダンジョンと比べても遥かに高いとされている。


もっともこれは期待できる成果の裏返しでしかない。このダンジョンには力の大小はあれど多くの神器が眠っていると噂されている。


それゆえ封鎖されるまでに、何度も攻略が試みられた。しかし結局、結果を出せた者は一人もいない。


「先ほど神器を持ち帰れば、とは言いましたが、実際に生還しては意味がありません。最終的に私が死ななければ、この問題は解決しないでしょう。だからこそあのダンジョンが相応しい」


「ほう、そこまでの覚悟とはな。しかし単なる忠心だけでこんな提案をするわけではあるまい」


「はい。……私という落伍者を生み出したノクスハイム家は、すぐに途絶えることとなるでしょう。しかし今を生きる皆には、できるだけ辛い目に合ってほしくない。それが私の願いです」


「よかろう。お主が見事死に果てたあかつきには、我ら王家がノクスハイムの後ろ盾になろう。お主の立てた作戦は茶番ではあるが、恩情を与える理由にはなる」

「ありがとうございます、陛下」


不思議なことに、この作戦を語る間は何の心の乱れもなかった。


先ほどまで混乱の最中にいたというのに、どういう風の吹き回しか。一度死を受け入れてしまえば、冷静になるのは容易いということだろうか。


おそらく違う。


僕はきっと頭がおかしいのだ。


この方法なら、僕は死に臨む一度だけとはいえ、騎士としてふるまえる。それだけが自らの舌を達者にした原動力なのだから。


かくして僕は栄光の道を滑落し、名誉だけを連れて処刑台へと歩を進めた。


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