第51話 解き放たれしリアルヤンデレ

 不気味なほどに静かな夜間の院内。癒しの殿堂であるはずなのに俺は全く落ち着けなかった。

 椎名には智音の簡単な着替えなどを用意してもらってから、先に家へ帰した。

 入院の必要はあったが、医師いわく、これといった後遺症は残らないようで、少しは安心した。もうすぐ面談時間も終わるというのに、まだ俺の思考はぐるぐると音を立てて迷走していた。


 本来であれば明日の夜に、俺は椎名に告白の返事をしているはずだった。無論、反故になったわけではないのだが、すんなりと事に当たる気にもなれない。

 自意識過剰と思われるかもしれないが、九分九厘、今回の件は「俺の小説のラストを真似た」という以前の動機ではなく、椎名への精神的攻撃にして、抽象的表現をするならば、俺へ生霊として憑こうとしたのだろう。

 間宮智音は自らの命でもって、作品をラストへ導き、さらに自身が創作者として台頭し、今後の展開に呪縛を放った。墓地に送ったカードは、手札を強化するための布石なのだ。

「……帰ろう」


 智音のことが心配だが、俺も今日は寝ないと心身が持たなくなる。俺みたいなタイプは往々にして昼夜逆転ぎみだが、幸い、俺は「早寝早起き病知らず」に則って原則として健康的な生活を営んでいる。

 むしろプロニートを志す若人わこうどこそ、早寝早起きを。

 ……現実を直視しないように気を配っても、いつかは万有引力の法則が働いているのか、智音の顔が浮かんでくる。さすがは近代科学の父。アイザック・ニュートンは今なお天才だな。


 自殺の事を「人間に生じたバグ」なんて言う奴もいるが、少なくとも智音はバグなんてものじゃない。

 智音は俺や椎名の中にインターネット・ミームの如く強制介入し、今の俺のように、正常な判断を妨げ、結果、智音の存在感が永久普遍のものと進化させるれっきとしたなのだ。

 椎名はともかくとして、俺だけには確実に作用するように、新人賞に応募した小説のラストを模倣した。

 まさに間宮智音は生粋のヤンデレであり、病みの帝王だったのだ。

 俺は少しでも心身の疲弊を解消すべく、とりあえずニュートンになぞらえてリンゴを丸かじりする。

 しかしながら、この有り様は病みが伝染した何よりの証拠であり、椎名は事実上、智音に歯が立たなくなったのだ。


 どうしようもないが、一応、麻衣にも報告はしておく事にした。

 正直、夢に向かいだした麻衣に精神的負荷を与えるのは心苦しいが、逆の立場であったなら、「なぜ教えてくれなかった」と思うに違いないだろう。

 ……智音は、俺が多少なりとも智音の事が好きになっている事をあの時察したのだろう。

 だからこうして、大がかりであるが、絶対的効果のある方法でもって、揺さぶり、応戦してきたのだ。


『いろいろ悩みました。でもやっぱり、返事は聞かせてください。無理いってごめんなさい。待ってます』

 椎名からメッセージが届く。やはり苦悩しているのは俺だけではなかったようだ。

 大学生ですらこれほどうろたえるのだ、JKにはとても堪えるものだろう。


 いつだって運命は残酷だ。マンガやアニメは、残酷の次にはハッピーエンドが待っているのに、リアルではそんな建前はなく、何もかもがドロドロとした本音で構成されている。


 俺はこんな世界を知らなかった。今まで虚構のヤンデレヒロインを創作してはきたが、リアルヤンデレがまさかこれほどまでに、他人に影響を与えるものとは。

 監禁されたこともあった。盗聴されたこともあった。

 でもそれはよかれあしかれ、ストーカーの範疇はんちゅうで、のヤンデレ、【リアルヤンデレ】とは似て非なるものどころか、全く別の概念だったのだ。

 そして俺は、この数ヵ月を通して、智音を覚醒させ、未遂ながらも智音の自殺によって、その発端たる俺が自滅する事となったのだ。

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