第35話 闇と太もも
俺は独り読書をしていた。久方ぶりの孤独。以前と違うところをあえて挙げるとするならば、この状況は極めて作為的だという事が言える。かつては俺が望まなくとも与えられていたこの状況が、今やお伺いせずには実現しないのである。
「思えば遠くへ来たもんだby中原中也」
こうやって独り悦に入ることすら減ったのは、世間への天の邪鬼な態度が対人を通して薄まったのと、単純に本から離れていたことに起因する。
近頃は晴れ間が多く、この時間と同じく今日のような大雨は数週間ぶりだった。
何もかもが皆久しく感じてしまう。俺は一体何者なのか。
窓をつたう雨粒のように、自我がどこかへ流れ去ろうとしている。俺の境界が曖昧模糊となって、調律しようにも元の音階が上手く思い出せない。
智音や麻衣、そして椎名との出会いが新たな居場所を構築し、かつての安楽椅子から追放したのだ。安住の地から引き出され、充実なる国家を得たと言っても誰も理解は出来ないだろう。
活字が意味を成さなくなったので、栞を挟み、コーヒーを飲む。体内にカフェインが流れる様が感覚で分かる。作家志望として少なからず人よりも活字に親しんでいた俺が狂ったかのように身が入らなくなっていた。
細川守だけでなく、細川八雲でさえ不安定。何も手につかず、心の病の発病も一瞬脳裏をよぎったが、どうも思考がまとまらない。
ともかく今は誰にも会いたくない。合鍵が出回っているので、チェーンロックもかけて完全に殻に閉じこもる。物理的・空間的に俺という存在を再び固め直すために。
いくらかつてを思い描いても過去は未来どころか現在にもならない。だが、智音たちを拒むつもりは無くとも、数か月前の日常を
右も左も雲散霧消し、何をどうしたいのか、どこへ進みたいのか、そもそもどこにいたのかさえ見失っていた。
自転に負けず劣らずぐるぐると空回りする脳内。ただ一直線に降りしきる雨。外界から
すべての悩みは対人関係の悩みであるとアドラーは語るが、その問題解決も対人によって成し得るのだろうか。
俺はこの状態を他人に委ねることで解消しようと考え、短き隠遁生活に幕を閉じる。
「どうしたの?」
本来俺が尋ねるべきフレーズを麻衣に言われる。おそらくそれほどまでに陰気な空気が漂っていたのだろう。そう崩れることのない麻衣の表情も少し焦っているように見えなくもない。
「守くん、横になって」
「えっ、どうして?」
「いいから」
言われるがままに寝転がる。すると麻衣は俺の頭の辺りに座り、俺の頭部を少し上げ、麻衣の太ももに乗せる。俗に言う膝枕である。
「ま、麻衣!?」
「今日はリフレッシュして」
確かに気分は高揚するし、何だかいい匂いもする。それに気持ちいい。
「守くん、いつも迷惑かけてごめんなさい」
「そんなこと……」
「私、皆でお泊まりしたいから、守くんには元気でいてほしい」
「……ありがとう」
母性愛に導かれ、独り迷宮で堂々巡りしていた俺は、その精神的疲労からか赤子の如く眠ってしまい、気づけば30分も麻衣に膝枕をさせていた。
「ごめん!つい……」
「かわいい」
「ハハハ………」
結局、俺はもう独りには戻れないのかもしれない。でも……
「私、守くんの役にたてたかな?」
「あぁ、本当にありがとな」
「よかった」
俺はもう片方の瞳を見たい衝動にかられたが、何とか抑制する。そんな事をしでかしてみろ、いよいよ後には引けなくなるぞ。
「お礼に何かするよ、何がいい?」
「…………」
もちろん限度があるので、そんなに長考されると困るんだが。
「じゃあ、ハグしよ」
「そ、それは……」
「だめ?」
仮にも目の前におわすは、俺の人格崩壊を阻止していただいた御方であるので、出来る限りの意見尊重はしたいのですが、それはちょっとね~世間は許してくれぇあ~せんよ。
「おねがい」
「二人には言うなよ」
「うん」
いかがわしい!ふしだら!ゼロ距離女子!
先程までとはまた違った形での思考の乱れが現れる。
俺を少し見上げるように見つめる麻衣。端から見れば明らかにカップルのイチャイチャであり、マジでキスする5秒前。
秒読みが始まりかけたその時、やはり神はテンプレを愛するベタなシナリオ作家なのか、不法合鍵所持者・椎名が我が家のようにあがり、レジ袋を手から落としたのだった。
わりぃ、おれ死んだ(笑顔)
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