第31話 一心同体・愛別離苦

 そして翌日、と言いたいところだが、実際は椎名と水族館に出掛けてから二日が経過していた。理由は単純。麻衣と本屋と喫茶店へ行ったのが土曜日、椎名が日曜日。

 そして月曜日はというと講義が忙しいので、延期せざるを得ないのだった。だから、あみだくじで日が決まった時の朱音の絶叫は今でも思い出せるし、ちょっと笑える。


「こんにちは……」

 まだ引きずってるのか、ほっぺを幼女みたく膨らませた朱音。例のごとくフェミニンな服装で登場したが、こうしてみると典型的なヤンデレコーデにも思える。

 俺のように少なからずオタク気質でなければ、もしかすると痛い子に見えるかもしれない雰囲気。ヤンデレなので中身もある程度は痛い子なんだが。

「どうかな?」

 流石に今ちょうど思っていた内容をそのまま伝えるわけにもいかないので「フェミニンで可愛いよ」とだけ言っておく。満足げに胸を張って「じゃあ行きましょう!!」とご機嫌に歩き出す。


 向かうは海。『悲しくなった時は海を見にゆく』と寺山修司の詩が脳裏に浮かんだが、続きの言葉と不釣り合いな状況なので引用癖を抑えておく。

 だがしかし、さすがに泳ぐにしては時期が早すぎだ。いかなるヤンキーやギャルであろうとも泳ぐことはおろか、日焼けやナンパにも訪れない日本の雨季、梅雨。

 幸いにして、今日は晴々としてはいるが、それでも海水浴が目的ではない。言わば俺たちは海水観賞に来たのだ。椎名と同じくテーマは海洋ものだが、海を見てるだけって何?


「守さんは海とか見に来たりするんですか?」

「悲しくなったときは海を見にゆく」

「ロマンチストですね」

「寺山修司の詩だよ」

「ロマンチストですね」

 いや重複してるけど。やっぱり封印しとくべきだったか。

「そういう朱音は?」

「悲しくなった時は」

「やめろ」

「えへへ、しょっちゅうではないですけどたまに来ますよ。波の音ってなんだか落ち着きますよね」

「ここは景色もいいな」

 だいたいの海は綺麗ですけど、みたいな冷たい返しをするタイプではない茜は「そうそう!そうなんです!!」と同士へ向けるような瞳に海の反射を受け止めていた。


「なぁ、朱音、そろそろ本当の事を教えてくれないか?大学のデータ上、間宮朱音は既に亡くなってるって言ってたぞ」

 朱音は複雑な表情を潮風に晒し、答えあぐねていた。

 これがアニメならどういった返答がくるのか、それすらも予測できない。まあ、それは俺の見分の狭さの現れでもあるのだが。


 確かに学籍上でもそうなのだろうが、やはり意味が分からない。論理的に言えば、目の前で引き攣った笑顔を向ける美少女は「間宮朱音」ではないとなり、それはとりもなおさず「この間宮朱音と名乗っている女子」は誰なんだ、という別の問題が浮上する。

 そしてその答えはまたもや曖昧に外堀を少しずつ埋めるようにこう伝えられた。

「私は限りなく間宮朱音に近しい存在、そうコピーなんです」

「コピー?一体どういう意味だ?」

「オリジナルが死んだ今、私には間宮朱音として生き、そして……守さん、あなたと一生涯二人で寄り添って過ごす、それだけが私に残された最後の……」

 ……オリジナル?これはSFの話なのか。それとも「裏の医療機関」がヒト・クローンに着手していたとでも言うのか。

 非現実の域をやはり超えることができない。ずっとそうだ。朱音には幾度となく現実逃避ならぬ非現実誘拐にあわされた。


 だがそれ以上のことは語ろうとしなかった。遮るものがないがために吹きすさぶ潮風と幾重にも重なる綾波とがこの空間を占領していた。

「詳しい話はまだ無理なのか?」

「私、分からなくなったんです。元々は単なるコピーとして振る舞ってただけなのに……」

 俺は波の押し寄せるギリギリまで近寄って、海岸を歩き始めた。

「ま、まってください」

「無理にとは言わないけどさ、せっかくの海なんだ。スッキリして帰ろうよ」

「………」

 昼過ぎに集合した俺たちだが、気づくと少しずつ太陽は水平線に向かって落ちてきていた。

「守さん、私言います!でも……できれば怒らないで…………」

「分かってるよ」

 向かう先のない両脚は再び砂浜に留まり、腰掛けて素直に朱音の告白を聴く。


「私には双子のお姉ちゃんがいたんです。子どもの頃から私と違ってしっかり者で、よくいろんな事を教えてくれました。でもある日、交通事故にあって動けなくなったんです」

「その双子の姉がってことか」

「そうです……そんなお姉ちゃんの手足として今後は生きよう。そう決心した時にお姉ちゃんは言ったんです。『私には話すことすら出来なかった片思いの男の子がいた』って。その人は守さんだったんです。

 それからすぐに守さんに一回でもお会いして、せめて話だけでもと思っていたら、大学の人通りの少ない場所で小説を書いてるのを見かけて。

 それでネットで読んでみたらとっても感動して。すぐにでもお姉ちゃんに教えてあげようと思った矢先、あの世に逝っちゃったんです」

「……そんなことが」

「でも、それからも守さんの小説は読み続けてて、そしたら最初の目的なんか忘れて、私が守さんのことを好きになっちゃって……」

 海が暗くなるは早い。俺を放って日は暮れようとしている。


「それで結局、名前は何と呼べばいいんだ?」

「そうですよね。私は間宮智音まみやさとねです」

「智音、今日はもう帰るぞ」

「はい」

 まだは「智音」として生きる事に躊躇している。


「智音は十分頑張ったさ。もう朱音さんを成仏さしてやってもいいんじゃないかな」

「でも、一人じゃ何も……って守さん!?」

「こんな所にまで二人きりで来る俺みたいなバカがいるから安心しろ。智音は今から自由なんだ」

 握った智音の手は震えていたがだんだんと落ち着いてきたのが伝わる。

「はい……!私、やっぱり守さんが大好きです♡」

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