第三章

第27話 闇夜はむしろ病みを連れ去る

 俺は眠い目を擦りながらノートパソコンに向かっていた。だが、その内容は小説ではなく、明日が提出期限の講義レポートであることに憤りを覚える。

 俺がしてなかったのが悪いと、各国万民が口をそろえて諭してきそうだが、真相は単なる俺の惰性によるものではないのだ。

 忌々しい過去、と言ってもつい昨日の出来事だが、間宮朱音氏による監禁事件が発端である。無論、執筆の進捗状況も滞り、ややもすれば俺という人間自体が停滞しているかのようなこの現状に焦燥感がべったりと張り付いている。

 単なる日常では満足できず、知的生活を志す若人としては非常に由々しき事態だ。

 イデア的アイデンティティである作家と現象界的アイデンティティである学生身分の両方が不履行となれば、俺はむしろ酔生夢死の具現化として余生を過ごすはめになる。

 熱血系な人格者ではないにせよ、生きながらに死んだ毎日を送るのは勘弁だ。そんな日々を欲していたなら、朱音の監禁を甘んじて受け入れていただろうに。


「あ~もう休憩するわ、絶対休むから」

 深夜の虚空に虚しく発声される。不審者みたく血走った瞳を世間へ向けつつ、外界へ足を運びだす。

 地方都市レベルの微妙な発展具合を呈するこの街の夜は結構暗い。さりとて懐中電灯を出馬させるのはなんだかウォーキングガチ勢みたいで小恥ずかしい。だがナルシシストとまではいかずとも、我が身を愛する者としてスマホのライトで足元を照らし、近場の公園へと行軍する。


 この公園はそれなりに広いのだが、たいして遊具は多くなく、日中は子どもより散歩する大人の方が多かったりする。

 もちろん、こんな時間に公園にいるのは、現代社会の闇発生装置たる締め切りに疲弊した人間くらいなものだ。

 ……それと不良少女。


 お化けの次に会いたくないものと出会っちまったな。幸か不幸か、年下―女子高生くらいか―の女子だから、そう簡単には厄介な事に巻き込まれないだろうが、そうは言えどもこの深夜に補導覚悟で一人公園にいるのだから、ただ者ではあるまい。

 だがしかし、俺のような善良な市民にして、知識階級インテリゲンチャアに属する紳士が、彼女を正さずして、誰が彼女を救えよう。

 誰一人として真剣に咎める事が、事実、できていないのだから、俺が救ってやるしかないのだ。

 それに正直なところ、ヤンデレ2人に毎日付き合わされている身としては、まっとうとは言えずとも、異なったタイプの女性を欲するのは自然の摂理。

 美人が圧倒的に多ければ、いわゆるブスの稀少価値も高まるやもしれないのと同じこと。


「よお」

「……誰?」

「細川守。そっちは?」

椎名冬しいなふゆ

「何してんの?」

「別に」

「そっか」

「……お兄さんの方こそ何してんの。言っとくけど私、援交なんてしないよ」

「現実逃避かな」

「ふ~ん、じゃあ私と一緒じゃん」

 ヤバいわ俺、不良JKとのコミュニケーション上手すぎ。

「缶コーヒーいるか?」

「奢ってくれんの?」

「お近づきの印だ」

「ありがと」

 近くの自動販売機で同じメーカーのコーヒーを購入する。

 おぼろげに照らされた椎名の顔はなんて言うか、なまめかしかった。思春期の危うさと俺と数歳隔てている若さからだろうか。

 ちなみになぜJKであることが分かるのかと言えば、制服の上に、少し暑く感じてしまいかねない薄手のパーカーを羽織っているという単純明快な理由だ。駐在所の警官は何をしているのやら。


「お兄さんって大学生?」

「あぁそうだよ」

「彼女は?」

「彼女はいないけど、ヤンデレストーカーなら2人もいるぞ」

「へぇ、モテるんだ」

「昨日は監禁もされたぞ」

「ヤバ」

 どこか虚ろな瞳をしていた椎名だが、ようやく年相応の笑みを俺に向けてくれた。

「その内のどっちが本命?」

「さぁな。正直、そんな淡い恋愛どころか、どす黒い嫉妬が目に余って仕方がないのがリアルだからな」

「でも、嫌いじゃないんでしょ?」

「そうだな」

「お兄さん、面白いね。最初はロリコンも疑ったけどね」

「ヤンデレ三昧だからたまにはロリも悪くないなと思ってな」

「通報するよ」

 椎名はもう何ヵ月もこうして会っているかのように、親しげに笑う。

「じゃあ俺はそろそろ帰るわ。そこのアパートだから、暇な時は来てもいいぞ」

「じゃあ私も帰るね。いつかまたコーヒー貰いに行くよ」

 月明かりは役者と舞台を変えるように、一瞬雲隠れし、再び月光に夜道が照らされた時には、俺はもう独りで自宅へと向かっていた。

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