第24話 病みが深まり暗がりとなる
結局麻衣は何しに来たのか。俺のベッドに腰かけてインスタントコーヒーを飲んでいるだけで、いっこうに真意が見えない。俺もただコーヒーをすすって時間を贅沢に浪費しているに過ぎない。
その善悪はいざ知らず、これ以上ないであろう休息の場であるべき自宅で、こうも居心地が悪いのは由々しき事態だ。
「麻衣の今日の予定は?」
「守くんと過ごす?」
アポイントメントのない誘いを承認するほど俺は社交的じゃない。
「イヤ?」
「嫌っていうか、少しいきなり過ぎない?」
「そうかな?」
そうだよ。麻衣、君の行動はすべからくいきなりなんだよ。即断即決は見習うべきことだが、猪突猛進は人間評価においてマイナスだ。
「じゃあさ、小説書いてるところ、見たいな」
それがいきなりだと言っているんだ。いいか、芸術というのは真理の模倣でありながらも、無から美を創造する人間が最も神に近づく崇高な行為なんだ。それをさも資本主義による大量生産・大量消費に基づく制作物かのように受注するのは浅はかだよ。
「ラムネ好きなの?」
駄菓子のラムネを二粒口に入れる俺に問いかける麻衣。確かに大学生となれば、食べている人も少なくなるのかもしれない。
「いや、このラムネ、ブドウ糖が90パーセントも含まれてて、そもそもの話、脳の栄養素ってブドウ糖だけなんだよね。だからまぁ、サプリ的な?」
「ルーティーンだね」
あれほどまでに心の中で語った創作論はどこへやら。ラムネによるドーピングまで済ませて真剣に執筆しようとしているのは、他の誰でもなく俺なんだ。
ノートパソコンを立ち上げ、投稿サイトの執筆欄をクリック。
「ふわぁ」と不思議な感動を音声化する麻衣。ああそうか、読者はこのページを閲覧できないから余計に新鮮なのかもな。
それに何と言っても、きっかけはこの小説。やはり興奮するのも致し方なかろう。実に気分のいい執筆環境だ。さっきは心の中で説教して悪かった、ごめんな。
「頑張ってくださいね」
顔の近さに慌てふためいて誤字ってしまった。己の単細胞さを痛感しながらも執筆に戻る。課題もこんな風に苦しみこそあれ、ささっと書ければいいのに。マジで。
いつもならカタカタパコパコとキーボードの音とかすかな俺の呼吸、そして時折聞こえる世界の音以外には一切、聞こえることのない執筆活動。
だが、これまたかすかに、それでいて妙に
「守くん、カッコいいね」
「あ、ありがとう」
「あの子はこの姿見たことあるの?」
「朱音?いや、たぶん朱音の前で執筆したことはないと思うけどな」
「そうなんだ」
いつもの澄ました表情に変わりはないが、どこか喜んでいるようにも聞こえた。
【ピンポーン】
「誰か来たよ?」
来るな。二人きりがいいのではない。三人になれば波乱万丈だがらだ。
「お礼第2段です♡」
「間に合ってます」
「待って!この靴、誰か来てるの?」
「その……」
「守くん?」
「麻衣、このタイミングで……」
「なんでアンタがここに居んのよ!?」
「守くんの小説を書く姿を見ていたから」
「守くん!?ていうか守さん、コイツの事、麻衣って呼んでたし!?ダメだよこんなの!どんどん二人だけの世界が侵されてきてるよ!!」
「おい、少し落ち着けよ……」
「おかしい、おかしいよ!私、やっと見つけたのに………」
見つけた?何を?
「とにかくまぁ入って」
「……今日はもう帰る」
朱音なら、膨れながらも上がると思っていた。これは相当傷ついてるな……
この壁の向こうに傷心の朱音がいると思うと、さっきまでの執筆効率は著しく低下してしまった。
「あの子のせいで疲れちゃったのかな?休憩する?」
「そうだな……」
電気ケトルに水を入れてお湯を沸かす。麻衣はそれほど大きく捉えていないようで、平然とこちらを見つめたり、時折書きかけの小説を盗み読みしたりしている。
この重苦しい空気は、朱音と知り合ってから度々感じた事があるが、今回は謎の罪悪感のようなものがある。
おそらく、病み上がりの女子に嫌な気分を感じさせたからだろうか。
とにもかくにも二杯目のコーヒーを麻衣と向かい合って飲み、為す術もなく時間は過ぎ去る………
「水瀬麻衣、次は私の番だから。同じ、ううん、それ以上の寂しさを感じろ。無表情で居られなくさせてやる……
守さん、すぐ浄化してあげるからね♥」
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