第7話 束縛の楔

 骨抜きにされた俺は勤労による肉体的疲弊も相重なって、アルバイト先から自宅までの記憶がほぼない。

 疲れ切ったOLの如く、ベッドへとすぐさまダイブし、羊が柵を飛び越え続けている事でもお馴染みの睡眠世界に快速急行で突入してゆく。そこは真っ白な雪国ではなかったが、安寧あんねいの保証された約束の地カナン。ニートオートマタにとっては、はりつけに勝るとも劣らないアルバイトも、この睡眠のおかげで、パラダイス―楽園―にいざなわれ、三日後に甦ることができるのだ。ぼっち王はその責務を無事遂行し、民の祝福を子守唄に瞳を閉じてゆく。

 この通知音さえ鳴らなければ。

『お疲れ様です。楽しかったですね~』

 少しでも労う心があるのなら、今日はもう寝かせてくれ。

『しっかりお風呂にも入ってくださいよ』

 なぜそのまま寝ようとしていた事を推理できるんだよ。明智小五郎もびっくりの事前知識無し推理。見事見抜かれたという事で、謹んで入浴させていただきます。

 風呂を済ませ、寝る前に最後のチャットチェック。これが習慣となりつつあることに少し思うところはあるが、よしとしておこう。

 朱音も寝たと見えて、何もメッセージは受信していなかった。この二人だけのチャット欄においては。


【レビューが届きました】


 つい先日も見た、見慣れない通知という矛盾的だが言い得て妙な現象がモニターに表示されている。

『初めまして。先生の作品読ませていただきました。ヤンデレものって初めて読みましたけど、案外面白いジャンルなんですね。それとも先生だからこそでしょうか』by麻衣


 朱音とは違う人からだという、いろんな意味での喜びが睡魔を遠ざける。キタキタキタキタキターーーー!!!

 時代を感じさせるようだが、やはりこの感動はそう抑えられるものではない。

 これまた女性と思しき方からの暖かいメッセージ。すこぶる機嫌が良くなってゆくのがもはやオーラで分かりそうだ。

『ありがとうございます!まだまだ拙いですが、どうぞこれからもお読みいただければ幸いです』


 返信がこの子も早いのかと思ったが、どうやら朱音かららしい。再びチャット欄に入室する。

『誰ですかアイツ』

 麻衣さんのことだろうか。誰と言われても何も知らないのだから

『新規の読者さんのことですか?さあ、詳しい事は俺も知りませんけど、読者さんが増えて嬉しいです!』

 朱音か麻衣さんからの返信を伝えるのではなく、この次に鳴ったのはまさかのインターホンであった。やはりネット注文の覚えはなく、また夜に勧誘する団体も珍しいとくれば、偏差値の低い俺にだって予想は付いた。


「ねえ、麻衣って誰なんですか?」

 開口一番がそれか。

「だから、俺は知りませんって」

 軽い敬語を抜きにすれば、さながら浮気を問いただしている修羅場にも聞こえる。さすがにご近所さんから、「無害な奴」から一夜にして「クズ男」のように思われるのは勘弁なので、仕方なく部屋に招く。朱音は一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐに元の怒った顔になった。……演技?


「ここが守さんの………」

「あんまりジロジロ見ないでもらえますかって何してるんですか!?」

「はっ、つい♡」

 つい、で俺のベッドに寝転がられては堪ったもんじゃない。変な気は起こさず、冷静沈着に、話をつける。てか、やっぱり怒ってるのは演技では。

「それでですよ守さん」

「は、はい」

「守さんは私達だけの二人っきりの世界に見知らぬ女に踏み込まれることに何にも感じていないんですか!!」

 何という疾走感だ。相変わらず彼女の思考には理解できない節がありすぎる。しかし曲がりなりにもヤンデレを書く者として、ヤンデレにとっての【私達だけの二人っきりの世界】の魔力は計り知れない絶対理念であることくらいは分かっていた。問題の重要性は、彼女にあらぬ誤解を覚えさせ、俺や麻衣さんに被害を与えないか、そこに集約されるのである。なかなか骨の折れることだが、朱音がキャラでヤンデレを演じていない限りは、最悪、俺の命にまで関わる問題でもある。だからこそ部屋に入れたのだ。

「いいですか、麻衣さんは単なる読者で、別に敵ではないんですよ」

 できるだけ角の立たない声色を用いて、諭していく。

「もうここまで洗脳済みなの……?」

 マズいぞ、俺が麻衣に洗脳されているとなれば、もはや俺の言葉は麻衣の言葉としてバッドエンドを呼び起こすことになる。嫌だと言い張るほど充実してはいないのだが、やはり回避したいところではある。こうなったらデレを引き出すほかに道はない。

 ぶつぶつと「麻衣のヤツ……」と唸る朱音に俺はハグする。まったく俺の柄に合わない突拍子のない奇行。モテ男のムーブメントをぼっちがとったからといって、女子がキャーキャー喜ぶはずがない。だが、自分に好意を抱いているならばまた別だ。やっぱり俺はクズ男でした、ごめんなさい。


「守さん……♡」

 すぐさま俺は離れたが、その時に見えた彼女の笑みは演技ではないにせよ、何か引っかかるような気もした。

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