春の日

 

「あら!」


 という声に顔を上げる。

 春になると毒蛇や毒蜂が出ると言われていたが、今の声はそれらが出た、という感じではない。

 見れば森の中から子虎が一頭、二頭……昨年少しの期間だけ俺たちのところへ餌をねだりにきた虎の子どもたちだろう。

 ラナが手を伸ばすと二頭が「にゃぁ」と虎ならぬ声で擦り寄る。

 母虎もそうだったが、虎とはこんなに猫っぽい猛獣だっただろうか?


「久しぶりじゃない! パン食べる? 今度のは試作品じゃないわよ!」

「にゃぁ〜」

「みぃゃあぁ」


 ……虎とは……?


「他の子たちはどうしたんだろう? ミケは?」

「にゃー」

「別行動なの?」

「みゃー」

「ふむふむ、なるほど……親離れの時期なのね」


 なぜ会話が成立している?

 うちの奥さん動物と対話出来る加護持ちなの?

 ルースフェット家の加護が覚醒?

 そんなバカな?


「しかし、そうか親離れの時期か。確かにそんな時期だろうな」

「もしかして、自分で餌が獲れなくてうちに頼りにきたのかしら? でも赤ちゃんの頃に餌をあげたのはミケだけよね?」


 失敗した液状のパンはまさかのノーカウント?


「にゃー」

「みゃー、みゃー」

「虎とは思えない声でねだってきたな」


 ぐりぃ、とその上ほぼ成体の図体で腰にすり寄ってくる。

 倒れる倒れる。

 そんなでかい体に擦り寄られたらさすがに倒れる。


「ふふふ、ここは釣りの達人たる私の出番ね」

「いや、さすがに成体の虎に手を貸すのはよくないよ。ミケの場合は子育て中だったけど、この子らは野生なんだから餌づけしてもいい事なんてなんにもない」

「うっ。じゃあどうしたらいいの? このままじゃ飢え死にしてしまうんじゃ……」


 野生なのだから、それもやむなしなのでは。

 と思うのだが、ラナがそんな顔をするのでは仕方ない。


「ミケに狩りの仕方は教わってるはずだし、獲物の多いところに連れて行ってあげよう」

「獲物の多いところ?」

「川向こうの『黒竜ブラクジリオス』側だよ」


 こちらは川を挟んだ『緑竜セルジジオス』側。

 ぶっちゃけ虎は泳げると聞く。

 なので、別に川を泳いで渡る事は可能なはずだ。

 獲物がいると分かれば、自分たちでなんとか出来るだろう。

『青竜アルセジオス』側は猛獣を専門にした密猟者が出やすいのと、うっかり『ダガンの村』からクールガンやラナのお父様が遊びに来たら……うっ、考えただけで悪寒が……!

 特にクールガンには、『緑竜セルジジオス』の法律とかもある程度教えておかなければ。


「簡単に言えば縄張りだろうな。ミケが育ててたのは七匹くらいいただろう?」

「いたわね。あ、そうか。餌を獲る縄張りが狭くなったのね?」

「そう、この二頭ははみでたんだと思うよ。だから、虎のいない地域に連れて行けばいい。川向こうの『黒竜ブラクジリオス』側は見て回ったけど虎はいなかった。虎は」

「虎以外はいそうな言い方ね……」

「まあ、虎以外はいたけど」


 ベアとか。

 しかし、比較的大人しめなウッドベアやウオベアが多い。

 魚しか食べないウオベアは、トラよりも小さいので敵にはならないはずだ。


「自分で生きていけるように促してあげた方が、この子らのためだよ」

「うーん、それもそうね。じゃあ行きましょう!」

「はい?」

「私も行くわよ。川向こうの『黒竜ブラクジリオス』側にはまだお宝が眠っている気がするもの!」

「ぇ……」


 ふんすー、と鼻息荒く『絶対行く』モードになってしまっている。

 ああ、これは言う事聞いてくれないな。

 そんな事を考えていると、ラナは素早く底の深い籠を背負って戻ってくる。

 手袋と帽子も装備して、いかにも「さあ行くぞ」な空気。


「…………行こうか」

「ええ! ハーブとか、山菜とかあるといいわね!」

「山菜ねぇ」


 それがあるとしたら『青竜アルセジオス』側な気がするけれど、今回は言わないでおこう。




 虎二頭とラナが橋を渡り終えて、川の向こう側にやってきた。

 そこから『黒竜ブラクジリオス』側に移動すると、虎たちは分かりやすくそわそわする。

 匂いが違うからだろう。

 どことなく緊張する虎たちだが、チラッと俺たちを見てから恐る恐る森の方へと進んでいく。

 距離が出来てもまたチラッ。

 いいから早く行け。

 大丈夫だ、お前ら種族的に強いから。


「意外とビビりなのかしら」

「普通虎って単体行動の生き物なんだけどな」

「兄弟が多かったからかもしれないわ」

「なるほど」


 なぜかルースの奴を思い出す。

 あいつは次男。

 俺がいなくなった今だと、あの家では一番の兄貴、という事になるのだが……どうにも感情的すぎていろんな方面の感情が豊か。

 当然恐怖もまた感じやすい。

 それが悪い事だとは思わないのだが、だからこそ心配だし『影』に向いてないなー、と思う。

 逆にクールガンは向きすぎててアレファルドたちが大丈夫かな。


「さて、と! あの子たちが慣れるまで、私たちは山菜を探しましょう!」

「山菜ねぇ……。俺、さすがにその辺りは詳しくないよ?」

「平気よ。社畜時代、あまりにも家に帰れなくて営業先の帰りに寄った山で山菜を採って食べていいよって言われた時に、そこのおばあさまに山菜について色々教わったから!」

「…………、……そう、なんだ?」


 多分あんまり、いい思い出ではない……感じ?

 まあ、あんまり突っ込んで聞かない方が、いい、よな?

『しゃちく時代』は悪い事の方が多かったはずだし?


「まあ、そのおかげで山菜の天ぷらを作らされ、なのに前世の私は一口も食べられなかったという!」

「…………」


 聞いてないけど自分で語り出した。


「だから今世では食べるのよ! 美味しい山菜の天ぷらを! 前世の食の恨み、晴らさでおくべきか!」

「それでラナの気が治るなら」

「にゃー」

「みゃー」


 虎たちも、俺たちが山菜採りで側にいるのを確認し、安心して散策を始めた。

 少しずつ俺たちと距離が出来て、姿が見えなくなる。

 元々虎は景色と一体化しやすいような体毛の柄をしているから、こちらから注意して探さないとどこにいるのか本当に見分けがつかない。

 最初は不安だろうが仮にも野生の虎なのだから、ここで生活していけるように頑張ってもらいたいものである。


「フラン! 山菜を見つけたわよ!」

「これが山菜? 色々種類があるんだな?」

「そうよ。これはタラの芽。こちらの細長いのはつくし、ネギに似ているのがのびる。花に似ているのがふきのとう。先端がうねうねしているのがわらび。先端がきれいに渦巻いてるのはぜんまい。大きな葉っぱはふきよ。細かい葉のこれはせり。たくさん採れたから早く帰ってご飯にしましょう!?」

「来て三十分もしないうちに!?」


 虎たちは大丈夫かな、と姿が消えた方を見てみるが、近くにはいないようだ。

 仕方ないので「俺たち先に帰るよ」と叫んでみる。

 するとがさがさ駆け寄ってくる二頭の虎。

 お前ら……。


「ミケの子どもたちは本当に賢いわよね」

「そうだね」


 ミケの直系ならば竜虎かもしれないからな。

 うむ、話せば分かるかもしれない。

 というわけで、目線を合わせて説得をしてみよう。


「俺たちは帰る。明日また様子を見にくるから、川のこっち側で暮らせるかどうか自分たちだけで頑張ってごらんよ」

「そうよ、あなたたちはミケの子どもでしよ? 『緑竜セルジジオス』の虎といえば猛獣の中の猛獣、勇敢なる森の王者でしょう? たくましく生きるのよ!」

「みぅ……」


 お座りして、耳が垂れ下がる虎たち。

 図体ばかり先に大きくなったのか、その姿はラナの言う森の王者感など微塵も感じない。

 なんというか、悪戯を見つかって怒られた猫だ。

 あんまりにもしょぼーん、としているが、人間と虎……生きる世界が違いすぎる。

 我々はよき隣人として互いの領域を自覚し、棲み分けしなければならない。


「大丈夫よ、フランも言ったけど明日また様子を見にくるから! けど、私たち人間に甘えてはいけないわ! あなたたちは虎! 最強の猛獣の一角、虎なの! 虎としての誇りを忘れてはいけないわ!」

「にゃ」

「みゃ」


 おお、ラナの激励で顔つきが少し凛々しくなったぞ?

 相変わらず鳴き声が猫っぽいのは気になるが……これで少しでも虎としての自信をつけてくれるといいんだけど。

 …………。虎としての自信、とは?


「それじゃあまた明日ね! 立派な獲物を狩るのよ!」


 二頭に手を振り、スキップするラナを追う。

 山菜の天ぷら、とやらがよほど楽しみなんだな?

 今日はあと、夕方に放牧場に出している家畜たちを畜舎に戻すだけだから、俺も天ぷら作りを手伝う。

 天ぷらもまた、ラナの前世の料理。

 小麦粉を水で溶かし、材料にまとわせて油で揚げる。

 山菜は水洗い後水切りしたり下茹でしたり、アク抜きしたり……大変そうなので手伝いながら山菜の食べ方を教わった。

 結構、それぞれ処理の仕方も違うし難しい。


「ラナはよく覚えていたね?」

「食べ物の恨みは恐ろしいのよ?」


 これ以上聞かない方がいいと思いました。




「美味しい……」


 調理後、タラの芽の天ぷらを一口食べて言葉が漏れた。

 ほんのりとした苦味、しかし独特な食感と旨味。

 サクッとした衣がそれを包み込み、噛むと脂の旨味と一緒に口に広がる。

 シンプルに美味い。

 ちょっとだけ塩につけるといい、と言われて試してみるが確かに……塩味がまた格別……。


「美味しい〜! 上手に出来たみたいで満足だわ〜」

「あ、これも美味しい。こっちも……」

(フランって苦味のある食べ物の方が好きなのね……なるほど)


 ちなみに翌日虎たちは自分たちで狩ったらしい獲物を見せびらかしにきた。

 どうやらあちらでやっていけそうである。

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