episode アル



 きゃあ、っという声に振り返る。

 一つに結ったピンクの髪を引っ張られているのはクオンで、引っ張っているのはやんちゃ坊主その2、アル。

 クオンは咄嗟にやめさせようとしたのだろう、手に持っていた桶を地面に落とす。

 その中には昨晩納屋に漬けて置いておいた羊毛。

 これからまた井戸に持っていって洗うつもりだったんだろう。

 ……あ、ちなみに全剃りするとジンギスが冬を越せなくなるので、ほどほどに残したよ。

 ワズには「春に刈るんだよ」って言われてしまったしね。


 ばちゃあぁ!


 っと、盛大に散らばった水と羊毛。

 クオンだけでなくアルにもその水がかかった。

 それに驚いてアルは手を離すけど、クオンはそれよりも……自分の髪や足にかかった水よりも……。


「ああっ! ジンギスの毛が!」

「うわっ、きったねー!」


 ……まあ、アルは濡れた方に悲鳴を上げている。

 んー……なんつーか、これは、もしかしなくとも、アレですか?

 このままいくと……いや、多分手遅れかな?

 地面に落ちた羊毛をかき集めて桶に戻していくクオンに、アルは若干どうしていいのか分からないままそれでも一応手を伸ばして「おい……あの……」と声をかけた。

 さてはアル、クオンが水の入った桶を持ってるの気づかずに絡んだな?

 しかも「きたねー」などと声まで出して……。


「あっちに行って」

「いや、その……持ってるって気づかなくって……」

「うるさい! あっちに行ってよ! アルなんて大っ嫌い! もう近づかないで!」

「っ……!」


 …………ふむ、アルはルースと同じタイプか。

 好きな子に構って欲しくて悪戯を仕掛けて嫌われるやつな。

 ルースの場合は婚約者が大人しい女の子なので、震えて泣かせて毎回俺が仲裁に入り、破棄までは至っていないのだが……あれ、なんなんだろうなぁ?

 俺にはちょっと分からないのだ。

 同じ男で、好きな子の前で恥ずかしい気持ちは分かるのだが……ああして意地悪する心理が理解出来ない。

 あんなの無理でしょ……俺の場合は、相手が主人アレファルドの婚約者だったせいもあるけどー。

 なぜわざわざ嫌われる方向に動く?

 ショック受けた顔しても手遅れでしょ。


「……!」


 あ、つい普通に見入ってた。

 面倒くさいけどフォローしておいてやろう。


「クオン、俺とアルがやっておくから着替えておいて。濡れたままだと風邪ひいてメリンナ先生に診察料を払う事になるでしょ」

「! わ、わかった……」


 一番びしょ濡れになっているクオンを自宅の方へ誘導して、呆然としているアルを手招きして呼び寄せた。

 なぜか「ひぃ!」って声を上げられたのだが、俺、そんなに怖い顔してたかな?

 チャラいとか軽薄そう、とは……よく言われるんだが「ひぃ!」はなかなかないよ。


「別に俺は怒らないから大丈夫だよ」

「……うっ」

「この事件以降、アルはクオンに嫌われて一生無視され続ける事になる。クオンは町で出会った優しい青年と恋に落ち結婚。クオンへの想いを引きずったアルは生涯独身、一人寂しく生きていくのでした。完」

「な! なんだよそれええぇ!」


 ぷんすこ怒って近づいてくるが、足下を見てまた固まる。

 羊毛はある程度塊にして桶に入れたが洗い直しだ。

 まあ、元々水は捨てるつもりだったし、洗いの作業は二〜三回繰り返す必要があるらしいから汚れたのは構わない。

 ただ……ワズがくれた羊飼育の本に『毛についていた油脂は、抽出したあと動物性油として様々な事に使用出来る』って書いてあったからちょっと試してみようと思ったんだけどなぁ。

 まあ、羊一頭分では大した事も出来ないだろうし、それも別にいいか。


「アル、洗い直すから手伝って」

「な、なんでおれが……落としたのクオンじゃん……」

「ん?」

「……な、なにしたらいいんだよ……ですか」


 下手な敬語使わなくていいんだが、覚えておいた方がおじ様が来た時に役立つだろう。

 唇を尖らせながら、おれの後ろについてくるアル。

 井戸まで行くと、ちょうどラナが井戸水を汲み上げているところだった。


「手伝うよ」

「あ、フラン。ありがとう」


 井戸水を汲むのって結構力がいる。

 普通の貴族令嬢よりも逞しいとはいえ、ラナの細腕では大変だろう。

 ……ん、そういえば、『赤竜三島ヘルディオス』向けにラナが考えた『手押しポンプ式』とかいうやつの設計図が中途半端になってたな。

 冬場は手が悴んで大変だろうし、その前になんとか作れないだろうか?

 とは言え、俺は鉄加工苦手だしなぁ。


「お昼なに食べたい?」

「え? そうだなぁ……前に作ってくれた甘くない卵焼き?」

「フランって意外と卵料理が好きよね?」

「そ、そう?」


 肉料理の方が好きなんだけど、この生活してると肉は贅沢だからなー。

 ああ、そういえばカルビがお乳を出さなくなったのだ。

 ワズに頼んで雄牛を紹介してもらわなければ。

 ……いや、いっそお婿さん迎えちゃう?

 月末だから売り上げが入るし……ラナのカフェ店舗のお金と生活費を差し引いてなんとかならないかな。

 町に買いに行くのも面倒くさいし、牛乳屋さんに寄ってもらえるように頼むか?

 しかし『エクシの町』からここまで来させると絶対追加料金発生するだろうし、悩ましい。


「具合の悪い子でもいるの?」


 俺が放牧場を見ていたからだろう。

 ラナが少し心配そうに見上げてくる。

 ん、可愛い上目遣い反則、死ぬ。


「ううん、カルビにお婿さんはどうだろうと思って……」

「あ、そっかあ! ……そういえば普通の牛って妊娠しないとお乳を出さないんだったのよね……私、カルビみたいに牛って大人になったら一年中お乳を出すものだと思ってたわ。普通に考えれば子育て期間中だけって分かるもんなのに……変な先入観というか……」

「まあ、実際飼ってみなければ分からない事だったわけだし。俺ら一応これでも元貴族だもん」

「う、うん、そうよね」

「……でも、カルビは年中お乳を出すから寿命が短いって言ってたよね」

「そ、そうね……」

「「…………」」


 やばい、軽くお通夜みたいな空気になった。

 話題を変えよう。


「あ、ところでアルはなにしてるの?」

「クオンにちょっかい出してますます嫌われたところ」

「っ! べ、別にあんなブスに嫌われたところでなんでもねーし!」


 俺が水を汲み、ラナの持ってた瓶に必要な分を注いだあと羊毛の入った桶にも水を入れた。

 しょぼくれて座り込むアルは、頬を膨らませて叫ぶが説得力は当然まったくない。

 むしろ「クオンが好きだ」とバラしているぐらいあからさまである。


「え、へ、へえ? アルってクオンの事好きだったの……」

「はあ!? すすすすすきとかじゃねーし! なんでそーなんだよ! ちっげーしっ!」

「うわ、こんなに分かりやすいの初めて見たかも……」

「だよねー」


 ほれ見た事か。

 ラナにも即バレしているではないか。


「ラナ姉さん、お昼なににしますか?」


 ガチャ、っと玄関から降りてきたのはクラナ。

 おや? いつの間にかクラナがラナの名を呼ぶ時に「愛称」+「姉さん」ついてる?

 ……ドヤァっとしてるラナの顔。

 なんで俺にドヤ顔?

 可愛いけどさ。

 むしろ可愛いだけなのでは?

 はあ、可愛さのアピールですか?

 十分ですけど……それ以上は過剰摂取になって俺が死にます。

 あー、なるほどね……まあ、初めて会った時から言ってたもんね。

 いいんではないのでしょうか。


「あら? アル、なにしてるの? 二人にご迷惑になるような事してないでしょうね?」

「し、してねーよ!」

「アルがクオンの事好きだったのね、っていう話してたのよ」

「ちがっ! あんなブス好きなわけねーし!」

「え? アルがクオンを、好き? あんなに毎日喧嘩してるのに?」

「「………………」」


 お、おおう?

 思わずラナと顔を見合わせてしまう。

 もしや、クラナはその辺りにアレなタイプの人?

 子どもの世話でその辺疎いのかな?

 ……だとしたらダージスのあの直球型アピールは大正解だな。

 意外にもクラナと相性がいいのかもしれない。


「こーゆー年頃の男の子って好きな子をいじめる事があるのよ。照れ隠しみたいでね」

「だ、だからあんなやつ好きでもなんでもねーよ!」

「うちの弟も婚約者にこーゆー事を言ったりして、何度も泣かせてるんだよね……」

「泣く……!?」


 あれ、そこはショック受けるの?

 ……いや、マジにこの好きな相手に意地悪する男子の精神構造が俺には難しすぎて理解不能。

 意地悪したら泣くに決まってるでしょ。

 そこに男女の垣根などないよ?


「な、泣く……クオンが……?」

「さっき泣いてたしね」

「え!」

「見えてなかったのか? 泣いてたよ」


 と、言うと顔を真っ青にするアル。

 まあ、泣いてたと言ってもちょっぴりだけ。

 多分あの子の性格からしてあの場で泣くのをめっちゃ我慢したんだと思う。


「……? 好きなのに照れていじめる? なんでですか? そんな事したら嫌いになるに決まってるのに」

「き、嫌い……」

「本当よね。不思議なもので、恥ずかしいからそうなるみたいよ」

「俺も男だけどその心理は理解出来ない……」

「そ、そうなの?」

「うん。恥ずかしくて、なんにも考えられなくなって、気がついたら意地悪してるんだって」


 ルースいわく、だ。

 だが、目を見開いて唖然としているアルを見る限りこいつもそんな感じなんだろうなぁ。

 逆にクラナはますます眉をしかめて小難しい……いや、険しい顔になっている。

 もしかして……。


「クラナも心当たりがあるの?」

「はい、まあ……『赤竜三島ヘルディオス』にいた頃、いつも意地悪をしてくる男の子がいました。偉そうだし、悪口を言うし、髪の毛を引っ張ってきたり突き飛ばしてきたり、もうホンットサイッテーな男でしたね!」

「…………」


 俺とラナはつい、アルを見下ろす。

 それに気づいてヒクッと全身を強張らせるアル。

 クラナの「思い出しただけでも腹が立つ!」の拳つきセリフは相当な圧がこもっているので、よっぽどだったんだろうなぁ。

 しかし、クラナほどの美少女ではちょっかいもかけたくなるんだろう。

 ……方向性が死ぬほど大失敗しているけど。


「……その子絶対クラナの事好きだったのよ。クラナの気が引きたくてそういう事してたんだと思うわ」

「はあ?」

「うっ」


 ……未だかつてないほどクラナの低い声を聞いた。


「あ、いや……でも、そんなの、だとしても気持ち悪いですけど」

「そうなのよねー、逆効果なのよ。そういうのが許されるのはイケメンに限る」

「……いけめん?」

「顔と性格と面倒見がよくてスペックも身分も身長も高い上、高収入で生涯安泰な男の人の事よ」

「ふ、ふーん」


 ……令嬢の間で使われる隠語かなにかか?

 初めて聞いた。

 顔と性格と面倒見がよくて、スペックも身分も身長も高く、高収入で生涯安泰……。

 そ、そんな奴いるの?

 ああ、アレファルド辺りは全部当てはまるんじゃない?

 なるほど〜、アレファルドは『いけめん』というのか。


「そ、そうそう、うんうん、フ、フランも当てはまるわよね……うん。まあ、フランは私にそんな事しなかったし、するイメージもないから本当ただのイケメンっていうか……うん」

「確かに多少意地悪い事を言われたりされたりしても、あんまり気にならなかったもんな〜」

「…………。え? フ、フラン? 待って、なんの話? え? 誰の事言ってるの? まさかのBL案件?」

「びーえる?」


 今度はどんな意味のある言葉だ?

 え? ラナの顔がアルに負けないくらい真っ青で赤い!?

 しかも汗だく!?

 なにそれ、どういう状況!?


「お金持ちだとしてもあんな奴死んでもお断りですよ!」


 しかしそこはクラナがスパーンとぶった斬った。

 ラナも一瞬固まったが「まあ、そうよねぇ」と肩を落とす。

 さて、ではそれらのものが今のところなに一つ当てはまらないアルはというと……顔面が絶望してる。

 あ、いや、将来は分かんないよ?

 数年後には全部備えてるかもしれない……し。


「……アル、今からでもきちんとクオンに謝って、その意地悪してしまう癖を治した方がいいよ」

「……で、でも……どうしたらいいのか、分かんねーし……」


 うむ、さすがに現実を思い知ったようだ。

 ……クラナ怖かったしね……。


「そうねぇ、急に態度を変えるのも不審に思われるかもしれないから……あ、そうだ。フランに弟子入りしたらいいんじゃない?」

「はあ? 俺? なんにも教える事とかないけど」

「……どの口が……」

「?」

「ん、んん、いや、だってフランも……えっとそのー、イ、イケメン要素が揃ってるし」

「え? 俺に? さっきの条件が?」


 えっと、顔と性格と面倒見がよくて、スペックも身分も身長も高く、高収入で生涯安泰?

 顔は普通、性格はあんまりよくない。

 人の面倒も見るのは面倒くさい。

 スペックはまあ、確かにそこそこ平均よりやや高めだとは思うし、背はアレファルドより少し高いくらい。

 でも高収入は当てはまらないんじゃないか?

 竜石核はいい値段で売れるのは確かだが、これがいつまでも続くとは限らないわけだし……。


「?」

「本気で首傾げてる……」

「そ、そうですよねぇ、さっきの条件、ユーフランさんにも揃ってますよねぇ」

「でしょう!?」

「そう?」


 クラナまで同意するなんて……。

 俺はその辺にいる普通の貴族だというのに……。

 まあ、家は少し特殊だけど、俺は割と普通の人だよ。

 むしろやる気なさすぎて周りからは呆れられてるくらい。


「そ、それじゃあ証拠を見せてあげる! 見ていなさい、アル! これが女子に好かれるいい男というものよ!」

「は、はあ?」


 と、なぜか思い切り胸を張ってアルに指先を突きつけるラナ。

 一体なにを始めるのかと思ったら、ぐるっと俺を振り返り、腰に手を当ててフンス、と鼻息荒く命じてきた。


「フラン! 私に意地悪を言ってみて!」

「…………」


 疲れてるの?

 と、聞くと地団駄を踏みながら「いいから!」と叫ばれる。

 意地悪……ラナに意地悪を言う……んんん?


「なんで?」

「それで証明するのよ」

「な、なにを?」

「フランが私に意地悪を言えば分かるわ!」


 は、はあ?

 これはなにがなんでも『意地悪』をしなければいけない流れ?

 いや、本当になんで?

 ラナが嫌がるような事や困るような事、俺はしたくない。

 だって、さっきのクラナを思い出すとさぁ……嫌じゃん「死んでもお断り!」なんて言われたら立ち直れないよぅ。


「う、うーん……やっぱりやだ。無理。……俺、ラナに嫌われたらその瞬間に生きていけなくなっちゃう」

「…………………………」

「わ、わあ……」


 だから無理。

 ごめんね、と謝ると……ん? あれ?

 ラナがカタカタと震えながら顔を真っ赤にして……汗がダラダラ!?

 な、な、なに事だそれは!?


「ラナ、すごい汗だけど……大丈夫!?」

「……き……」

「へ?」

「卵焼き! 作るからーーーー!」

「は、はい」


 どっ、とすさまじい勢いで家の中に入っていくラナ。

 ……すごいな、完璧な走りのフォームだった……。

 公爵令嬢でありながら、騎士の訓練で教わるような走りのフォームをマスターしているなんて……妃教育、ちゃんとされてたのか?

 けど妃教育であの走り方教わるもんなのかな?

 なんにせよ実にお見事だ。


「す、素敵です……」

「? なにが?」

「え? ええ! あれが無意識に!? ……さ、さすが『青竜アルセジオス』の貴族様……!」

「え? 本当になんの事?」


 クラナもどことなく顔が赤い。

 そして、わけの分からない事を言いながら「きゃー」と嬉しそうに黄色い声を上げて「わたしもご飯作り手伝ってきます!」と自宅の方に駆け上がっていった。

 いや、本気でなんなの……。


「…………」

「アル?」

「……お、おれには無理……」

「え?」

「…………でも……クオンには、あ、あとで、謝る……」

「うん。そうしな」



 この一件のあと、アルに「ユーフランさん」とさんづけ固定とめいっぱいの敬語を使われるようになったんだけど……なぜ?

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