徹夜明けの朝



「ふぁぁ……」


 そんな間の抜けたあくびが聞こえてきて「ああ、朝か」と顔を上げる。

 目頭を押さえて揉みほぐし、ランプを消して背を伸ばした。

 うう、体バッキバッキ……。


「……え? え!? フラン!? 貴方まさか徹夜してたの!?」

「んー……始めちゃうと集中しちゃうからな〜。まあ、おかげでエフェクトを刻んだ竜石は完成したよ。ふあ……、……仮眠を取ったら道具の方を作って完成」

「っ! ……べ、別にそんなに急いでないのよ!?」


 ベッドから降り、靴を履いてなにか慌てて駆け寄るラナ。

 あ、ちょっと待って、俺風呂入ってないから絶対臭……!


「ダメよ! ちゃんと寝ないと! 体に悪いでしょう!」

「…………っ」


 おこ、られた……。

 それがあまりにも意外で、初めてで……俺は、固まった。

 初めて、という表現は些か誤解を生むので、詳細を加えて説明すると——……こんな風に心配して怒られたのが初めての経験だったのだ。

 弟たちにはツンケンした心配の言葉をもらう事はあったが、少なくともアレファルドたち『友人』から心配された事はない。

 その代わり「仕事が遅い」「まだ出来ないのか」「やれると言ったから任せたんだから、さっさと作って持ってこい」等のお叱りならば幾度となく食らった。

 俺がこうして徹夜しても「遅い」と言われ、睨まれながら「早くしろ」と急かされる。

 こっちは徹夜で作ってる、と言えば「言い訳するな」とか「どうだかな」とか「当たり前だ、お前の睡眠時間よりもリファナの笑顔の方が何千倍も大切なのだから」と言われたっけ。

 ちゃんと寝ろ、なんて……言われた事がない。

 そりゃあね、俺だって『彼女の笑顔の方が何千倍も大切』ってところは大いに賛同するぜ?

 だって喜んで欲しくて徹夜したんだ。

 今回は……初めてある意味自主的に。

 それなのにまさか怒られるとは……。


「…………じゃあ、風呂に入ってくるよ」

「え! まさかお風呂も入ってないの!? あとで入るって言ってたじゃない!」

「い、いやぁ……」

「もお! さっさと入ってきなさい! ……朝ご飯は作っておくから! その代わり今夜の夕飯はフランが作ってね」

「はぁーい」


 椅子から立ち上がり、着替えとタオルを投げつけられて追い出されるように風呂場へ。

 ……いやぁ、本当に……想像をポンポン超えてくるな、あのお嬢様は。

 扉を開けて、閉めて、鍵も掛けて、座り込む。


「…………はぁぁ……好き」


 無理、つらいわ。

 なんなのあの人。

 顔を両手で覆う。

 教室で見掛けた時は、友達と話をする事もなく延々と一人で勉強していた。

 口を開けば上から目線でズバズバ正論の嵐を振りまく高飛車公爵令嬢。

 目的の為なら手段を選ばず、側から見れば我儘でキツイ性格。

 それがエラーナ・ルースフェット・フォーサイスだったはず。


「…………」


 うん、だから……やはり、おかしいんだよなぁ。

 俺の知っている彼女は……俺がアレファルドたちにパシられてあまり通学出来なくても、クラスメイトを常に、存在するだけで、威圧していた。

 彼女は公爵令嬢。

『アルセジオス』は『身分』が全ての国だからな。

 最も爵位の高い『公爵』のご令嬢。

 王太子アレファルドの婚約者。

 彼女の言葉は正論で、正論すぎるが故に人に敬遠される。

 特に俺なんかは。

 でも、不思議だな……今のはとても……嬉しかった。

 あと、やはり……変だ。

 正論だと思う。

 正しいと思う。

 けれど……彼女が俺にそれを言う理由はないはずだ。

 なにしろ表面上だけでも『友人』のアレファルドにも言われた事がないんだからな。


「風呂入ろう」


 積極的に食事を作ろうとするのも、変なんだよ。

 ガーデニング、料理、裁縫……商才の方は、王妃教育の一環として受けていた可能性はあるが……公爵令嬢の趣味としては周りに止められそうなものばかり。

 勉強熱心なのはいつも見掛けていたが、まさか庶民の暮らしの研究でもしてたのだろうか?

 まさか?

 ……考えても疑問は晴れない。

 仕方がないので、まずは風呂。

 竜石に触れると体温を感知して天井に設置した、木製の桶からお湯が出る。

 これは事前に桶に水を入れておかなければならない。

 そして水の量を節約する為に、桶の底には小さな穴が空いている。

 ジョウロのようにか細いお湯が、何十本と出る仕組みだ。

 竜石を起動させれば上の桶の水はお湯になり、それを浴びる。

 うん、やっぱお風呂は気持ちいい。




 そんな感じでお風呂を堪能して、着替えて出れば部屋には美味しそうな匂い。

 テーブルにはラナの手作り料理が並んでいた。

 いや、別に感動はしていない。

 断じてしていない。

 ただちょっと幸せすぎて俺明日死ぬんじゃないかな、と心配にはなってる。


「ヒュゥ、今日も美味しそうだな? それに、やっぱり見慣れない料理ばかりだ」

「えっ! そ、そそそそそう? ま、まあ、その、じ、自作料理だからかしらー?」


 すごい棒読みなんだけどほんとかよ。

 目も泳いでるし。

 いや、たとえ誰かの自作のパクリだとしても、再現する力は本物だしな。


「へぇ、君は創作料理の才能まであるのか。すごいな」

「…………。あんまりなんでも信じられると罪悪感を感じちゃうんだけど……」

「へえ、なんで?」

「うっ……、……ううん、なんでもない」


 罪悪感って事はやっぱり誰かの創作料理を再現したのか。

 いや、俺は美味いもの、ラナの手料理、その二つだけであとはどうでも良かったりするんだが。


「いただきます!」

「……いただきます?」


 ラナはどうやら毎回これをやるらしい。

 両手を合わせて、なにをいただき……。


「…………」


 もしかして、この料理に対して?

 いや、料理というよりも……その素材だろうか?

 今日の料理はパンとなんか黄色いくしゃくしゃした食べ物。

 昨日と同じサラダ、昨日残りのスープ。


「あ、えーと……の、残り物ばかりでごめんね……」

「ん? いや、また食べたかったから構わないけど」

「そ、そう? それなら良かった」

「ああ、そうだ。冷蔵庫はすぐ出来ると思うから……良かったら完成させるところ見る?」

「え? も、もう出来るの!?」

「…………」

「え! な、なんで固まるの!?」


 ……お聞きになりましたか、皆さん。

『もう出来るの』って言われましたよ?

 ふっ、と変な笑みがこぼれる。


「そんな事初めて言われたから……」

「え、ど、どういう事? だって冷蔵庫よね? それが一日で出来るわけないじゃない! 私、竜石道具に関しては素人だけど、そんな簡単じゃないのは分かるわよ!?」

「…………」


 はあ。

 本当に公爵令嬢か? この人。

 というか、俺の中のイメージが本当脆くも崩れ去るわー。

 いや、その通りだけど……俺は急かされてきたし、一日で仕上げても第一声は「遅い」以外聞いた事ないぞ。


「変な人だなぁ、君は」

「…………なっ……!」


 なんだか肩の力が抜けてしまった。

 寝不足のせいもあったのだとは思う。

 少しだけ眠気が襲ってきたが、ラナの作ってくれた食事を残すのは嫌なのでまずは食事。

 それから、今自分で言い出したので冷蔵庫は完成させよう。

 冷凍庫も下につけるから、箱を二つくっつけて棚も加えないといけないけどな。


「……モブじゃないのかよ……」

「ん? なに?」

「な、な、な、な、なんでもない!」

「?」


 なんか様子がおかしいな?

 顔が、赤い?

「顔赤いけど熱でもあるの?」って聞いたら「違うっ!」って即否定された。

 それなら良いけど、無理はしないで欲しい。

 新しい生活に慣れてきた時が一番体調崩しやすいからな。

 ラナが具合悪くしたら……まずは『エクシの町』の薬師に診せる。

 うん、シミュレーションばっちり。


「ところでこの黄色いのなに?」

「へ? ただのスクランブルエッグだけど」

「スクランブルエッグ?」

「え、えーと……スクランブルエッグもないのか……えっと、卵をといて……」

「卵をとく?」

「か、かき混ぜるのよ」

「卵を?」


 なにそれ、そんな調理方法初めて知った……。

 驚いて聞き返すと変な顔をされる。

 いや、だって。

 卵をかき混ぜるとか言うから……。


「かき混ぜた卵に牛乳を入れて」

「は? 卵に牛乳!?」

「パ、パンにも卵と牛乳入れるでしょ」

「え? パンに卵と牛乳? え?」

「え?」


 え?

 あれ?

 さすがに知ってるんじゃ、ないのか?

 会話がなんか、噛み合ってないな?


「パ、パンは木から採るんだけど……? まさか知らないの?」

「へ? え? ……ええええええぇ!?」


 あ、マジで知らないのか。

 今食べているパンは昨日、パン屋から買ってきたもの。

 パンは『パンノキ』という木の実。

 皮を剥いで、種を取り、長方形に整えて表面を焼く。

 それが売られてる。


「うっそ! じゃあ今まで食べてきたの全部パンの実!? はあ!? そんな事あるぅ!?」

「ど、どうしたの?」

「待ってじゃあ! じゃあパン屋さんにあったパンが全部食パンだったのは……!」

「え? パン屋のパンはパンノキでしょ?」

「くっそおおおぉ! 騙されたぁぁぁ!」

「?」


 な、なにが?

 なにをそんなに怒ってるんだ?

 騙された?

『アルセジオス』でもパンはパンノキだけど……え?

 パンノキ以外のパンがあるの?


「どうりで変な味だと思った……! あの作者バッカじゃねーの!」

「ラ、ラナさん?」

「はっ! ……あ、ご、ごめん! なんでもないの! めっちゃ気にしないで全力で忘れて!」

「は、はあ」


 公爵家のご令嬢とは思えない言葉遣いが出た気がするんですけど……それも気のせい?

 ま、まあ、なんか変な話にはなったが、まずはそのスクランブルエッグとやらを実食してみよう。

 スプーンでも取れる程よい固さ。

 淡い黄色で、確かにふわふわプルプルしている。

 それに、なんだか少し甘い匂いがするな?

 コーンスープとはまた違った甘い匂いだ。

 なんだろ、これ。

 少し恐る恐る口に入れる。

 ん、んん?

 卵の味……それに、バターの風味?

 牛乳のまろやかさと甘み。

 フワッフワの食感は、口に入れるとすぐにほろほろと解けるように広がっていく。


「美味しい……」

「! ……ふ、ふふーん、でしょう? 作り方はすごく簡単なんだよ。卵をかき混ぜて、その中に牛乳と砂糖をすこーし入れるの。バターを溶かしたフライパンでくしゃくしゃ焼いて、直ぐに火から離す。そうすると余熱でいい感じに固まるんだ〜」

「……すごく美味しい」

「……、……」


 あー、程よい甘さが五臓六腑に染み渡るようだ。

 ……ん?


「ラナ、また顔が赤い……」

「風邪でも熱でもありません」

「……分かりました」


 本人が大丈夫というのなら、今は信じるけど……本当に大丈夫かな。



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