関東大乱② 三浦半島撤退戦

「「「な、なんだと!!」」」


伝令兵の切羽詰まった声音に、重臣たちから小さな悲鳴が上がった。


しかし、新井城に風雲急を告げる一報がもたらされても、信長は腕を組んだまま静かに座している。


「尾張守様。三浦半島を攻めるよりも先に権現山城まで押さえ、後背の安全確保を進言すべきでございました。申し訳ございませぬ」


「ふっ、小一郎が申そうとしたのはこれか。玉縄城に地黄八幡の姿がなかったのが合点が行ったわ。仇敵の里見と手を組むとは、地黄八幡も形振り構ってはおられぬようだな」


北条綱成は北条家精鋭の黄備え隊を率い、その卓越した勇猛さと朽葉色に染めた練り絹に「八幡」と刻まれた旗を指物にしていたことから、「地黄八幡」と称えられた北条家随一の猛将である。


綱成は玉縄城主を務め、玉縄衆と呼ばれる三浦半島の国人衆を束ねていたが、その綱成が南武蔵に逃げていた理由が今ようやく明らかとなった。


房総半島の安房国の里見家とは長年争ってきた犬猿の仲である。その両者が協力するなど、本来ならば到底考えられないことである。だが、綱成は三浦半島という餌を提示し、里見家の協力を得たのだ。


一方の里見家も、綱成が三浦半島はいずれ奪い返せば良いと考えている腹の内は察してはいたが、宿願の三浦半島を得る機会をむざむざ逃す手はないと、敢えて協力要請を受けたのであった。


綱成は東相模を半ば放棄し、北条家の反抗はないと油断させるための巧妙な罠だったのである。信長は自らの判断の過ちを呪う。


「姑息な手を使いおる。狭い三浦半島の端に我らを誘い込み、里見と挟撃するつもりか。……里見は如何ほどの数だ?」


「はっ、兵の数は2千に上るかと存じまする」


「であるか。……権六! 五郎左! 新井城に1千の兵を残し、すぐに玉縄城へ退くぞ」


信長は激高することなく、極めて冷静に撤退を命じた。余りにも順調すぎる侵攻に、心のどこかで疑っていたのかもしれない。


「「はっ!」」


柴田勝家と丹羽長秀は既に酔いも醒め、仏頂面とは裏腹に快活な声で応じた。




◇◇◇





三浦半島は山が多く、狭い山道が多い。小机城で体勢を整えて出陣した北条綱成は、三浦半島の東側の平野部を南下していた。織田信長をその狭い山道に誘い込むため、念入りに計画を練っていた北条軍の行軍は異常と呼べるほど速かった。


一方、織田軍は翌12日の昼には衣笠城に到着したものの、衣笠城から鎌倉の玉縄城へ向かう間には二子山が聳えるため、三浦半島の東側の海沿いを北上して北条軍と正面から戦うか、二子山と南の大楠山の間の葉山を抜けて三浦半島の西側を逃げるしかなかった。


地の利のある北条軍と夜戦するのは避けたいところだが、北条軍の行軍速度を鑑みると、このままでは南から追撃してくる里見軍と夜に挟撃されるのは免れない。信長はすぐさま重臣を集めた。


「見てのとおり我らはまんまと挟み撃ちにされた。そこで、ここに殿の3千を残し、本隊は葉山を抜けて西の海沿いで鎌倉に向かう。我こそは殿を務めようという者はおるか?」


信長は重臣たちの顔を見回し、冷厳な声音で告げる。


殿を残す理由は、残さなければ本隊の撤退を北条綱成が気づき、西進して背後から襲われる恐れが大きいためだ。地の利のある猛将の北条綱成と狭い山間部で戦えば、多大な被害は必至だ。


したがって、本隊が逃げる時間稼ぎのために敵を足止めする役目であり、殿には『死ね』という意味だ。万一生きて戻れば褒美が約束されるが、死ねば名誉は得られても全てが終わりだ。ハイリスク・ハイリターンというには分の悪すぎる役目である。


「某が務めましょう。此度は小一郎が北条の策を見抜けなんだのが原因にござる。ならば、兄の某が殿を務めるのが当然のこと。必ずや尾張守様を無事に退却させてみせまする!」


「兄者ぁ!!」


手を上げたのは木下藤吉郎である。絶体絶命の窮地にありながら顔には人懐っこい笑みが溢れていた。精一杯の強がりなのは一目瞭然だった。


「うむ、良くぞ申した。猿、いや藤吉郎。貴様に殿を命ずる。だが、死ぬのは許さぬ。生きて戻れ。どんな望みも叶えようぞ」


信長は藤吉郎を称賛した。農民の出ながら「長島一向一揆」や「矢作川の戦い」、さらには「小田原征伐」でも活躍し、他の武辺者にはない卓越した才知を誰よりも認めていたのだ。


「ははっ、かたじけなく存じまする。ですが、ご案じなさいますな。某は身体と悪運だけは強いです故、褒美が楽しみにございまする」


信長の激励に藤吉郎が照れ隠しで軽口を叩く。その横面を神妙な顔で見つめていた柴田勝家がいた。


「……」


「権六、どうした」


髭を濃く生やしていた勝家の表情は睨みつけているように見える。腹に何かを抱えているのだろうと汲み取った信長が声をかけた。


「これまで散々農民出と貴様を蔑みながら、武士の某は殿を申し出る勇気がなかった。これまでのことを深くお詫びいたす」


藤吉郎はまたいつもの罵倒か、と覚悟した面持ちで相対していたが、「分をわきまえろ」というように語気の強い言葉に襲われることはなかった。筆頭家老の勝家の謝罪に、藤吉郎は思わず目を丸くする。刹那、藤吉郎はフッと口許を緩めて告げた。


「誠に勿体なきお言葉にございまする。では、生きて帰った暁には柴田様の『柴』の字と、丹羽様の『羽』を拝借し、家名を『羽柴』と名乗らせていただきたく、何卒お許し願いまする」


「羽柴藤吉郎秀吉か。なかなか良い名だな。権六、五郎左。認めてやれ」


「「はっ、畏まりました」」


「かたじけなく存じまする。では皆様方、ご武運をお祈りいたしまする」


信長の助け舟に感激した藤吉郎は笑顔でそう返答するのだった。




◇◇◇




信長は1万5千の本隊を率いてすぐに衣笠城を出立し、葉山を抜けて西へ向かう。本隊は西の海沿いを夜通しで北上し、玉縄城を目指すのだ。


一方、木下藤吉郎の殿軍は葉山の東の谷間を封鎖する場所に留まり、罠に嵌った振りをして南北から迫る北条と里見の軍勢を待ち構えていた。


「皆の者、この戦いの目的は勝つことではない! 生きて帰ることだ! 生きて帰った者には全員に酒と美味い飯を奢ろうではないか!」


――うおぉぉぉ!!!


さすが農民出の藤吉郎は兵の心を確と掴んでいた。『約束を破ったら許さねぇぞ』と声高に脅す輩もいるが、総じて皆に悲壮感は見えず、笑顔である。


日没の酉の刻、北条軍1万3千と里見軍2千に挟撃された藤吉郎率いる3千の殿軍は、守りに徹して戦いながら、西の葉山の盆地に少しずつ後退していく。狭い山道に逃げ場はなく、山の斜面を登って木々を上手く盾にしながら、必死に得物を振るって時間を稼ぐ。


「……もうダメだ」


「死ぬな! おい、肩を貸してやれ。皆で家族の元へ帰るんだ!」


藤吉郎も身体に無数の傷を負い、左腕は骨折していた。それでも諦めずに、槍を杖代わりにして歩き続け、退却する兵を鼓舞し続けた。


しかし、敵の追撃の手は緩まず、夜が明けてからは敵の目から逃れるため、北の二子山の山中に入り、道のない山林の中を歩き続ける。土地勘はないが、とにかく北を目指して幾つもの峰と谷を越えた。


結局、殿軍で生き残ったのは8百にも届かなかった。死ぬために残ったも同然なのだから当然である。


それでも3日後の12月15日、木下藤吉郎は生きて玉縄城に辿り着いたのであった。




◇◇◇




関東の諸勢力にとって織田家と竹中家は侵略者である。関東大連合が織田軍と竹中軍に勝利した事実は、関東の諸勢力に勇気を与え、関東大連合の結束は一層強まった。


中でも古河公方の足利義氏の関東における影響力は計り知れない。義氏は長年の人質生活での抑圧により自己主張が弱く、他人に影響されやすい性格であった。


北条家の残党が義氏を関東大連合の盟主として持ち上げた結果、"腐っても鯛"、足利将軍家の血を引く義氏は、鎌倉府再興と古河公方の復権の野望を抱くのであった。


一方、関東大連合と言っても所詮は烏合の衆だと高を括っていた信長にとって、この事態は厄介極まりなかった。だが、幸いにして織田家も竹中家も主だった武将を失ってはいなかった。ここでの焦りは禁物である。


12月末、信長は玉縄城で北条家の残党と睨み合いを続けている。こうして、織田家と竹中家による関東侵攻は一時の膠着状態となるのだった。

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