三好討伐⑤ 宇新奪還と他家の動向

11月1日、東の讃岐から宇摩郡に攻め入った寺倉・安富連合軍2万に呼応し、寺倉家に臣従したばかりの黒川家と壬生川家の軍勢3千が西の周敷郡から新居郡に攻め寄せた。


本来、両家の周敷郡と桑村郡だけでは兵の動員力は最大1千が精々であるが、朝倉景紀が率いる寺倉家の援軍2千が加わり、両軍合わせて2万3千の大軍による東西からの挟撃となった。


それに加えて、宇摩郡と新居郡の海沿いの城には寺倉水軍の南蛮船3隻が燧灘の海上から支援を行うと、宇摩郡の仏殿城や新居郡の富留土居城、江渕城も艦砲射撃の餌食となり、何の反撃もできずに次々と落城していった。


槍や弓が主体だったこれまでの戦の常識を覆すような寺倉軍の戦い方に、一条松平家に臣従したばかりの宇摩郡と新居郡の国人衆は畏怖を抱き、拍子抜けするほど呆気なく次々と降伏臣従していった。


この背景には寺倉軍が圧倒的な武力だけでなく、政治力の面でも東伊予守護代だった石川家の血を受け継ぐ金子元宅を旗頭に奉じて、東伊予侵攻の正当性を確保したのが大きく影響していた。


たとえ弱小国人であっても武士は多少なりとも誇りを持っており、誇りを守るために討死を選ぶことも少なくないのだ。しかし、金子元宅という正統な東伊予守護代の後継者に降るのは当然だという大義名分を得たことによって、誇りを傷つけることなく降伏することができた。




◇◇◇




伊予国・高峠城。


11月5日になると、高峠城で籠城を決め込んでいた一条松平軍も形勢不利を悟っていた。


「皆様方。やはり海を間近に臨む東予での戦はいささか分が悪いと存じますが、いかがですかな?」


本丸の一室に集まった松平党を始めとする重臣たちは、松永久秀の言葉に一様に苦虫を噛み潰したような表情で首肯する。


「やはり東予は捨てざるを得ぬか」


「そもそも東予を攻めたのは、讃岐や阿波を攻める拠点を得るためであった。だが、讃岐は寺倉に奪われ、阿波の三好もいずれ近い内に滅ぼされよう。ならば、もはや我らが東予に拘る意味はなかろう」


「左様。東予攻めが無駄働きに終わるのは誠に悔しい限りにござるが、このまま籠城を続けて徒に兵を失うよりも、寺倉に包囲される前に土佐に撤退し、捲土重来を期すべきかと存じまする」


しばしの沈黙の後、総大将を務める鳥居元忠が苦渋の決断を下す。


「……やむを得ぬ。撤退する」


一条松平軍は少しでも兵の損耗を減らすため、その夜直ちに高峠城を脱出すると、南の桑瀬峠を越えて土佐に退却するのであった。




◇◇◇




11月6日の昼過ぎ、俺は一条松平軍が籠城していたはずの高峠城に到着した。


しかしながら高峠城に入城することは叶わない。一足遅く昨夜、一条松平軍が撤退する際に、腹いせ紛れに城に火を放ったためだ。


目の前には無残にも炭化して燻った煙を上げる城跡が佇むだけであり、もはや石川家所縁の品は何も残ってはいない。金子元宅の実弟が籠もっていた金子城も同様だった。


「ち、父上……」


元宅は非情な現実を目の当たりにして静かに嗚咽を漏らすばかりだった。心のどこかでは父や弟が生きていると信じていたのだろう。


「備後守。辛いだろうが、嘆き悲しんでいる暇はないぞ。今よりお主が代官としてこの地を治めていかねばならぬのだ。冥府の十郎殿もそれを望んでいるはずだ。良いな?」


俺の叱咤激励に元宅は俯いていた顔を上げると、目に気迫を漲らせて凛とした声を発した。


「はっ、申し訳ございませぬ。某が果たすべき務めは重々承知しております。宇新の地に再び足を踏み入れることのできた御恩は末代まで決して忘れませぬ。寺倉左馬頭様の臣としてこの地を立派に治めて参りまする」


俺が15歳で父上を亡くした時は、直ぐに立ち直ることなど出来なかった。前世の20歳の記憶を備えて通算35歳の成熟した精神年齢だったにも関わらずだ。それに比べて目の前の元宅はまだ18歳だ。さすがは史実で将来伊予一の猛将となる男だな。


「うむ、その意気だ。石川家を継ぐことになるお主には、新たに生まれ変わる意味を込めて我が偏諱を授けよう。これより石川備後守政宅(まさいえ)と名乗るが良い」


「ありがたき幸せにございまする! この石川備後守政宅、寺倉左馬頭様のご厚情に感無量にございます。これより粉骨砕身励み、御恩に報いて参りまする!」


政宅の目には忠義と決意の炎が煌々と燃えていた。宇摩郡と新居郡は阿波に攻め込むためには欠かせない要衝の地だが、政宅ならばしっかり守ってくれるだろう。




◇◇◇




伊予国・轟城。


11月9日、寺倉軍は黒川家と壬生川家、さらには元石川家配下の国人衆の軍勢を加え、2万5千に迫る大軍勢で宇摩郡東部の阿波との国境近くに進軍すると、土佐北街道を見下ろす山上に築かれた轟城に入城した。


轟城は三好一門で阿波・白地城主の大西頼武の弟・大西元武の居城だったが、一条松平軍の侵攻によって大西元武は城を追われ、今は空城になっていたのだ。俺は西から阿波に侵攻するための拠点としてこの轟城を接収し、直ちに轟城の改修を始めさせた。


「正吉郎様。ご報告申し上げまする」


居室に三雲政持の落ち着いた声が響く。政持配下の甲賀衆には関東や東北方面を担当させているが、定期報告に来たようだ。東国では何か動きがあったのだろうか。


「関東ですが、上杉領の北武蔵の国人衆が一斉に上杉家から離反しました。さらには北条の残党が古河公方を担ぎ上げて関東の諸大名や国人衆を糾合し、"関東大連合"を結成いたしました」


「古河公方だと? して、その"関東大連合"が抵抗しているのか?」


まさか室町幕府が滅んで3年も経つのに、古河公方が存在しているとは思わなかったな。実権のない御神輿なのだろうが、やはり関東や東北では未だ幕府の威光が色濃く残っているようだ。


「はい。烏合の衆とは言え、200万石を超える勢力ともなれば侮れず、織田と竹中は両家とも手を焼いておりまする」


だが、信長と半兵衛が協力すれば300万石以上だ。時間は掛かっても負けるはずはないだろう。


「上杉はどうなっておる?」


「冬が長いため順調とは程遠く、出羽の国人も徹底抗戦しており、前途多難ですな」


「竹中の援軍があれば状況はまた違ったのだろうが、援軍の対価だった北武蔵が離反したとなると、独力で広い奥羽を制圧するしかないな」


「では、拙者からご報告いたしまする」


続いては服部半蔵からだ。伊賀衆には山陽・山陰・九州方面を任せている。


備前では宇喜多直家が蒲生忠秀を狙って謀略を仕掛けたが、黒田官兵衛が見破って失敗に終わったようだ。直家は邪魔だった伊賀久隆が死んでくれて好都合だと口角を上げただろう。だが今、浦上を裏切れば宇喜多は四面楚歌となるため、浦上を裏切る真似は出来なくなったな。


その浦上は大友と同盟を結んだ。以前は毛利の庇護下にあったが、遠交近攻策で大友と組むとは、当主の浦上宗景は毛利に並々ならぬ反抗心を抱いているようだ。


一方、浅井は因幡と隠岐を制圧した後は、伯耆と出雲の尼子家旧臣の国人衆に調略を仕掛けているようだ。


「それと先月、毛利の前当主・少輔太郎(輝元)が病死しました」


「毒殺であろう。やはり少輔太郎が陸奥守(元就)を害したのは間違いなかったようだな」


「仕掛けますか?」


「いや、手出しは無用だ。文で蒲生と浅井に知らせれば、後は彼らが動くだろう」


俺は手紙で毛利輝元の死の事実と、毛利元就の死についての俺の推測を蒲生忠秀と浅井長政に伝えるだけに留めた。輝元が元就を殺した罪で粛清されたとの噂を毛利領内に流して、毛利家中を混乱させる策くらいは俺でも思いつくから、後は黒田官兵衛と沼田祐光がもっと悪辣な策を考えるだろう。


「左様ですな」


そう答える半蔵と目が合うと、お互い悪どい笑みを浮かべるのだった。

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