鈴木党の離反

摂津国・津守村。


「拙僧は根来衆の長・津田監物算長と申す」


9月上旬、津守村の代官屋敷に来客があった。その来客とは驚くことに根来衆の長・津田算長である。


「私は寺倉左馬頭蹊政だ。根来衆の長が自ら来るとは、よほどの要件のようだな」


「寺倉家の次なる標的は紀州かと存じまするが、我ら根来衆は寺倉家にお味方する所存にございまする」


根来衆が味方するとはまさかの予想外だった。それだけ石山本願寺の滅亡のインパクトが大きかったのだろう。


「ほぅ。我ら寺倉家に与するとな?」


「もはや畠山には寺倉家に抗する力は残っておりませぬ。雑賀衆は多くが一向門徒である故、畠山に与するかと存じまするが、それでも寺倉家の大鉄砲には敵いますまい。我ら根来衆は真言宗の信仰と寺領の安堵を条件に、寺倉家に合力いたす所存にございまする」


「ふむ。一つ訊ねるが、合力するとは、紀州征伐に限って傭兵として雇われるということか? それとも寺倉家に降伏し、家臣として臣従するという意味か? それによって私の返答は異なる故、よく考えてから答えよ」


現状では比叡山や石山本願寺が滅んだと言っても、大和の興福寺や紀伊の高野山、粉河寺など、大きな寺社勢力はまだ幾つも残っている。大きな寺社は大勢の僧兵を抱えて武装し、かつては朝廷や将軍家に強訴を行う温床になった歴史があるため、将来は史実と同じく刀狩りを行って武装解除させ、寺領を制限して本来の宗教活動に専念させるつもりだ。


寺領を制限すれば、大勢の僧兵は食わせていけなくなるため、寺は学僧以外の僧兵を手放さざるを得なくなる。そのまま放置すれば、僧兵が盗賊や破落戸になって治安が悪化するので、寺倉家が常備兵として召し抱えるつもりだ。日ノ本が平定されて常備兵が多すぎる事態になったら、北海道か台湾の屯田兵にでもすればいいだろう。


もちろん寺領の制限には、寺社の抵抗はかなり強いはずだ。比叡山や興福寺のように、大きな寺社には朝廷や将軍家、摂関家が後援者として付いて、親王や将軍の子が住職や別当に就いたりするからな。事前に朝廷とのネゴが必要になるだろう。


その後で、大きな寺社のトップと話し合い、寺領の制限、武装解除、寺社が権益を握っている座の廃止などの要求を認めさせるつもりだ。そこで寺社が拒否すれば、史実の織田信長や豊臣秀吉のように時間は掛かるが、武力で屈服させるしかない。


したがって、根来寺もまずは寺領を安堵する条件で降伏させるのを優先し、紀州征伐の後に臣従した根来衆を根来寺から引き剥がし、寺領を削減するつもりだ。それで根来寺が拒否すれば潰すしかあるまい。一方、根来衆が紀州征伐に限って傭兵として味方するのならば、寺領ではなく金で雇えば済む話だ。さて、津田算長はどう答えるかな?


「……根来寺は降伏し、根来衆は寺倉家の家臣として臣従いたしまする」


「良いだろう。根来寺の降伏と根来衆の臣従を受け入れ、貴殿らが望む根来寺の寺領を安堵しよう。それと、元より私は宗教や信仰を禁じている訳ではない故、真言宗を信仰することは一向に構わぬ。だが、一向宗のように民を扇動し、一揆を蜂起させるような真似は断じて許さぬ故、胆に銘じておくが良いぞ」


「承知いたしました。そこで、我らは畠山の味方として寺倉家との戦に加勢し、戦の途中に寝返る算段にございますれば、この件は今しばらく伏せていただきたく存じまする」


「ふむ。戦の最中に根来衆が寝返れば、確かに面白いな。分かった。畠山との戦いまで臣従の件は伏せておくとしよう」


幸いにも津田算長の答えは"臣従"だった。根来衆の戦力が敵になるのと味方になるのとでは大違いだから、僥倖と言ってもいいだろう。


「……だが、これが罠でなく、本当に根来衆が臣従するという証が欲しいところだな」


「確かに、臣従を伏せて戦の最中に寝返る、という言葉だけでは、罠と疑われても仕方ありますまい。では、人質として拙僧の長男・太郎左衛門算正の身柄をお預けいたしまする。如何ようにでもお使いくだされ。太郎左衛門、挨拶せい」


「津田太郎左衛門算正にございまする。宜しくお願いいたしまする」


津田算正は既に30代の僧形の男だった。嵯治郎の鉄砲隊に入れて、津田流砲術と寺倉流砲術を融合させるのも悪くないな。


「うむ、良かろう。津田太郎左衛門は私の直臣として召し抱えよう。今後の働きに期待しておるぞ」


「はっ、ご期待に沿えるよう励みまする」


それにしても、1万もの根来衆が臣従して精強な常備兵を手に入れたことで、今後は農繁期の戦も可能になるだろう。史実では、織田信長と豊臣秀吉は「紀州征伐」に10年近い年月を要しており、下手すれば泥沼化は避けられないところだったのだ。だが、これで四国や九州平定を時間短縮する上でも極めて大きな戦力だな。


それに加えて、根来衆は鉄砲鍛冶の技術も持っているから、国友村の鉄砲鍛冶とも協力させたいところだ。宣教師を尾行させた素破たちに渡した買物メモには"燧石"も載せてあるから、"燧石"が手に入れば今の火縄式から燧発式への銃の改良もできるだろう。





◇◇◇





紀伊国・雑賀城。


紀の川の河口部にある十ヶ郷、雑賀荘、中郷、宮郷、南郷の5ヶ郷からなる雑賀地方では、鈴木氏、土橋氏らを始めとする地侍の族党が雑賀衆と呼ばれる傭兵集団を形成していた。


9月中旬の昼下がり、雑賀衆を代表する頭目の通り名である「雑賀孫一」の別名を持つ鈴木重秀は、妙見山上に立つ雑賀城から城下を見下ろしながら思案に耽っていた。


鈴木重秀が考えていたのは、10日ほど前に山中で死体で見つかった土橋泉識坊の一件である。泉識坊の父親である土橋守重は寺倉の素破に殺されたのだと激怒していたが、鈴木重秀には腑に落ちない点があった。


暗殺ならば泉識坊よりも優先すべき有力者は他に何人もおり、泉識坊を狙う理由に乏しいこと、さらに実行犯が死体を隠さず、発見されるのを気にしていないことが違和感の理由であった。


そして、鈴木重秀が配下に泉識坊の足取りを調べさせたところ、泉識坊が根来寺の会合に出ていたのを突き留めたのであった。


(根来寺の会合は何を話し合っていたのだ? 意見が対立して身内に殺されたのか? もしそうだとすれば、それほどの理由は一体何だ?)


鈴木重秀は鉄砲の腕に劣らない優秀な頭脳の持ち主であり、状況証拠から仮定と推理を積み重ねていった。


(……まさか根来衆は寺倉に与する決断をしたのか! 石山御坊の末路を見て、寺倉に抵抗すれば根来寺も根切りにされると思ったか。畠山や我らとは特に親密でもない故、寺領の安堵を考えても不思議ではない。土橋平次の子である泉識坊は当然反対し、口封じに殺されたと考えれば、すべての辻褄が合うな)


長い推論の末に、鈴木重秀はついに真相に辿り着いた。


(ならば我らはどうする? 1万の根来衆が敵となれば、万に一つも勝てる見込みなどない。負け戦で滅ぶのは畠山と土橋たちで十分だ。我ら鈴木党がつき合う義理などあるまい)



◇◇◇



紀伊国・岩室城。


ようやく涼しくなった9月下旬のある夜。松永久秀の居室を鈴木重秀が訪ねた。


「弾正殿。一別以来だな」


「随分と久しぶりよな、孫一殿。それにしてもこんな夜更けに来るとは、酒を飲みに来た訳でもなさそうだな」


松永久秀は堺で会合衆の謀略から逃れる際に、危機一髪のところを鈴木重秀に救けられた経緯があり、それ以来、久秀は親子ほど年の離れた重秀と親交を温めていた。


「ああ。この冬か来春には寺倉が紀伊に攻めて来よう。だが、どうやら根来衆は寺倉に与するつもりのようだ」


「……それは真か?」


「俺の推測だが、まず間違いない。負け戦で滅ぶのは御免被る故、俺は鈴木党だけで四国に逃げることに決めたのだが、弾正殿はどうする?」


「儂を誘ってくれるのか? ……正直言えば、ありがたい誘いじゃな。儂も共に参ろう」


できれば顕如を討ち滅ぼしてくれた恩義を感じる寺倉家とは戦いたくないのが久秀の本音であり、鈴木重秀の誘いは渡りに船であった。


「だが、四国に頼る伝手があるのか?」


「土佐一条家に仕える土居家は同じ一族でな。既に土居家とは話は付けてある」


土居家は雑賀鈴木家と同じく藤白鈴木氏の支流であり、源義経に仕えた鈴木重家の子・清行が伊予国主の河野氏に預けられ、元服する際に藤白鈴木氏の本拠・紀伊国牟婁郡土居に因んで、土居氏を名乗ったのが始まりである。


その子孫である土居宗珊は土佐一条家の宿老であり、鈴木重秀は鈴木党を率いて遠縁の土居家を頼ることにしたのだ。


「だが、三好と戦うことになるやも知れぬぞ」


「構わぬ。むしろ顔馴染みである故、和睦の使者くらいはできよう。ふっふっふ」


笑って応えた松永久秀は、数日後の夜、鈴木党と共に船で四国へと渡った。

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