石山合戦① 寺倉軍の包囲

摂津国・石山本願寺。


5月中旬、石山本願寺法主・顕如の居室に下間頼廉が駆け込んで報告した。


「顕如様。岸和田城を落とし、和泉国を平定した寺倉軍3万の軍勢が北に転進し、此処、石山御坊に向けて進軍しておりまする!」


「……やはりか」


元より寺倉軍の動きを予想できていた顕如は冷然と応じた。顕如は自分が寺倉正吉郎ならば、和泉を制圧した寺倉軍が紀伊に南進すれば、背後を一向門徒に突かれるのを最も恐れるはずであり、ならば先に石山本願寺を潰そうと考えるに違いないと読んでいたのである。


「だが、それは我らにとっても好都合というものよ。この時のために兵を集めたのだからな。蒲生も播磨での戦に手一杯である故、北摂津を案じる必要はない。我らも全力を以って寺倉との戦いに当たることができる。必ずや仏敵・寺倉を討ち倒し、長島の門徒たちの仇を取って見せようぞ!」


普段は理知的でもの静かな顕如が珍しく猛々しく吠える背景には、昨年末の長島と三河での一向一揆の蜂起による時間稼ぎによって、石山本願寺は一向門徒の"大量生産"に成功していたという事実があった。


上町台地の北端、淀川の河口部近くに立地する石山の地は、古くは難波宮が築かれ、淀川や瀬戸内海の水運を中継する湊があり、また、堺や紀伊、京、山陽を繋ぐ陸上交通の要所でもあった。


その淀川や大和川の氾濫による低湿地帯に囲まれた小高い丘に、15世紀末、顕如の曾祖父・実如が法主の時代に石山本願寺が築かれると、その周辺の坂には自然と寺内町が形成され、その周りを縦横に流れる淀川と大和川の支流により、石山本願寺は「摂州第一の名城」と称される程の天然の要害と化していった。


そして、その石山本願寺に集まった門徒の数は、侵攻する寺倉軍に匹敵する3万近くにまで達しており、堅固に要塞化された石山本願寺の防御力も相まって、顕如は万全の体制で必勝を期して寺倉軍を待ち構えていた。




◇◇◇




摂津国・津守村。


「左馬頭様、ようこそ津守村においで下さいました」


「おお、寛次郎、久しぶりだな。しばらくの間、この津守村を本陣とする故、世話になるぞ」


5月中旬、寺倉軍は湊の建設工事が中断された津守村に到着すると、代官の津守寛次郎に出迎えられた正吉郎は、出来たばかりの真新しい代官屋敷に入った。正吉郎は石山本願寺との戦いでは、この津守村を本陣とすることとなった。


「ところで、寛次郎。湊の普請は如何なっておる?」


「はっ、まだ普請が始まって1年も経っておりませぬが、コンクリートなる固まる土のおかげで順調に進んでおりまする。もう既に3割ほど出来ておりますれば、来年の夏頃には完成できるかと存じまする」


「左様か。石山本願寺との戦いの間、しばらくは湊の普請は中断せざるを得ない故、苦労を掛けるが、我慢してくれ」


「はっ、誠に勿体ないお言葉にて、かたじけなく存じまする」


平伏した津守寛次郎が席を外すと、正吉郎はすぐに重臣を集めて軍議を開いた。


「順蔵。石山本願寺について詳しいことは分かったか?」


「はっ、石山本願寺には坊官、僧兵、一向門徒や傭兵など、およそ3万近い人数が籠っているとの由にございまする」


「ほぅ、3万とな。我が軍とほぼ同数ではないか。それは一体どうやって掴んだのだ?」


「はっ、昨年、甚八ら数名の素破を石山本願寺に潜り込ませておりまする。甚八は寺には慣れておりますれば、怪しまれずに寺の小僧として上手く潜り込んだ由にございまする」


「そうか、甚八か。ならば頼りになるな」


信濃から逃げてきた孤児だった根津甚八郎は諜報員養成所で鍛えられた後、大和の興福寺に潜り込み、3年前の「永禄の変」の際に足利義輝の次弟・覚慶を暗殺した実績があり、興福寺での1年間の小坊主の経験が役に立った。


「しかし、3万か。……野戦で同数の敵と真っ向から戦えば、たとえ勝ったとしても損害が大きくなってしまう故、違う策を採るべきであろうな」


「左様にございまする。それと、石山本願寺は四方を川に囲まれていながら、川の流れも複雑で水深が浅いため、残念ながら南蛮船が近寄れずに大砲の射程には届かず、岸和田城のように艦砲射撃で石山本願寺を攻め落とすのは無理かと存じまする」


その天然の要害の石山本願寺が自軍と同程度の3万もの兵数で待ち受けているのを知った正吉郎は、野戦での決着を否定すると、明智光秀が南蛮船の艦砲射撃が不可能だと報告する。


「……ならば、我らが採るべき策は兵糧攻めしかあるまい。まずは周囲に築かれた数十の支城や砦を潰して石山本願寺を包囲するのだ。それと同時に、長島との時と同じく、志摩水軍の船で海上を封鎖し、石山本願寺の補給線を断つ!……3万もの人間がどれだけの間、食い繋げるのか見ものだな」


正吉郎は史実の織田軍と同じく、志摩水軍により淀川河口の海上を封鎖し、石山本願寺の補給を断つ兵糧攻めの持久戦を採用した。淀川の流域は蒲生家の支配下にあり、淀川上流から物資の補給が出来ない石山本願寺は、海上も封鎖されれば間違いなく食料不足となって困窮するはずだと睨んだのである。


そして5月下旬、寺倉軍は大鉄砲の砲撃によって石山本願寺の周囲に築かれた51もの支城や砦をあっという間に次々に落とすと、石山本願寺を完全な包囲下に置くことに成功した。


史実では、織田軍に包囲されて一年半もの間、無補給で耐え続けた石山本願寺であるが、寺倉軍との戦に備えて"増産"した一向門徒は史実よりも人数が多く、それ故に顕如は対応を迫られることになる。



◇◇◇


摂津国・石山本願寺。


「顕如様、寺倉の大鉄砲とやらは想像以上の威力にございまする。死を恐れない門徒たちとは言えども、あの鉄の球に潰されれば一溜りもなく、周囲に築いた支城はことごとく落とされた次第にございまする」


「何? 支城が全て落とされただと! くっ、戦況は悪くなるばかりではないか!」


側近の下間頼廉が寺倉軍に包囲された状況を報告すると、顕如がそれに応えるように悪態を吐いた。石山本願寺の外側に築かれた51もの支城は大鉄砲の餌食となり、瞬く間に寺倉軍に制圧されて、逆に石山本願寺を包囲する寺倉軍の陣地に変わってしまった。石山本願寺の堅固な守りに大きく貢献していた支城の失陥は、顕如にとって大きな痛手となった。


「だが、この石山御坊は川に囲まれた天然の要害である故、どうやら大鉄砲は届かぬようだ。寺倉も川を渡って攻めては来られまい」


顕如にとっては僥倖とも言うべきか、四方を川で囲まれた石山本願寺は大鉄砲の射程外であったため、寺倉軍が川を渡って攻めようとすれば、3万対3万の戦では城攻め側が不利となるため、正吉郎が攻めあぐねているのを察知したのだ。


「確かに、この石山御坊はすぐに落ちることはございませぬが、門徒たちが大量の兵糧を食らうせいで、このまま篭り続けたところで、いずれ食料が尽きるのを待つばかりにございまする」


石山本願寺にとって最も深刻な問題は海上を封鎖されたことである。陸上だけでなく海まで寺倉軍に完全に包囲され、水運による食料の補給も期待できないとなれば、後は飢え死を待つだけだ。現在の食料の備蓄では、3万人の門徒が後半年食えるかどうか怪しい状況だったのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る