細川藤孝の出奔
事の発端は、昼下がりの茶会の席で細川藤孝が呟いた何気ない言葉からであった。
「畠山家はもう駄目でしょうな。相手は3万以上の一向門徒が蜂起したという長島の一揆をわずかひと月で鎮圧して見せた寺倉でございまする。この春にでも3万以上の兵を率いて再び攻めて来ましょう。そうなれば、畠山家に敵う術などあるはずもなく、もはや滅亡する以外に先はありますまい」
藤孝は正吉郎から寺倉家への仕官を断られた後、元"三管領"の幕臣同士として繋がりがあった畠山家に客将として身を寄せていた。
京で生まれた名門育ちの細川藤孝は、"六雄"の領地の東にある関東や奥羽の東国は辺境の田舎である故に、仕官先としては一考にも及ばず、一方で四国や山陽、山陰などに下向することも考えてみたが、名門・細川家のプライドの高さ故からか、畿内から出ることを躊躇った結果、この畠山家に身を寄せていたのだ。
そして、この茶会は松永久秀が、細川藤孝と畠山義続、義綱の父子という畠山家に居候している客将同士の親睦を深める目的で声を掛け、忌憚なく会話をしている中で藤孝の口から漏れ出た言葉であった。
「何を申すか、細川兵部大輔殿。畠山家に身を置く立場の者として、たとえ我ら客将4人だけの場とは言えども、それだけは申してはならぬのが武士としての礼儀、道理というものであろう! 元"三管領"の幕臣同士の家柄であろうとも、今の貴殿の発言は到底聞き流せるものではござらぬぞ!」
憤慨した畠山義続は内心の怒りを堪えて、軽率な発言をした藤孝を年長者として諫めるように告げる。
「ほぅ、"能登の穀潰し"殿が随分と殊勝な物言いでございますな。左様なことを申すのであれば、少しでも本家のために戦功を挙げようという気概を見せれば宜しいのではござらぬかな?」
しかし、藤孝はそんな義続を嘲笑うかのように反論する。藤孝は正吉郎に隠していた自分の本性を暴かれ、「主君に忠誠を誓えぬ風見鶏は誰からも信用されぬぞ」と言われて仕官を断られた日から、自分を偽り続けるのに疲れたのか、まるで人が変わったように本音を隠さずに遠慮なく口にすることが増えていた。
「ぐっ、貴殿までそれを……! それをこの場で申すか!!」
一方の畠山義続、義綱父子は畠山家中で"能登の穀潰し"と陰で囁かれているのを偶然耳にして知っていた。
それまで二人は能登畠山家初代当主の畠山満慶が兄・満家に畠山金吾家の家督を譲った恩義があるのを笠に着て、能登で暮らしていた時のように尊大で横柄な態度で振る舞って周囲から顰蹙を買っていた。
しかし、義続は畠山尾州家が凋落する原因となった御家騒動を引き起こすきっかけとなった人物である。畠山尾州家においてどのような目で見られているかなど、相手の立場に立って少し考えれば、すぐに分かることであった。
次第に周りが余所余所しくなって距離を置かれ始めるようになると、二人はようやく自分たちが招かれざる客人だという認識に至った。自分たちの置かれた立場に悔しくも悲しくもあり、肩身の狭い思いをせざるを得なかったが、今さらながら最近は自重して強圧的な言動は控えるように努めていた矢先であった。
(ふん、何をほざいておるか。"穀潰し"でもマシな方であろう。私であれば"役立たず"か"能無し"とでも呼んでいるところだ)
さすがに刃傷沙汰を招きかねない罵詈雑言を口外するのは控えたが、畠山義続、義綱父子は2年半もの浪人生活で鬱積していた藤孝のちょうどいいフラストレーションの捌け口であり、藤孝は容赦なく言い切る。
「まぁ、貴殿らには無理でござろうな。何せ、能登では戦わずして浅井に降伏し、謀反を企んで捕らえられて追放された挙句に、先の河内の高屋城の戦においては出陣せずに済んだことを喜んでいたそうではござらぬか! 貴殿らこそ、武士として恥ずかしくはござらぬのか? 貴殿らに武士としての礼儀、道理を諭されるほど、私は武士の誇りを捨ててはござらぬわ!」
それが事実であるとは言っても、さすがに藤孝に面と向かって痛罵された義続、義綱父子はわなわなと顎を震わせ、顔は怒りで真っ赤に染まっている。そんな二人を軽蔑するような冷淡な目で見つめながら、藤孝は嘲笑するように僅かに口許を緩めた。
その態度が義続の逆鱗に触れた。義続が畳に拳を振り下ろして怒りを表すと、これまで黙っていた義綱が今にも腰刀の鯉口を切るように鍔に手を掛けて、藤孝に向かってにじり寄った。
「それ以上、戯けた口を開くな! それ以上の侮辱を申せば、ただでは許さぬぞ!」
正に一触即発といった不穏な空気に、傍で静かに茶を啜っていた松永久秀が渋々といった様子で制止に入る。
「まぁまぁ、ご両者ともそれぐらいに致しましょうぞ。せっかくの茶が冷めてしまい申しますぞ」
「弾正少弼殿は黙っていていただきたい。この不埒者から謝罪の言葉を引き出すまで、私は引き下がるつもりはございませぬ」
義続は真っ赤に血走らせた目で久秀を射抜きながらそう告げた。
「やれやれ、でございまするな」
久秀は「ほぅ」と溜息を吐き、付き合い切れないといった様子で首を左右に振ると、それ以降は口を噤んで、黙って茶を啜っていた。
「……ふっ」
「何が可笑しい?!」
その時、藤孝が小さな笑い声を漏らすと、義続はその不遜にも思える不快な笑みに、思わず怒鳴り声を上げる。
「お二方が心配せずとも、私はこれにて失礼する故、謝罪など必要ないであろう?」
「それは如何なる意味か?!」
「言葉どおりの意味でござる。私は畠山家を出て、他家に身を寄せる。そう申しておるのだ」
「何を馬鹿なことを!」
「どちらが馬鹿かな? このまま畠山家に残り、泥舟に乗って座して死を待つつもりはござらぬ故な。弾正少弼殿、せっかくお誘いただいた茶席を台無しにしてしまい、誠に申し訳ござらぬ。では、私はこれにて失礼いたす」
藤孝はそう言い捨てて、松永久秀に一礼すると、部屋を出て行ったのであった。
◇◇◇
「麝香。済まぬが、この城を出て、他家に身を寄せるつもりだ」
「……左様ですか。与一郎様、どちらへ向かわれるのですか? 私の兄上様が仕えている浅井家に仕えてみてはいかがですか?」
細川藤孝の妻・麝香は浅井家の軍師・沼田祐光の妹であった。かつて藤孝が仕えていた将軍・足利義輝が5年もの間、近江の朽木谷に亡命していた折、藤孝が義輝の遣いで若狭武田家へ赴いた際に、途中の宿として立ち寄った沼田家の熊川城で麝香と出会ったのである。
そして、藤孝は麝香に一目惚れし、国人領主に過ぎない沼田家とは家格の釣り合いが取れないのも全く気にせず、5年前に麝香を妻に娶ると、側室も持たずに麝香ひと筋に"おしどり夫婦"で仲睦まじく過ごし、熊千代(忠興)と頓五郎(興元)という二人の息子を得ていたのである。
「済まぬ。私は既に寺倉に仕官を断られた身ゆえ、同盟を結ぶ"六雄"の浅井に仕える訳には行かぬのだ。苦労を掛けるな」
藤孝はそう言って首を左右に振った。麝香にすれば兄・祐光が仕えている浅井家ならば、祐光の義弟になる藤孝も重用されるだろうと、良かれと思っての言葉であったのだが、藤孝は正吉郎に本性を見破られて仕官を断られたことから、"三管領"の細川家の意地に掛けて"六雄"の浅井家に頭を下げるつもりはなかったのである。
そして、藤孝は2年半も世話になった畠山政尚に辞去の挨拶をすると、翌朝、5歳の熊千代の手を引いた麝香と、生まれて半年の頓五郎を負ぶった侍女や側近らを連れて、紀伊から船で四国の土佐西部に所領を持つ名門の土佐一条家へと向かったのであった。
◇◇◇
土佐国・中村城。
四国東部は細川藤孝にとって仇敵である三好家の勢力圏であるため、四国西部の土佐一条家の「中村御所」と呼ばれる中村城に到着した藤孝は、土佐一条家当主の一条兼定と面会した。
しかし、藤孝は対面した一条兼定としばし会話を交わすと、兼定は20代半ばで正吉郎とほぼ同年代でありながら、天と地の違いと言えるほど暗愚であった。そんな兼定が当主を務める土佐一条家ではいくら家臣が奮闘しようとも、三好や長曾我部といった勢力に対抗するのは不可能だとすぐに悟ると、一晩のもてなしを受けた翌日、中村城を辞去したのである。
そして、藤孝は船で四国西岸を北上して安芸の毛利家を頼ると、藤孝はそのまま毛利家の家臣となり、"六雄"に静かな闘志を燃やしていくことになるのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます