博多派遣の成果②

『くそ! くそ! なんてことをしやがるんだ!!』


『まったく、猿どもにしてやられたな』


南蛮船の持ち主である南蛮商人の一人が悪態を吐いた。それもそうだろう。船の底に穴を開けられたのだ。おかげで船底の最下層は浸水して船体は大きく傾き、もはやマカオへの帰港は不可能になったとなれば、癇癪を起こすのも無理からぬところだろう。


景隆から命じられた伊賀衆の素破は、深夜の人気のない時間帯に細工を実行したため、証言する者もいない。それがより一層南蛮商人たちの憤懣を大きくさせていた。


『いっそのこと、大砲で町をぶっ壊すか?』


南蛮商人の中でも比較的気性が荒いことで有名で、濃い髭を無造作に伸ばした40代後半くらいの男が、そんな狂気に満ちた表現で歯軋りをしていた。


『バカ、俺の船1隻じゃ積荷と乗組員全員をマカオまで運べないぞ。大砲で博多の町をぶっ壊せば、残った船員たちは間違いなく猿どもに嬲り殺しにされるぞ。それに我らポルトガル人が敵視されて商売ができなくなれば、マカオの商人仲間からも恨みを買うことにもなりかねん。それでは商売敵のイスパニアや明の商人どもを喜ばせるだけだぞ』


無事だったもう1隻の船の持ち主である南蛮商人が、怒りに我を忘れている商人をなだめるように言うと、


『ただお前の気持ちも分からんでもないがな』


と、頭を掻きながら嘆息した。


南蛮商人にとって、この日本は大切な取引先だ。あわよくば武力で征服したがっている軍人や、宗教で現地人を洗脳支配しようと企む宣教師と違って、商人は利がなければこんな極東の辺境にある島国までわざわざ船でやって来るはずもない。


では一体、何が利になるのか。それは銀や粗銅だ。当時は日本の銀は明や西欧と比べて遥かに安価だったため、石見銀山で採掘された銀が大量に博多から海外に流出したのである。


さらには、当時の日本の精錬技術が低かったため、粗銅の中には金や銀が混じったままだったのだが、そのことを正吉郎と堀秀基以外の日本人は知らなかった。したがって、南蛮商人は博多で粗銅を買って、拠点であるマカオで精錬して金や銀を取り出せば大儲けできたのである。


『じゃあ、どうしろってんだ?』


『以前、船を買いたいと言ってきた商人がいたな。おそらくまだ博多にいるんじゃないか。そいつにできるだけ高く売りつけて、その金で明の商人からジャンク船を買って、マカオまで帰るしかあるまい。ジャンク船は竜骨がない船だが、朝鮮半島まで渡って大陸の沿岸沿いに行けば何とか辿り着けるだろうよ。それが嫌なら奴らの船大工に預けて修理させて、船の構造をすべて猿どもにバラすしかあるまい』


背に腹は代えられない。もはや誰が犯人かということなど誰にも分かるはずもなく、今となっては真実は闇の中だ。


犯人は既に隣国の長門や豊前、肥前などに逃げた可能性が高いだろう。異国人が証拠を掴んで犯人を捕まえて金を払わせるなんて、現実的にできる訳がないし、骨が折れるだけの無駄な労力だ。


『いや、さすがにそれは無理だな。だが、もしかするとその商人の仕業じゃねえのか?』


実は南蛮商人の当てずっぽうは当たっていた。しかし、それを裏付ける証拠は何もない。


『さぁて、どうだかな。俺たちの船を買いたい商人はこれまでにも何人もいたからな。それにあの美味い蒸留酒を安く売ってくれた商人だ。あいつはそんな悪どいことをするとは思えん。むしろ俺は商売敵のイスパニアか明の商人の仕業じゃないかと疑っているがな』


そのうえ平次郎は京の方からやって来た商人だということがあるのか、博多の商人とは比べ物にならないほど身なりが優れていた。それも当然だ。平次郎の実家である慶松家は着物の商いで成功を収めた、まさに"着物のエキスパート"とも言える名家の出身なのだ。着物に関しては正吉郎と同等か、それ以上の物を常に身につけている。


さらによほど裕福なのか、他では手に入らない酒精の強い蒸留酒を、他の濁酒と同じような安値で南蛮商人に売っていた。南蛮商人の中には酒豪が多く、滞在中の酒の費用も馬鹿にならない。だが、その蒸留酒が安い上に、しかも美味いとくれば、南蛮商人は皆挙って買い求めたのであった。


(我らと顔を繋いで取引をやり易くするためだとは言え、非常に値が張るはずの蒸留酒を安値で売り捌いたのは、あの商人からしてもかなり痛い取引だったに違いない。それにあの商人の主人は南蛮の文物を愛する奇特な人物で、様々な珍しい品を欲しているのだという。ならば我らの船が欲しいと言っても何らおかしくはないな。それに加えて、あの商人は京にほど近い三国を治める領主のお抱え商人だそうだ。そんな身元の確かな人物であれば、かなり信用できるはずだ)


冷静な南蛮商人はそのように踏んだ。


『そうか。確かにあの蒸留酒は美味かったな。お前がそう言うならそうなんだろう。俺がマカオに帰れないなんてことになっては困るからな。ガッハッハ!』


先ほどまで自分の船を壊されて怒り狂っていた気性の荒い南蛮商人は、少しは機嫌が治ったのか、大量の唾を飛ばしながら笑う。


(我らの船をどうしても手に入れたいと言っていた商人だ。沈没寸前の廃船同然の船だろうと、高く買ってくれるに違いない)


冷静な南蛮商人は内心でそう考えて皮算用していた。


翌日、2人の南蛮商人は神屋紹策に頼んで平次郎と面会し、南蛮船の売却取引は両者が納得する形で円満に終わったのであった。


「正吉郎様もさぞや喜ばれるでありましょうな」


「ああ、これで俺もやっと肩の荷が下りたぜ」


平次郎と景隆は満足げに呟いた。


これで正吉郎から命じられた博多での任務は概ね果たすことができたと言ってもいい。平次郎ら一行は任務をやり遂げた充足感と安堵感に包まれていた。


「南蛮船が沈まないように、船大工に応急処置を施させねばなりませぬな。安宅船に曳航させて瀬戸内の海を通って、ゆるりと志摩に帰還するとしましょうぞ」


「ああ、南蛮船の操船は任せてくれ」



◇◇◇



「慶松殿。念願の南蛮船が手に入ったようで、よろしゅうございましたな」


「これは、神屋殿。此度は大変な便宜を図っていただき、誠にありがとうございます」


「いえいえ。我々博多の商人もいい商いで儲けさせていただいて、感謝しておりますぞ。ところで、慶松殿にお会いしたいという珍しい客人が参られているのですが、お会いなされますかな?」


「はて、珍しい客人、ですか?」


「左様。実は南蛮人の宣教師の方でしてな。どうやら京の方へ行きたいようでございますぞ。どうなさいますかな?」


「わざわざ我らを訪ねて来られたのですから、お断りする訳にも参りますまい。とりあえずはお会いすることにいたしましょう」


「左様ですか。では、あちらの南蛮風の部屋に待たせておりますので参りましょう」




◇◇◇



こうして、正吉郎から密命を受けて博多に派遣された平次郎と景隆の一行は、なんとか南蛮船を手に入れることができた。


すると、すぐさま船大工が南蛮船の船底の穴を塞いで応急処置を施すと、船底の最下層に浸水した海水を排水し、南蛮船を航行可能な状態にした。


そして、ほどなくして正月を迎えると、一行は年始の祝宴もそこそこに志摩への帰路に就いたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る