伊勢からの帰還

大河内城を出立した俺は、近江国への帰途の途中で伊賀国に立ち寄った。その理由は、伊賀に築城していた伊賀国司の城館が完成したとの報せを受けたので、伊賀国司として城館を確認するためである。


新たな城館は伊賀の中心部の上野の丘陵に建てられており、昨年11月の伊賀平定後の築城指示から10ヶ月に満たない短い工期であった。にも関わらず、基礎部分や石垣などは昔この地に建てられていた平楽寺や仁木氏館の遺産を再利用したこともあり、突貫工事で主要部分は何とか完成に漕ぎ着けることができたそうだ。


だが、伊賀に到着した俺の目に映った城館は、突貫工事で建てられた城とは思えない、堅牢な要塞とも言える立派な城であった。城壁には石垣だけでなく、コンクリートもふんだんに使用しており、統驎城に勝るとも劣らない防衛力を誇っている。


さすがに城内の建物は、俺の居住部分となる本丸御殿や、行政庁舎となる城館を最優先にしたため、城に詰める家臣や城兵たちが入居する屋敷は後回しとなって、まだ建設中であったが、これも冬までには完成する予定だと言う。


まさかこれほどの城だとは予想しておらず、期待を遥かに超える出来栄えに感銘した俺は、築城を指揮、監督した代官の沼上源三を始めとする家臣たちや大工の棟梁たち一人ひとりに労いの言葉を掛けて回った。すると皆は自分たちの仕事の成果を俺から直々に称賛されて、感激した様子を見せていた。


一部の家臣や大工たちはこの後は伊勢に移動して、今度は安濃津の伊勢国司の城館を築城する役目を仰せつかっているそうだ。すべては俺の指示が原因であり、休む暇もないのは本当に申し訳ないのだが、彼ら自身は築城のプロとしての誇りに満ち溢れており、むしろ国司の城館の築城を続けて任される栄誉の方が嬉しいようだ。


俺は本丸御殿に入って内部を見分した後、最上階の展望台から城下を見下ろすと、城下はまだ僅かな数の家しか建っておらず、沼上源三に訊ねると、


「これまでは築城普請の資材の運搬に差し障りがございました故、城下の整備は運搬用の道や橋以外は後回しとなっており申した。ですが、ようやく築城もほぼ終わり、町の区割りも済みました故、これから整備を始める予定でございまする」


という説明を聞いて納得した。


俺は本拠の統驎城は北近江にあるため冬場は積雪が多く、急な出陣に迅速に対応するのが難しいため、畿内への最前線に建つこの伊賀の城を冬季の居城とするつもりである。近くには温泉があるのも好都合だしな。


俺はこの城の名前を「玲鵬城」と命名した。名前の由来は「清らかで美しい、鵬が凱旋する城」という意味であり、伊賀を囲む山々の「霊峰」の音と掛けた名前だ。それと、史実の伊賀上野城が別名「白鳳城」と呼ばれていたことから、統驎城が「麒麟」ならば、こちらは「鳳凰」という訳で、「鳳」つまり「鵬」の字を用いたのだ。


そして、俺は真新しい玲鵬城の本丸御殿で一泊した翌朝、統驎城に向けて出立したのであった。




◇◇◇




暦が9月に変わり、俺はようやく統麟城へと帰還した。今回の4ヶ月近い遠征で伊勢国と志摩国を平定し、100万石の大大名になった俺の凱旋とあって、統麟城の城下は笑顔の町民で溢れ返り、大盛り上がりであった。


統驎城の本丸に入ると、俺を出迎えてくれたのは市と数え3歳の蔵秀丸だった。

そして、市はスヤスヤと寝息を立てる小さな赤子を胸に抱いており、その子が俺が留守していた間に生まれた子なのだと察する。


俺はまず市を優しく抱きしめた。


「市、ただいま帰ったぞ。心配を掛けたな。長い間留守を守ってくれてありがとう。その子が2人目の子か? よく頑張ったな、市」


「正吉郎様、ご無事で何よりにございます。本当に寂しゅうございました。この子が生まれたのは予定よりも少し遅くて8月の下旬でございました。この子も正吉郎様がお帰りになるのをお腹の中で待っていたのかもしれませんね。先ほどようやく眠ったところなのですよ」


そう言って、市は胸に抱いた赤子の顔を俺に見せるように肩を寄せてきた。


蔵秀丸を産む前の市だったら強がって、「寂しかった」なんて言葉は口に出さなかっただろう。俺は市の変化が嬉しくて頬を緩ませる。


それにしても、この小さな体でよくぞ2人も子供を産んだものだ。市の華奢な体を見てしみじみと感じると共に、己に対する情けなさがこみ上げてきた。


「市が一番苦しくて辛い時期に傍に居てやれず、済まなかったな。これでは夫失格だな」


俺は自嘲するように苦笑して謝った。2回目とはいえ、慣れるはずもない出産の苦痛は並大抵のものではなかったろう。母体への負担を少しでも軽くするのが俺の義務のはずなのに、仕事が忙しいのを理由にしていつまでも帰ってこなかったのは、市の出産に立ち会ってやれなかったことへの免罪符にはならないのだ。


「ちちうえ」


すると突然、市の足元から片言の小さな声が聞こえた。


「おお、蔵秀丸。今、帰ったぞ。息災であったか? 寂しくなかったか? そうか、『ちちうえ』と言えるようになったのか。どれ、もう一度言ってみてくれるか?」


「あい、ちちうえ、ちちうえ」


「そうか、そうか。蔵秀丸はお利口だな」


「蔵秀丸は最近になってようやく『ちちうえ』と言えるようになったのですよ」


市が真相を明かしてくれたが、出陣前はまともな言葉を話せなかった蔵秀丸が、留守がちで顔も碌に覚えていないはずの俺を「ちちうえ」と呼んでくれたのだ。俺は胸に初めての感情がこみ上げてきて、目頭が熱くなった。これが父性というものなのだろうか。


俺がここまで頑張って来られたのも、「子供たちに天下泰平の世を見せてやりたい」という父親としての“本能”があったからなのかもしれない。


俺は市の足に縋り付いていた蔵秀丸の頭を撫でて抱きかかえてやると、蔵秀丸は笑顔で「キャッキャッ」と喜んでいる。前世で親戚の子供を同じように抱き上げて遊んであげた記憶が蘇ってきたが、今の俺はあの時とは全く違う感情を抱いていた。自分の血を引いた子供なのだ。当たり前だな。


「……市、俺がここまで来られたのも市のおかげだ。市がいなければ俺は今頃、途中で挫けて倒れてしまっていただろう」


市は、野良田の戦いで父上の仇の六角承禎を討ち取った後、自分を見失っていた俺を励まし、立ち直らせてくれた。そして、かけがえのない子宝を2人も産んでくれた。


市が支えてくれなければ俺はここまで来られなかった。今なら自信を持ってそう言える。本当に市にはいくら感謝しても感謝し足りないほどだな。


「いえ、正吉郎様を陰から支えるのが妻である私の役目です。夫婦ですもの、お互いが支え合うのは当然のことでございましょう? いつもの正吉郎様らしくございませんよ」


市はまるで聖母のような慈愛溢れる微笑で諭すように言葉を掛けてくれた。俺は久しぶりに帰った我が家で市の優しさに触れ、思わず目頭に溜まった涙を堪えて市の頬を撫でる。


「そうか、そうだな。いつもの俺らしくないか」


「ふふふ、そうですよ。私には幾らでも甘えていいんですよ。私はいつもの自信満々で明るい正吉郎様が……」


そう言いかけて、市は後ろを向いてしまった。市の両耳が赤くなっている。やれやれ、まるで前世で見たホームドラマだな。

ただ、市には最近とみに母性を感じるようになったのは間違いない。これが「女は子供を産むと変わる」ということなのだろうか。


そして、2人目の子は女の子、長女だった。出産予定日よりも遅く生まれてきただけあって、丸々とした顔立ちで発育もいいようだ。


俺は腫れ物に触れるかのようにそおっと抱き上げ、初めての娘の顔を覗き込んだ。ピンク色に染まる頬を人差し指で優しく押すと、まるでマシュマロのような柔らかさが伝わってきて、「あぁ、この子は俺の娘なんだ」と一気に愛情が湧き上がってきた。

決して息子の蔵秀丸への愛情が娘よりも劣るという訳ではないが、女児という事実が愛着を一層加速させ、娘を嫁に出したくない父親の気持ちがようやく理解できた気がする。


俺はこの娘を「瑞葵姫(みずき)」と名付けた。初めて胸に抱いた時の直感で頭に浮かんだ名前だが、清らかで穢れのない、そしてどこか、市に似た気品を感じる雰囲気からそう名付けた。


願わくば、健康に育って人並みの器量を持って、優しい男に嫁いで幸せな家庭を築いてほしいと、まだ生まれたばかりの娘の将来を案じてしまう。これが多くの父親が持つ感情なのだろうか。


このかけがえのない大事な家族を守るのが俺の使命だ。今のこの気持ちを絶対に忘れずに、これからも前を向いて進んでいこうと心に誓うのだった。


そして、伊勢国と志摩国の平定と100万石の大名となった戦勝祝いと、さらには長女の誕生を祝って、既に盛大な宴の準備がなされていた。俺の帰還を待っていたのか、もうじき帰還するとでも事前に聞いたのだろう。


本音は長旅で少々疲れていたので早く眠りたいところではあったが、当主として家臣たちの厚意を無碍にする訳にもいかない。俺は漏れ出そうになった欠伸を堪え、家臣たちが催した盛大な宴に参加したのであった。


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