犀川の戦い

長雨の続く陰鬱な梅雨が過ぎ、青田が爽やかな風に揺られ始めた7月中旬。


浅井軍は加賀一向一揆との決着を付けるべく、雪解け後の侵攻の際の倍である3万の兵を以って大聖寺城を出立し、再度の北加賀侵攻を行った。


3万の兵には多くは銭雇いの傭兵が含まれていた。春の北加賀侵攻では加賀一向一揆勢との兵数差があまりなく、無駄に時間を掛けて兵糧を消費してしまったのだ。


その失った兵糧を補填する際に役立ったのが、三国湊や敦賀といった海運の湊町だ。浅井家は湊町に集まる米を大量に買い占め、3万の兵を優に数ヶ月間は養うことのできる兵糧を確保することができたのである。


一方の加賀一向一揆が兵糧を得るのは早くても収穫後の9月だ。これにより、浅井軍は兵糧の面で加賀一向一揆よりも優位に立つことになったのだ。だが、9月までに尾山御坊を落とすことができなければ、せっかくのその優位が活かせられなくなる。


浅井軍は春のように外堀から埋めていくという戦術は採らず、本拠・尾山御坊に籠る1万の一向門徒を直接打ち破るべく一路北進したのであった。



◇◇◇



7月中旬、浅井軍は尾山御坊を包囲する。尾山御坊は加賀一向一揆の本拠地であり、加賀国どころか越前・越中・能登・飛騨を含めた北陸地方で最大とも言える一向宗の拠点である。


それだけではなく、史実では尾山御坊跡に金沢城が築城されたように、既に尾山御坊の周囲には深い水堀が掘り巡らされ、もはや寺というよりも堅城と呼ぶべき要塞であり、真っ向から攻め込んだところで多大な時間と戦力を浪費するだけになってしまう。


浅井長政は安易な城攻めで徒に兵を失うのは愚策だと考え、ひたすら尾山御坊を包囲する姿勢を取ったのであった。


「浅井は一向に攻撃して来ぬな」


「我らに恐れをなしているに違いありませぬ。春の戦いでは我らは奴らに何もさせずに撤退させ申した。此度も奴らはどうやって御坊を攻めたらいいのか、考えあぐねているのでございましょう」


「左様にございます。奴らはこの尾山御坊の巨大さ、堅牢さに驚き、今頃は小便でも漏らしている頃でございましょうぞ」


加賀一向一揆の将である岸田常徳が下間頼照の独り言に応えると、同じく将の一人である窪田経忠が白い歯を丸出しにしながらニヒヒと笑う。


「そうだといいのだがな」


下間頼照は内心で溜息を吐かずにはいられなかった。横にいる経忠が鬱陶しいからではない。いや、それもあるのだろうが、頼照が今訝しんでいたのは浅井軍の動きについてである。浅井軍は春の倍の3万もの兵を率いて侵攻しながら、尾山御坊を包囲してから何も行動を起こそうとはしないからであった。


頼照は一つの失策を犯していた。頼照は春の戦いの折に尻尾を丸めて撤退していった浅井軍を嘲笑い、次に攻め込んできた時には完膚なきまで叩き潰す魂胆でいたのだ。

故に、頼照は狂信徒を必要以上に"作り過ぎた"のである。作り過ぎたというのも、頼照にとって一向門徒は皆「物」と変わらぬ存在だからだ。仏の教えや自らが受けた恩恵を誇張して説教するだけであっという間に洗脳できる。無知は罪だ。無知な農民は言うなれば都合のいい傀儡に過ぎなかった。


春の戦で浅井軍の総大将である浅井長政が大聖寺城に退却した後、城の位置もあり、いつまた攻め込んでくるか分からない状況であった。そのため、頼照は1万もの兵を尾山御坊に留めておかざるを得なかった。


さらに、長政が兵を増やして再度攻め込んでくるのは明らかだったため、頼照も浅井に対抗するように面白いように増える一向門徒に歯止めを掛けることなく、次から次へと洗脳を施して狂信徒化していった。


そして、頼照が農民を一向門徒に仕立て上げていった結果、春から新たに5千もの僧兵が軍に加わった。


ところが一方で、加賀一向一揆は加賀国南部を失って兵糧の収入も落ち、加賀国北部の農民を代わりに僧兵化したために人手不足に陥り、秋の収穫も去年より大幅に減少することは避けられない状況になっていた。


ただでさえ減った兵糧収入である。1万5千の兵を尾山御坊に留めておくには些か物足りなかった。いくら従順な狂信徒どもであっても、食い物を与えなければ動けない。


8月に入り、尾山御坊に籠る加賀一向一揆勢1万5千は、あと10日ほどで兵糧が底を突きかけるという事態に追い込まれた。


一方、依然として包囲する浅井軍に撤退の気配は全くなく、事ここに至って頼照は、浅井軍が自分たちを尾山御坊から引き摺り出して野戦に持ち込むのが狙いだったことにようやく気付いたのであった。


「奴らは端から我らを御坊から引き摺り出そうと考えておったようだな」


「くそっ。これ見よがしに飯炊きの煙を上げておるわ」


「罰当たりどもめ。必ずや地獄に落としてくれようぞ」


頼照が浅井軍の包囲の狙いを告げると、窪田経忠と岸田常徳が浅井軍の陣を見ながら悪態を吐いた。


頼照は一向門徒たちが飢えて戦力が低下してからでは手遅れであり、まだ戦う余力が十分残っている内に野戦に持ち込んだ方が勝ち目があると考え、倍の数の浅井軍に立ち向かうべく、尾山御坊から打って出て出ることを決断した。


浅井軍の傭兵が少しでも不利になればすぐに逃げて瓦解する兵なのに対して、死を恐れない一向門徒を擁していた。「兵の質」の面では逆に優位に立っていた加賀一向一揆は、2倍の3万の兵を擁する浅井軍に対しても物怖じなどしなかった。


そして8月8日の真夏の晴れた朝、加賀一向一揆は尾山御坊から打って出ると、両軍は犀川を挟んで対陣し、激突した。


緒戦は数で勝る浅井軍が圧倒的な兵数の差で優位に立った。兵数が優位な戦では傭兵は大手柄を狙うべく勇猛果敢に敵に突っ込んでいく。一刻の間、両軍は苛烈な戦いを繰り広げた。


しかし、浅井軍の優位が徐々に崩れ始めたのは、加賀一向一揆の狂信徒の踏まれても生き残る雑草が如く執念深い抵抗により、先陣のある一角が崩れたことが原因だった。


傭兵主体の浅井軍は兵数の優位を用いて一向一揆軍を押し潰す戦術を選んだが、一つの傭兵集団が手柄を欲するばかりに敵陣に深く突出し過ぎて、逆に加賀一向一揆に押し潰されてしまったのである。


その少し後ろに控えていた浅井軍の兵たちは、傭兵集団が取り囲まれて残虐な殺戮が行われる光景と、一向一揆軍の僧兵どもが生気の篭っていない虚ろな目つきで不気味に口角を上げ、目を覆いたくなるような光景が繰り広げられるのが目に映った。


さらには殺された傭兵たちの臓物が僧兵どもの頭上で赤い血を撒き散らしながら弧を描いた。その臓物は一向一揆軍の僧兵が殺した傭兵の心の臓を槍で貫き、その槍の穂先に突き刺した臓物を見せびらかすかのように振り回したことによるものであった。そしてそれは、浅井軍に対する恐怖の植え付けに他ならなかった。


戦場に赤々と舞い散る鮮血の生臭い悪臭が浅井軍の兵たちの鼻腔を犯す。しかし、一向一揆軍の僧兵も戦場の悪臭にやられたのだろう。カッと見開いたその眼は真っ赤に血走り、もはや正気を失った狂人の集団のようにも見えた。


その恐怖は浅井軍の周囲に伝播し、ここで初めて先陣の傭兵たちが敵陣に深く入り込み過ぎたことに気づく。先陣の傭兵たちは瞬く間に押し潰され、狂信徒どもの餌食と化していった。


しかし、本陣の長政はそれを黙って見てはいなかった。突出した先陣の傭兵を切り捨て、正気を保つ本隊の兵たちに犀川を越えて、一旦後ろに下がるように命じた。


本来ならば本隊の浅井軍の兵たちも既に戦略的な行動を取ることは不可能になっていてもおかしくなく、時間稼ぎにしかならない行動であった。


だが、長政もこれまでの戦の経験からたとえ兵数の利があっても決して油断などできないことを学んでいた。後ろに下がろうとする先陣の浅井軍の兵たちを追撃するべく犀川を渡る一向一揆軍に対して、川の上流の森に伏せさせていた別働隊の精鋭1000に命令し、僧兵どもの横合いから強襲させた。


渡河中に背後を突かれる形になった一向一揆軍の僧兵どもは、重い甲冑を身につけていたために身体がうまく動かせないことから、深い川の中で反転することもままならず、当然のことながら突然の奇襲に対応が遅れた。


一方、浅井軍の別動隊の精鋭たちは身軽な装備で、重い甲冑など身に付けていない者ばかりであった。川の中での戦いは、浅井軍の別働隊が甲冑が重くて殆ど抵抗することができない一向一揆軍の僧兵に対し、容赦なく切り裂いて犀川の水を真っ赤に染め上げていった。


そこへ浅井長政の号令が轟き、犀川を渡り切ったばかりの浅井軍の本隊が態勢を整えると、反転して一気に攻勢に転じ、渡河中の一向一揆軍の正面から襲いかかった。


浅井軍の本隊の兵たちも既に重い甲冑は外していた。身軽な装備で襲い掛かると、川の中で上手く身動きが取れないまま挟撃を食らった一向一揆軍は遂に瓦解し、犀川の対岸の下間頼照率いる本陣も剥き出しになった。


僅かな手勢しかいない一向一揆軍の本陣に浅井軍の本隊が吶喊すると、加賀一向一揆軍の総大将・下間頼照は浅井軍の攻勢に為す術もなく、雑兵の一人に討ち取られた。


「敵総大将を打ち取ったりぃぃーーーー!!!」


「「「えいッ!えいッ!応ッッッーーー!!!!」」」


大きな喚声が戦場に響き渡ると、浅井軍から勝ち鬨が湧き起こった。


犀川の戦いで総大将の下間頼照を討ち取った浅井軍は、その余勢を駆って空き城同然の尾山御坊を攻め落とした。


しかし、加賀一向一揆の総大将を討ち取り、本拠である尾山御坊を落としても、一向一揆軍の残党は決して降伏することなく、執拗で激しい抵抗が続いた。


残党が立て籠もった周囲の城を一つひとつ攻め落とすには骨が折れたが、犀川の戦いの時点で一向一揆軍の兵糧はほとんど残っていなかったため、城に立て籠る一向一揆軍の残党は次第に飢えとの戦いとなり、浅井軍は飢えて戦えなくなった残党を根切りにしていった。


8月28日、浅井軍はようやく加賀一向一揆の残党を全て討ち滅ぼし、ついに「百姓の治める国」加賀国35万石の平定が成り、浅井家の領地も100万石の大台を超えたのであった。








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