伊勢守

伊勢国・大河内城。


8月下旬、俺はまだ大河内城で伊勢国と志摩国平定の後始末に忙殺されていた。


嵯治郎と茅夜姫の婚礼の儀と家督相続の儀を行った後、俺はまず最初に降伏臣従した国人領主の沙汰を終えた後、家臣たちの南伊勢侵攻の論功行賞に加えて、北畠家臣団を再編する人事異動を行った。


旧北畠家臣とは全員と面談し、寺倉家の統治に対して内心で不満が強そうな家臣や家柄が良いだけで能力の低い者を排除し、ある程度は信頼できて能力の高そうな家臣を選抜して、新たな家臣団を再編した。


だが、嵯治郎の相談相手となるような腹心の家臣が欲しいと考え、瑶甫恵瓊の補佐をさせていた神戸具盛を急遽呼び寄せ、与力として嵯治郎の補佐役を命じることにした。


神戸具盛ならば真面目な性格で嵯治郎と年も近く、今後は中伊勢の安濃津に本拠を移転する計画だ。安濃津ならば元の領地からも近くて土地勘もあるはずなので、上手く嵯治郎を補佐してくれるであろう。これで少しは嵯治郎が統治しやすい体制になったと思う。


さらには、3ヶ月もの長期遠征となった家臣や兵たちの大半を領地に帰還させた。もはやここにいても費用が掛かるだけで意味はなく、もうじき収穫の季節だからな。


その後は、安濃津の築城の指示、在地の土豪や安濃津・大湊の商人たちとの謁見、伊勢神宮との挨拶など、目の回るような忙しさである。史実では織田信長も上洛後に3000貫文(現在の約3億円)の献金を行っているが、寺倉家も北畠家を乗っ取ったという風評を打ち消して、嵯治郎の伊勢国の統治をしやすくする上でも、式年遷宮への献金は検討する余地があるだろう。


これらは本来はすべて伊勢国主となった嵯治郎がすべき仕事ではあるが、領主経験のない嵯治郎がいきなりできるはずもない。当然、後見役の俺がすべて代行せざるを得ない訳だが、嵯治郎には俺の横に座らせて国主の仕事の猛勉強中だ。


嵯治郎は始めは目を白黒させていたが、やはり地頭が良いのだろう。次第にコツを飲み込み始めたのか、俺が「この意味が分かるか?」と訊ねるとしっかり正解を答えるくらいだ。鳥屋尾満栄を始めとする北畠家臣もいるので、どうやら伊勢統治を任せても大丈夫なようだ。


だが、俺もいつまでも伊勢国に残っている訳にもいかない。統驎城では身重の市が俺の帰りを首を長くして待っているのだ。もうそろそろ2人目の子が生まれる時期だが、今回は出産に立ち会ってやれそうにもない。まったく酷い夫だな。


◇◇◇


そんな多忙を極める最中に、大河内城に意外な来客があった。山科言継が突然、大河内城を訪ねて来たのだ。言継とは1年ぶりの再会だが、要件はまた朝廷への献金の要請だろう。


「伊賀守殿、久しぶりでおじゃるのう」


「そうか? まだ1年しか経っていないと思うが?」


ニコニコと笑顔の言継に、内心ウンザリした俺は皮肉交じりの言葉を返す。


「ホホホ、伊賀守殿は相変わらずよのう。此度は伊勢国と志摩国を平定され、晴れて100万石の大大名になられたそうでおじゃるな。ほんに目出度いことでおじゃるのう」


「遠路お越しいただいて丁寧な祝いの言葉までいただき、誠にかたじけない。……それで、今日はまた銭を無心しに来られたのかな?」


俺は溜息を隠そうともせず、苦笑いを浮かべながら訊ねる。俺の言葉に若干顔を歪め、こめかみがピクピクと動いた。


「ホホホッー、ほんに伊賀守殿は面白き男よのう。内蔵頭の麿にも遜らぬそなたの度量は、武田信玄殿か織田上総介殿にも匹敵するでおじゃるな」


「それは過分な褒め言葉だと承っておこう。で、要件は一体何かな?」


俺は真に受けず、歯の浮くようなお世辞に聞こえる言葉を適当に流した。


「うむ。此度、伊賀守殿の弟御の嵯治郎殿は北畠家の家督を継がれたが、名実共に伊勢国主となるためには『伊勢守』の官位が必要じゃ。お分かりでおじゃろう?」


やはり要件はそれか。北畠家は伊勢国の地行国主なので、当主は半ば自動的に伊勢国司すなわち「伊勢守」の官職を持つことになるが、といってもタダでは任官されることはない。官位は朝廷の貴重な財源だ。それ相応の献金をしなければ任官されはしないのだ。


「うむ。私もいずれ『伊勢守』の官位を要請する必要があるとは承知していた」


「それなら話は早いのう。伊勢国は大国でおじゃるので、『伊勢守』の位階は『従五位上』となるでおじゃる。官職が位階を下回るのは珍しくないでおじゃるが、位階を上回るのはちと具合が悪いでおじゃるし、嵯治郎殿にとっては初めての任官でおじゃるので、『従五位上・伊勢守』を叙任されるのがよろしかろう。いかがでおじゃるかな?」


「いかがも何も、『従五位上・伊勢守』に叙任されなければ、嵯治郎が名実共に伊勢国主として認められないのであろう? ならば献金せざるを得ないではないか」


「ホホホ、左様でおじゃる。じゃが、そうなると、伊賀守殿の官位は『正六位上・伊賀守』じゃが、弟御の官位よりも下になって、長幼の序を外れることになるでおじゃる。それに伊賀守殿は100万石の大大名となったからには、『伊賀守』の官職は伊賀国主として必要があればそのままにするとしても、位階の方は大大名に相応しく、『正五位下』か『正五位上』辺りが相応しかろう。いかがでおじゃるかな?」


くそ、俺の位階まで上げようという魂胆か。それは全く考えていなかったが、言われてみれば、本家で兄の俺が『正六位上』で、分家の弟が『従五位上』では世間体が良くないのは道理だな。これはさすがに応じざるを得ないか。山科言継は本当に営業マンの鑑だと感じざるを得ない。


「なるほど。そういうことであれば是非もなしだな。では、嵯治郎に『従五位上・伊勢守』の叙任と、私に『正五位上』への昇任をお願いしたい。では、いかほど献金をすればよろしいかな?」


「ほほほ、相変わらずまこと遠慮のない物言いでおじゃるな」


その後は前回と同じく山科言継との献金額の交渉となり、山科言継はまた芋焼酎を強請ろうと思っていたようだ。しかし、俺は天皇家の氏神である天照大御神を祀る伊勢神宮の式年遷宮に資金援助する考えを明かして、その御礼に今回の献金をタダにしないと式年遷宮への資金援助は見送るぞと半ば脅した。山科言継もさすがにこれには抵抗できずに献金はタダで決着した。


だが、目論んでいた朝廷への献金を得られず、さすがに落胆した様子の山科言継が少々気の毒になったので、言継個人に芋焼酎の小樽を贈呈すると今泣いた烏がもう笑ったかのようにパッと笑顔に変わり、「しまった。騙されたか」と思った時は後の祭りであった。


「ほんに伊賀守殿との交渉は骨が折れるのう」


山科言継はそう愚痴を零しながらも、焼酎の小樽を大事そうに抱えて嬉しそうに帰って行った。


その後、9月に伊勢神宮に式年遷宮の資金援助として2千貫文を献金すると、10月下旬、朝廷の使者から正式に嵯治郎に「従五位上・伊勢守」の叙任と、俺に「正五位上」への昇任が通達されたのであった。

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