伊賀築城と炭団

寺倉家は年明けから内政重視に舵を取り、新たに領地となった伊賀国の統治を最優先に事を進めた。


その中でも最も大きな規模の事業となるのは、伊賀国国司の城館となる新城の築城である。


伊賀は山間部が多いため城は山城が多い国だが、史実で伊賀の城として有名な伊賀上野城は、1585年に筒井定次によって築城された平山城である。上野の地に至っては豊富な水源を持ち、平地が広がる数少ない場所であり、伊賀上野城は伊賀盆地の中央部にある丘陵に築かれており、西側は木津川、北は支流の服部川に挟まれて天然の水堀の役目になっている。


その上、近江ほどではないが、伊勢と近江、山城、大和に繋がる八つの街道の結節点となっており、さらには木津川の上流や支流が伊賀盆地の南部や東部にまで流れており、伊賀国内では水運による物資輸送や交通の便にも優れており、伊賀の流通の中心地とも言える場所なのである。


この好立地を活かさぬ訳にはいかないと、やはり俺もこの上野の丘陵部に平山城を築くことにした。


かつてこの丘陵には要塞としても利用された平楽寺や伊賀守護を務めていた仁木氏館があったが、既に一部を残して焼失していた。だが、建物の基礎部分や石垣などはそのまま残っていたので、それらの遺産をできるだけ有効活用して縄張りを行っている。


さらに、伊賀は元々貧しいために修繕費用もままならなず、防御機能も無いに等しい裸同然の山城や砦が多く存在していた。こんなあってもなくても変わらないような城が幾らあっても存在価値はなく、むしろ盗賊や反乱分子の根城になっては困るので、俺は当初の予定通りこれらの城もどきを全て取り壊し、石材や材木などを上野の地に建てる城の建築資材として有効活用することにした。


伊賀は国境を接する大和との最前線の国であり、三好家に対する抑えとなる要衝の地である。本来であれば史実の安土城のような壮麗な城をじっくり時間を掛けて築きたいところだが、今は悠長に築城に時間を掛けている訳にはいかないため、こうした過去の遺産や資材を再利用し、さらにはコンクリートも当然利用して、多くの人員を割り充てることによって工期を短縮し、今年中には一応の完成を見込む計画となっている。


沼上郷から移住した民はダム建設に携わっているため、築城に携わる伊賀の領民については本来は賦役であるが、今回は昼食を提供し、多少の労賃を支給することで、領民の慰撫を図り、寺倉家への忠誠心を高めるように考えている。


俺は田植え後に控える南伊勢侵攻に際しては、この伊賀から南伊勢への物資の流通を意図的に妨げ、荷止めを行う計画である。伊賀と伊勢を繋ぐ大和街道や伊賀街道、初瀬街道、そして北伊勢と南伊勢を繋ぐ伊勢街道を塞ぐことで、南伊勢の北畠家の兵糧調達を阻害し、窮地に追い込むことを目論んでいる。


とは言え、南伊勢には大和南部から伊勢本街道が通っている上に、海に接する土地だ。大湊からの海運を使えば物資の調達はどうとでもなるのは明白だ。寺倉が伊賀の街道で荷止めしたのを知れば、北畠はすぐにでも物資の不足分を伊勢本街道や海からの調達に切り替えるに違いない。


それでも伊賀の街道を荷止めされる影響は大きく、北畠はかなりの痛手を負うはずだ。今は積雪で街道の流通はほとんどないが、雪解け後からの荷止めにより南伊勢侵攻までに物資の面で北畠に対して多少の優位を得ることができるだろう。




◇◇◇




1月下旬になってから大雪の日が続いている。厳冬だった去年ほどではないが、それでも小氷河期のこの時代の北近江の冬は厳寒である。統驎城は改築によって壁や天井、床などの隙間を減らし、板壁には藁などの断熱材を挟み込んで、できる限りの防寒対策を施しているとはいえ、山上に聳える統驎城では北からの風雪が容赦なく吹き付けるため、城内で暮らす寺倉家の面々にとっては気温以上に体感温度が下がり、この冷え込みは非常に堪えるものである。


俺は以前に、冬のあまりの寒さに耐えかねて羽毛布団やコタツを開発した。羽毛布団を応用し、正方形の形の薄い布団を作ってコタツ布団として使うことで、夜着を布団代わりに使うよりも保温性能も格段に向上した。


これまでは一酸化炭素中毒の危険や臭いを考慮して高価な池田炭を利用していたが、それでは庶民にコタツの普及が見込めない。そこで、俺は炭の代替となるような庶民にも入手可能な安価な燃料となるものはないかと考えた。


俺が考え付いたのは炭の粉を粘着剤で団子状に丸めたもので「炭団」と言い、見た目はただの黒い丸い塊であり、文字通り"炭の団子"である。


しかし、この炭団は熱効率が非常に優秀で、火力は炭よりも弱い半面、種火の状態で一日中でも燃焼し続けるという特長があるのだ。長時間の温熱効果があるため、コタツの熱源として長時間使用する用途には非常に向いている燃料なのだ。


それに、炭団の煙はごく僅かなため、日常生活にも支障が出ないという利点もあるが、何よりも炭団の大きな特長は極めて安価だという点である。


炭団の材料は木炭や竹炭の粉と、布海苔などの粘着剤だけという、至ってシンプルである。


木炭や竹炭の粉は、炭焼き小屋で炭を焼いた後の床に売り物にならない細かい欠片や粉が必ず大量に発生する。さらには木炭を炭俵に入れて運搬する際には衝撃や振動などで木炭が砕け、炭俵や炭袋の中にも大量の炭の粉が溜まってしまう。


つまり炭の粉はどうしても自然と発生するもので、本来は売り物にもならない廃棄物なので原価はゼロである。


そして炭団のもう一つの材料、炭の粉を固める繋ぎとなる粘着剤が必要だ。海藻から作る布海苔も比較的安価で入手可能ではあるが、寺倉領ではもっといい材料がある。


それはジャガイモから作るでんぷん糊だ。ただ、食用や焼酎の材料となるジャガイモを丸ごと炭団に使うつもりはない。使うのはジャガイモの"皮"である。


ジャガイモの皮は当然食用にはならず、せいぜい猪や鶏の餌にするか、畑の肥やしにするしかない生ゴミとなる部分である。


だが、そんなジャガイモの皮からでも磨り潰して水を加えて熱するだけで、立派にでんぷん糊を採ることができるのだ。本来ならば廃棄物になるはずのものを有効利用するだけなので、これも炭の粉と同じく原価はゼロであり、ゴミの削減にもなる。


この二つの材料を組み合わせることにより、炭団の原材料費はほぼゼロとなり、他は製造に掛かる人件費や輸送費だけとなり、販売価格も極めて安価に抑えることができる。


この炭団を暖房用途の燃料としてコタツと一緒に非常に安価な値段で売り出せば、庶民にもコタツを普及させることができるはずだ。


そして炭団とコタツが普及すれば、庶民の必需品で費用がかさむ薪や高価な炭の購入を抑えることができ、庶民の冬の暮らしも一段と楽になるだろう。


史実でも炭団は、昭和の中頃までコタツや火鉢などの一般家庭の暖房用燃料として使用され、炭団工場も多く存在していたようだが、寺倉では伊賀で大量のジャガイモを栽培する予定でいるので、長期的なスパンでの安定供給が可能だろう。


もちろん炭団は真似しようとすればすぐに真似できるような簡単な製品であるが、炭の粉の調達はできても、粘着剤にジャガイモの皮という原価ゼロの材料を調達できるのは、寺倉家だけの強みだ。


粘着剤に布海苔を使う他国の商人が炭団を真似しようとしたところで、価格競争力の面で寺倉製に太刀打ちできるはずはない。したがって炭団は寺倉の独占商品となり、安売り競争をすることなく、販売価格を維持して安定的に稼ぐことができるだろう。


炭団自体は安価な製品だが、伊賀で工業製品として炭団を大量生産できるようになれば、独占販売により焼酎や伊賀焼と並ぶ特産品として伊賀の経済的支柱になり得るはずだ。


ついでにコタツだけでなく、伊賀焼で火鉢や七輪を作って炭団とセットにして売れば、伊賀焼の職人の暮らしも今よりは豊かになるだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る