謀略の布石
永禄6年(1563年)7月15日。
太陽が地平線から僅かに顔を出し、空高く伸びる入道雲を紅く染める暁の頃。三好家を揺るがすような大きな激震が走る出来事が起こった。
ーー三好長慶、病に伏す。
これは三好家だけでなく、近隣の大名にとっても驚天動地の報せであった。畿内の支配者たる三好家の当主が病に伏したのだ。驚かないわけがない。
三好長慶は精神病にかかっている。細川晴元を残虐非道とも言える手口で惨殺したことからも取れるように、その度重なる愛弟の死と仏敵の誹り、旧勢力の畠山に連敗を喫したことが重なり、長慶の精神は着実に蝕まれていった。
そしてそれが浮き彫りになったのが、この日である。三好は松永の先導の元、今夏の伊賀侵攻を目論んでいたらしい。しかし、長慶が病に伏したことでその計画は白紙に戻った。三好に連勝し、河内、和泉、紀伊の三国に悠々と領地を構える畠山の存在は大きく、伊賀の制圧により失地回復を狙った三好の企みは、出鼻を挫かれる形となった。
復活した幕府の名家、守旧派最後の砦。畠山はそのように評されており、義輝や足利幕府の幕臣たちは、虎の威を借る狐が如く畠山の復活を喜んだ。
さらに三好長慶が病床に就いたと聞いた義輝は、これまで以上に調子に乗ってしまう。義輝はこの機を逃すまいと、畿内周辺の大名に三好討伐を要請する御内書を送った。
それは寺倉家も例外ではなかった。御供衆である寺倉が美濃一色と敵対したことは義輝の心に暗い影を落としたが、元はと言えば美濃一色が仕掛けた戦であり、義輝は別段怒りを露わにすることはなかった。
その寺倉が北伊勢の15万石を手に入れ、60万石にまで勢力を拡大させたとなれば、義輝は美濃一色が滅んだことなど、頭から消え失せたようだ。その結果、俺にも義輝から三好討伐を命じる御内書が届けられた。
この御内書によって三好と敵対する大義名分ができた訳だが、俺はまだ大きな勢力を擁する三好と敵対する気などさらさらない。「先の北伊勢の戦で大敗を喫し、長きに亘る遠征が祟り、兵を出す余裕はない」と理由をつけ、退却戦で重傷を負った悲痛な思いを文面に醸し出しながら、俺は適当に返答しておいた。
大人しくしておけば良いものを馬鹿な奴だ。俺は身の程をわきまえぬ義輝の愚かな行動に嘆息しながら、呆れたように頬杖をついた。だが、足利幕府の幻想に憑りつかれた義輝のこの“余計な行動”が己の首を締めることになるはずだ。
史実で「永禄の変」が起きたのは2年後の永禄8年、1565年だ。だが、この世界では俺の存在によって歴史が改変されている。三好長慶の病気が史実よりも早いことを考えると、近い将来の長慶の死後に「永禄の変」がいつ起きても不思議ではない。
俺としては「永禄の変」が起こるのは大歓迎だ。なにせ足利幕府が滅亡に近づき、将軍殺しを理由に三好討伐の大義名分も手に入るのだから、阻止しようなんて考えはこれっぽちもない。
だが、「永禄の変」の後が問題だ。足利義昭。こいつをどうにかしておかないと、“寺倉包囲網”なんて作られかねない。俺は植田順蔵を呼び出すと、人払いをさせた。
「順蔵。公方が御内書をあちこちの大名に送りまくって、三好討伐を命じているのは知っているな?」
「はっ。既に三好もそれを知っており、家中はかなり怒っているようですぞ」
「そうだろうな。今はまだいい。だが、長慶が死んで義興が後を継ぐと、三好三人衆や松永久秀が暴走する恐れがある。いや間違いなく、目障りな公方を弑しようとするだろう」
「そうなると、公方様はまた朽木谷に逃げるのでしょうか?」
足利家は京を失うと、度々朽木家が治める朽木谷に身を寄せていた。義昭がそうなるかは、現在のところ全く不明だ。
「さて、どうだろうな。逃げるかもしれんし、殺されるかもしれんな」
俺は言葉を濁して遠い目をする。
そんな俺の仕草に順蔵は反応を示すことはなく、「さもあらん」と俺の言葉を黙って聞いていた。
「ところで、公方には仏門に入っている弟が二人いるのは知っているか?」
俺は話題を切り替えて順蔵に訊ねた。
「はっ。一人は興福寺におられる覚慶様、もう一人は相国寺におられる周暠様かと存じまする」
「よく知っているな。そこでだ。もし公方が三好に殺される事態となったならば、興福寺にいる覚慶の命を奪うことはできぬか?」
そう、俺は足利義昭の抹殺を狙っている。史実では京にいた周暠は三好に殺されるが、大和にいた覚慶は幕臣たちの助けによって辛くも逃げている。この結果、義昭を奉じて上洛した信長は、後に義昭に「信長包囲網」を作られて苦しめられることになるのだ。まさに"恩を仇で返す"とはこのことだな。
「興福寺は僧兵が大勢いる寺となれば、志能便といえども一乗院門跡の覚慶様を刃物で暗殺するのは容易くはありませぬ。ですが、前もって志能便の童を小坊主として送り込んで、毒を盛れば十分可能かと存じまする」
しばし考えた順蔵が覚慶暗殺の策を告げると、少し意外に感じた俺は順蔵に訊ねた。
「順蔵は俺が“公方の弟を殺せ”と命じることに驚かないのか?」
俺としても、とんでもないことを口にしているとは重々自覚している。だが、そんな俺の命令にも順蔵は顔色一つ変えることなく、淡々と話を進めた。
「覚慶様は公方様の弟ではございまするが、公方様ではございませぬ。それに、一乗谷で大雪崩を起こして加賀一向一揆を生き埋めにしてみせた正吉郎様は、神仏の化身か御使いと存じますれば、拙者などの考えも及ばぬ深い思惑があってのことと存じまする」
どうやら俺は志能便たちに相当な畏怖を植え付けてしまったようだ。
「そうか。だが、興福寺に送り込む童はかなり危険な役目となるが、大丈夫か?」
「はっ。正吉郎様が以前、養成所を視察された際にお会いになった甚八という者がおりまする。童ながらなかなか筋が良い者でございますゆえ、立派に役目を果たせるかと存じまする」
「うむ、甚八か。覚えておるぞ。今は14歳のはずだな。確かにあ奴ならば大丈夫であろう。では、くれぐれも頼んだぞ」
俺は昨年に諜報員養成所を訪ねた際に出会った、甚八という少年の顔を思い出した。俺の目にも甚八の身のこなしは非常に優れて映ったし、順蔵の評価も高いようだ。14歳となれば立派に任務をこなしてくれるに違いない。
「この件は京におられる無人斎道有殿にはお伝えなさいますか?」
「道有には伝えるつもりはないし、絶対に知られないようにしろ。道有は武田の元当主だ。当然ながら幕府の存続を願っているはずだ。俺が幕府の再興を考えていないことは道有も薄々知っていようが、覚慶の暗殺を企んでいるとなれば話は別だ。心穏やかでは済まぬだろう。道有から和田惟政を通じて公方の耳に届いては、いささか拙いことになる」
「はっ、畏まりました」
義昭が災厄の種になるのは現代知識からも明らかだ。こちらが被害を被る前に、消しておくことが最終的には吉となるだろう。暗殺を命ずるのは心苦しいが、これも乱世の定めである。そう割り切るしかない。
こうして俺は「永禄の変」に乗じて、覚慶こと、史実の足利幕府第15代将軍・足利義昭の暗殺を命じたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます