勢源と鉄砲
目賀田の戦いが終わり、物生山城で光秀と二人で今後の方針について話し合っていた。
「しょ、正吉郎様!!!」
そんな時、何者かがドタドタドタッ!と廊下を軋ませるほどの足音を立てながら、急いだ様子で俺の自室に近づいてきた。声から察するに勢源だろう。光秀と二人で話し合いを行なっていた途中であったが、構わず俺は中断し、尋常じゃない驚きを声に孕ませていたことを感じ取り、勢源へと向き直った。
時々涙脆い時はあるものの、基本的には温和で声を張り上げることのない勢源の声に一瞬部屋が冷え込んだのを肌に感じたが、その顔の奥に秘められた感情を読み取ると、その空気は一気に弛緩した。
俺と目を合わせると勢源は途端に嬉々とした表情を浮かべ、やがて涙を流し始めてしまった。
俺は何のことだかピンと来ず、固まってしまった。勢源はここまで喜怒哀楽に富んだ人間じゃないのだ。いつもと違う様子に眉を顰めながらも、勢源の目を一度見つめた。
……ん?
いつもと違うのは何となく感じ取れた。それが何かは分からなかったが、勢源の次の言葉がその違和感を晴らす。
「にわかに信じがたいことなのですが、私、正吉郎様から頂いた目薬のお陰で、真っ白だった世界が開け、物の輪郭はぼやけるものの、その存在をしっかりとこの目で認識できるようになったのです……! 夢かと思い、何度も目を屡叩いていたのですが、どうやら現実のようでして……」
言葉を終える前に再び勢源は涙を流し始めてしまった。こうなれば止まらないだろう。落ち着くまで待つとしよう。
それにしても、俺が政虎に頼んだ目薬が本当に効くとは夢にも思っていなかった。10日ほど前に届いてから勢源に使うよう渡したのだが、ここまで短期間で効果を発揮するとは素直に驚いた。
俺がふと横を向くと、そこには勢源以上に号泣している光秀の姿があった。
「うう……。五郎左衛門殿、よもや本当に目が見えるようになるとは……」
余程嬉しかったのだろう。政虎に頼んだ甲斐があったというものだ。因みに善光寺の目薬とともに政虎から長い礼の手紙が送られてきていた。予想通り政虎は兵糧の調達に苦労していたようで、まさに救いの手と呼ぶべきものだったそうだ。
だが、それで勢源の視力が少し戻ったと言うのであれば安いものだ。
「良かったな、五郎左衛門。まさか本当に見えるようになるとは俺も思わなんだ」
「一生正吉郎様のお顔を拝見することのないまま、私は死んでいくのだと覚悟しておりました。今こうして正吉郎様のお姿をこの目で認識できるだけでも、これ以上ない喜びに思いまする……!」
平身低頭といった様子で声を絶え絶えに言葉を紡ぎ出している。だがその一言一句が俺の耳にしっかりと届いた。
「うむ、お主の目が少しでも見えるようになったというのは、俺にとっても本当に喜ばしいことだ。五郎左衛門、改めてこれからもよろしく頼むぞ!」
深々と頭を深く下げる姿をしっかりと見据えながら、勢源に言葉を投げかけた。
俺と慶次に対する冨田勢源の剣術、槍術指南は、仕官直後から政務前の朝早い時間に始まっていた。
これまでは剣の型や捌き方に捉われていたが、勢源との訓練を始めてからは相手の目をよく見て心や気を読むことが大切だという「心眼」の極意について教わっており、根本的な戦い方が日に日に変貌を遂げていると自分でも感じる。
勢源の白内障の症状が少しだけ改善されたとなれば、これからの鍛錬が更に捗ることだろう。
◇◇◇
6月末。
最近は梅雨の時期ということもあり、大雨の日が続いていた。
雨の日が長く続くと気が滅入るな。この雨では鉄砲隊の訓練の音も当然聞こえない。
昼間の鉄砲が響き渡る音は最早日常で、最初は鬱陶しく思っていたというのに、今となっては無い方が違和感を感じ始めている。
俺は費用を抑えるために青銅製の鉄砲の開発を命じたが、鍛造だった鉄製とは違って青銅では鋳造になるため試作が難航し、青銅で鍛造を試したり試行錯誤を重ねているのだという。実用化にはまだ時間がかかるだろう。
「雨の日に鉄砲が撃てるようになれば……」
そう独り言のように呟いたところで、俺はハッとなった。そしてその言葉を頭の中で反芻する。
ーー雨の日に鉄砲を撃つ。
雨が降れば火縄は濡れ、火薬に点火ができなくなる。火縄を雨から守ったとしても、火皿に水が入ってしまえば使えないのだ。
まず鉄砲にとっての大敵は湿気である。それを防ぐためには弾丸の構造を変えることが必要だ。油紙を使って包み込み密封状態にし、火薬と弾頭を湿度や乾燥などの環境から保護すれば、ある程度の対策になる。以前命じた早合と似たものだが、それは木を漆で固めたもので、湿気には弱かった。
早合よりもさらに射撃準備の時間が短縮されるだけでなく、この紙製薬莢は発砲時に溶けるため、火薬の燃え滓が混ざることで銃身内の残滓を除きやすくなるといった長所もある。
雨天時への対策として、もう一つ「防水火縄」を製作したい。今は竹や檜を使っているようだが、火縄は木綿を使えば雨に対しての強度が増す。木綿を硝石で煮て、それを乾燥させたものに漆を塗れば、防水性能は飛躍的な向上を見込める。
銃身にも改良が必要だろう。火縄の周辺に雨水が入り込むのを防ぐため、銃身の火蓋付近を包み被せるように雨覆いをつけよう。雨が降ってきた際に使用するというわけである。この雨覆いは処分に困っていた大人の狼の革を使えば費用も抑えられるはずだ。
雨天時以外はこれまでどおり早合を使用するが、雨天時に鉄砲が使えれば大きな武器になることは間違いない。たとえ命中率が低かれど、撃てないよりは撃てた方が良い。
俺はこの三つを城下で製作するよう命じた。雨の日にも鉄砲が使えるようになれば、戦術の幅が大きく広がるだろう。
◇◇◇
7月に入り、沼上の代官を命じている前田利蹊から返礼の手紙が送られてきた。礼と言うのは羽毛で作った布団のことである。俺は利蹊の赤子が寒さで体調を崩すことを危惧し、領内で作った羽毛布団を送ったのだ。赤子に対してだけというのも個人的に気が済まなかったので、そのあと利蹊と妻まつにも羽毛布団を送っておいた。
手紙の内容だが、正直軽く引くほどのものだった。俺を前にしていれば、土下座して涙を流しながら、感謝の言葉を延々と並べていくのではないだろうかと思ったくらいだ。
沼上の堰建設は順調に進んでいるようだ。この分なら来年の冬明けには完成しているだろう。
浅井が若狭を獲った後には美濃を見据えることになる。沼上の民には労苦を強いるが、頑張ってもらわねばな。
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