野良田の戦い⑤

野良田の戦いで浅井軍が六角軍を打ち破った後、寺倉軍1000はすぐさま合流、北上し、佐和山城へと向かった。


佐和山城は小川壱岐守が守る城で、物生山城の目と鼻の先に位置している。小川氏は六角承禎の父・定頼が亡くなった後、壱岐守の父・小川伯耆守が浅井に佐和山城を攻め込まれ落城し浅井に臣従し、城主を磯野員昌に明け渡した過去があった。しかし、高宮の戦いで六角が浅井に勝利すると、六角は佐和山城を回復している。佐和山城を代々治めてきた功績から、佐和山城を取り戻した際に小川壱岐守を調略して、城主に戻す約定の下六角家に帰参している。


まずは南の脅威を取り除くため、佐和山城を落とすことを最優先に決めていたのだ。


俺と久秀の迅速な行動により、夕刻には佐和山城を囲んでいた。


「壱岐守様、宇曽川において六角軍は壊滅し、六角承禎様が討ち死になされたとのことでございます!」


「なに?!承禎様が亡くなられただと......?それは真か!」


壱岐守は信じられないという表情を浮かべる。


「蒲生の裏切りによりお味方は大混乱に陥ったようにございます」


「蒲生殿が?なぜだ!蒲生殿は六角家の宿老。その立場にある人間が裏切るなど荒唐無稽なこと、信じられるはずがなかろう! この私を前に出鱈目を申すとは、貴様もしや浅井の人間か?混乱させるよう命じられた間者であるな。お前ら、こやつをひっ捕らえよ!」


小川壱岐守は伝令兵を捕らえるよう命じる。それもそのはず、これは六角家の誰もが勝ち戦だと信じて疑わなかった戦だ。それに負けたというだけでも驚きだというのに、重臣の蒲生が反旗を翻すなどという突拍子のない話に信憑性があるはずもない。


「お待ちくだされ!壱岐守様!!!」


伝令兵は顔を青白く染めながら叫ぶ。


壱岐守は佐和山城下でごく普通の政治を敷いてきた。しかし、民たちはすぐ近くの物生山城において寺倉家が善政を敷いていることを聞きつけ、多くの民が流出した。この時代において小川の政治はごく一般的であったが、寺倉の統治は考えられないほどに民の負担が少なかったのだ。


立地的な問題も大きかったわけだが、民が流出したことを許せるわけがなく、あからさまに敵視するようになった。


自分たちと違い、眼を見張るほどに早い成長を遂げ民から親しまれる寺倉と手を組んでいる浅井は、同じく敵視の対象となっていた。そのため浅井からの調略の使者は会うこともなく突き返した。


だが、寺倉の政治を見ても変えようとはしない壱岐守に見切りをつけた佐和山城の住人が、次々と出て行きそれがまた更なる流出を呼ぶ悪循環に陥っていったのだ。


だが寺倉は世の中の常識を乱す程の政治を行っていた。繰り返し言うが小川壱岐守の政治が特別悪いわけではない。そう考えると、寺倉が周囲の国人から恨まれるのも仕方がないことだ。


「申し上げます!城が囲まれております!」


他の伝令兵によってその報せはもたらされた。城を囲まれているということは六角が敗れたということ。壱岐守は先程の伝令兵が嘘を言っていないことをその身で実感する。


「なんだと!どこの手の者だ!」


動揺から、思わず怒鳴りつけるように立ち上がった。


「寺倉でございまする!」


「クク、ク......。我らに刃を向けるか。徹底抗戦だ。絶対にこの城を守り抜くぞ!敵の数はどれくらいだ?」


顔から汗を垂れ流しながらも、憎悪を露わに白い歯を見せる。


「1000近くにのぼると思われます」


「......なんだと?」


その数を聞いた瞬間顔が青くなった。壱岐守は、野良田の戦いでは息子である小川佐平次祐忠に出陣させていた。その数は300で、その兵がいない今、佐和山城に残っているのは200にも満たなかった。


つまりは五倍近くの兵だ。


「敵将は大倉久秀。寺倉家きっての猛将とのことです」


その名前は寺倉と領土を接する佐和山にも当然伝わっていた。そしてその名前を聞き、歯を強く食いしばる。


「......そうか。ご苦労」


壱岐守の顔は青く染まっていた。家臣らはひたすらその顔から眼をそらす。


「どうされますか?」


気まずい雰囲気が暫くの間漂った後、家臣の一人がその空気に耐えかねたように口を開いた。


だが、壱岐守の寺倉への憎悪は膨れ上がっており、降伏という選択肢はなかった。


「兵数で不利といえど、我らが城を堅く守れば勝機はあろう。籠城だ」


「.....はっ」


しかし勝機は薄い。壱岐守の頭に策は一つもなかった。


佐平次様がこの場にいれば......そう思っている家臣が殆どだった。宇曽川での戦いは家督相続の前に、楽に武勲を挙げるための戦でもあった。この戦で負けることはないだろうと誰もが思っていた。小川祐忠は、家臣の声を一つ一つ丁寧に聞くその姿勢から、厚い信頼を受けていた。しかしその祐忠が生きているかどうかも知る由はない。


「敵が大手門へと迫っております!壱岐守様、ご出陣を!」


「ああ、行くぞ」


壱岐守には何も策はなかった。しかし、その目には確かな覚悟が映っていた。




◇◇◇



寺倉軍の猛攻は激しさを増す。


壱岐守は死ぬまでは絶対に諦めぬと決意していた。しかし、敵の攻勢は予想以上に激しかった。


「水之手口門、破られました!!!」


無情な言葉が城内に響く。その声に城兵たちは戦意を失いつつあった。


「くっ。諦めるな!!!我らは水之手口門に救援へと向かう!」


兵の半分を水之手口門の救援に差し向けた。破られた門から勢いよく攻め入ってており、既に手の施しようのない状況になっていた。


その時だった。


「藤堂虎高、敵将・小川壱岐守を討ち取ったり!!!」


水之手口門を破られ、防衛していた壱岐守が寺倉の将・藤堂虎高によって討ち取られたのだ。


「小川壱岐守様、討ち取られました!!!」


すぐにその報せは城内を駆け巡る。


水之手口門が破られた上当主が討ち取られたことで、城兵の殆どが戦意を失いつつあった。しかし、そう諦めた時、猛々しい声が耳に届く。


「我こそは小川佐平次祐忠である!我が来たからには、この城が落ちることはない!絶対に諦めるな!!!」


その姿は皆が待ち望んでいた、小川佐平次祐忠その人であった。佐和山城下の住民は、14歳という若さながら、武芸に突出したものがあるわけではないが、その心優しき性格によって住民の心を掴んでいた。善政を敷く寺倉の物生山城に流出した住民は確かにいたものの、この祐忠を信頼して残った者も数多くいたのだ。


祐忠は150の兵を援軍として連れて来、水之手口門から攻め入る寺倉軍を後ろから突くように攻撃した。祐忠自身足を引きずっており、半数を宇曽川で失った(逃走した)が、こうして佐和山城へと帰還した。


その姿を見た城兵は落胆の表情を一転し、歓喜の叫びを上げた。


「佐平次様が戻られた!!!これでいけるぞ!!!」


兵の中に諦めなどという感情は既に消えていた。むしろ勇ましい顔つきで、破られた門に流入した兵を斬りつけていった。


「よし!このまま押し返せ!!!」


「応ッ!!!!」


「佐平次様をお守りしろ!」


祐忠自身、武芸に特筆する才能は持ち合わせていなかった。怒涛の勢いで押し返す兵により、徐々になだれ込んだ兵も門の外に追い返されつつあった。


武勇に富んだ久秀が何度も攻勢に出るものの、祐忠は組織力を持って幾度となく防いでいた。そして戦は膠着状態になった。


「我らの勝利だ!!!勝ち鬨を上げよ!!!」


そんな声が上がったのは日が沈み始めてからだった。寺倉軍は今日中に落とすのは難しいと判断し、一旦退却を始めたのだった。もちろん城を囲んでいる状態を解くことはなく、小川軍にとっては依然として難しい状況だ。


「えいッ!えいッ!応ッ!!!!!」


ーーえいッ!えいッ!応ッ!!!!!


しかし、佐和山城の中から勝ち鬨を上げる声が響き渡る。小川兵には諦める様子など微塵もなかった。


佐和山城の戦いは、被害の多くが小川軍だったものの、小川祐忠の帰還によって勢いを取り戻した守備兵が辛くも守り抜き、結果、小川軍の勝利に終わったのだった。




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