野良田の戦い③
野良田の戦い。
これは長い間六角家への臣従を強いられてきた浅井家の、江北での権力を取り戻し独立を果たす一大決戦である。
そんな野良田の戦いを初陣とする1人の若者がいた。
その名は浅井長政。
近江南北分け目の戦いの幕が切って落とされるーー。
◇◇◇
「承禎め、我らを舐めきっておるな。兵を愚直に戦わせるだけで策が全く無い。兵の数で勝っているからと何と阿呆な。我らを侮りしこと、悔いるが良い!」
私は歯ぎしりをしながら戦況を見つめていた。こんな男に我らは苦汁を舐めさせられていたのかと思うと、どうにも整理のできない複雑な思いが胸を駆け巡る。我が父、浅井久政、いや、浅井巖應は政には長けていたがいかんせん戦の才がなかった。とはいえ自らの力を過信せず、六角の軍門に降ることで御家と民を守り抜いた。その点において私は心から父を尊敬していた。
その後六角を打ち倒そうと反旗を翻したが、その結果は散々であった。兵を多く死なせてしまい、父自身も囚われた。そして父は承禎に命じられるまま正吉郎の父、政秀の暗殺を決行する。父は承禎に振り回されただけであり、そしてその圧力に辟易していた。だからこそ、承禎の命令に対する判断力を失い、あのような蛮行に走ってしまった。しかし、父のやったことは許されるものでは無い。これを許すどころか扱いに困っていた父の臣下まで認めてくれた掃部助殿には、幾ら感謝しても足りることはないだろう。
そして今私は寺倉家と、同じ戦場で味方として戦っている。寺倉家の将、大倉久秀が陣中指揮官として参加しており、二部隊に分けた一方は掃部助殿が、もう片方に久秀を大将として起用しているというわけだ。
そして私はこの戦での戦略を固めた。
織田が今川を打ち破ったように、この戦、勝つには大将首を狙うのが一番だ。私は蒲生の寝返りに動揺している本陣を叩く事を決断した。
「これから我が隊は敵に気づかれないように戦場を大きく迂回し、敵本陣の六角承禎を討つ。留守の間清綱、ここは任せたぞ。皆の者、我に続け!!!」
私は刀を掲げながら馬に跨り、戦場から迂回するため勢いよく飛び出した。
◇◇◇
浅井家の先陣には百々内蔵助と磯野員昌らが、後陣には赤尾清綱、上坂正信、今村掃部助、安養寺氏秀らが構えている。口火を切ったのは百々内蔵助だった。
「これは近江南北分け目の決戦である! 我は浅井の先陣を承った!これに負けるは浅井の滅亡なり!皆の者、我に続けぇぇぇぇ!!!!」
「応ッ!!!!」
兵は地鳴りのような声とともに士気を上げ、宇曽川を渡る。その様子を見た進藤山城守賢盛がこれを迎撃せんと動き出し、両軍はついに衝突した。それまで睨み合っていた両者の戦意は急速に盛り上がる。
六角家の先陣には蒲生定秀、永原重興、進藤賢盛、池田景雄がおり、百々内蔵助に対応したのは進藤賢盛だった。
兵数で勝る進藤賢盛には多少の楽観はあったものの、油断は微塵もなかった。対する百々内蔵助の軍はこの戦に負ければ浅井は滅ぶ。その覚悟を胸に戦っており、兵の士気は異様なほど高く、衝突直後は百々の軍が圧倒的に優勢であった。
しかし、兵数で圧倒的な有利を誇る進藤隊が次第に戦況を五分に戻していく。そしてその戦況は次第に六角の優勢に傾きつつも、百々の軍勢は負けじと刀を振るった。
その勢いが実を結び、両者の戦いは膠着状態に至る。これに目を細めたのは永原重興と池田景雄。両軍は苦戦する進藤隊を鼓舞するように大声をあげながら百々の横を突いた。これを機に磯野員昌・丁野若狭守が飛び出し、今度は永原、池田隊を横から突く形になり、両者混戦状態に陥った。
その時であった。
「蒲生の兵よ!今から我らは六角に反旗を翻し、六角を討つ!我こそはと思う者は我に続け!!!」
「応ッ!!!!」
これまで様子を伺うように構えていた六角家六宿老の一人、蒲生下野守定秀が突如反旗を翻し進藤の背後を、永原、池田を浅井の反対側から横を突く形で攻勢をかけ始めたのだ。
これには六角兵は大混乱。混戦の中、なすすべもなく六角の先陣隊は潰走し、兵たちは次々に逃げ出した。
そして蒲生は六角の旗印を投げ捨てて、浅井の兵と共に第二陣に攻勢を仕掛けようと兵を進め始めた。
「な、何が起こっている!蒲生が寝返っただと?そのようなことあるはずなかろう!」
その様子を伝令兵から聞いた六角承禎も例に漏れず大混乱に陥っていた。蒲生は六角家の重臣中の重臣。まさか反旗を翻すことなど、承禎自身想像もしていなかった。
そして六角の一翼を担っていた蒲生が裏切ったという事実により、承禎の中だけでなく六角の兵全体に疑念が生じ始めていた。もはや楽勝だという雰囲気は何処吹く風で、第二陣で待ち構える将達も大粒の汗を垂れ流しながら動揺を抑えていた。しかし兵たちの方はそうとはいかなかった。
中には恐れ慄き逃げ出す者もいた。蒲生の寝返りはそれほどまでに大きなことであったのだ。だが六角の第二陣は負けじと兵を鼓舞した。
「兵数において我らの優位は揺るがぬ!兵たちよ、恐れるな!後に続くのだ!!!」
そんな声は半ばかき消される。それほどまでに動揺は大きかったのだ。もうその混乱を治めることは不可能にまで陥っていた。
そして間も無く蒲生含め赤尾清綱、上坂正信、今村掃部助、安養寺氏秀、そして大倉久秀の兵が第二陣と衝突した。
「我こそは大倉久秀なり!!! 我らの勝利はすぐそこである! 皆の者、刀を振るえ!敵兵を一人残らず仕留めるのだ!!!」
久秀は次々と敵兵を切り倒していく。寺倉の猛将という名に相応しい勇姿であった。
「蒲生が裏切った!負け戦だ!!!」
蒲生が寝返ったことを、あらかじめ長政が六角に忍ばせた兵に叫ばせる。混乱して信じきれなかった兵たちに現実を知らしめ、事の大きさを実感させたのだ。そしてその声はさらなる動揺と不信を六角兵に植えつけていく。
恐慌状態に陥った六角軍は拍子抜けするほど瓦解するのが早く、一気にその勢いに押されていく。そして不利を悟った六角の兵たちが一斉に逃げ出した。
「申し上げます!浅井長政の本隊がこちらへ向かっているとのことでございます!」
伝令兵が間も無くして長政の接近を伝えた。
「何?!くっ……。応戦せよ!」
承禎の指示は一歩遅かった。長政は本隊の横を突くような形で攻勢をかけていた。六角の本隊は立て直そうと奮戦するも、既に動揺が広がって本陣には浅井の攻勢に耐え得る力は残されていなかった。
「承禎様!我らの敗北にございまする!退却のご準備を!!!」
後陣にいた後藤賢豊は浅井に押される本陣を見て口を半開きにして呆然としていたが、ハッと突然気づいたように立ち直り、承禎へと進言した。
「我らが負けただと?まだだ! まだ兵の数ではこちらが勝っておろう! 諦める時ではない!」
「しかし兵たちは恐れ慄いております!すでに大勢は決したかと思われます!もうもはや我らに浅井の兵を止める力はございませぬ!」
「まだ我らは諦めるわけにはいかぬ!」
承禎は頑なに動こうとはしなかった。そんな承禎に呆れ果てたような表情で告げた。
「そのように戦況を読めないから蒲生殿に見限られるのですぞ!それを分かっておいでですか?」
「ふん。どうとでも言え。儂一人でも浅井など滅ぼせるわい」
その目はまさに本気であった。自らを有能だと信じて疑わない。自分一人で何でもできる。そんな過信が見て取れた。
そうこうしている間に長政の本隊は承禎にも近づいていた。立ちはだかる兵数は有利であったが、それも浅井の決死の突撃に成すすべもなく、徐々に身の危険を帯び始めていた。
「承禎様、ここは私が食い止めまする!承禎様だけでもお逃げくだされ!」
「くっ……。退却だ!浅井長政、蒲生定秀。次はないぞ!」
その声と共に承禎は寡兵で戦場を抜け出した。
大将を失った六角本隊は崩壊し、我先にと逃げ出す。そして承禎は寡兵での退却を始めた。
浅井長政はその光景を見て、勝利を噛み締めると同時に安堵していた。六角の支配から脱却し、独立を手にすることが叶った。長政はその事実に感涙する。
(私は遂にやったのだな……!)
祖父・亮政の代からの悲願を遂に成し遂げたのだ。安堵で満たされた心に喜びがこみ上げてくる。
「皆の者、勝ち鬨をあげよ!!!!!」
長政はその感情を吐き出すように大声で叫んだ。
「えいッ!えいッ!応ッ!!!!!!!」
ーーえいッ!えいッ!応ッ!!!!!!!
勝ち鬨が戦場に響く中、最後まで戦っていた六角の兵たちも自分たちが負けたことを悟り、次々に逃げ出した。その状態に陥ればもう怖くはない。浅井の兵は六角の残党を手にかけていった。
こうして浅井家はこの一大決戦で大勝利を収め、江北での浅井家の立場を確立したのだった。
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