内政改革⑧ 塩水選と正条植え
寺倉郷では、昨年「四公六民」にしたことにより米の税収が大幅に減ってしまった。もちろん千歯扱きや唐箕、干し椎茸の販売と灰吹法による金銀の回収により、寺倉家の財政面では全く問題はないのだが、米は移民たちへの報酬に使えるだけでなく、戦時には兵糧となり、凶作時の非常食にもなるので、米はある程度余裕を持って備蓄しておきたい。
本音では税率はせめて「五公五民」くらいが望ましいのだが、今さら修正するのも好ましいとは言いがたい。故に米の収穫量自体を増やしたいと考えている。元の収穫量を100として、それを3割増の130に増やすことができれば、「六公四民」の60から「四公六民」の40に減った年貢を、「四公六民」のままで52にまで増やすことができ、「五公五民」の50よりも多くなる計算となる。
米の収穫量を増やす方法には肥料や稲の品種改良もあるが、手っ取り早く効果的にできるのは種籾の「塩水選」と「正条植え」だ。塩水選とは種籾を食塩水に入れ、比重が重くて沈んだ種籾だけを選んで、苗代で育苗するという種籾の選別方法である。
そして、正条植えは田植えの際に縦と横の列を揃え、同じ間隔を開けて苗を植える方法だ。前世では田植え機で植えられて綺麗に稲が並んだ風景が当たり前だったが、人の手で植えるこの時代では狭い間隔で密集して田植えしている。
正条植えをすると、日影が減って日光が稲に十分に当たり、風通しも良くなって稲の生育や稲穂の実付きも良くなるだけでなく、除草や害虫駆除、稲刈りの作業もやり易くなるのだ。そのため植える苗の本数は今より少し減ることになるが、稲1本当たりの稲籾が格段に増えるため、トータルでは正条植えした方が収穫量が増えることになる。
塩水選と正条植えを同時に行えば、米の収穫量は2割から3割程度は増えるはずだ。2月下旬の評定で、俺は塩水選と正条植えの試行を提案し、父から了承を得ると、寺倉郷の2割に当たる田んぼで塩水選と正条植えを試行的に始めたのだった。
一方、石鹸作りの方は試作が2月から始まったが、2月末に出来上がった最初の石鹸は獣脂の臭いが強く、ドロドロの液状のものが出来上がった。しかし、その石鹸を使って汚れた雑巾を洗わせると、黒く染みついた汚れは綺麗に落ち、洗浄力自体は問題なさそうだった。
とはいえ、衣類や食器を洗ったり、水浴びで身体や髪を洗ったり、京で富裕層に販売するためには、まず絶対に臭いの改善が必要だ。できれば固形化して使い易くしたいところだな。今後は柑橘類の果汁を入れて香りを付けてみたり、炭の粉を入れて臭いを除いたりできないか試しながら、しばらくは改良に努める必要がありそうだ。
その後、春になると、領内最大の寺である源煌寺の参道沿いには新興商人の店が幾つか出来つつあった。まぁ、現金収入が増えて購買力が上がった領民たちも行商人からの買い物だけでは不便であるため、俺が木原十蔵の伝手を使って商人たちを誘致した結果だ。商人たちが俺の勧誘に喜んで応じたのを見ると、どうやら商人たちも寺倉郷は有望な地だと目を付けたらしい。
いずれ近い将来、移民により人口が増加し、繁栄を遂げる寺倉郷の光景が俺の目にははっきりと映っている。その頃には、源煌寺の参道を商人街にして、自由な競争を生み出すため楽市楽座を導入したいところだ。
◇◇◇
7月上旬のある日の昼下がり、上等な服を着た40代後半の恰幅の良い男が馬に乗り、僅かな供を連れて寺倉郷の街道を歩んでいた。
その男の名は蒲生下野守定秀という。寺倉家の主家である蒲生家の当主であり、「六角六宿老」と呼ばれる六角家の重臣の一人である。蒲生家の本拠地は寺倉郷の30kmほど南にある蒲生郡日野郷であり、飛び地の板ヶ谷にある配下の領地を主君自ら訪ねるのは、極めて異例であった。
蒲生家は形式上は客将として六角家と主従関係で結ばれていたが、過去に定秀の祖父・蒲生貞秀が、存亡の危機にあった六角家当主・六角高頼を支援して復権させた経緯があり、その恩義から蒲生家は六角家中で突出した所領を与えられていた。そして、六角家当主が高頼の孫・六角義賢になった今代でも、蒲生家の権力は六角家中で当主の義賢に匹敵するほどであった。
その蒲生定秀は初めて訪れる寺倉郷の景色を馬上から眺めていたが、ふと馬を止めた。
「何だ、あの田は! あそこだけ稲が綺麗に並んでおるではないか? ふむ、他の田よりも稲の背丈が高いようだな」
周りの田よりも頭一つ高く青々と育った稲が、正条植えされて綺麗に並んでいる田が目に映ると、定秀は驚嘆の声を上げる。その堂々とした様は、秋を彩る黄金色の稲穂を、目の奥で想起させるような立派なものであった。
「……ふっ、これも例の"神童"とやらの仕業か? 益々会うのが楽しみになるのぅ」
やがて定秀は片頬に笑みを浮かべ、再び馬を歩ませていった。
一方その頃、蒲生定秀の供の一人が先触れとして寺倉家の屋敷を訪ね、定秀の来訪を告げていた。その報はすぐに当主・寺倉政秀に伝えられた。政秀は突然の主君の来訪に驚いたが、家臣たちや使用人に命じて定秀を迎える準備を慌ただしく進めるのだった。
◇◇◇
申の刻過ぎ(午後4時頃)、寺倉家の屋敷の広間では上座に座る蒲生定秀と、下座の正面には平伏する父の姿があった。
「蔵之丞。此度は突然訪ねてしまい、誠に済まぬな。所用で近くまで参ったのでな。折角の機会だと思い立ち、急遽立ち寄らせてもらった」
蒲生定秀は真正面から父を見据えながら、会釈するように僅かに頭を下げた。
「本来ならば私共が出迎えに参るべきところ、主君である下野守様にわざわざ足を運んでいただき、誠に申し訳ございませぬ」
主君の詫びの言葉に、父は慌てて頭を垂れて言葉を返した。その額にはまるで炎暑に当てられたかのように大粒の汗が滲み出ている。
「最近の寺倉郷の発展は著しいと耳にしておったが、ここに至る道中もなかなか目を見張るものがあったぞ」
「お褒めいただき、光栄の至りにございまする。何もない山間の田舎ですが、下野守様も日野からの長旅でさぞかしお疲れでございましょう。今宵はささやかですが、精一杯のもてなしをさせていただきます故、どうかごゆるりとお寛ぎくだされ」
「そうか、世話を掛けるのぅ。ついでに見ておきたいものもありそうだしな」
そう言いながら広間を見回した定秀の目は、小姓のフリをして隅に座っていた俺に向けられて止まった。一見柔和な笑みを浮かべながらも、その目の奥にまるで獲物を狙う虎のような獰猛な光が宿るのを垣間見た俺は、本能的に身体がビクッと強張り、その視線の意味を察知した。
人の口に戸は立てられない。これまで行ってきた施策が俺の発案であると、商人から耳にしたのだろう。所用のついでというのは口実だ。本当の目的は、急速に発展する寺倉郷の偵察と、"神童"と評判の俺の見定めに違いない。
蒲生家にとって俺が有用ならば懐柔し、邪魔ならば排除し、どちらでもなければ放置する、といったところか。俺に目を向けながら言った意味は、さしずめ「あまりやりすぎるなよ」という警告なのだろう。俺は定秀の値踏みするかのような視線に当てられながらも、定秀の目的を冷静に分析していた。
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