内政改革⑥ 寺倉郷の発展

天文22年(1553年)1月。


年が明け、ようやく10歳となった俺は、新年の祝宴ではまだ酒は飲めなかったが、上座の父の横で正月料理に舌鼓を打っていた。


一方、俺とは対照的に、赤ら顔で酒を堪能する父や家臣たちは皆、満面の笑顔に溢れていた。それはもちろん、昨年は千歯扱きと唐箕、そして干し椎茸の販売により、寺倉家が大きな利益を獲得し、全く無名の近江の国人領主に過ぎない寺倉家の名前が、畿内中の商人たちに知れ渡ることになったからだ。


さらに今年からは極秘に粗銅から金銀の回収を始める計画もあるので、寺倉家の将来は前途洋洋と言っても過言ではなかった。だが、ただ商品を売って得た金を浪費したり、将来のために金を溜め込むだけでは意味がない。


お金は効果的に再投資することによって、社会資本となって領地を発展させ、社会全体を循環して領民たちの生活を豊かにし、将来はさらに大きな金となって還ってくるものであり、この拡大再生産が富国強兵に繋がるのだ。


したがって、俺は得た資金を元手にして、新たな産業創出や社会インフラ整備などに投資するつもりだ。俺は祝宴の翌日に父の了解を得ようと、この考えを上機嫌の父に分かりやすく説明しようとした。


だが、そもそもこの時代の武士にアダム・スミスの『国富論』やマルクスの『資本論』の理論を理解させるのは無理があった。父は俺の説明をほとんど理解できなかっただろうが、それでも俺を信頼して了解してくれた。だから俺は、父の信頼に絶対に応えなければならないと心に誓った。




◇◇◇




俺はまず最初に、領民の衣食住といった生活向上に繋がる施策を行おうと考えた。その中でも最も重要なのは、やはり「食」だ。前世ほどでなくとも、ある程度の食事レベルは確保したいのが本音だからな。


前世では日本人の主食は白米だったが、この時代では白米は公家や上級武士、僧侶、大商人といった裕福な上流階級しか食べない。一方、中級武士の国人に過ぎない寺倉家は、「平時こそ質素倹約を心掛けるべし」との家訓を旨としていることもあり、正月などの祝宴を除いて普段は玄米を主食としている。


そして領主が玄米を食している状況ならば、当然ながら領民たちは玄米や麦、蕎麦、粟、稗、黍などの雑穀、豆や芋を主食としている。もちろん年貢以外の米は領民たちの手に入るが、米だけでは家族全員の食料は賄えない。そこで、領民たちは種籾を残して高価な米を売り、その金で安価な雑穀などを買って量を補い、主食としているという訳だ。


前世では、玄米や雑穀は生産量が激減したため白米より高価で、食味でも白米に劣るが、タンパク質やビタミンB群、ミネラル、食物繊維が豊富で、栄養的には白米よりも優れている穀物だ。カロリーも低いので前世では健康食品として見直されていたな。


史実の江戸時代には白米食が江戸の庶民にも広まり、ビタミンB1の欠乏による脚気が流行っている。これが「江戸患い」と呼ばれたのは皮肉だが、木原十蔵によるとこの時代でも京の公家や僧侶には、脚気を患う者が少なくないらしい。


そういう訳で、玄米や雑穀を主食とする領民たちの食生活は驚くほど質素だ。ただ生きるため、腹を満たすために食べているだけなので、領民たちは総じて痩せ細っており、肥満体の者は武士や商人以外では一人もいない。


醤油はまだ存在せず、塩や味噌も高価なため、領民が食べる料理は薄味で、前世の飽食の記憶を持つ俺からすれば、美味しい食事を楽しめない人生なんて苦痛以外の何物でもない。ゆくゆくは何か調味料を領内で生産したいものだ。


それに、現状の質素な食生活では一たび凶作で飢饉が起きれば、たちまち栄養不足で体調を崩す者が続出しかねない。労働力の柱である男が倒れたりすれば、その家は生活が立ち行かなくなり、厳しい結末を迎えることになってしまう。


また富国強兵を図る上でも、領民の男たちには兵としても働いてもらわなければならない。痩せ細った領民たちを屈強な兵にするためには、もっと高カロリーで高タンパクの食事を摂らせて、頑健な身体作りをさせる必要があるのだ。


寺倉郷には川も流れ、琵琶湖にも近いため、魚を食べればある程度のタンパク質は確保できる。俺も何日かに一度は鮒や鯰、川魚を食べているが、味は淡泊なものの美味しい。だが、近江特産の鮒寿司だけはダメだ。前世の握り寿司ではなく、寿司の原形である熟れ鮨なのだが、とにかく発酵臭が腐ったチーズのように臭い。まぁ、父に言わせると、酒好きには酒の肴として堪らない美味さなのだそうだが、酒を飲めない俺には理解できないな。鮒寿司はともかくとして、この時代ではどうやら魚も高価なため、領民たちは川で魚が採れると売って、生活費の足しにしていたようだ。


だが、千歯扱きと唐箕の部品作りの報酬により領民たちの現金収入が増え、男が畑仕事をして、女が家事と内職をするという分担が自然とできつつある。所得が増えれば、川で採れた魚も売らずに食べるようになり、逆に魚を買えるようにもなるだろう。


それと後は、現状でも大豆は食べているが、魚以外でタンパク質を得るとすると、残るはやはり獣の肉となる。前世の欧米人と日本人を比べれば分かるとおり、肉食は体格を大きくするし、体力がつくのは明らかだ。


しかし、古代の朝廷が五畜(馬、牛、犬、猿、鶏)の肉食を禁じた勅令と、殺生を戒めた仏教の影響により、この時代の畿内では四足動物の肉食を忌避する風習が根付いている。そのため、京に近い近江でも獣肉はほとんど食べられないのが実態だ。


ただし、例外として鹿や猪、熊、狼、兎、野鳥など狩猟された害獣は除かれ、鯨も魚の扱いで食べても問題ないらしい。そうは言っても、実際に獣肉を食べる人間は猟師以外では極めて少ない。そこで、俺はまずは寺倉家の食事に肉食を取り入れ、次に家臣に広め、ゆくゆくは領民たちにも肉食を広めたいと考えている。


次に、俺はさらなる好感度と信頼上昇を当て込んで、税制を改革することにした。これまでは「六公四民」だった税率を「四公六民」に改定したのだ。もちろんこれは千歯扱きや唐箕、干し椎茸の販売に加えて、粗銅から回収される金銀という収入源があるからこそ為せる施策だ。


さすがに領民たちもこれには大喜びすると同時に、驚きを隠せない様子だった。米の収入が1.5倍になれば、領民たちも少しは玄米を食べられるようになるだろう。いずれは税率だけではなく、種籾の塩水選や正条植えを広めて、米の収穫量自体を増やしたいと考えている。


これらの施策は表向きには俺は何もしておらず、父に提案して父が命じたことなのだが、どこから漏れたのか、領民たちの間では俺のやったことだと認識されていた。できれば父の方を敬ってほしいのだが、俺は次期当主なのだから否定したところであまり意味はないと諦観することにした。


そして収穫の秋を迎えると、領民たちに「四公六民」の恩恵がもたらされ、領民たちの所得も大幅に増加した結果、寺倉郷は豊かな領地へと変貌を遂げることになった。そして、「四公六民」の噂は周辺に広まり、冬を迎えると噂を聞きつけた他領から貧しい農民が少しずつ寺倉郷へ身を寄せるようになっていたのだった。

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